隣人事情
Act5.亜久津と跡部の場合
空が茜色と藍色という一見合わない色をしかしながら見事なグラデーションとして共演させる夕暮れ。曖昧な時間の感覚を高架上走る電車のガタンゴトンという音がかろうじて現実へと繋ぎとめる中、亜久津はそいつに出会った。
「あん? あいつは確か・・・」
「何だテメエ、ジロジロ見てんじゃねえ」
呟くそいつを真似するように―――いや、数倍は大げさにか。そいつは形の良い眉を僅かに中央に寄せたに過ぎない。少なくとも『ガンをつける』というほどではない。ただし本人にとってはそうなのかもしれないが、元々キツめの顔の造作はそれだけで立派に睨んでいた。だからこそこちらもそれ相応の態度に出たのだが―――亜久津もあからさまに嫌悪を表した。
が、そいつはこちらの態度をどう受け止めたのか、表にわかる反応としては何も出さなかった。ただ―――
「思い出したぜ。山吹の怪物、亜久津じゃねぇの」
唇の端に笑みを乗せ、そんな事をホザいてくる。こちらを完全に無視した態度。亜久津の見た目に解り易い嫌悪感レベルはぐんぐんと上昇していった。
「ああ? 喧嘩売ってんのか?
おもしれぇ。買ってやるぜ。かかってこいよ」
簡素、直接的にして陳腐な挑発。だがこいつのようなタイプの野郎ならかかってくるだろう。こいつの目は全く怯えていない。制服Yシャツの半ソデから覗く腕も柔な野郎のものではない。間違いなく喧嘩慣れしている。あと必要なのはつっかかってくるタイミング―――きっかけか。
と、思ったのだが。
そいつは亜久津の言葉にさらに口の端を吊り上げ、鼻で笑ってみせた。
「ハン。野蛮な殴り合いは遠慮するぜ。
丁度そこにコートがあるじゃねぇか。そこでならいくらでも相手になってやるよ」
「はっ、腰抜けが。テニスだぁ?
ンなもんじゃ物足りねぇんだよ、俺は」
正直かなりがっくりとくるものがあった。久しぶりに歯ごたえのありそうなヤツと出会ったと思えばそいつはテニスなんぞに逃げやがる。以前なら「ざけんな」と即刻殴り飛ばしていただろう。
・・・・・・今あえて言葉を先行させたのはアイツ―――越前との試合があったからか。もしかしたらテニスでもそこそこにはまた燃えられるのかもしれない。ここで引かない程度に自分に自信のあるヤツなら少なくとも暇つぶし位にはなるか。
そんな亜久津の思いに、
そいつは100%以上の形で応えてくれた。
「そういうセリフは、テニスで俺様に勝ってから言いな。
来いよ。お望み通り遊んでやるぜ」
(ほお・・・・・・)
テニス馬鹿といえるほどにこいつはテニスに自信があるらしい。あるいは『俺様馬鹿』か。
どちらにせよ―――
亜久津は顎を反らして笑った。
「ハーッハッハッ―――ハ!?」
笑い――――――その顎を近寄ってきたそいつに無造作に蹴り上げられた。
「がっ・・・!!」
無造作、だが場所も力配分も的確であった一撃。舌は噛まずに済んだが口を開けての一発に、跳ね上がった下顎が頭蓋骨を振動させ、軽い脳震盪を起こしていた。
バランスが崩れる。立て直そうという意思に脳はついていかない。
地面にしたたかに頭をぶつけ、その痛みでかろうじて意識を保つ亜久津。冷たく見下ろし、そいつが言った。
「俺様が『来い』っつってんだろ? さっさと来いよ」
(どういう短気だコイツは・・・・・・!!)
問題の『来い』台詞から蹴られるまで、5秒は経っていなかったはずだ。大体テニスで勝負ではなかったのか?
「テメエ・・・、さっき・・・・・・『野蛮な殴り合いは遠慮する』とか言ってただろーが・・・・・・」
別にウソはいけないなどというウソしか言わない大人の妄想に賛成する気はさらさらない。だが鼻で笑いンな台詞ぶっこかれた直後のこの攻撃は、いくらなんでも腑に落ちないものがある。
のだが、なぜかこの野郎はいっそ哀れみを込めた視線で鼻から息を洩らしてきた。
「殴ってねえだろ?」
白々しく言ってくる。その上本気で喧嘩全般を野蛮なもの―――というか汚いものと思っているらしい。蹴り上げた靴をこちらの白ランに擦りつけ拭いてきた。
「テメエ、ンな理屈・・・・・・」
「ああ? 俺様がルールだ。負け犬が屁理屈捏ねてんじゃねぇよ」
それこそ屁理屈にもなっていない台詞に、亜久津の頭が脳震盪だけではなく朦朧としてきた。
朦朧とする頭で、今の喧嘩ともいえない卑劣な不意打ちを思い出す。いや・・・・・・
(こいつ・・・・・・やっぱよっぽど喧嘩慣れしてんのか・・・・・・?)
確かにあの瞬間自分は油断していた。だがいくら油断があろうがただのド素人の攻撃を易々受ける程自分こそド素人ではない。それなのに、喰らった。避ける・防御するどころか反応すら出来なかった。
不意打ちではあるがこいつの攻撃は正当そのもの―――真正面からだった。大体自分とそいつの間には2m以上の距離があったはずだ。そもそもいつ近付いた?
謎だらけでたまらない。麻痺してる筈の頭に痛みを感じ、亜久津は僅かに頭を上げた。その向こうに―――
『あん・・・・・・?』
2人の声が意図せずハモる。ぼんやりする視界の中に突如現れたオレンジ色に亜久津の、さらに『何か』に驚く亜久津に反応したそいつの声が。
そいつが振り向く―――までもなく。
「あ〜と〜べ〜く〜〜〜ん!!!」
(千石・・・・・・?)
小学生的ノリで呼びかけつつダッシュしてくる声と音、ついでに色に、その正体を正確に当て(他に想像できる人物は自分の周りにはまずいないが)、亜久津が痛む頭を押さえつつゆっくりと身を起こした。
目の前で、予想通りの彼千石はそいつ―――跡部というらしい、とにかくそいつに抱きつ・・・こうとして・・・・・・
「わ〜いすっげー偶然! これってもしや運め―――おぐっ!!」
「るせえ。耳元でわめくな」
跡部にみぞおちエルボーを喰らい、腹を抱えてずるずるとしゃがみ込んでいった。
「なんだと・・・・・・!?」
思わず声が出る。千石といえば動体視力と運動神経と何より運のよさにより、今まで自分の一撃を唯一ひょいひょい避けやがるヤツだというのに・・・・・・!!
(千石相手に一撃、だと・・・・・・!?)
抱きつく動作によるカウンター・・・は理由にならない。同じ状況下ですら自分は避けられたり受け止められたりした経験ありだ。
(コイツ、一体・・・・・・!!)
思う、亜久津の襟首を―――
跡部が掴んで引きずり上げた。
涙目で顔を上げる千石の前に差し出し、
「オイ千石! テメェの連れが分不相応にも俺様に向かってケンカ売ってきたぞ。テメェがけしかけたんじゃねぇだろうな。ああ?」
「た、タイムタイム! 確かに亜久津は俺の知り合いだけど、なんで俺の連れ?」
「テメェこの期に及んで言い逃れするつもりか? アーン?
同じ服着てんだろうが」
「いや・・・。これは『制服』っていうものであって、山吹の生徒ならみんな着てるんじゃないかな・・・・・・?」
「ハン! 語るに落ちたな。その同じ中学の知り合いなんつー範囲の狭いモンがなんで同じ場所に同時刻にいやがる」
「・・・・・・。同じ中学からの帰り道ならむしろそうそう違う場所にいた方が不思議じゃないかな?」
「テメェのワケわかんねえゴタクは聞き飽きたんだよ」
「だからそれは―――」
「――――――お前だよ跡部」
がすっ!
掴む襟首を亜久津から千石へと変えていた跡部。ぶんぶか振り回されそれでも健気に相槌打つ千石に代わり、背後から突如現れた人物が跡部に突っ込みを入れていた。
・・・・・・かかと落としと共に。
「何・・・・・・!?」
完全なる不意打ち。言葉を発するまで気配すらなかった。
跡部ほどの相手をして何の反応も許さなかったそいつは、そんな跡部とは―――ついでに自分とも―――裏腹に、そこらへんにいる『優男』だった。
沈み行く夕焼けの代理だとばかりに金糸を輝かせ、彫像のように整った顔のパーツの内2つだけを動かす。半眼の目元と、ため息をつく口元を。
「ってーな佐伯!! いきなり何しやがる!!」
「それはこっちの台詞だ。お前何またむやみなトラブル巻き起こしてんだよ。しかも千石はまだしも一般人巻き込んで。
止めとけよ? あんま無関係のヤツ巻き込んだら揉み消すの大変だろ?」
「心配ねぇよ。千石の知り合いだ。いざとなったらコイツが全部やった事にしとけ」
「ええ〜!? 俺が!? ムリだって! 俺亜久津にやられてばっかだし!!」
「ンな事ぁねえだろ? 俺様の打撃だってピンポイントで外しやがるテメェがンなヤツの攻撃喰らっちゃいねーだろ?」
「ゔ・・・。バレてた・・・・・・?」
「ああ? 俺様舐めてんのか? 感触でわかんだよ。第一復活早すぎだろーが」
「ゔゔ・・・。だから明日からはそこらへん見越してレベルアップして行く・・・・・・な〜んて言わない、よね・・・?」
「さあな」
「あ゙あ゙〜!! これ以上やられたらマジ死ぬって!!」
「頑張れ千石。他はともかく運の良さだけならお前跡部に余裕で勝てるから」
「うわ。それ以外全滅?」
「それ以外何で俺様に勝つつもりだ?」
「せめて動体視力とか?」
「ほう・・・。つまり次からはまず目を狙え、つー事か」
「お願いです止めてください今の発言取り消します」
「クッ。逆らう根性ねぇんなら最初っから素直にしっぽ振ってりゃいいんだよ」
「なるほどな。お前動物好きだもんなあ。そうしたら可愛がってあ・げ・るv(棒読み) と」
「佐伯! てめぇ何ワケわかんねえ事言ってやがる!?」
「え!? ホント跡部くん!? 俺めちゃめちゃ頑張っちゃうよ!!」
「だから違うっつってんだろ!?」
「よ〜しじゃあ今からさっそく100均へGo! 跡部くん飼ってんのってアフガンハウンドだよね!? 同じ耳あるかな!? あ、首輪何色にする!? それとも前足全体通すタイプがいい!?」
「勝手に暴走してろ馬鹿野郎が!!」
どごすっ!!
立ち上がりざまこめかみを横から蹴られ、千石が今度こそ完全昏倒する。
なおも怒りの矛先を佐伯に向け詰め寄る跡部とそれを煽り宥めかわす佐伯を交互に見て。
(そりゃ・・・・・・。千石のヤローが強ええワケか・・・・・・)
こんな命懸けの超デンジャラス環境が身の回りにあれば、それは必然的にケンカの腕は上がるだろう。それも自らぬるいものですら招かねばならない自分より遥かに早く。
今だクラクラする頭で静かに納得する亜久津。この後彼がこの3人に弟子入りしたかどうかは―――残念ながらわからない。
―――う〜みゅ。亜久津メインのはずが途中から消失してますね・・・・・・。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
最近思うのですが・・・・・・。世間一般では不二・佐伯・跡部の幼馴染設定がメジャーで、ウチのサイトではさらに千石さん加えて跡部・佐伯・千石・不二(あいうえお順)で幼馴染―――だったはずなのですが・・・・・・。
―――跡部・佐伯・千石の絡みが面白いぞ書きやすいぞここ最近。なぜかこのメンツ、揃わせると不二先輩の方がむしろ浮く?
そんな・・・・・・最早マイナーとかそういうレベル超越して絶対他でないであろういろんな意味でおっとこ臭さ満点の3人がこれからも絡んで(妙な意味ではなく)いきそうです。
2004.2.27