黄土色の章





 「よく来たな、不二、越前」
 「みんな怪我の方は? もう大丈夫なの?」
 「ああ、怪我はほとんど完治した。まあちょっとしたのは残ってるが、早く練習したいって奴が多くてな。全く、しょうがねえ奴らだなあ」
 「わかるよその気持ち。特にもうすぐ関東となればね」
 苦笑いする橘に、くすくす笑う不二。そしてその後を特に何も言わずついていくリョーマ。
 都大会後半寸前に事故で怪我をした4人のお見舞いという事で、青学を代表して(つまりはクジで決めた結果)不二とリョーマが来たのだが・・・。
 「あ・・・」
 「お前、越前!!」
 校舎裏の手作りテニスコートに入るなり、こちらを向いていた伊武・神尾の2人に声を掛けられる。その声に合わせ、背中を向けていた4人もこちらに顔を向けてきた。
 「やあ。久し振り」
 「ども」
 手を上げにこやかに挨拶する不二。リョーマも一応頭を少し下げた。
 「越前君! それに不二さんも! どうしたの!?」
 「おお、杏。青学から見舞いだそうだ」
 「え? わざわざ、ですか・・・?」
 「怪我の事、みんな心配してたからね。
  橘君に一足先に聞いたけど、もうみんな大丈夫みたいなんだって?」
 「ええ。もうほとんど治りました。都大会の山吹戦では悔いの残る試合になってしまいましたから、早く関東で試合したいってみんな張り切ってます」
 力強い笑顔で答えてくる杏に、不二がくすりと笑った。
 「さすが兄妹、言う事が同じだね。まあ・・・言い方にはかなりの差があったけど?」
 「そう・・・ですか・・・//?」
 その言葉で大体の想像がついたのだろう。杏が顔を赤らめ、はにかんだ。
 「ま、強気がコイツの取り得だからな」
 「・・・ってもー。兄さん!」
 「悪い悪い」
 ぽんぽんと妹の頭を叩いて笑う橘。口を尖らせ兄の手をどけようとしながらも、とこか嬉しそうな杏。幸せそうな兄妹の姿を、不二は微笑ましい思いで見つめていた。
 「不二先輩」
 隣でぼそりとリョーマが呟いた。目線だけで見やるが、彼はこちらを向きもせず、先を続ける事もなかった。
 不二はくす・・・と、笑みと苦笑の中間のような、そんな気の抜けた声を漏らして、目的を果たす事にした。
 「―――そうそう、見舞いの品、って言うと変かな? 激励の品持ってきたんだけど、よかったらみんなでどうぞ」
 「そうか? 悪いな。
  ―――青学から差し入れだそうだ! 休憩にするぞ!!」
 『はい!』
 橘の号令に全員律儀に応え、こちらへと駆け寄ってきた。
 その全員の前で、不二は鞄から取り出したもの―――コンビニのビニール袋をまず広げた。
 「今日暑いからね、アイス。冷たくておいしいよ。何種類かあるから、好きなの取ってね」
 言われたとおり好きなものを取っていく一同(当然最初に取るよう薦められたのは橘だった)。普段あまり話せない他校の生徒、特に不動峰は新参者として格下に見られるため、打ち解ける機会はほとんどない。そして相手は不二―――まあリョーマは除外するが―――、見た目の印象もよく、柔らかな物腰で打ち解け易い。その上食べ物を囲みながら和気あいあい、となれば自然と話も弾むものだ。
 そしてその中で―――唯一伊武だけがリョーマと話を弾ませていた。
 「やあ、越前君。久し振り」
 「ども」
 「君の怪我、完全に完治したみたいだね」
 「アンタは?」
 「俺もほとんど治ったよ。関東が楽しみだね。ようやく君に借りが返せる」
 「さらに貸してあげようか?」
 「相変わらず生意気だね。出来るつもり?」
 「もちろん」
 「全然弾んでねえ!!
 ・・・・・・聞くともなしに聞いていた神尾がすかさず突っ込みを入れたりもしたが、まあそれはそれとして。





 「ああ、あとこっちは僕個人から」
 アイスを食べ終わった不動峰部員らからゴミを回収した不二は、今度は全員に直接プラスティックのコップを手渡していった。
 「体力回復に、ね」
 と、取り出した魔法瓶を指差し、にっこり微笑む。
 『?』
 首を傾げる一同。その中央、(やはり最初は)橘が差し出したコップの中に―――
 
こぽこぽこぽこぽ・・・・・・
 『・・・・・・・・・・・・』
 コップになみなみと注がれる、濃い黄色、だいだい、いや・・・黄土色っぽい液体。側面に少し跳ねた雫もまた、黄土色・・・・・・。
 「不二・・・・・・。これは・・・・・・?」
 「だから、体力回復に」
 「お前が、作った・・・のか・・・・・・?」
 「うん。最近うちの部活、そういうの流行ってるから」
 「『流行ってる』・・・・・・?」
 不二曰く『うちの部活』、つまりは青学男子テニス部の1年ルーキー、越前リョーマの方を見やる。青褪め、無言でぶんぶんと首を振る彼の様子を見る限りとても『流行ってる』とは思いがたい。
 黙りこんだ橘以下部員一同。笑顔の不二が他の部員のコップにも注いでいくこぽこぽという音だけがひたすら響くその中で、平然と伊武がそれを指差しリョーマに尋ねた。
 「アレって、もしかしてこの間言ってた『乾の野菜汁』ってヤツ?」
 「なワケないじゃん。あれのどこが『野菜』なんだよ・・・・・・」
 「じゃああれって何?」
 「俺が知るわけないでしょ? まあ不二先輩が作ったんなら『不二汁』ってトコじゃないの?」
 「ふーん・・・・・・」
 非建設的な会話の合間に、伊武は自分のコップにも注がれたそれ―――通称『不二汁』をじっと見つめた。
 「不二汁、ねえ・・・・・・
  ちなみに味は?」
 「知らない。飲んだ事ないし。
  まあ乾先輩の汁だったら何回か飲んだことあるけど」
 「それだったら?」
 「命の保証は何とかされてた」
 「味は?」
 「めちゃくちゃマズい。
  けど不二先輩普通に飲んでたから、もしかしたら今回はそれ以上かもね」
 にやりと笑うリョーマ。今回自分は被害者にはならずに済んだ。その喜びがありありと出ている。
 「ふーん・・・・・・」
 再び気のない返事をし―――
 何を思ったかぐびりと一口飲んだ!
 『
うわあああああ!!!!!!!
 不動峰メンバーの、断末魔の叫び声が広がる。
 「深司!! 大丈夫か!!?」
 「吐け!! 今すぐ吐くんだ!!」
 が・・・
 「何だけっこうウマいじゃん・・・・・・」
 そう言い伊武は渡された飲み物をごくごくと飲み干した。
 『えええええええ!!!!???
 驚きを全く隠さない一同。それはそうだろう。どう見てもこの、とても人間の飲める代物には思えないこれがおいしいなど、そんな不条理極まりない事態があるものか!!?
 だが、空のコップも、いつも通りの伊武も覆し様がない事実で。
 「飲んだんだ・・・・・・」
 リョーマがぼそりと呟いた。あらかじめ不二から話は聞いていたものの、本気で飲む人がいるとは思ってもいなかった。
 「うん。アイス食べて、喉乾いてたから」
 「だけ?」
 「だけ」
 「・・・・・・・・・・・・。別にいいけどさ」
 視線を逸らし、会話を切る。
 「大丈夫なのか、深司・・・?」
 「何が?」
 「だから・・・その・・・・・・体とか、心とか、ぶっちゃけ命とか」
 「・・・。時々変な事言うよね、神尾」
 『・・・・・・・・・・・・』
 伊武のその発言に、一同が先程までと違う意味で固まる。少し離れたところでは、神尾が杏に慰められていた。
 「ま・・・まあ、深司が大丈夫だったんだから・・・・・・」
 「大丈夫、ですよね・・・・・・多分」
 「多分・・・・・・な」
 出来るならば全力で遠慮したい。しかしこれは不二からの『好意』だ。むげには断りにくい。しかも既に最初のアイスを食べ、不二とも思いっきり打ち解けてしまった以上絶対に断れない!!
 「じゃあ・・・・・・」
 「『いっせーの、せ』で・・・・・・」
 「合図は・・・」
 「やっぱりここは橘さんが・・・」
 「そうか・・・。みんな、覚悟はいいか・・・?」
 「俺達は橘さんについていきます・・・・・・!!」
 「お前たち・・・・・・!!」
 「橘さん・・・・・・!!」
 「・・・・・・・・・・・・」
 ―――何だか盛り上がる一同。そのすぐそば、小声の会話も十分聞き取れる範囲に、もちろんそれを持ってきた不二もいるのだが、それには一切触れずに感動の場面はクライマックスを迎えた。
 「では―――
  『いっせーの、せ』!!」




 ぐびぐび!!





 
ぐはあっ!!?





 悲鳴を聞き、駆けつけた杏と神尾が見たものは、活け造りにされた魚の如く、地に倒れてびくびくと震える5人だった。
 「兄さん!? みんな!?」
 「何があったんだよ!?」
 揺すっても、抱き起こしても反応ナシ。半乱狂になる杏の隣で、神尾はふと重要なことを思い出していた。
 (そういえば、深司って・・・・・・)
 伊武と神尾は同じクラスである。現在、中学では全ての授業を男女混合で行なう以上、当然そこには家庭科も含まれていた。
 中学生。自分で料理を作っているという人もいたりするが、大抵はまだ親に作ってもらったり、自分では冷凍品・インスタント食品・コンビニ弁当などで済ませてしまったりする者も多い。そんな中では、たとえレシピがあろうと失敗は必ずする。それもしょっちゅう。
 が、自分がその場で吐きたくなった代物の数々。なぜか毎度恒例同じ班で同じ物を食べたにも関わらず、伊武がそのような反応をしたことは1度もなかった。はっきり言うが彼の性格からして作った者に遠慮して、などと言う事はない。そりゃもう絶対断言して。そしてやはり同じ班の別の人々の反応からすると、おかしいのはどう考えても自分ではなく伊武の舌だと思っていたのだが・・・・・・。
 「神尾」
 救出の手を止め、脂汗を流して硬直していた神尾の肩に手が置かれた。馴染みのありすぎるその声に、ゆっくりゆっくりと振り向く。
 予想通り無表情な伊武の姿。その手には黄土色の液体の入ったコップがあって。
 「神尾の分」
 「・・・・・・・・・・・・」
 じっと自分を見つめる、焦点がどこにあるのかわからない伊武の瞳。結末は見えている。いや、結末は今自分の前に転がっている。
 だが・・・・・・・・・・・・
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、サンキュー」
 断った場合の結末。まったく予想はつかないが、間違いなくこれより酷い事態になっているだろう。
 震える手で伊武からコップを受け取り、覚悟を決め神尾はそれを一気に飲んだ・・・・・・。





 「じゃあ僕達そろそろ帰るね」
 にこやかに挨拶する不二と、何も言いはしないが不思議そうにまじまじと見つめるリョーマを見送り、
 「あーあ、また練習か・・・。ていうかなんでみんな寝てるワケ? 橘さんまで。そんなに練習したくないなら部活休みにすればいいのに。真面目にやる俺だけ馬鹿見てるみたいじゃん・・・・・・(ボソボソ)」
 今だ気絶から立ち直れない6人と、それを必死に介抱する杏を冷めた目で見下ろし、伊武は1人、コートに入って行った。





結論―――未知のものの試しになるのは嫌だが、特殊なヤツに試しになってもらうのはもっと嫌だと身をもって理解した。 By神尾アキラ

2003.3.21