夜明け、嵐の訪れ 〜Opened Eyes






4.フィナーレ


 12ポインツタイブレーク。
 互いに2球ずつ交互にサーブを打ち合う他は今までのゲームと同じ。ただし4ポイントではなく半分以上―――7ポイント先取した方の勝ちとなる。そして6ポイントずつ取ったならやはり2ポイント差がつくまで続けられる。



 ―――と、今更確認するまでもない基本的ルールを頭の中にずらずら並べ、
 「これって・・・・・・、何か意味あるんでしょうかね?」
 烈はこう結論づけた。
 「つまり?」
 これから最終試合へと挑む後輩へタオルとペットボトルを差し出しつつ、瀬堂が笑顔のまま首を傾げる。
 「結局延々と試合をするなら最初から『2ポイント離した方が勝ち』とした方がややこしくなくて清むと思いません?」
 「う〜ん・・・・・・」
 予想通りの彼の理論。確かに彼がそう思っても無理はない。なにせ自分の知る限り―――そして恐らく自分の知らない場面においても彼はタイブレークに突入した後『7ポイント先取して勝ち』という試合展開を迎えた経験はない。勝つ時も・・・・・・負ける時も。
 苦笑して、答える。
 「けど視聴者が一番ムカつく展開っていうのは散々引き伸ばされた挙句の尻切れトンボだからね」
 「その気持ちはわからないでもないですけどね」
 タイブレークにまで持ち込まれた結果2−0であっさり負けられた日にはブーイングの嵐だろう。
 「でもテニスの試合は見せ物[パフォーマンス]じゃないでしょ?」
 「パフォーマンスだよ。少なくとも見る側にとっては」
 あながち間違いでもない。テニスに限らず、見る側にとっては全ての事象はパフォーマンスだ。でなければ見る価値などないのだから。
 先ほどから2人の白熱した試合に興奮しきった周りを目線でぐるりと差し、結局瀬堂の結論はいつも通りの笑みだった。
 「というわけで、充分楽しませてね」








・        ・        ・        ・        ・








 最終勝負。まるで今までの事全てを無にするかのように、これを制した方が問答無用で勝利を得る。
 なので2人ともこの勝負に全力を注ぐ――――――
 ―――と思っていた周りの期待は完全に裏切られた。



 「ポイント4−0! 千城リード!」
 判定を下す審判の声もどことなく覇気にかける。飽きたというより・・・・・・疲れて。
 「
15分かけて4ポイントかよ・・・・・・」
 「すっげー地道な試合だな・・・・・・」
 ギャラリーがひっそりとそんな事を呟く通り、2人は恐ろしくタラタラと試合を続けていた。
 今までと違って、サーブも普通ならリターンも普通。打ち合いも普通で、必殺技っぽいのは一切出ず。不来が4ポイント取ったのはその『普通』の中でかろうじて出来た隙間にねじ込ませもぎ取ったためでしかない。
 「ここに来て持久戦か・・・・・・」
 「っつーより精神戦だろ? やる烈も烈だな」
 「すごい度胸。よくやれるね、あんな事」
 風輪3年トリオ(最初こそウォーミングアップで席を外していた加瀬だったが、長い試合にすっかりアップを終え戻ってきていた)が、ため息と苦笑と共に呟く。それを聞き咎めた豪が尋ねた。
 「え? どういう事っスか?」
 「さっきっから不来の奴、得意なネットプレイには一切出てねーだろ? ずっとベースライン[うしろ]に張り付いてる」
 「・・・。そうっスね」
 「それはなぜか。答えは烈が前に出させてないからだ。絶妙に左右に振ってる。返せはするがその体勢から次の1ラリーの間にボールを追いつつ前に出るのはいくら不来であろうと無理だ」
 「なにせ烈君が前にいるからね。返ってくるタイミングは早いよ」
 カウンターパンチャーの烈にしては珍しく、タイブレーク始まって以来ずっとネットに詰めている。不来は不来でロブなど打ちなんとか後ろに追いやろうとするが、逆に烈にもロブを打たれ後ろに追い込まれるため全く意味のない事となっていた。
 「けど、前にいるってむしろ烈兄貴には不利なんじゃ・・・・・・」
 そう豪が思うのも当然だ。不来の取った4ポイント、烈が後ろにいたなら届いていた。瞬発力がそこまでない烈は、だからこそいつも後ろにいて相手の球が届くまでの『間』に追いついているのだから。
 「うん。でもあえて烈君はその不利さをわかった上でこうやって不来君にプレッシャーを与えてる」
 「持久戦そのものが問題なんじゃない。不来にとって問題なのは完全に試合を烈に掌握されていることだ。言ってしまえば今の不来は烈の手の平で踊っているに過ぎない」
 「でも点取ってんのアイツの方じゃん」
 「まあさすがに1ポイントも取らせないってのはいくら烈でも無理だろ」
 「けどタイブレークっていうのは最低7ポイント取らなきゃ勝てないんだよ? 言い換えれば6ポイントまではたとえどれだけ取られようが構わないんだよ。
  烈君が狙ってるのは不来君の集中力切れだ。さっき不来君の『内的コントロールの天才』の話をしたよね? あれっていうのは―――不来君の場合それ含めて全般的にかな?―――頭で考えるより感覚として把握する事が多い。つまりは無意識にやっている部分が大きいってわけだね。
  集中力が切れればまずこの『無意識』の部分に影響が出る。烈君は不来君の『精神バランス』を崩して一気に勝つ気だよ。
  ・・・まあそれまでに7ポイント取られれば終わりの博打に近い状況だけね」
 「試合を完全に握られてるっていうのは精神的負担が大きい。しかも無理矢理攻めようと思えばそれこそ烈の思うツボだ。無意識でやっているとはいえ不来の動きは相当集中力を要するものだ。むやみにやれば無意味に消耗する事になる。結局どちらに転ぼうが不来は烈の手の中からは逃れられない。
  そしてその事実が不来にとっては何より負担になっている」
 「まあ、烈君に勝てないなんていうのはこの上ない屈辱だろうね」
 くつくつと笑う瀬堂。もちろん烈を侮辱しているわけではない。だが相も変わらずお互いライバル心剥き出しの2人は見ていて微笑ましい。自分には―――自分には絶対に真似できないその姿は。
 「だが―――」
 今まで黙っていた加瀬が呟く。
 「――――――このままやられてくれるほど不来は甘くはねーぜ?」







・        ・        ・        ・        ・








 「ポイント6−4! 風輪リード!」
 あれから僅か5分。たったそれだけの間に今度は6点入った。それも今まで1ポイント足りとも取れていなかった烈のほうに。
 一気に盛り上がる風輪サイド。これで終わりかと絶望ムード一色に染まる千城サイド。
 (なるほどなあ・・・・・・)
 解説どおりの展開に、豪が素直に感心する。
 そしてその隣で―――
 「ほ〜ら。俺の言ったとおりじゃねーか」
 「君が自慢する事でもないけどね」
 「というより誰でも考える展開だけどな」
 「へ・・・・・・?」
 相も変わらずなコントが続く。が、そこで行なわれる会話はそれこそ謎な発言の嵐だった。
 ―――『俺の言ったとおり』。
 加瀬の言った事といえば、不来がこのままやられるわけはないという内容だったはずだが・・・・・・。
 「伸るか反るか。苦しい展開だね」
 「だからといって悩んでいれば確実に負ける」
 「さ〜て、どう出る? 烈」
 「ちなみに君なら?」
 「俺か? 乗るに決まってんだろ? 待つのは性に合わねえ」
 「らしいね。僕なら待つかな? あせって攻めるのはそれこそ僕の性に合わない」
 「俺も攻めるな。失敗しても6−6でまた立て直せばいい」
 「あはは。攻め2人に待ち1人。烈君はどっちに来るかな?」
 「―――どういう事っスか?」
 やはりよくわからない。あと1ポイント。しかも流れは完全にこちらのもの。普通なら喜び、この調子で行けと思うだろうに。
 首を傾げる豪へと、瀬堂が不思議な笑みを向けた。
 「さっき不来君が烈君の手の平で踊ってるって話したよね? 逆転したよ。今手の平で踊ってるのは烈君だ」
 「え・・・・・・?」
 「言ったでしょ? タイブレークは6ポイントまではたとえどれだけ取られようが構わないって。つまり6ポイントなら構うんだ
  不来君は烈君にわざと6ポイント取らせた。
  あと1ポイントで勝てる。君ならどうする?」
 「そんなの、取りに行くに決まってんでしょ」
 「ただしそれを取れる保障はないよ? 2人の実力は完全に互角だ。焦って攻めれば隙を突かれる。だからこそ攻められないっていうのはさっきまでの不来君と同じ。
  烈君が自分の戦法を貫くなら待つべきだ。彼が6ポイント取ったっていう時点で6ポイントまでのリミットが7ポイントに上がった。今までのままの調子で行けば再び
15分弱。ほぼ確実に不来君の集中力は切れるだろうね」
 「じゃあ待つんスか?」
 「いや。そうも限らない。焦って攻めてもしかしたら取れるかもしれない。じっくり待ってももしかしたら不来君の集中力切れが起こらないかもしれない」
 「・・・・・・。結局どっちっスか?」
 「さあ?」
 肩を竦めてしれっと答える瀬堂へ、豪が半眼を向けた。何のための解説だったんだ?
 あからさまなそれにもちろん気付き、瀬堂は笑いながら一応の自己弁護をした。
 「生憎と僕は予言者じゃないんだ。未来起こり得る事について述べるだけでね。予言なら三村の得意分野でしょ?」
 「むしろ予言はお前の担当だろ? むやみに当たるんだから。
  俺は未来の可能性は論じれても決定は出来ない。だが強いて言うなら1つ、烈はどちらも選ばない
 「は・・・・・・?」
 攻めにも待ちにも入らず、それで何をするというのか。わけのわからない三村の『予言』に、豪は口を開けて呆然とした。
 そんな彼へと、にやりと笑って加瀬が呟いた。
 「今まで烈が紙一重で不来に負けた理由だ。烈はいざって時の決断力がない。それを不来に付けこまれる」
 「ああ・・・確かに」
 思わず頷く。思い当たる事例が多すぎる。
 烈はプレッシャーに弱い。極限状態では自分を見失い突っ走る傾向にある。普段なら周りが止めればいいそれ。だが止められるのが自分しかいなければ?
 (ぱぱっと選んじまえばいいのに)
 それこそ自分や、ここにいる先輩たちのように。
 なのに自分で自分の行動に制限をかける。だからこそ選べない。
 (頭がいいってのも考えモンだな・・・・・・)
 先輩たちを馬鹿だと言うわけでもないが。
 「ポイント6−6!!」
 彼らの『予言』通り動く兄を見るとついついそう思ってしまう。








・        ・        ・        ・        ・








 最初に烈が自己確認した通り、ここから先は2ポイント引き離した方が勝つ。このため・・・・・・1ポイントの重みは今までとはケタ外れになる。かかるプレッシャーもまた。
 最早余計な小細工は何の意味も持たない。1球1球に全力を込め、1ポイントでも相手より多く取る事。それのみが必要最低条件。
 そして―――
 「
1212!!」
 今まで通りの通過点にして―――2人にとっては重要な意味を持つこの点に、
 「いよいよ来たね」
 「この様子だと・・・次、取った方の勝ちだろうな」
 「ま、少なくとも不来が取りゃ確実にな」
 そんな言葉に、豪の瞳に本日もう何度目かの疑問符が浮かんだ。今回は質問を待たずに答える。
 「新人戦の先取決めのとき―――つまりは2人にとっては最後の試合だったんだけど―――今回みたいにタイブレークになって・・・・・・」
 「
1214で烈が負けたな」
 「それが染み付いての今回の試合だからな。ここで踏ん張れなきゃ痛いぜ? 一気に精神的に崩される」
 「最も―――その事は本人達が一番わかってるだろうけどな」








・        ・        ・        ・        ・








 1212。ここを取れば勝てる不来と、ここで取れなければ負ける烈と。
 この先の展開全てを無視して2人はこの1ポイントだけに全てをかけた。
 「まだあんなに余力があったのか?」
 「このままじゃ2人とも潰れるだろ」
 そんな言葉を周りに吐かせるほどに。
 そして――――――――――――



 「
1213!! 風輪リード!!」



 審判の声に・・・・・・・・・・・・2人は同時に無音で叫んだ。








・        ・        ・        ・        ・








 「1312! 風輪サービス!」
 「はい」
 ボールを手にベースラインまで下がる烈。その膝が、一瞬だけかくりと崩れた。
 「―――!!」
 とっさに踏み出した足でなんとか堪える。転倒は免れたが――――――
 歯を食いしばり、あえて後ろは振り向かずにベースラインへと向かった。こんな動作などなくとも、もうとっくに限界が来ている事は向こうも悟っているだろうが。
 ベースラインより後ろでようやく向かい合う。汗だくで荒い息を付く彼に、同じ状態の自分。目に汗が入りそうなのを見て、構える前に手につけていたリストバンドで目の辺りを拭った。やはり自分も同じ状態だった。既にリストバンドは汗で濡れきっていながらも、それでも健気に吸い取ってくれる。
 まるで鏡のように同じ動作をする不来。丁度右利きと左利きだからこそ余計にそんな錯覚が生まれる。来ているユニフォームが同じだったらそれこそ本当に間違えていたかもしれない。
 互いの輪郭が曖昧になる。どこまでが自分で、どこまでが相手かわからなくなる。きっと向こうも同じ。
 2人で共有する、全ての事象。だがそれも・・・・・・
 ―――もうすぐ終わる。
 (・・・・・・・・・・・・)
 そこに僅かに生まれるこの思いは何なのだろう。
 一瞬のためらいを捨て、烈はサーブの構えに入った。








・        ・        ・        ・        ・








 永遠と錯覚する時の先、どれだけ繰り返したかラリーの終わりに。
 烈の放った球がネットから浮いた。まるでこの試合の始まりを再現するかのように。
 チャンスボールに駆け寄り地面を蹴る不来。彼はためらわずにスマッシュを打った。
 「―――っ!!」
 (もろた!!)
 周りから上がる悲鳴をバックに、不来は再びの同点を確信した。
 ダンクスマッシュ。ボロボロの烈に返せる球ではない。
 そんな彼の思惑通りダイレクトにラケットに受け、勢いに押され無様に尻餅をつく烈。
 (尻餅を・・・つく・・・・・・?)
 確信が、一気に崩れる。やってはいけないことをやってしまった。
 瀬堂のカウンターの中にある技の1つ。ラケットを後ろから大きく振り、スマッシュをダイレクトに受けロブとして返す球。余った勢いを体で受け流すこの技は、球がロブで返ると同時に放った本人が後ろに尻餅をつくというなかなかに笑えるオプションがつく。
 尻餅をついた烈。その手からラケットは離れていない。では受けられた球は?
 降下しつつ、体勢が崩れるのも気にせず不来は上を向いた。青い空に漂うは雲いくつかと―――ボールが1つ。
 自分の着地。そして、ボールの着地。一方はネット際。そしてもう一方は―――
 ――――――ラインぎりぎり内側だった。



 「ゲームセット!! ゲームカウント7−6!! ウォンバイ風輪!!」



 わっ―――!! と広がる声を聞きながら、
 不来はそれこそ烈を真似るかのように、ゆっくりと尻餅をついた。















・        ・        ・        ・        ・








 「・・・・・・・・・・・・立てる?」
 どれだけ時が経ったのか、それはわからないがとりあえず立って挨拶をしなければならない。空を見上げていた視線を下ろし・・・・・・不来は逆に尋ねた。
 「俺に訊く前に・・・・・・お前が立てるんか・・・・・・・・・・・・?」
 「どう・・・・・・だろうね・・・・・・・・・・・・?」
 尻餅をついて、そのまま後ろに倒れこんだらしい。大の字で空を見上げ、烈がのんびりと答えてきた。
 答え、一応立ち上がろうと努力しているようだ。もそもそと動く体を眺め、左程急ぐ必要はないかと悟り、不来もまたゆっくりと体を持ち上げた。幸いこちらはネットのすぐそば。ネット伝いに起き上がれれば後はネットを支えに立っているだけでいい。
 なんとか上半身は起こしいわゆるおばあちゃん座りをする烈の邪魔にならない程度に、軽く声をかける。
 「せやけど意外やなあ・・・。まさかあの技まで使えるようなっとったとはなあ・・・・・・」
 最後に烈が見せた技。最も球に重みも速度も出るスマッシュのカウンターは常識的に考えても難易度最高だろうに。
 起き上がるため下を向く烈の顔。髪には隠れない口元が小さく笑った。
 「よいしょ・・・っと・・・・・・。
  まあ・・・本当に出来るとは思わなかったけどね・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・。
  まさかと思て訊くけどな、
  ――――――やった事あらへんかったんか?」
 「なかったね」
 さらりと返される。それこそカウンターだといわんばかりに。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。ええけどな」
 (なんや。運に負けたんかい、俺は・・・・・・)
 烈の戦法として、それこそカウンターよりも左手でのツイストサーブよりも遥かに在りえないものに、不来は苦笑いを零した。疲れていなければ思い切り笑っていたかもしれない。
 「でも・・・・・・、勝っちゃったね・・・・・・」
 ようやくネットまで歩いてきた烈が小さく呟く。口元の笑みはそのままだが、目元もまた疲労とは別の意味で緩んでいる。
 今にも倒れそうな烈の体を同じく今にも倒れそうな自分の体で支え、お互いに支え合う状態で握手をした。
 今度は互いに利き腕で。手の平を合わせ指を絡ませ高く持ち上げる。
 「せやけど・・・まだ一勝やろ・・・・・・?
  敗者復活戦[コンソレーション]勝ちあがって・・・・・・次は勝つで・・・」
 「楽しみにしてるよ・・・・・・」
 「せやからお前も・・・・・・絶対他のヤツに負けるなや・・・・・・」
 「君も含めて、ね・・・・・・」
 「よー言うやん・・・・・・」
 互いの耳元に交わされる誓い。固く結ばれた手、浮かべ合う小さな笑みは、それが実際に叶うという妄信の賜物か。
 周りからの拍手と歓声をその身に浴び、2人は互いの仲間の元へと帰っていった。







・        ・        ・        ・        ・








 風輪サイドにて。
 「やったな! 兄貴!! 凄かったぜ今の試合!!」
 ガッツポーズで兄の元へと駆け寄ろうとする豪。その目の前で―――
 「兄貴!?」
 コートを出た途端に、まるで魂が抜けたかのように烈の体が崩れた。
 一瞬反応が遅れる。その間にも倒れた烈の体は地面へと近付いていく。
 と―――
 「大丈夫か?」
 先に行動を起こした加瀬が、片手で烈の体を抱きとめた。
 腕の中で反転させ、もう片方の腕を膝の下に通し、
 お姫さまだっこの状態で抱え上げ、ベンチへと連れて行く。
 既に寝転がれるよう空けられていたベンチ。横たえられ、眠りにつく烈の顔には―――
 ――――――何も浮かんではいなかった。








・        ・        ・        ・        ・








 千城サイドにて。
 崩れ落ちる烈を、それを支える加瀬を後ろ目に見ながら、不来は様々な意味を込めてため息をついた。
 互いのベンチが逆側にあることに対し何か言いたいわけではないけれど・・・・・・
 「お疲れさん」
 「お前もよくやったよ」
 そんな声を聞きながら、ベンチに歩み寄る不来。
 タイブレークよりも更に前、危うく自分を殺しかけたタオルを見下ろし、
 ばたん!
 「不来!?」
 「大丈夫かお前今のなかなかに痛そうな音だったけど!!」
 混乱する周りは全て締め出し、不来もまた深い深い眠りについた。
 夢の外で彼がどんな顔をしているか―――うつ伏せ状態だった彼のそれを知る者は誰もいなかった・・・・・・。








・        ・        ・        ・        ・








 その後の試合は、本人たちは見なかったものの2人の予想通り風輪のシングルス3連勝で終わった。
 5位決定戦に向けこれから更に練習だと意気込む千城、関東決定だからって油断すんじゃねえと活を入れる風輪。互いに短いミーティングを終え―――
 2人は再び出会った。



 「おお、不来か」
 「お互いお疲れさん。そっちはもうミーティング終わったのか?」
 「終わりましたわ。そんでさっきはロクに挨拶出来ませんでしたからそないなワケで。関東進出おめでとうございますわ。後狙うんは都大会
No.ですか?」
 「そりゃそーだろ」
 「ありがとう。そっちも5位決定戦頑張ってね。関東で会えるの、楽しみにしてるよ」
 「こっちこそ。今度はどないなオーダーで来るんかみんなで楽しみにしとりますわ」
 「・・・それは痛いな。どうせ今回のも散々に言われたんだろ?」
 「そらもうボロクソに」
 さらに数言交わし、風輪の一同は不来の横を通り抜けていった。俯くままの烈も同じく。
 顔を、合わせたくはなかった。せっかく再会したのにここでまた別れて。関東や全国、その他の大会で会えるかもなんて思っても学校の違いという壁は厚い。会えるのは大会の時しかなくて、それ以外の時は今までと変わりなくて。
 今顔を上げてしまえばそんな気持ちを全て吐き出してしまいそうだ。ずっとそばにいて、と。
 叶うわけはないのに。それでも、彼がいないと自分は駄目になりそうだ。いつからこんなに弱くなってしまったのだろう。
 (いっそ・・・会わなきゃよかった・・・・・・・・・・・・)
 会わなかった8ヶ月間。もう慣れていただろう? ようやく立ち直ろうとしていたのだろう? 何故また以前のように戻りたいと願う?
 不来の横を通り過ぎる。その時にも烈は顔を上げなかった。
 下を向く目線。そこに、自分のものではない手が飛び込んでくる。
 「わっ―――!」
 いきなり腕を引っ張られ、体が泳いだ。
 体を半回転させ、前に踏み出し重心を安定させる。この程度なら『内的コントロールの天才』でなかったとしても出来る事だ。
 今のアクションで
30cm程まで近付いた輩へと、烈は半眼でため息をかけた。
 「って何するんだよ」
 「そらこっちの台詞やで。何お前俺の事無視しとんねん」
 「そんなワケないだろv」
 「うわめっちゃうそ臭い笑みやな〜」
 「ちっ」
 「・・・なんやその舌打ち。ケンカやったら受けてたつで」
 「やだなあそんなケンカだなんてv それに無視しただなんて誤解だってv お前の存在に気付いてなかっただけに決まってるじゃないか」
 「ほおおおおおお・・・。やっぱお前俺にケンカ売りに来たんかい」
 「来たのは不来の方だろ?」
 「そないなへ理屈で俺が納得する思とるんか?」
 「これだから駄目なんだよ不来は」
 「俺か? 俺なんか駄目なんは」
 「他に誰がいるのさ?」
 「お前いっぺん自分ってモンよ〜知った方がええで」
 『普通どおり』に進む会話。大丈夫だ。縋り付くような真似はしない。このまま良い友達で、良いライバルで別れればいい。それだけだ。簡単な事だ。演じるのはもう慣れた。誰も気付かない。誰にも見破られない。
 ――――――筈だった。
 「じゃ、せいぜい頑張って敗者復活戦上がって来てね。落ちてたら笑ってあげるから」
 「絶対上がってお前倒したるで・・・!!!」
 実に悔しげに握り拳に歯軋りをする不来を横目に、烈は止まっていた足を動かした。
 その腕が―――またしても掴まれた。
 「・・・・・・。だから何?」
 「随分不機嫌そうやなあ。声のトーンめっちゃ下がっとるで」
 露になる苛つきもまた演技なのか、冷めた目で振り向く烈とは逆に、不来は楽しそうに笑ってみせた。
 余計に下がっていくテンション。何の感情も映さなくなった目を眼鏡の向こうに見据え、
 言った。
 「お前も随分変わったなあ。何そないに泣きそな顔で笑とるん?」
 「―――!!」
 一番突かれたくなかったところ。問われ、烈の瞳の中に怒りと焦り、苛立ち、その他諸々、そして怯えと悲しみが混じった。
 複雑な色を見せる瞳。だが口から吐かれる言葉は極めて単純なものだった。
 「お前には関係ないだろ」
 「ほ〜。さよか。
  せやったらおんなじ台詞今度は俺の目ぇ見て言いや」
 ひたと、真っ直ぐに見つめる不来の瞳。自分とは違って強く、綺麗な目だ。
 それを、自分もまた真っ直ぐに見つめ―――
 「お前には関係ないだろ」
 烈は一字一句違えずに同じ台詞を言った。
 じっと見つめられても、逸らす事はない。その手に、その目に縋りつかないと、そう決めたから。
 弱い自分はいらない。彼にふさわしいのはもっと強い自分だ。
 つい先程は再会の誓いを交わしたこの距離。同じ距離で、今度は決別を誓う。
 さらに、暫し互いに見つめ合い、
 先に視線を背けたのは不来だった。
 空気が変わった時から足を止め心配げに2人を見ていた一同。その中からかの弟を正確に当て、烈を引きずったままそちらへずんずんと近付いていった。
 「お前の兄貴暫く借りてくで」
 『はあ!?』
 兄弟2人の口から同時に飛び出す声。
 「何勝手にそんな事言ってんだよ!!」
 怒鳴る烈を無視し、不来が遠い目で語る。
 「俺なー、丁度こっち来たんやから久しぶりに実家っちゅーか住んどったマンション寄ろ思うん・・・」
 「まだ借りてたんだあのマンション・・・・・・。言っちゃなんだけど家賃のムダ遣いじゃない?」
 「季節の変わり目やしなー。服も持って来なあかんし、掃除もせんとどーなっとるか・・・・・・」
 「・・・・・・で?」
 「せやけどマンションっちゅーのはな、寮と違ごて自分で炊事せなあかんのや・・・・・・」
 「つまり―――僕にご飯を作る手伝いをしてくれ、と?」
 「ちゅーかむしろお前作れ。俺疲れたわ」
 「何でだよ。僕だって疲れたよ」
 「えーやん。俺久しぶりに帰って来たんやで? ちょ〜っと位優ししとってもバチは当たらんとちゃうか?」
 「普通料理は招く側が作るもんだろ? だったら不来が作れよ」
 「う〜わお前には血とか涙とかそーいうモンあらへんのか!?」
 「お前のために流す分はないな。
  大体面倒だったら買ってきたり食べてきたりしたらいいじゃないか」
 「金かかるやん! そないに勿体無い事なんでせなあかんのや!!」
 「作ってもかかるだろ・・・・・・? 大体金かかるのが嫌だったらまず半年間誰一人中に入らなかったマンションさっさと手放せよ」
 「ちゅーワケで、よろしゅう」
 「いや全っ然納得してないから」
 絶対に進まなそうな会話にため息をつき、烈はにっこりと笑った。
 「じゃあ作るから代金は全部お前持ちな」
 「ちょい待ちい! めちゃめちゃそれ俺が損やん!!」
 「やだなあ。人件費だよ。それにしても安いと思わない? なにせ僕はほとんど実費しか請求してないんだよ?」
 「ぐ・・・・・・!!
  ま、まあどーせ1人分買うんが1チャン損するからなあ。特に生鮮食品」
 「そうそうv というわけでじゃあ交渉成立ということでさっそく行こうか。
  ―――あ、これ持ってってね」
 「はあ!? なして俺がお前の荷物まで持たなあかんのや!!」
 「だって僕に対する見返りの少なさを考えたらお泊まり期間中君が僕の奴隷たることは必然的な事だと思うんだけどな。ああ、もう『交渉成立』って事になっちゃってるから今更内容変えないでね」
 「くっそー!! 結局俺ばっか損しとるやんか〜〜〜〜!!!」
 「僕を使おうなんて明らかに早すぎるんだよ」
 「年月指定もなしかい!!」







 そんなこんなで、お泊まりをすることになった2人。
 嵐はまだ、始まったばかり・・・・・・・・・・・



―――『目覚め』終わり











・        ・        ・        ・        ・        ・        ・        ・        ・

 はい! めちゃくちゃに久しぶりの更新にしてようやっと『目覚め』というか試合終わりました!! やはり烈の初勝利で!! そしてここまで引っ張った割にもしやか〜な〜り、あっさり終わってしまったのか・・・? と心配になります。最早今までの長さで自分の中では感覚マヒして長いのか短いのかクドいのかあっさりなのかワケがわかりませんが(爆)。
 いよいよ序章も折り返し。さ〜ってお泊まりに行った先で何が起こるのか。
 そしてラストになってようやく気付きました(これまた爆)。この『目覚め』、実は烈だけにではなく豪にも当てはまるかもしれないと。正確には豪がいろんな意味で目覚めるのは序章ラストの話ででしょうが。まあ今は丁度目覚め前のレム睡眠状態で(意味不明)。

2003.11.292004.2.11




 さてテニスの話というかテニプリの話その2。今回はなんと言ってもスマッシュ返しですな。『羆落とし』―――ではありません。最初はそのまま行こうかと思ったのですが、それだとそのまま顔面から倒れるハメになるなあ烈兄貴・・・と思い変えました。尻餅付く様もちょっぴり可愛そうだなあ、瀬堂先輩(烈兄貴じゃないんかい・・・)vv