オレンジ色の章
山吹中テニスコート付近にて怪しい影が2つ。
1つ。青春学園男子テニス部1年の越前リョーマが、テニスコートの中を見ながらぼそりと呟いた。
「で?」
「ん?」
「誰にするんスか?」
「う〜ん・・・・・・」
それに応える2つ目、同部3年の不二周助。こちらはいつも通りの笑みを浮かべ、尋ねてきたリョーマを見下ろし、頷いた。
「そうだねえ・・・。誰にしよっか?」
「山吹って言ったら・・・・・・あのラッキーな人とか?」
「ああ、千石君? 彼も良いけど、あとテスターとしてよさそうなのは亜久津とか?」
おもしろそうじゃない?
そう訊いてくる不二に、リョーマは上を向いて暫し考え・・・・・・
「けど難しくないっスか? アイツに飲ませるのって」
「う〜ん。一応手としてはいろいろあるけど・・・・・・」
「どんな?」
「気絶させてその間に飲ませる、とか、弱みを握ってバラされたくなかったら飲め、とか、脅して無理矢理飲ませる、とか」
「それなら『呪ってそれを解いて欲しかったら飲め』の方がよくないっスか?」
さりげにめちゃめちゃな事を言い出すリョーマ。しかしその前の不二の発言も本気でおかしいものばかりだったため、あっさり流された。
「それもいいけど・・・・・・、即効性のものってなかなかないんだよね・・・・・・」
「じゃあムリっスね。もう1回来んのめんどくさいし」
「それにそんなに経ったら傷んじゃうし、これ」
と、バッグから水筒を取り出しリョーマによく見えるように軽く振る。
「残念。予め1回来ておけば良かったね」
「そうっスね。
―――と・・・・・・」
「?」
頷きかけたリョーマの目が逸れる。何かを追うように横に移動していく彼の視線に、不二はきょとんと首を傾げた。
「どうしたの?」
「あれ―――」
口だけで小さく呟いたリョーマ。その指が指す方向を見やり、
「ああ、彼って確かテニス部でマネージャーやってた・・・・・・」
「・・・・・・ってよく知ってるっスね。
アイツに渡して亜久津に飲ませれば?」
「あれ? それで飲んでくれるの?
マネージャーだからって、亜久津が彼の言いなりになるとはとても思えないけど?」
「けどアイツ、確か亜久津にべったりついてるって感じだったし。
それに―――」
「それに?」
「それなら失敗しても俺達に何か来るわけじゃないでしょ?」
「なるほど」
笑顔で―――心底楽しそうな笑顔で同意する不二を確認して、リョーマはさっそくテニスコートに入ろうとした太一を呼び止めた。
「あ、越前君!! どうしたんですか!?」
と、あっさり近寄ってくる太一に、不二はやはり笑みのままコップを手渡し、簡潔に用事を告げる。
「はい! 判りましたです! これを亜久津先輩に届ければいいですね!!」
「うん。よろしくね」
確認を取ると一目散に走っていく太一。その後姿に軽く手を振りつつ、不二はそんな彼を微笑ましげに見ていた。
「いいね。ああやってわき目も振らずに頑張る子。見てて可愛い」
「嫌味っスか?」
即座に聞いてくるは『生意気な』1年ルーキー。睨め上げてくる彼の視線をかわすように上げた手を2度3度パタパタ振り、にっこりと微笑む。
「そんなわけじゃないよ。ただああいう様を見てると小さい頃の裕太を思い出すな、って思って」
「ふーん・・・・・・」
「ヤキモチ?」
「なワケないでしょ。次行きましょう」
「はいはい」
「あ!! 不二くん!! それに越前くんも!?」
「やあ」
「ども」
山吹中の練習は、千石のこの叫びにより一時中断せざるを得なくなった。
叫んだ当の本人は、笑みを浮かべラケットをぶんぶん振り回して、まるで青学の某猫のように騒々しく2人の元へ駆け寄っていった。
「なになに? 2人ともどうしたの?
―――あ、もしかして俺に何か用あるとか?」
「うん。実は君に頼みたい事があるんだ」
「え? 不二くんが俺に頼み?
聞く聞くv なんでも聞いちゃうよんvv」
「じゃあ―――」
と、不二が件の水筒を取り出そうとしたところで、新たに声がかかった。
「―――千石さん、練習の邪魔になるっス。外でやって下さい」
敬語の割に、全く先輩を先輩として敬っていないその言いっぷり。だが千石は特に気にする事もなく、笑顔のまま振り向いた。
「ま〜そんな堅い事言わないで、室町くん。部活もちょうど休みに入ったみたいだし」
「千石さんが騒ぐから練習出来ないだけっス」
「冷たいな〜室町くんは。
すぐ終わるから。ねv」
「気持ち悪いのでハートマーク飛ばして会話するのは止めてください」
「ゔゔゔ〜。室町くんが冷たい〜」
「はいはい。解りましたから用事ならさっさと済ませてください」
うるうると目を潤ませる千石に、室町が長々〜〜〜とため息をつく。どうも最近このどうしよ〜もない先輩のおもりを押し付けられているような気がしてならない。
サングラス越しに部長の南を見やると、彼もまたおなじタイミングでため息をつくだけだった。助け舟は出してくれないらしい。
新たに肺に入った空気でもう1度室町はため息をつき、コート入り口に立っていた千石を外に押しやり、自分も外に出てフェンスを閉めた。
「じゃあ話あるんなら向こうでしましょうね」
「お〜室町くん理解あるね〜」
校舎脇の木陰を指差し、千石を先導する室町。特に反対もせず2人の後をついていく不二とリョーマ。
「・・・なんか、完全に飼われてるっスね、千石さん」
「ある意味では黄金ペア並のコンビネーションだね。ただし意思の疎通は全くないみたいだけど」
ぼそぼそと囁く2人の声が聞こえたらしく―――周りにいた山吹中テニス部員たちはそろってうんうんと大きく頷いていた。
校舎脇の木陰にて。
「で? 頼み事ってvv?」
にこにこと尋ねる千石。その後ろでは何を悟ったか、室町がやはりため息をついていた。
「ああ、その話だけど、ちょっと待ってね」
と、不二は静止を掛け、鞄から水筒を出し中身をガラスコップにこぽこぽと注いでいった。
「その前に、千石君練習で喉渇いたでしょ? まあちょっとしたお礼って事で」
「へ〜。オレンジジュースかあ。ありがとv」
「どういたしましてv」
((『オレンジジュース』・・・・・・?))
それをためらいなく受け取る千石に、にっこり微笑む不二。そんな彼らを見ながら、リョーマと室町は同時に眉を寄せた。
確かに色はオレンジ色だし、千石がそう思ったのも無理はないかもしれない。運動後のビタミンCの補給は体力の回復を促す云々などとも言われているから、不二がそれを持ってきたとしても何の不思議もないかもしれない。が・・・
(オレンジジュースって・・・あんなに色濃かったか?)
(同感。しかも透けてるし)
(・・・って越前。お前アレがなんなのか知らないのか?)
(知るわけないでしょ? 先輩に『面白いものが出来たからこれから試しに行くんだけど一緒に行かない?』って誘われただけだし)
(じゃあさっき不二の言っていた『頼みたい事』って・・・・・・)
(何だアンタやっぱそこからもう聞いてたんだ)
(どう考えても長くなりそうだったからな。けど外連れだしたのは正解だった)
(何で?)
「このすぐ内側が保健室だ」
「・・・・・・納得」
ぼそぼそと会話する2人。その会話の合間、丁度リョーマが「何で?」と訊いた辺りで、渡されたそれを一気のみした千石が「ゔ・・・・・・・・・・・・!!!」と一言遺して倒れていた。
その様を見下ろし、全く笑顔を崩さぬまま不二が呟いた。
「あーあ、残念。せっかく彼に味を訊こうと思ったのに」
『・・・・・・・・・・・・』
特に何も思うところはなく、淡々と保健室の窓を叩いて千石を中に運び入れる室町。やはり無言でそれを見るリョーマ。
作業がひととおり終わったところで、不二が口を開いた。
その手に2杯目を持って、
「室町君、だよね。君も飲まない?」
「結構っス」
「そんな事言わずに。君も練習で喉渇いたでしょ?」
「合間にちょくちょく飲んでましたから」
「けど千石君が僕の頼みを聞いてくれなかったから君が代わりに」
「断ります」
「君、彼のおもりでしょ?」
「だからといって代わりにやる理由にはなりません」
「面倒を見る義務があるのなら―――」
「責任を負う義務はありません。千石さんが何らかの約束をし、もしそれを果たせないのなら、それは千石さんの責任であって俺の責任ではありません」
「・・・・・・。
なるほど。それもそうだね」
「―――意外とあっさり引き下がるんスね」
頷く不二にリョーマが尋ねる。その言葉に不二は軽く肩を竦め、言った。
「仕方ないでしょ? 彼の言う事は全て正論だからね。
面倒を見るだけ見て何をやろうと責任は一切負わない。感心する教育方針だと思うよ」
「そういうもんっスか?」
「教育者の理想としてはそういうものじゃない?」
「はあ・・・」
「じゃあ室町君、僕達はもう帰るね。実は部活無断で抜け出してきたから、あんまり長居すると手塚に何言われるかわからないんだ」
「でしょうね」
関東大会間近に迫った平日の午後、レギュラー2人、それもNo.2とそれに近い実力を持つルーキーがこんな所でのんびりしているとしたら、9割9分そんな理由でだろう。
「じゃあね」
手を振り去り行く2人を見送り―――室町は最後に本日で一番長いため息をついた。
「結局千石さんは実験台にされただけか・・・・・・」
「けど面白かったね、山吹って」
「そうっスか?」
「うん。一筋縄じゃいかないね。今度はもっといろいろ考えてこなきゃね」
「けどあっさり引っかかった人もいましたね」
「千石君はああいう人だから。
―――ああ・・・・・・」
「何スか?」
「そういえば亜久津のことすっかり忘れてたね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・戻りますか?」
「ま、いっか」
「そうっスね」
さて、『忘れ去られていた』太一&亜久津サイドでは―――
「亜久津先輩!! これどうぞです!!」
「ああ?」
屋上で空を見上げ、タバコをふかしていた亜久津に、太一が駆け寄ってそれを差し出した。
「運動の後にオレンジジュースはいいらしいです!!」
「俺は運動してねえ」
「でもでも!! 運動してなくても暑い時の水分補給は大事です!!」
「太一・・・・・・」
両手を上下にぶんぶんと振って、そのおかげでコップから時々『ジュース』を零しながら力説する太一に亜久津はため息をついた。他のヤツにこんな事をされたのならば即座に殴り飛ばしていたであろうが、亜久津は太一の目をじっと見て言い放った。
「お前はマネージャーか?」
「え・・・、今は・・・違うです・・・・・・」
「お前は今マネージャーじゃねえ。俺は今テニス部員じゃねえ。ならお前が俺に何かを強要出来る権利はねえし、俺もそれを聞く義務はねえ。
違うか?」
「そう・・・・・・です」
「ならさっさと部活にでも戻れ」
「はい・・・・・・・・・・・・。
失礼しましたです」
しょんぼりと落ち込み、屋上の扉から出ていく太一。ずぶぬれの捨て犬を連想させるその後姿に、亜久津は「けっ」と舌を打ち、再びタバコを口に含もうとした。
その視線が、下へと向く。先ほど太一が膝立ちしていた場所。今そこには彼の代わりと言わんばかりに、コップが置かれていた。
「・・・・・・・・・・・・けっ」
もう一度舌打ちをし―――亜久津はそれを掴むと一気に飲み干した・・・・・・・・・・・・。
結論―――どうもうちの部は『人がいい』人が多いらしい。別にそれが悪いとは言わないが。 By室町十次
2003.3.20