赤の章




 当り前だが・・・・・・
 「あっち〜・・・・・・」
 「当り前じゃん。も〜夏っしょ」
 「まだ初夏っスよ?」
 「この猛暑で初夏も夏も関係ないじゃん!!」
 「けど・・・本気であついっスねー。というかムシムシする」
 「お? お前もしかして日本の夏って初めてか?」
 「初めて・・・ってワケじゃないっスけど・・・多分・・・・・・」
 「はあ? なんだそりゃ?」
 「あんまよく・・・憶えてなくって・・・・・・」
 「は〜・・・」
 「んじゃ大変だね、おチビは特に」
 「俺達も慣れたってワケじゃないっスけどね」
 「言える言える」
 渇いた笑いが響く、ここ青春学園テニスコート近辺の木陰らしきところ。そこでは英二・桃・リョーマの3人が、ますます過酷になる部活の短い休憩を―――全く満喫できていなかった。
 それもそうだろう。一応暑さを避けるように高く昇った日がかろうじて作り出す木陰へと潜り込んではいるが、はっきりきっぱり影は何の役にもたってくれていない。どころかむしろ空気が篭って余計に暑いような気もしたが・・・・・・今更別の場所に移動してさらに体力を無駄に浪費するのも無意味な事だ。外にいる限りどこへ行ってもこの暑さからは逃れられはしないのだから。
 「―――3人とも辛そうだね」
 「お?」
 「あ」
 「不二?」
 だらりと寝転んでいた3人に、木とは違った影が覆い被さった。それを感じて目の上に当てていた手をどけ、見上げる。そこには3人を見下ろし、いつものように微笑む不二の姿があった。
 「その様子だと、かなりバテてるみたいだね」
 「そりゃそうっスよ」
 「・・・の割には不二元気そ〜だねえ」
 「僕? 別にいつも通りだよ?」
 「この暑さでそれを保っていられる先輩がスゴいんスよ」
 「そうかな?」
 と、首を傾げる不二に、リョーマが起こしかけていた体を再び芝生の上に寝転ばせた。これ以上この先輩に付き合っていると余計に体力を消費しそうだ。
 先輩を敬う事をあまりしないこのルーキーはそう判断したようだが、桃は汗を拭いながら話を続けた。
 「で、先輩なんで来たんスか? まだ休憩終わりじゃないでしょ?」
 訊いて、しまった・・・と思う。これではなんだか邪魔者扱いしているようだ。やはりこの暑さは脳にまで廻っているらしい。正常な判断がしにくくなっている。
 「ああ、僕? なんかみんなだれてるみたいだから・・・・・・」
 だが、不二は特にそんな桃の態度を気にしなかったらしい。まあこの先輩は―――というか3年のレギュラー陣はあまり上下関係を気にしない人が多い。実際今隣でだれてる英二も、自分やリョーマの事を『下』とは見ていない。この部活独特の階級ともいえるかもしれない。学年よりむしろ実力、平たく言えばレギュラーか否かで上下関係が決まるようなものだ。―――尤も『下』のヤツほどそういう風に考えがちだが。
 などと桃の思考がひたすらにどこかを彷徨っている間にも、不二は行動を続けていた。
 「冷たいもの、いらない?」
 その言葉と共にどこからか水筒を取り出すと、飲み口ではなく蓋そのものを回して取った。
 やはりどこからともなく取り出したガラスコップへ、開いた口を傾ける。
 
こぽ・・・どぽ、ごぽぽ・・・・・・
 『
・・・・・・・・・・・・?
 液体、ではない。半固形物、どろどろのシチューでも注ぐかのようなその音に、話していた桃だけではなく英二・リョーマもまた顔を上げた。
 そして―――彼らは『それ』を見た。
 それはなんとも表現の仕様のない物体だった。強いて言えば『溶けかけたフロート』といったところだろうか。ひたすらに赤い物体がコップを満たしている。
 『・・・・・・』
 言うべき言葉が思いつけない3人の前で、不二は先がスプーン状になったストローをそれに指し込み、「はいv」 と笑顔で手渡した。
 『・・・・・・・・・・・・』
 それと、お互いを見やり沈黙する3人。
 「冷たいよv」
 その言葉を裏付けるように、コップの側面には早くも水滴が溜まり始めていた。
 『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
 もしかしたら本当に見た目(?)どおりフロートなのかもしれない。
 (その割には真っ赤って・・・・・・何味なんスか?)
 (だよなあ。あそこまで真っ赤って・・・・・・トマトジュースでもムリだろ・・・?)
 あるいは以前乾の造り出した『ペナル茶』なのかもしれない。
 (けどペナル茶って、あんな固まりっぽいのあったっけ・・・・・・?)
 (あれは一応液体でしたよね。やったらドロドロしてたっぽいですけど)
 (人参のすり下ろしって言われた方がまだ納得できますよね)
 (お、おチビ上手い! それにトマトソースとタバスコ混ぜたみたいな感じ?)
 (いややっぱムリあるでしょ、それ・・・・・・)
 (結局そこに戻るんスね・・・・・・)
 深々とため息をつく3人。結局謎は謎のまま残された。本人に直接訊く手もあるのだが・・・訊けば余計にドツボにはまりそうだ。
 「あ、ありがとう・・・・・・」
 「ございます・・・・・・」
 「ども・・・・・・・・・・・・」
 とりあえず逆らうと怖そうなので礼を言う。この時3人の脳裏に浮かんだ考えはぴったり同じだった。
  (((人数は3人。コップは1つ。なら―――犠牲者は1人!)))
 さすが曲者同士。自分のために他人を切り捨てる事に関しては何のためらいもないらしい。
 「先輩達からどうぞ」
 最初に動いたのはルーキーだった。こんな時だけ上を立てる彼に歯軋りをする『先輩』2人。だがそれを顔には出さないまま、
 「そうっスよ英二先輩。まずは先輩からどうぞv」
 「そんにゃ遠慮するなよ。先輩なら可愛い後輩に先譲って当然じゃんv」
 あはははははは・・・・・・と朗らか(っぽい)笑いが広がる。どうやら誰1人として一歩引く気はないらしい。当り前だが。
 「桃v おチビv」
 にっこり笑うと、英二が2人の襟首を引っ張った。
 耳元に口を寄せ、
 「『先輩命令』v」
 「「ゔ・・・・・・!!!」」
 「んじゃ、あとよろしく〜♪」
 ひらひらと手を振り、反動もなしにぴょんと立ち上がる英二。去り行く彼の後姿に、今度は『後輩』2人がぎしりと歯軋りした。
 これで確率1/2!
 「越前〜v」
 笑顔
&猫撫で声で、揉み手などしそうな勢いでリョーマの名を呼ぶ桃。今英二の使った手は自分達でも使えるではないか!!
 が、
 「桃先輩・・・・・・」
 リョーマの方が1枚上手だった。
 帽子はうちわ代わりに使っていたため今彼は被ってはいない。普段はつばに隠されなかなか見る機会のない大きなこげ茶色の瞳を桃だけに向け、逆に小さな唇で桃の名を囁く。
 「え、越前んんん////!!?」
 真っ赤になり、後ずさろうとする桃の両手をリョーマがその小さな手で包み込んだ。
 「先輩・・・・・・
  俺のお願い、聞いてくれます・・・よね・・・・・・?」
 上目遣いで、息を潜めて、普段よりも高い声で小さく囁く彼に、気が付くと桃はかくかくと頷いていた。
 それを確認すると、ぱっと手を離すリョーマ。立ち上がり、ぱたぱたと体についた芝を振り落とすと手に持っていた帽子を被り直した。
 「え? あ、越前・・・・・・?」
 呼び止めようとする桃を一瞬だけ振り返るリョーマ。その目はもうつばに隠され、見えない。が、口元に浮かんでいたのはいつものにやりとした笑いだった。
 「じゃ、桃先輩。後はよろしくお願いします」
 「いや・・・あの・・・・・・」
 動転したまま何を言っているのかいまいちよく解っていない桃の事をもう振り向く事はせず、リョーマはそのまま歩き去っていった。
 「お〜い・・・・・・」
 桃の呼び声が虚しく響き渡る午後のひととき。影は相変わらずほとんどできないにも関わらず、彼の後ろでコップを掲げ立つ不二の姿は何故か逆光だったらしい。
 逆光の中、浮かべられた笑みを確認できたのは・・・ゆっくりと振り向いた、桃ただ1人・・・・・・。





 「ではこれより練習に入る! レギュラーは―――桃城はどうした?」
 号令を掛けかけた手塚の声が止まる。眉間の皺を僅かに深くし尋ねる彼に、大石が答えた。
 「桃だったら、たしか英二と越前と一緒にいたはずだけど?」
 そう言って、2人の方を見やる大石。その視線の先で、2人はお互い目線を合わせ、
 「ああ、だったら不二に聞いた方がいいよ」
 「不二先輩が途中で来て、桃先輩と2人になってましたから」
 「そうか」
 何のよどみもなく言ってくる2人の言葉に、全員の視線が不二に集まった。
 「桃? だったら今保健室だよ。さっきなんでかいきなり倒れたから」
 「それって日射病じゃん? 今日暑いし」
 「桃先輩って、無駄に体温高そうでしたしね」
 「そうかもね」
 と、平然と交わされる会話。それを不信がるものはどこにもいなかった。
 こうして、事実は闇に埋もれていく・・・・・・。





結論―――この部活の上下関係は、学年でも実力でもなく総合的な『強さ』で決まるらしい。 By桃城武

2003.3.20