オリーブ色の章
「裕太〜vv」
と、突如響いた声に物理的作用があるとは思えなかったが、裕太は後ろから聞こえてきたそれに押されたかの如く前に突っ伏した。
「・・・・・・兄貴」
「わ〜裕太v 久し振りvv」
「・・・・・・。何しに来た?」
「ん? 遊びに来ただけだけど?」
「・・・・・・・・・・・」
「あ、もちろん差し入れも持って来たよ。練習疲れたでしょ?」
言われたとおりここはテニスコートであり、今はスクールで練習している最中だったりする。が、
(・・・・・・差し入れ?)
裕太の眉間に刻まれた皺が、先程までとは違う意味で深まった。
にこにこ笑いの不二に難しい顔で唸る裕太。とことん対照的な2人に回りの視線も集まる。
そこへ・・・・・・
「んふ、どうしました、裕太君? ・・・・・・って貴方は不二周助! なぜ又もここに!!?」
「あ、観月さん・・・・・・・・・・・・」
「やあ観月。来る理由はいつも通りかな?」
普段なら決してそんな事はしないのだが、観月の登場と共に裕太は深く静かにため息をついた。
なぜ彼は兄が自分を訪問する際必ず出てきてしまうのか。わざと、ではない。それは不二を見てここまで動揺する事からも明らかだろう。
(兄貴の訪問は観月さんのデータでも読み取れない、とか?)
ある意味これは正解と言えるかもしれない。この兄の訪問はいつも唐突かつ法則性がない。これで予測しろという方に無理があるのかもしれないが・・・・・・。
「・・・んふっ。貴方がどうなさろうと勝手ですが、練習の邪魔になりますので帰っていただけません?」
「やだなあ。練習ならさっき『休憩』ってコーチが言ってたじゃない。聞いてなかったの?」
「ぐ・・・・・・!」
「あ、それとも君は部員の自由時間まで拘束したい、とか? へえ〜。
―――裕太〜。そんな怪しい人と一緒にいちゃダメだよ。危ないから」
「え? いやあのそう言われても・・・。ってか俺に話振るなよ・・・・・・」
「この・・・・・・!」
「あれ? なに? どうしたの? 顔引きつってるよ?
あ、もしかして図星刺されちゃって赤くなってるとか? そういうのはたとえ図星でもちゃんと顔に出さない様にしなきゃ。そうしなきゃ人の信用は得られないよ?」
「おのれ〜・・・・・・!!」
図星を刺され―――もといある事ないことぼろくそに不二に言われ、観月の歯軋り音が辺りに響き渡った。
が、それが爆発するよりも早く、
「観月、そうだっただ〜ね・・・!?」
「そ、そんな、観月君・・・・・・!!」
「貴方達は何アイツの言う事を当然のように間に受けてるんですか!!?」
同じく練習を終えてきた柳沢と野村が、いつから話を聞いていたのか観月の後ろで驚愕の表情を浮かべていた。
「―――なんて言うか。信頼感ないね、観月」
くすりと笑って駄目押しする不二。観月は怒りが体中を浸透しているらしく、握った拳がブルブル震えていた。
が、またもそれが爆発するより早く、
「―――そう。でね。差し入れ持ってきたんだ。ルドルフのみんなには裕太がお世話になってるしね」
「俺たちの分もあるだ〜ねか?」
「うん。まあ大したものじゃないけど」
「あ、ありがとう! 不二君!!」
「だから何で貴方達はそうもあっさり懐柔されるんですか!!?」
唾でも飛ばしそうな勢いで観月が喚くが、逸れを聞き入れる存在は最早どこにもいなかった。
事態はそのまま不二の圧勝(何の勝負?)に終わる―――かと思いきや、
こぽこぽこぽ・・・・・・
不二が嬉々として取り出した『差し入れ』を見て、観月含め4人が硬直した。
「・・・・・・な、なあ兄貴」
「何?」
「それ・・・・・・なんだ?」
裕太のその質問に首をかくかく振る3人。透明なプラスチックのコップに入れられたそれは、一言で言ったら『ヘンな色の液体』だった。
「コレ?」
笑顔の不二がコップを軽く振る。水筒から注げたわけだし、今もコップの中で揺れているから液体ではあるのだろう―――その他は一切不明だが。
「だから―――差し入れv」
「・・・・・・じゃなくて、中身とか成分とか―――」
と、ちゃぶ台返しの如く不二の手から引ったくって投げ捨てたい気分に駆られながらも忍耐強く訊こうとする裕太。
「これは体にとってもいいものでね―――」
「解りましたよ不二周助!!」
笑顔で内容物の説明をしようとした不二を遮り、いきなり復活した観月が不二をびしいっ! と指差した。
「そうやってライバルに毒を盛りに来たんですね!? 相変わらずなんて陰険な人なんだ貴方は!?」
(((ライバルって・・・・・・都大会で敗退した俺たちが兄貴/不二のライバルになることはもうないんじゃ・・・・・・)))
冷静に寒い突っ込みを入れる裕太・柳沢・野村。が、なぜか言われた本人はそれを聞いて怒るどころかくす、と笑ってみせた。
「やだなあ。『ライバルに毒を盛りに来た』? わざわざそんなことしなくても余裕で勝てるのになんでいちいちしなくちゃいけないのさ?」
「な・・・!?」
「おい兄貴!! いくらなんでもそれは言い過ぎ―――!!」
「貴方は散々人をバカにして―――!!!」
「『僕は毒なんて盛ってない』。そう言っただけだけど? 第一最初にそう言ったのは君の方でしょ?」
「ではここでそれを証明してもらいましょう!!」
「いいよ。元々差し入れだからそっちの自由にしてもらって構わないしね。
―――けどどうやって?」
「それは・・・・・・!!」
観月が詰まる。一番簡単な方法は誰かが飲んでみる事だ。だが誰が?
観月の視線の先で、裕太・柳沢・野村が無言で首をブンブンと振る。
(く・・・! このままでは―――!!)
嫌がる部員に無理やり飲ませるとまたも自分の信用度が下がる。それでは駒として使いにくいではないか!?
―――とことん腐った考えの持ち主が悩みに喘いでいると、救いの神が・・・というか格好の生贄が現れた。
「―――何やってるの?」
「木更津さん!」
1人残って練習をしていた木更津だが、どうやら騒ぎに気付き、近寄ってきたらしい。
「あ、あの今大変なんで―――」
と事情を話そうとした裕太を遮り、
「んふっ。丁度良いところに来ましたね、木更津。
実は不二君が僕たちに差し入れを持って来てくれたというので、ぜひ君もどうですか?」
「ちょ、ちょっと観月さん・・・!」
「へえ、差し入れ?」
「うん。ハイこれv」
「―――っておい兄貴!!」
「ありがとう」
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」
何とか阻止しようとする裕太を笑うかのように、階段を転げ落ちるが如く―――むしろ崖を垂直落下するかの如く悪事態は悪化の一途を辿っていった。
そして・・・・・・
「「「うわあああああ!!?」」」
『それ』に対し何の疑問も持たないのか、木更津がご丁寧に差されたストローに口をつけた!
ストローを這い上がっていく怪奇物質。それはやがて木更津の口元に達し、そして―――
「「「ひいいいいいい!!!
・・・・・・って、え?」」」
ごく・・・ごく・・・ごく・・・
木更津の喉が上下する。それは即ち口に入った物を嚥下しているという事で。
その割にはその場で卒倒するどころか顔色1つ変えない木更津を確認して、3人がへなへなと座り込んだ。
「普通の・・・飲み物みたいだね・・・・・・」
「毒じゃなかった・・・だ〜ね・・・・・・」
「よかった。兄貴が殺人者にならなくて・・・・・・・・・・・・」
「?」
今来たばかりの木更津からしてみればこの3人の言動は全く持って意味不明である。ストローから口を外し、首を傾げる。
一方―――
「ほら。毒なんて入ってないでしょう?」
「た、確かに・・・・・・」
にっこりと笑って言う不二と、さすがに納得せざるを得ない観月。
「じゃあそんな訳だから。みんな、どうぞ」
「あ、ありがとう」
「助かるだ〜ね」
「で・・・では頂きますか」
怪しげではあるが暑い中での練習後と言う事もあって喉の渇いていた3人は素直にそれを受け取った。
「ハイ、裕太v」
「あ。ああ・・・・・・」
裕太もまたコップを受け取り―――もう一度、確かめる。
「本当に、大丈夫なんだろうな・・・?」
「大丈夫に決まってるでしょ?」
「本っっっ当〜〜〜〜〜〜〜に!!! 大丈夫なんだろうなあ・・・!!?」
「疑り深いなあ裕太ってばv けどあんまり疑ってばっかだと好きな子に嫌われちゃうよvv?」
「ゔ・・・・・・!!!」
そう言われては飲まないわけにはいかない。意を決して裕太はコップを傾けた!!
(木更津さんが大丈夫だったんだから―――!!)
「ぐはっ!!!」
人をアテにしてはいけない。
それが、いつにも増した凄まじい味を醸し出す『それ』に対して感じた最初の感想だった。
朦朧とする意識の中で周りを見回す。
「な、何だったんだ〜ね、アレ・・・・・・」
「お、おのれ・・・不二周助・・・・・・!!」
「・・・・・・・・・・・・」
ひっくり返って目を回す柳沢。ひくひくと痙攣しながらも握り拳で闘志を燃やす観月。完全に沈黙した野村。
そして―――
「ああ、危なかった」
「「「「飲んでなかったのかよ!!!?」」」」
コップを手にしたままそう呟く木更津に、倒れ付していたはずの4人ががばりと上半身を起こして怒鳴った。
「みんなが飲んでからどんな味か訊こうかと思って」
そう答える木更津のコップは、今まで手に隠れて見えなかったが確かに液体の水位が全く下がっていなかった。つまりストローで口元まで吸った後出てくる前に舌で止め、唾のみを飲み込んでいたと言う事か。
「けどみんな凄い反応だね。そんなに凄いものなの?」
(『凄い』なんてもんじゃ・・・・・・)
口にしかけて止める。何だか言っても意味がなさそうだ。
その裕太の考えに違わず、木更津は首を傾げるとなぜか災難を免れたにも関わらず再びストローに口をつけた。
ごく・・・ごく・・・ごく・・・
今度はしっかり下がる水位。それが一番下に達し・・・・・・
「何だ。結構おいしいじゃない」
(そんなアホな・・・・・・)
最早突っ込む気力すら無くして裕太はそのまま没した。
結論―――異常味覚の持ち主は、何も身の回りに1人とは限らない By不二裕太
2002.12.10〜15