豪―――1.接触






 瓦版を大勢のうちの1人として眺めながら、豪は聞くともなしに周りの会話を聞いていた。


 『やーね、辻斬りですって』
 『そーいえば隣には娘が―――』
 『ウチのとこもか―――?』


 (安心しろよ、ンなには狙わねーから)


 口に出せるわけはないので心の中で呟く。役人は何人殺したか忘れたが、関係のない人ならばまだ2ケタの大台には乗っていない。せいぜい5人といったところか。それに殺すどころか致命傷に近いものすら負わせてはいない。役人以外は興味もないしましてやあえて狙いたいとも思わない―――役人以外は。


 自分でさして意識していたわけではないが、太刀の鞘を握る手に力がこもる。




 『おまえは落ち着きがなさすぎる。剣士になりたいのだったら平常心を身につけろ』




 以前兄に言われた言葉が甦る。豪は肩から力を抜いた。


 (わかってるって。平常心、平常心・・・)







〆  〆  〆  〆  〆








 夜半すぎ、町をグルリと一周した豪はつまらなさそうにため息をついた。物腰を見れば大抵は役人かどうかわかる―――というより鍛えているようでなんか怪しい奴、と目星をつけていればまず間違いなく当たっていた。が、


 「なんっか、つまんねーな・・・」


 役人を見れば最初は即殺していたが、これだけ人数を増やされてはさすがに全部はやりきれない。囮優先で相手をしているが、どれもあっけなく倒れてしまう。兄ほど、とまでは言わないが自分に匹敵する相手すらいない。と、


 町の入り口の橋で女が1人、休んでいた。かなり珍しい赤髪が、同じ色の着物の上で静かに揺れている。年は自分と同じ位だろうか、手すりに寄りかかりため息をつくその姿は、誰でも目を向けずにはいられないものだった。


 「はあ・・・」


 だから豪も男として見惚れた―――訳ではない。


 思わず笑みが漏れる。


 (ありゃただ者じゃねーな)


 『鍛えているようでなんか怪しい奴』という意味では目の前の少女も役人といえるだろうが、間違いなく今までの奴とは違う。もしかしたら自分より上かもしれない。


 「よっしゃ・・・!」


 口の中で小さくつぶやき、豪はゆっくりと橋を歩き始めた。同時に少女も腰をあげ―――こちらを見て、一瞬止まる。


 (どうする? 逃げるか? それとも―――)


 少女は少し俯き、口元に手を当て足早に近づいてきた。何も知らずに見ればただ急いで帰る途中、と映っただろうが―――


 豪はいつでも抜けるよう鞘に左手を添えた。


 (ただの娘がンな隙なく歩いたりはしねーだろ!?)


 すれ違う一瞬前、太刀を抜き放ち少女の腕ごと胸元を狙った。よけるには近すぎる。仮に懐に何か持っていたとしても取り出す余裕はない―――普通ならば。




 ギィン――――――!!




 鈍い衝撃。逸らされた刃が少女の着物を切り裂く。


 「へえ・・・」


 少女の手の中に現れた短刀を見て、豪は間合いを取った。短刀の間合いなどたかが知れているが、はてさて自分の中でのその常識はどこまで通用するか。


 「最近は女の子も刃物を持つようになったのか。物騒な世の中になったもんだな」
 「物騒にしてるのはお前だろ?」


 返された声の低さ―――といってもまだ顔に見合うだけは高いが―――に思わず驚きの声が漏れる。囮捜査には今まで何度も会ったが男の変装というのは初めてだった。さして関係ないがどの囮よりも板についているような・・・。


 「なるほど・・・。女顔で凄腕の役人がいるって話は聞いたことあるけど、あんたがそれか」
 「さあね」


 身も蓋もない返事で少女―――いや、少年か?―――が短刀を握りなおす。短刀対太刀では普通に考えれば短刀のほうが不利になる。二人の体格を考えればリーチ差はより大きくなるし、女物の着物ならばかなり動きを制限されるだろう。が―――


 「この着物、結構上物だからね。これ以上は斬らせないよ」


 挑発的な言葉と笑み。全く物怖じしない態度に豪もハッと一声笑い太刀を構えた。







〆  〆  〆  〆  〆








 「へえ・・・!」


 
10手目があっさりと捌かれた時点で豪は感嘆の声を上げた。


 「俺とここまで戦り合った奴なんて始めてだぜ!?」


 正確には2人目だ。だが1人目は、むしろ
10手もいくまでにこちらが倒されていたが。


 
11手目もやはりかわされる。防戦一方でここまで耐えるには攻撃する側以上の技量が必要とされるが、それについては疑いなさそうだ。一旦間合いを取った少年が細く息を吐いている。さすがにそろそろ体力の限界なのだろう。こちらもかなり辛いが。


 「ふっ―――!」


 少年が短い呼気を吐き、初めて能動的に動いてくる。


 (これで決める、か・・・?)


 豪は下に構えていた太刀を振り上げた。が、紙一重でかわされる。僅かに引っ掛けた赤い髪が宙を舞い、少年は体格差を活かしこちらの懐に飛び込んできた。


 (速え―――!)


 流れるような動作に驚き一瞬の隙を作る。今からでは自分が何かするより少年の短刀が体を貫く方が速い。


 何もできず喉に伸びる刃を見る豪の目が、ふと少年のものと合った。




 「豪・・・!!」


 「え・・・?」




 突如呼ばれた自分の名前に豪もまた凍り付く。見開かれる少年の目を見たが、自分はもちろん見覚えがない。


 少年に初めて生まれる隙。だが豪は何もせず背を向け走り出した。太刀を持ったまま。まるで逃げ出すように。


 数百メートル程走っての川の脇の土手で、ようやく豪は足を止めた。息が荒く動悸も激しいが、勝負の後だからというよりむしろ自分や相手の行為に対する動揺の方が大きかった。


 「なん、なんだ・・・あいつ・・・?」


 役人でなおかつ顔を見られたというのに自分はあいつを殺さず逃げてきた。確かに直接戦うだけならば多分自分が負けていただろう。だがあの一瞬、相手は攻撃も忘れ隙だらけだった―――のにも関わらず、だ。




 『豪!』




 記憶の中の声がフラッシュバックする。彼の人物とは少しも似ていない赤毛の剣士。だがその凛とした雰囲気だけは自分のよく知るものだった。


 「兄貴・・・!」


 今の自分の存在理由ともいえる人を思い出しての言葉。豪は唇を噛み、太刀を持ったままの拳を震わせた。鼻の奥がツンと痛い。泣くほど感傷的になるつもりではなかったが、それでも溢れ出す思いはどうしようもなかった。


 震える声で呟く豪の頬に涙が1筋、2筋と流れる。


 が、暫くして再び顔を上げた彼の目には涙の跡など微塵もなかった。










2.殺意






 あれから一週間がたった。あの日以来誰も殺していない―――が、別に辻斬りを廃業したわけではない。今でも毎晩太刀を手に暴れ回っている。何も変わってはいない。


 ただ標的があの少年一人に絞られた事以外は。







〆  〆  〆  〆  〆








 「これで何回目だよ? よくお互い飽きねーな」
 「おまえが勝手に毎日毎日僕の前に来るだけだろ?」
 「嫌なら見回りなんてやめりゃいいじゃねえか。わざわざ1人で、しかもそんなカッコしてさ。もしかして誘ってる?」
 「な―――!? だ、誰が!」
 「けど思ってねえ? 俺に来て欲しいって。だからそうしてんじゃねーの?」


 そう――だから殺さないのか、だから毎日見回りをしているのか。自分でも何を言いたいのかよくわからなかったが、自分の言葉に少年が動揺しているのはよくわかった。


 「違う、違う! 違う違う違う―――!」


 少年が短刀を振り回す―――技も何もない。まるで素人のように。今までとのギャップに豪は驚きただ後ろに下がるしかできなかった。


 「そんなんじゃない! お前は僕の豪じゃない!!」


 隙だらけの攻撃。今までいつも感じていた凛とした雰囲気はどこにもない。今ならば簡単に殺せるだろう。が、


 「お前は辻斬りだ! 僕の敵だ!!」




 ―――そんなのは見たくない。




 「―――なら殺してみろよ、俺を」


 少年の右手ごと豪は短刀を自分の喉に突きつけた。


 「敵なんだろ? だったらためらう必要なんざねえ」


 豪は真剣な眼差しで涙に濡れる少年の顔を見た。自分が今やっているのははっきりとした自殺行為だった。少年の手を掴んではいるもののほとんど力を入れていない。少年が少しでも力を込め短刀を前に突き出せば、自分は即死ぬだろう。


 だがこの一週間、同じような状況は何度となくあった。それなのに自分はまだ生きている。


 少年が目を固く瞑る。短刀を持つ手に力が込められ―――




 短刀を振り上げ、足元に落とす。




 「わかってるよ。お前は豪じゃない・・・」


 泣きそうな笑みを浮かべ自分に寄りかかる少年を眺め、豪はやっと結論にたどり着いた。おそらくそれはこの少年も同じだろう。


 この一週間、自分は殺されなかった。そして自分もまた、この少年を殺さなかった。少年が自分を殺す機会があったように自分もまた少年を殺す機会は十分にあった。はずなのに、だ。


 「わかってるよ、豪はもう死んだんだって・・・。それでも僕はお前を殺せない、わかってるよ・・・」


 少年は自分を殺しそうになると必ず手を抜いていた。動きが鈍くなり、集中力も途切れていた。なのに自分はその隙を突くでもなくただ逃げていた。


 そして次の日には同じようにまた少年の前に現れていた。


 「殺していいよ。僕の負けだ。お前なら簡単だろ・・・?」


 殺さなかった? 殺せなかった? 殺したくなかった? それとも―――殺して欲しかった?


 (結局、死にたかったのは俺も同じなんだよな・・・)


 だから―――




 「やだ」


 「え・・・?」




 驚いて―――というより何を言われたのかわからなかったのだろうが―――顔を上げる少年の鳩尾を豪は思い切り蹴りつけた。


 とさりと軽い音を立てて倒れる少年。豪はその懐から僅かにのぞく鞘を取り出し、足元に落ちていた短刀を納めた。動かない少年を見、そして周りを見回し他に誰の気配もないことを確認する。初日はともかくそれ以降は近くに誰かがいた事はない。自分はもちろんだが、少年も誰もいない所を狙って『見回り』していたらしい。


 「さて・・・」


 無意味なため息を1つつき、豪は片手で器用に少年を持ち上げ肩へと担ぎ上げた。見た目から予想はしていたが少年の身体はそれ以上に軽く、そして―――




 「・・・・・・。へ・・・?」




 間抜けな声を出して豪は硬直した。ギギギと音が鳴りそうな程不自然な動作で横を向く。その頬に冷や汗がひとつ。


 「嘘、だろ・・・?」





そして2人