「『不二』・・・・・・?」
「って、言ったら・・・・・・」
名乗ると同時―――いや、数瞬遅れてざわめく周り。
いつも通りの反応。
だからこそ―――
「・・・・・・・・・・・・」
怒鳴りだしたいのを堪え、裕太は俯いて黙り込んだ。
歯を噛み締め言葉を飲み込む。最早完全に慣れてしまった一連の手順。
だが・・・
「ああそうだよ。不二の弟の裕太君」
「佐伯さん!!」
ためらい無くそう言い切った佐伯に、己への戒めも忘れ裕太は叫び声を上げた。
佐伯なら、自分の事もよくわかっていてくれていると思っていたのだ。ずっと、自分達の事をよく見ていてくれたから。
だから、『不二の弟』と呼ばれ突き刺さるような周りの目に悩んでいた時も、ずっとこの人に相談していた。
自分達の―――周助の一番そばにいて、誰よりも周助の天才さは知っている筈なのに、それでも自分を『不二の弟』として扱いはしなかった。
なのに・・・・・・
「ん?」
「俺は兄貴のおまけでも付属品でもありません・・・・・・!!」
怒りは先程の一声で押さえつける。怒鳴ればそれは自分も認めているのと同じ。
抑えているからこそより露になる裕太の怒り。それをわかった上で・・・・・・
―――佐伯はクッと小さく笑った。
笑って、揶揄る。
「どっちも同じ意味だと思うけどね・・・・・・。
―――ああ、そうだ」
険悪な雰囲気を示すそこからあっさり視線を逸らし、佐伯はふいに後ろに目をやった。
六角中のレギュラー、その中でも唯一の1年を見やり、
「剣太郎は知らないっけ。
ハチマキ巻いて笑ってるのが亮の双子の弟の淳。見た目は似てるけど中身は正反対の木更津ツインズ」
「おい! どういう意味だよ!!」
「まんまだけど?」
「だよね」
「淳まで!!」
裕太の元から離れていく会話。からかう佐伯と淳に地団太を踏む亮。
ほのぼのとした空気の流れるそこを見ても、裕太の気持ちは一向に晴れなかった。
―――次の剣太郎の台詞を聞くまでは。
「ところでサエさん。訊きたいんだけど―――
―――『不二』って誰?」
『・・・・・・・・・・・・』
ふいに静まる六角一同。きょとんとする剣太郎。何となく何も言えないルドルフ員。
そして・・・・・・あっけに取られる裕太。
(周助[アニキ]を知らない・・・? あ、でも確かそういえばルドルフでもスクール生って知らなかったよなあ・・・。でもそれは結構遠くから来た人たちの場合で、同じ関東圏なら・・・。木更津さんだって知ってたワケだし・・・・・・・・・・・・)
さらに続く沈黙。それは―――
六角メンバーの爆笑で終わりを告げた。
「ああ! そっか!! 剣太郎!! お前知らないんだ!!」
「春から来てなかったしな!!」
「え・・・? あの・・・・・・」
ばんばんと黒羽に背中を叩かれ、回りも腹を抱えて大爆笑する中やはりワケのわからない剣太郎は一人混乱するだけで・・・・・・。
「不二は―――周ちゃんは俺の幼馴染だよ。最近は忙しくて来てないけどよく六角[ウチ]にも遊びに来てたんだ。上手くいったら関東で会えるから、そのとき紹介するよ。まあどっちにしてもまた遊びに来るだろうからそう遠くはないと思うけど」
(あ・・・・・・!!)
今の説明でようやくわかった。なぜ佐伯がわざわざ『不二の弟』と言ったのか。そしてなぜ木更津の話をしたのか。
知り合いの知り合いならそう紹介するのが一番手っ取り早いからだ。
佐伯もそういったように周助はしょっちゅう六角に遊びに行っていた。ならば今1年である剣太郎を除けば顔見知りであって当然の事。佐伯の台詞は『あの<天才>不二の弟』ではなく『<みんなも知ってる>あの不二の弟』という意味だったのだ。だから淳を紹介する際も『双子の弟』と言ったのだ。
「関東、っていうことは千葉にいるんじゃないんですか?」
「ああ、東京だよ? 俺は小学校ん時引っ越してきたから」
「佐伯の幼馴染っていうのは面白いヤツ多いぞ。さすが類は供を呼ぶっていうか、テニスは強いけどそれ以上にアクが強いヤツが多いからな」
「それ跡部の目の前で言ってみなよ。何より俺と千石と同列に扱われたって時点で殴られるから」
「どちらかっていうと不二と同類扱いされたことを怒るんじゃないかな?」
「結局ダメじゃん」
笑って乗ってくる淳に佐伯が苦笑する。裕太は同じ関東圏だから知っていると思っていたようだが淳もまた半年前までは六角生。他の六角メンバー同様不二らともしっかり顔なじみである。
「そんなにみんな強いんですか?」
やはりまだ中学入りたてのため勢力図―――特に千葉以外には疎い剣太郎が尋ねた。
「氷帝に山吹、それに青学。どこも関東の強豪だからな。間違いなく内いくつかは関東か全国かで当たる。なにせ去年の全国大会、氷帝は準優勝、青学は4位。山吹はそこまで行かなかったけど全国出たし。その上跡部も千石も不二もシングルスに関してはその中でもトップクラスだ。立海大相手以外は3人とも負けなしだったからな。
今全国区っていったら氷帝の跡部だけだけど、山吹の千石も青学の不二も実力的には十分そのレベルだぜ。
―――でもってそいつらと互角に張り合う六角[ウチ]の佐伯[サエ]もな」
「って言いすぎだよバネさん。そこまで俺は強くない。
それにそんな風におだてて俺にそいつら押し付けようったって嫌だからな」
「ちっ」
「何だよその舌打ち・・・・・・」
「別にいいじゃんか。それに不二だったら去年の雪辱戦になるだろ?」
「だから嫌だって言ってんだろ?
去年負けた後一晩中『や〜いや〜い。負け佐伯〜。負け佐伯〜♪』って歌われ続けたんだからな!
・・・・・・今でも悪夢に見るよ。あの時の事は」
「うっわ。イッタイ攻撃だな〜」
「さすが『青学の天才』。やる事が常人と違う・・・・・・」
「と、いうわけで今年は違う相手でよろしく」
『いやムリ(By六角一同)』
「サエ以外の誰が不二の相手出来るんだよ」
「今の聞いてもか!?」
「今の聞いたら余計な」
「俺だってムリに決まってんだろ!?」
「いや・・・・・・」
「―――サエなら十分やっていけるよ」
「なんで淳にまで賛成されんだよ・・・・・・・・・・・・」
そんな感じで項垂れる佐伯を残したまま、互いの紹介は終わった、とそそくさと試合に入っていく一同。
その場に、佐伯とそしてなんとなく動きの遅れた裕太だけが取り残される。
「裕太君。行きますよ」
「あ、はい!」
観月の言葉に慌てて走ろうとして―――
ふいに肩を叩かれた。
「気にしすぎ。誰がなんと言おうと裕太君は裕太君。
―――だろ?」
見やる。項垂れていたはずの佐伯が優しく笑っていた。
優しく笑って―――
――――――誰も言ってくれない、でも今一番欲しかった答えをくれた。
「そう・・・、ですね」
「そうそう」
くしゃくしゃと頭を撫でられる。小さい頃から変わらない行為。一瞬だけ、昔に戻ったような気がする。
テニスが大好きで、みんなでボールを追っていたあの頃。当たり前のように自分の隣には周助がいて、2人で笑っていて。
『不二の弟』なんて言い方は誰もしなくて、自分は自分だった。
いつかは、あの頃のように戻れるのだろうか。
(いや・・・・・・)
戻るんじゃない。進むんだ。
胸を張って、『不二裕太だ』と言えるように。
胸を張って―――周助[アニキ]の隣に並べるように。
そのために―――
「佐伯さん」
「ん?」
こちらを向く佐伯。その顔にもう笑みは浮かんでいなかった。いつもの好青年たる笑みは。
力強く微笑む佐伯に、真っ直ぐ視線を合わせる。今自分が浮かべているものも多分同じ笑みなのだろう。
迷いのない顔で、裕太は笑った。
「今日は、よろしくお願いします」
「・・・・・・・・・・・・。
―――こっちこそ」
おまけ)関東大会準決勝、青学対六角戦、W1にて。
「まさか不二、今度はダブルスで当たるとはね」
(絶対当たらないようわざわざW1にしたのに・・・・・・!!)
W1といったら常識的に考えて黄金ペアだろ? そりゃ大石はここのところ欠場してるけどそれで菊丸が他の人とペアを組むならW2へ回るだろ? 今までそうしていたじゃないか! なんで今回だけいきなり変える!!
(―――ていうか手塚がいないんだったらS1になるべきだろうがNo.2!!)
ネットの向こうで相変わらずな笑みを浮かべる幼馴染に、軽く挨拶しつつ佐伯は己の不運とワケのわからん青学オーダーをひたすらに呪い続けていた。呪い続けるしかなかった・・・・・・。
―――この話の主役は裕太の筈では・・・・・・
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