「ごめんね。傘入れてもらっちゃって」
 「別にいいわよ。この傘大きいし」










          Rainy Day  〜雨の日の出来事〜










 「でも烈君が傘を忘れるなんて珍しいわね。どうしたの?」
 しとしとと雨降る道端を歩きながら、せなは左隣で傘を持つ少年を見上げ、首を傾げた。『備えあれば憂いなし』がモットーの彼だ。天候に関係なく折り畳み傘をいつも携帯しているにも関わらず、肝心の雨の日に忘れるというのは・・・・・・。
 そんな彼女の質問に、烈は軽く笑って答えた。
 「ああ、うちの馬鹿弟が傘持ってこなくってね。この雨だと部活もないし、待たせてても五月蝿そうだったから傘渡して先帰らせたんだ」
 「なるほど。それで」
 にっこりと笑顔でさり気にボロクソ言い放つ烈。せなも慣れたもので、いちいち突っ込んだりせず軽く流した。
 そんなわけで生徒会で帰りが遅くなった烈は、同じく生徒会役員のせなに入れてもらえるよう頼んだのだった。現在傘は烈が持っているが、これは単に借りたからということと身長差によってだけである。
 彼女の持ち物らしく、濃緑色とエメラルドグリーンのチェックの地味な傘。持ち手の部分は木製(少なくとも見た目は)になっている。
 その傘の下で、肩を寄せ合い楽しそうに会話する2人。傍から見たら恋人同士のようかもしれない。
 微笑み、言葉を交わし、ゆっくりと歩く。雨のベールに覆われた2人の周りには、穏やかな空気が流れていた・・・・・・。







・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・








 「じゃあ、この辺りで―――」
 1軒の洒落たマンションの前でせなが足を止めた。烈もまた、足を止める。
 「うん。じゃあ―――」
 まるで名残惜しむかのように殊更ゆっくりと呟く烈。空いた左手をせなの頬に滑らせ、距離を縮めていく。
 せなもまた、右肩にかけていたバッグを左肩に移し、烈の手に己の手を重ねる。
 徐々になくなっていく2人の距離。顔を上に上げ、せなが瞳を閉じた。




















































 ―――閉ざされた意識の中、響くのは雨を掻き分ける足音。そして左肩を引っ張られる感覚。

















































 細く目を開けたせなが、バッグの紐を思い切り引き寄せた。彼女のバッグを掴み、逃げ出そうとしていた男の体が一瞬止まった。
 弾みで浮いた足に、烈が反転しつつ足払いをかける。
 仰向けに倒れる男。そのみぞおちを閉じた傘で思い切り突いた。
 「ぐがっ!!」
 一瞬体を跳ね上げた後、完全に気絶した男を見下ろし、せなが軽く肩を竦めた。
 「ご愁傷様」
 「引ったくり、ねえ。やっぱ梅雨のシーズンって頭にもカビ生えるのかな?」
 「さあ、どうかしら?」
 疑問符を浮かべる烈に、くすくすと笑うせな。自分たちを付回していた存在にはとっくに気づいていたが、何をするつもりなのかわからなかったため行動するきっかけを作ってみたのだが、引ったくりだったとは・・・・・・。
 「なんだ。つまんないな・・・」
 「―――何だったらよかったのかしら?」
 せなが何となく突っ込んでみた。が、烈もまたただ軽く肩を竦めて見せるだけだった。答えてくれるつもりはないらしい。まあ期待してもいなかったが。
 それよりも―――
 「傘、壊れたように見えるんだけれど?」
 「気のせいだよ」
 「そうかしら?」
 笑顔のままゆっくりと尋ねるせなに、今度は烈も答えてくれた。こちらもまた笑顔の烈から傘を受け取り、開き―――かけ・・・・・・・・・・・・。
 「・・・・・・。開かないんだけど?」
 「形在るものいつか壊れるから」
 「それにしても早いような」
 「あれでしょ。『日頃の扱いの賜物』」
 「『行い』じゃなくって?」
 「ある意味ではそれも正解だね」
 「つまり今日引ったくりに遭ったのは私の責任だと?」
 「かもしれないしそうじゃないかもしれない」
 「・・・・・・・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 終わりそうにない会話を強制的に終わらせる。向こうも続けるつもりはないのか、あっさり会話は幕を閉じた。
 暫し経て。
 「―――じゃあ弁償で手を打とうか」
 「烈君が弁償してくれるの?」
 「まさか」
 短く切り、烈が倒れた男に屈み込んだ。ぺたぺたと躰をまさぐり―――
 「こんなのでどうかな?」
 ポケットから取り出した財布を手に微笑む烈。それを見下ろし、せなはふと疑問に思った事を尋ねた。
 「それをやると私たちが『引ったくり』じゃないかしら?」
 「壊されたものに対する損害賠償を求めた。ただそれだけだよ」
 「つまり傘代以上は求めるな、とでも?」
 「それ以上求めたいの? それならそれで構わないと思うけど。なにせ加害者は彼だし」
 「私も構わないとは思うけれどね。
  ―――ならとりあえず傘は1本千円よ」
 「千円? 安いね」
 「高いものは買う気がしないから。『形在るものいつか壊れる』んでしょう?」
 「それはそれは立派な心がけで」
 「ありがとうv」
 ―――ちなみにこの2人、こんな会話をしつつも気はかなり合う。というか合わなければそもそもこんな会話が成り立つわけもないが。
 まあそれはただの余談として。
 「じゃあせなさんに千と消費税分の
50円。で、僕にも千円、と」
 財布をあさりつつそう呟く烈に、せながきょとんとした。
 「烈君に? なんで?」
 「慰謝料」
 「慰謝料?」
 反復するせなの顔が、珍しく微かに歪んだ。慰謝料―――生命・生活・自由・名誉などが傷付けられた際、その精神的損害を償うために支払われるお金。
 ・・・・・・一体今の行為で彼は何を『傷付けられた』のだろう?
 そこまで考え・・・・・・・・・・・・
 せなはぽんと手を打った。
 「その手があったわね」
 「何が?」
 烈から目を離し、虚空を見つめてそんな事を口にする彼女。今度は逆にきょとんとする烈に、輝く目と飛び切りの笑顔を向けて(あくまでそんな雰囲気を醸し出して。見た目はそのままで)、言う。
 「私も欲しいわ。『慰謝料』」
 「誰に?」
 「もちろんあなたに」
 「何で?」
 「さっきの行為、未遂とはいえレイプに繋がるわ。与えられた損害は大きいと思わない?」
 「思わないな。君も了承したもの。君今
17歳でしょ? その年齢なら両者が了承してしまえば何をやったところで『強姦』としては認めてもらえないよ。特に僕は脅迫したつもりも無いしね」
 「でも私は了承はしていないわ。反対しなかっただけで」
 「同じでしょう?」
 「違うわ。能動的か受動的かの差がある」
 「反対しない、そう決断を下したのは君自身。ならいずれにしろ能動的に動いたことになるんじゃないかな?」
 「それはただの理屈。反対しなかった理由を『知って』いるのは私だけ。周りはただの『推測』しか出来ないわ。今のあなたのように考えることも、また脅されてそうしたのではないかと考えることもどちらも出来る」
 「なるほど。つまり君は僕自身には理解出来ないけれど、脅されてそうしたんだって主張したい、と」
 「それこそまさしく『かもしれないしそうじゃないかもしれない』」
 しれっと無茶を言い切るせなに、烈もくすりと笑った。
 財布から取り出しかけていた千円札を収め、5千円札を取り出す。
 「じゃあ千円が僕の慰謝料、残り4千円が君の弁償費と慰謝料。総じて賠償金。そんなものでいいかな?」
 「ありがとう」
 せなが笑顔と共に自分の財布から抜き出した千円札を烈に手渡す。交渉成立。万事解決。
 「また今月そんなに苦しいの?」
 「生徒会の方が忙しかったからなかなかバイトに当てる時間がなくって」
 「それは大変だね」
 「ええ。今月は試験とかもないからどうやってタカろうか悩んでたのよ」
 正式な家庭教師のバイト以外にもテスト前に知り合いの臨時の家庭教師を務め、主に現物支給でバイト代をもらって生活する彼女。確かに何もない月は皆にとってはラッキーでも彼女にとってはアンラッキーであろう。
 だがここで同情を示すと・・・・・・
 「烈君、生徒会の仕事か受験勉強か、何か手伝いましょうか?」
 にっこりと、対人用笑み[営業スマイル]を見せるせな。烈も同じ笑顔で答える。
 「ありがとう。でもごめんね。別に手伝ってもらいたい事はないよ。特に君には」
 「私には?」
 「何があっても君には手伝ってもらいたくないな」
 「人助けだと思って」
 「慈善事業は余裕のある者がやる事だよ。生憎と僕にはそこまでの余裕はない」
 「食材3品+調味料で朝昼晩全部つくらなければならないほど追い詰められてるようには見えないけれど?」
 「・・・・・・ひょっとして君今日そんな状態なわけ?」
 「今日の臨時収入がなければあと1週間ほどこんな感じのことが」
 半眼で見やる烈の前で、せなはとてもそうは見えない笑顔を浮かべた。
 「そろそろ社会福祉だの何だの頼ったら?」
 「それじゃあ一人前に生活出来てないみたいじゃない」
 高校生になるにあたって大神博士の元から完全に独立した彼女。確かにそんな事をすれば博士が心配してまた自分の元へと戻そうとするかもしれない。もちろん彼女は博士の元が嫌なわけではないらしい。むしろ大切に可愛がってもらっているのだそうだ。が、だからこそいつまでもそれに甘えているのは悪いと思い自立したのだそうだ。
 そしてそれだけ苦しい状態でありながら、彼女は1度たりとも他人に金を借りた事がない。必ず何かやった上で報酬という形で得るのだ。遠慮というより・・・・・・何より人に頼ることを嫌がるその性格は、いつ誰に切られてもいいようにといった彼女なりの悟りの成果かもしれない。
 ―――生まれてすぐに実の親に捨てられたのだ。そんな悟りを開いたところで別に不思議でもない。
 「まあいいけどね」
 だからこそ必要以上には絶対に手を差し伸ばさず、烈はあっさりと切って捨てた。彼女と親しい友人―――はほとんどいないが、ある程度以上付き合っている者はみんなそうやって彼女と接する。同情心なんかで踏み込もうとする輩は彼女のほうから離れていく。
 「これ以上ここにいると濡れるし、そろそろ行こうか」
 「そうね」
 そんな言葉とともに名前程度しか知らないマンションから去っていく2人。引ったくり2人の足元には、今や被害者と化した男が冷たい雨に打たれつづけていた・・・・・・。



―――Fin














 

・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・

 なんだかワケの分からないまま終わりましたこの話。ちょっぴりシリアスちっくにしてみても結局やっぱこの2人はこの2人だった、そんな結論です(いいのかそれで・・・)。ちなみに2人の言っていた「じゃあ、この辺りで―――」「うん。じゃあ―――」は「じゃあ、そろそろ仕掛けようか」の意味です。

2003.6.1112

 ―――あ、この話書いてる間に1日経過。雨降ってじめじめと、ようやっと梅雨らしくなってきました。