白の章
いつも通りの放課後の部活。それがいつも通りのものではなくなったのは、2年生エース・切原の悲鳴によってだった。
「うぎゃあああああぁぁぁぁぁ・・・・・・!!!」
「なんだ?」
「どうした?」
ざわめき立つ部員を静め、代表として真田が現場へ駆けつける。
そこで―――
「やあ、真田。久し振りだね」
「不二・・・・・・」
ビクビクと四肢を痙攣させた切原を足元に従え悠然と微笑む不二を見て、真田の目がより一層厳しいものとなった。
青学の『天才・不二周助』。去年の団体戦では2年ながらレギュラーとして出場。今はもういない先輩に破れはしたものの、その実力は侮れないものがあった。そして1年。彼の名声は留まるところを知らず、既に全国区プレイヤーに極めて近いものとして名を馳せている。中学テニス界にコネや金などといった『裏』がない以上この評価は単純に―――そして純粋に彼の実力だと言って間違いはないだろう。
その不二が何故ここに? しかもどう見ても切原に『何か』をしたのは不二だ。
詰め寄りたい気持ちを抑え、真田は鼻から息を吐いた。冷静に考えろ。今ここで騒ぎを起こせば最も危険なのは不二本人だ。
「何があった?」
「特に大した事じゃないんだけど・・・・・・」
何も読めない笑顔で頬を掻く不二。
「・・・つまり?」
「う〜ん。ただ関東大会ももうすぐだし、丁度今日青学[ウチ]部活ないから挨拶に来たんだけど・・・・・・」
「・・・・・・」
「で、手ぶらでもなんだから、差し入れ持って来たんだけどね」
これ、と不二が手に持っていたものを掲げて見せた。
(牛乳、か・・・・・・?)
ガラスのコップに入った乳白色の液体。普通に考えれば牛乳となりそうなものだが・・・・・・。
「―――で、切原はなぜ倒れている?」
「さっき休憩中の切原君に会って、今の話したらぜひ1杯欲しいって言い出したからあげたんだけど・・・・・・」
「切原・・・・・・・・・・・・」
(ロクに中身も確認しないであいつは飲んだのか?)
頭を抱えたくなるが、よくよく考えたら無理もないかもしれない。『青学レギュラー』といえば完全には他人とはいえない。しかも自分は不二についてさほど多く知るわけではないが、彼の第一印象に関して言えば10人中10人が好印象と答えるであろう。
「ところで、念のため聞くがそれは何なんだ?」
訊くまでもなく牛乳だと思う。が、だとするとなぜ切原が倒れているのか、その疑問の解き様がない。
「さあ?」
「何?」
「だから、『さあ?』。
実は僕もよくわからないんだよね」
「・・・・・・・・・・・・」
不二に対する認識ががらがらと崩れていく。正体不明の物体を平気で他人に渡すらしい。この男は。
「とりあえず、何かがわからないと切原の処置の仕様がないな」
こうして、未知の物体Xの検証が始まった。
実験1 比重測定
・牛乳の場合)比重1.028〜1.034〔成分規格より。鮮度との関係は無し。低いものは加水の疑いあり〕
「不二・・・・・・」
「何?」
「比重が20以上を示すんだが・・・・・・」
「つまり?」
「鉛より遥かに重いぞ」
「よくお前普通に持てたな」
「計り方が大雑把過ぎるんじゃない?」
確かに温度を測ってラクトメーターという専用の測定器具(平たく言えば浮きのような物)を入れるだけという簡素なものだ。ちょっとした誤差は十二分に考えられる。が、
「だからといってこれは誤差の範囲を越えているだろう?」
「濃縮してるからじゃない?」
「濃縮したのか? それにしてもいくらなんでも重過ぎるだろ」
「さあ? もしかしたらそうかなって思って。
実験において可能性のあるものは全て考慮しなきゃいけないでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・。次に行くか」
実験2 酸度検査
・牛乳の場合)酸度0.18%以下(0.13〜0.17%)〔成分規格より。鮮度低下により乳酸が増加するため酸度は上昇。なお新鮮な牛乳のpHは6.6前後の酸性〕
「不二・・・・・・」
「何?」
「明らかにアルカリ性なんだが・・・・・・」
「計り方が大雑把過ぎるんじゃない?」
確かに小学生の理科の実験でも用いられるリトマス試験紙を用いただけという簡素なものだ。リトマス紙の色の変化だけでは正確なpHは測定できない。が、
「だからといって酸性とアルカリ性の違いをその一言で片付けるには無理がありすぎるだろう」
「アクがあったとか」
レモンや酢を例にとる事もなく、どちらかというと飲食物はアルカリ性より酸性に近いものが多い。が、その中で野菜などから出るアクはアルカリ性だ。それもかなり強力な。
だが牛乳(とは最早言えそうもないが)のどこでそれが混入するのか。
「アクが出るようなものを入れたのか?」
「さあ? もしかしたら入ってるのかも。なにせ何だか本気でわからないし」
「・・・・・・・・・・・・。次に行くか」
実験3 脂肪検査
・牛乳の場合)脂肪分3%以上〔成分規格より。無脂乳固形分は8.0%以上。これにより『牛乳』・『加工乳』・『乳飲料』などを区別〕
「不二・・・・・・」
「何?」
「脂肪分が80%以上を示したそうだが・・・・・・」
「牛乳ってもっと少なかったっけ?」
「とりあえずこの数値はバターと同レベルだな」
「計り方が悪かったんじゃない?」
今回の検査は簡易に行う方法がなかったため、戻るのが遅い自分達を心配して駆けつけてきた部員に頼み、理科室で検査してきてもらった。
30分ほど経ち、その結果報告を受けたのだが・・・
「そ、そんな事ないですよ!!」
実験を頼んだ部員が慌てて否定する。本来ならそれでも疑うべきであろうが、今までの実験より最早どんな結果が出ても受け入れるべきだ―――というかこれが牛乳であるという固定観念を捨てるべきだと悟り、真田は頷いた。
「わかった。ご苦労だったな」
「い、いえ、そんな・・・!」
切原が関わっているとはいえ、テニスとは何の関係もないほとんど私用である事に使ったというのに、その後輩は礼を言う真田に文句を言うどころか逆に申し訳なさそうにする。
(切原もこのくらいの謙遜心があるといいんだが・・・・・・)
ため息が漏れる。だが今問題なのはそこではない。
3度の実験により得られた結果は、いずれも牛乳のそれとはかけ離れたものだった。
「あとは・・・・・・官能検査か」
実験4 官能検査〔つまりは味見〕
・牛乳の場合)今更記すまでもないだろう
測るのが人である以上誤差は大きく生じる。特に嗜好や味覚など、様々な要因によって左右されやすい。このため素人がこの検査を行う場合は1人ではなく大勢でやった方が結果が平均化される分、より確実なものとなる。
というわけで―――
未知の物体Xを取り囲んで黙り込む立海大付属中男子テニス部員一同(−切原)。真田から今までの説明は聞いたものの、おかげで余計に飲み辛くなった。
ご丁寧な事に部員全員分用意されたコップ。そしてそれになみなみと注がれた『それ』に、全員がごくりと唾を飲んだ。
「じゃあどうぞv」
どこまでも明るい不二の声に後押しされるように覚悟を決め、そして―――
『うぎゃあああああぁぁぁぁぁ・・・・・・!!!』
結果は切原の二の舞となった。
倒れ付した部員たちを見下ろして、不二は未知の物体Xの入った水筒を振って首を傾げた。
「結局なんだったんだろう、コレ?」
今日の出掛け、駅まで送るといった姉が、ぜひ持って行くといいと勧めてきたものなのだが・・・・・・。
「立海大の人でもわからなかったか・・・。乾にでも訊いたら何か解るかな?」
結局はいつも通り『こういう事』にむやみやたらに関心をもつ知人に頼る事にして、不二は阿鼻叫喚の地獄絵図を後にした。
結論―――第一印象をアテにしてはいけない By真田
2002.12.15
*今回の話に使用した牛乳の成分規格は乳等省令より。ただしその他はどこからどこまでが合っているのか管理人本人も正確には判断しづらい個所がありますので、この話を100%は信用しないで下さい。