合宿2日目、早朝。コートにて。
「んあっ!」
「狙いが甘めーんだよ! もっとちゃんと狙え!」
「はいっ!」
「よし。なかなかよくなってきたじゃねえか」
「えいっ!」
「力抜きすぎだ! ンなへろへろ球打ってどーすんだよ!!」
「・・・・・・あら?」
「・・・・・・当ててくれ。打ってくれどんな球でもいいから」
「うるさいわね//!!」
Step Up!
Jr.選抜合宿が始まった。自分はもちろんマネージャーとして呼ばれただけだけど、ちょっとだけ期待してしまう。最近テニスの指導を受けているあの人に、もしかしたら特訓してもらえるかもしれないと。
Jr.選抜合宿が始まった。俺の属する華村班はミーティングと筋トレ―――つまりは基礎練ばかりをこなしていた。それはそれで大事なのだろうが、やはりせっかく整った環境(まあ氷帝ほどではないが)での合宿。ラケットを握ってボールを打ってみたくなるものだ。でもって軽い肩慣らし程度なら1人でやるより2人でやる方が気分も乗りやすい。例えばコイツだったりしても。
・ ・ ・ ・ ・
はあ・・・。はあ・・・。
コート内に、杏の熱い吐息が広がる。対する跡部は汗こそ掻いていたものの息ひとつ乱さずに。
「ま、ちったあマシになってきたんじゃねえの?」
「・・・・・・すっごい悔しいんだけど。その言われ方」
膝に手を当てたまま、睨みつけるように見上げてくる杏。口を尖らせる彼女にクッと笑い、
「だったらここまで上ってきな」
跡部はネット越しに手を伸ばした。頭に触れ、くしゃくしゃ撫で。
「―――って私は子どもじゃないのよ!?」
「ああ? どこがだよ? ンな台詞ホザいてる内はまだまだ子ども[ガキ]なんだよ」
手をどけようとする杏を上手くかわし、なおもくしゃくしゃ撫で続ける。
杏からしてみれば非常に屈辱的な行為。しかしながらそうする跡部の顔は酷く嬉しそうで楽しそうで。
「もう・・・! ちょっと、止めてよ・・・!」
怒りながらも、許してしまう。全てはいつも通りの事。最初はよっぽど手に噛み付いてやろうかと思っていたのに、今ではくすぐったくて笑ってしまう。
くすくす笑う杏に、跡部もまた鼻から息を抜くように笑った。こんな機会がなければ、彼のこんな顔は見られなかっただろう。付き合いはまだ全然浅い筈なのに、それでもわかった。彼がこんな顔を見せる相手は滅多にいない、と。
僅かな優越感。それと、喜び。
それがなぜなのか、何から来ているのか、それは自分にもよくわからず。
(ヘンなの)
跡部の手が頭から離れる。まるで追うように、今度は杏が手を伸ばした。もちろん跡部の頭を撫でるためではない。念のため。
跡部の鼻先にびしりと指を突きつけ、
「次は絶対あなたをギャフンと言わせるんだからね!」
「ギャフン・・・・・・って、随分古りーな。あの兄貴に何吹き込まれて育ってきたんだ?」
「今のはただの例えよ!」
「ほお、そうか・・・。
―――てっきり手塚・真田に続いて橘まで年齢詐称してんのかと思ったぜ。なんつーか・・・実は兄妹じゃなくて父と娘だったとかそういうオチがつくのかと・・・・・・」
「私とお兄ちゃんはれっきとした兄妹よ!!」
「おらさっさと片付けんぞ」
「ちょっとあなた人の話聞きなさいよ!!」
・ ・ ・ ・ ・
昼休み。つかの間の自由時間ながら、そもそもの昼食時間が班ごとに分かれているため結果的にこの時間も班ごとにまとまっている場合が多い。
最初に昼食を終え、コートに出てきたのは竜崎班。コートでは、マネージャーが何やらうろうろしていた。
「あれ? 橘妹。お前何やってんだ?」
「あ、杏ちゃん。お昼は?」
「ああ、モモシロ君に神尾君。コートの整備やってるだけよ。終わったらお昼食べようかなって思って」
「コートの整備? ンなの午後からまた使うだろ?」
「そうですよ橘さん。それにそれだったら使った俺達がやりますよ」
2人に次いで出てきた宍戸と鳳もまた言葉をかけてくる。杏はそれににっこりと笑い、
「せっかくの合宿なんだから、少しでもいい環境の方がいいじゃないですか。それにそういうのをやるのがマネージャーの仕事ですから」
「うわ〜。橘さんって理想のお嫁さんって感じだね」
「え・・・・・・?」
千石の茶化し―――だと思われる言葉に、杏が一瞬詰まった。頬が僅かに朱に染まる。それは自分の『お嫁さん』姿を思い描いたからなのか。だとしたらそこにほぼ必然的につくであろう『お婿さん』は一体誰と設定したのだろう。
そんな杏の動揺に、
気付いたのは特にはいなかったらしい。少なくともそれを指摘してくる者は。
大半の注目は、次のリョーマの台詞へと移っていた。
「良かったスね桃先輩」
「うえあっ!? な・・・なんでいきなり俺が指されんだよ越前!」
「ま〜たそんにゃ事言って〜。桃も照れない〜vv」
「そ・・・そんな俺は別に―――//」
「ちょっと待てよ! なんでお前ばっかり照れてんだよ!! 別に杏ちゃんは誰のお嫁さんになりたいかなんて言ってねえだろ!?」
「そりゃ理想の夫っつったら俺だからだろ?」
「テメーのどこが―――!!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ桃と神尾。眺めている内に、だんだん冷静さを取り戻す。
(私ってば何考えてたんだろ・・・)
杏の顔が、違う意味で赤くなった。熱い頬を手で撫でて冷まし、
「―――あ、そうだ橘妹」
「・・・・・・え? 何?」
「杏ちゃん、ぼーっとしてるけどどうしたんだい? 疲れてんじゃない? 顔赤いし、熱射病とかなってない?」
「そ、そんな事ないわよ。ありがとう、神尾君。
で? 何? モモシロ君」
「ずっとマネージャー業ってのもつまんねーだろ? 区切りついたら俺とテニスやんねえ?
―――って誘おうとしたんだけどな。具合悪りいんなら休んだ方がいいぜ」
自分の様をそう解釈したらしい。心配げに見てくる2人に、杏は笑ってぱたぱたと手を振った。
「大丈夫よ。心配しないで。そんな事じゃないから」
「本当に?」
なおも尋ねて来る神尾へと、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「ええ。ただちょっと―――『お嫁さん』なんて言われて照れちゃっただけ」
「おお!? やっぱお前も俺の事がいいんだな!?」
「だから杏ちゃんのお婿さんは俺だ!!」
「さって。じゃあテニスしましょうか」
言い合う2人を放って準備を始める杏に、
「あのさ、俺思うんだけど・・・
―――あの2人、実は脈なくないか?」
「というか・・・・・・完璧に遊ばれてますね」
大石と梶本がそんな言葉を洩らす。もちろん――――――実はこれが正解だなどとは思いもせずに。
・ ・ ・ ・ ・
さて始まった試合にて。
「やあっ!」
「何っ・・・!?」
ドスッ―――!
「今の・・・ジャックナイフ・・・・・・」
「杏ちゃん、いつの間にそんな技覚えたのさ!?」
「だけじゃないですね。パワーはまだしも、テクニックとフットワーク、共にかなり高い」
「てゆーか桃押されてんじゃん」
「さすがあの橘の妹さんだけあるなあ。よっぽど教え込まれてんだろうな」
いろいろと言う観客らの中で、
「ふ〜ん。そういう事、ね・・・」
千石が顎に手を当て面白そうに笑った。
「え? 何がですか?」
隣にいた鳳が、聞こえた声に律儀に反応してくる。
千石は顎から離した手で杏を指差し、
「よ〜く彼女を見ててごらんよ。多分君達ならわかるから」
「ああ?」
君『達』―――振られた身として、宍戸も首を傾げつつ杏の様を観察した。サーブをコート端に放ち、取っている間に前にダッシュ。相手が桃だからこそ普通に返したが、あの何気にパワーサーブでは相手によっては球威に押され2・3歩下がっていたかもしれない。
「はいっ!」
プレイパターンからして典型的サーブ&ボレーヤーと見せかけ、不意打ちで放たれたベースラインぎりぎりを狙ったロブにもしっかり対応。ほとんどオールラウンダーといって差し支えないだろう。
1球返し、さらに前に詰める。超攻撃的性格。しかしながらかなりいい判断だ。始めたばかりの今現在ならともかく、長引けばスタミナのない杏が明らかに不利になる。勝とうと思ったら短期決戦を挑むしかない。しかも桃相手に守りに入ればパワーでがんがん攻められる。それはぜひとも避けたいところだろう。
それに、先に流れを掴んでおけばそれだけ自分に有利に働く。
『―――あ!!』
宍戸と鳳の声がハモる。妙に見覚えのある攻撃パターン。これはまさか・・・・・・
―――と、結論を出すより早く。
「これならどうだ!!」
絶妙な左右への打ち分けに翻弄されていた桃。その隙に杏がネットギリギリまで詰めたところで、頭上を越えるロブを打ち放った。
「桃上手い!」
英二が握り拳を作る。これならば、今更後ろへ走ったところで追いつけはしないだろう。
が、
「甘い甘い」
口端を吊り上げ、小さく呟く杏。呟き―――全身のバネを使ってジャンプした。
「ジャンピングスマッシュ!?」
「届くのか!? アレに!!」
驚く一同だったが、
本当の驚きはその後に来た。
「破滅への輪舞曲! 踊ってもらうわよ!」
『な・・・!?』
杏の掛け声に、全員で大口を開ける。その技ならもちろん知っている。知ってはいるが―――
「なんでお前が・・・!?」
悲鳴のような桃の声。答えたのは杏自身ではなく、
ガシャン―――!!
弾き飛ばされたラケット。鈍く痺れた手を押さえる桃の隣に、2打目となるスマッシュが放たれた。
「どう?」
軽く着地し、杏がにっこりと笑う。それ自体は桃へと向けられたもの。しかしこれまた答えたのは問われた本人ではなかった。
「―――へえ・・・。なかなか様になってきたじゃねえの、杏」
「跡部、さん・・・・・・」
こちらも昼食を終え自由時間なのだろう。コートに出てきていた跡部が、薄く笑い小さく何度か頷いていた。
「跡部さん!」
試合無視で跡部の元へ駆け寄る杏。
「どうだった?」
「ま、あんだけ出来りゃとりあえず及第点だな。それにゲーム構成もなかなかのモンだ。わざと技名言って桃城の動き止めたんだろ?」
ぽんぽんと頭に手を乗せ、言ってやる。杏の瞳に輝きが灯った。
「ホント!?」
「ああ。ただし―――」
頭から手を下げていく。額まで来たところで、
ビシッ!
「痛っ!」
「特に2打目はもっと手首の力抜け。ちっと位威力が落ちようが狙いが甘くなろうがどうせ返せねえ。むしろそのまんまやってると5回も打たねえ内に手首イカれんぞ」
「わざわざデコピンなんてしなくても言われればわかるわよ!」
「ほお。そうか。そりゃ悪かったなあ。何回指摘しても直んねーみてえだから直接体に教え込んだんだけどな」
「そういうヘンな言い方しないでよ//!!」
「俺は普通に言っただけだぜ? 何だと思ってんだよ」
にやにや笑う(これまた珍しい)跡部に杏が口を尖らせる。さらに文句を言おうとする彼女を遮り、
「なるほどねえ。橘くんに教わったにしては攻撃パターンがおかしいなって思ったけど、やっぱ君がコーチしてたんだ、跡部くん」
千石の指摘に、予め気付いていた氷帝レギュラー2名が納得したように頷き、その他一同が本日一番の驚きを見せた。
「それでさっきもジャックナイフ使ってたのか・・・」
「確かに橘なら使わないよな・・・」
「でもなんで跡部がわざわざ・・・・・・?」
いろいろな囁きが飛び交う中で、
「アンタ人の世話なんてするワケ?」
代表してリョーマが問う。恐れ知らずの台詞ながら、何よりそれがここにいるみんなの気持ちだった。
なだめたいのか馬鹿にしたいのか微妙な感じでなおも杏の頭を撫でていた跡部が、その質問にようやっと顔を向けた。
リョーマを見て、杏を見て。さらに宍戸を見て、鳳を見て。
「伸びるヤツの面倒見てやんのは面白れえからな。ソイツにそれだけの意志があるんならなおさらな」
「『それだけの意志』?」
「それだけじゃねえが、負けん気の強ええヤツってのはいいもんだぜ。踏めば踏むほどよく伸びやがる」
「俺らは雑草か!!」
今度代表したのは宍戸だった。現在話題になっているのは杏だが、跡部の言っている対象は氷帝部員200人含め彼に関わるおおむね全員を指すのだろう。『雑草』の典型が宍戸・日吉・向日そしてリョーマ、逆に愛情込めて丁寧に育ててやるのがジローや鳳・樺地、完全放置勝手に伸びろが忍足といった具合に(なお向日は跡部に踏まれた分忍足に愛でられるので結果的にどこにも属さない事になるが)。
煩わしそうに―――それこそ『雑草』なら足で払って踏んでいるか―――手を振り払う跡部。払われた手をすり抜けるように、再び千石が言葉をかけた。
うんうん頷き、
「どうりで最近『忙しい』ワケだ」
「・・・・・・あん?」
意味がわからず問い返す。千石がこちらの用事など、それも半端に知っていたところで利点はないだろうに。
「最近君が忙しくて全然構ってくれないって言ってるコ、けっこー多いよ」
それに―――
ぴくりと反応したのは杏だった。
千石の話から推察すればつまりはそういう事で。とりあえず女遊びは激しそうだという第一印象は変わらなかったようだ。
ちくり・・・・・・。
(え・・・?)
これまたなんでだろう。胸が痛い―――ような気がする。
俯く杏。半ば髪に隠れた視線の端を、大きいが綺麗な、馴染んだ手がゆっくりと落ちていった。見届けてから気付く。頭の上にあった心地良い温かさと重さがなくなっていた事に。
そっと、跡部を見上げる。千石を見ていた跡部は特にこちらに気付く事もなかった。この様子では恐らく手が落ちている事にも気付いていないのだろう。それこそ珍しく。それだけ動揺しているのか、あるいは・・・
ため息と共に力を、感情を抜いていき、
空虚にその身を包ませ、跡部はしかしながらそれを決して他者には悟らせず呟いた。
「お互いただの暇つぶしだろ? それにそいつらがいいって思ってんのは顔と金と名誉だろ? だったら別に俺じゃなくたって構わねえだろーが。次からそう伝えとけ。『てめぇらにゃもう飽きた』ってな」
誰が聞いても反発心しか沸かせない言いっぷり。実際表への表し方はともかくとして、全体的にむっとした空気に包まれる。
その中では―――彼の反応など掻き消されてしまいそうなほどに小さい。
呟きながら、酷くつまらなさそうな、そして酷く寂しそうな目を虚空に向ける跡部の反応など。
(え・・・・・・?)
2度目の驚き。下ろされた跡部の手が、他の者からは死角の位置で何かを求めるように彷徨っていた。これも無意識の行動だろう。
落ち着かせるように、偶然を装ってそっと手で触れる。視線は落とさない。気付いていると態度で示してしまえば、彼はここから逃げてしまう。何となくながら、わかる事。
『何か』を見つけ安心したか、跡部の目に輝きが戻って来る。握り返されるような事はない。そこまで彼は堕ちてはいないし、そこまで自分は踏み込んではいない。
と―――
「それに―――」
にやりと笑う跡部。逆の手―――今度は全員に見える方で、杏の顎を持ち上げた。
「俺様は今じゃじゃ馬の餌付けに忙しいからな」
言い放ち、杏へと顔を落とした。
『〜〜〜〜〜〜っ!!!???』
一瞬だけの、掠めるキス。だが杏を始めとした周りに無言で大絶叫させるには充分で。
吸気音が鋭く響き渡る中、1つだけ呼気音が鳴った。
「やるじゃん」
口笛を吹きながら、千石が薄く笑っている。それこそ何の意味を込めてなのか、こちらは全く誰にも悟らせず。
「―――って何すんのよ!!」
忘我の渕からかろうじて戻ってきた杏。真っ赤になって怒鳴る彼女の、振り上げられた両手を受け止め、
「何だよ。いいじゃねえの。いつもやってる事とンなに変わんねえだろ?」
「どこをどういう基準で見れば変わりないのよ!? 頭撫でるのとキスとじゃ大違いでしょうが!!」
「やって欲しかったんじゃねえのか? 杏ちゃん」
「いつ私がそんな事言ったのよ!?」
「俺様の彼女になれりゃ光栄だろ?」
「冗談!! 甘く見ないでよ! 私はそんな安っぽい女じゃないわよ!!
やっぱりあなたなんか大っ嫌い!!」
言い終わるまで決して逃げないのは彼女のプライド―――それこそ負けん気の強さによりだろう。握り拳を振るわせ、最後まで言い切ってから杏はくるりと背を向けた。
ずがずがと大股に歩いていく。これまた決して走りはしない。『怒っています』と全身で示す彼女に、ずっとその場にいた竜崎班の面々だけではなく後から来た者達も事情はわからないながらに大人しく道を開けた。
人気のない建物の裏側まで来て、
杏は熱を冷ますように顔に両手を当てた。
真っ赤な顔で、見ようによっては泣きそうな表情で――――――見ようによっては跡部に頭を撫でられている時と同じ表情で、呟く。
「もう・・・。サイテー・・・・・・。
せっかくのファーストキスだったのに・・・・・・」
・ ・ ・ ・ ・
こちらは呆然とする一同から悠々と抜け出してきた跡部。こちらもまた適当な建物の壁にもたれ、
「何で上手くいかねーのかな・・・・・・」
組んだ両手で瞳を隠し、やはり呟く。それは―――
―――誰も聞いた事のない声色だった。
「へえ・・・」
「―――ああ?」
気配も足音もなく近寄ってきた存在に、跡部が両手をどけ壁から身を起こした。その顔はもう誰もが知っている帝王のもので。
弱みなど全くないといった顔。別にこれが仮面というわけではない。これも彼、あれも彼だ。
「千石か。何の用だ」
呼びかけられ、千石は逆に仮面しかない顔に笑みを貼り付けた。
「べっつに〜。ただ―――」
「ただ?」
「―――そういう声も出せるんだね、って感心しただけ」
「・・・・・・。ああ?」
わけがわからない。コイツは一体何が言いたいんだ?
目線でそう問う跡部。苦笑して、
「本当に困ってるんだな、って声。まさか君からそんな声が出るとは思わなかったよ。
―――そんなに本気? 橘さんに」
「・・・・・・別に」
何ともなさそうに視線を逸らす。それこそが少なくとも『ただの暇つぶし』ではないという事を示しているとは気付きもせずに。
「ふ〜ん。でも―――」
これまた間を持たせるような言い方。しかし今度は別に跡部の言葉を待ったわけではない。その間に、物理的『間』―――距離を詰める。
反射的に下がる跡部。10cmも行かない内に壁に頭をぶつけ、そこで止まる。
一息に詰め―――
「―――っ!!??」
千石は、先程の跡部の行為をそのまま繰り返した。触れるだけのキス。千石が離れてもなお、硬直した跡部が戻って来る事はなく。
じっと見つめていると、ようやく戻ってきたらしい。
「何しやがるてめぇ////!!」
威勢のいい声とは裏腹に、杏以上に真っ赤な顔でごしごしと口を拭くカワイイ跡部に、
千石はくっくっくと笑いを噛み殺した。
「橘さんも思ってもみなかっただろうね。まさかあれが跡部くんもファーストキスだったなんて」
「何でそれ・・・!!」
「そりゃわかるさ。君の『暇つぶし相手』に片っ端っから君に手を出されたことがないなんて訴えられればね。
彼女達は酷くプライド傷付けられてるみたいだけど、本命がいて十分満足してるのか、さらに他で欲求は晴らしてるのか、それともそれだけの気分が起こらないのかどれなのかって思ってたけどさ。
―――どうやら最後のが正解だったみたいだね。話戻すけど、橘さんには本気なワケ?」
面白がるように見上げられ、
跡部がくしゃりと髪を掻き上げた。
再び瞳を隠し、呟く。どうやら彼は、肝心なところでは目を見られたくないらしい。尤も―――見て暴くのが得意ならば見られ暴かれる事を恐れるのもわからないでもないが。
(でも残念。俺が見るのは目じゃないんだよね)
態度・雰囲気・言動。全体が彼の全てを露にしてしまっている。
「・・・・・・俺の気持ちなんて関係ねえだろ?」
散々悩んだ、答えがコレ。告白したも同然だ。
「つまり、橘さんにその気があればオッケー、っていう事?」
「ねえだろアイツにゃ」
今度は即答。
(ホンットわかりやすいねえ君って)
「そうかな? そんな事もないと思うけど?」
「ああ? どこがだよ。大体アイツにゃ桃城だの神尾だの―――」
「いないよ?」
「・・・・・・・・・・・・。あん?」
「さっき試合が始まる前にちょっと話があってね。その時大石くんが面白い事言ってたよ。『あの2人、実は脈なくないか?』だって。あ、『あの2人』ってもちろんオモシロくんと神尾くんね。
聞いてさっすが大石くん、青学のお母さんだけあるなあって拍手しちゃったよ。確かにないね。実はその話、俺が振ったんだけどね。
『橘さんって理想のお嫁さんって感じだね』って言ったらさ、橘さん、顔赤くしたよ。でもどこも見てなかった。少なくともオモシロくんや神尾くんの事はね。
顔赤くしたからにはそれなりに自分のそんな姿考えたからじゃない? でもってそういう時、大抵の人は無意識にその相手の事を見るもんだよ」
「気付かれたくなくてワザと視線逸らしてたんじゃねえのか?」
「だとしたらそれはそれで態度に出る。俺はそういうのの見極め得意だからね。
断言するけど橘さんはあの2人に気はない。少なくともあの2人の『お嫁さん』になる気は。だから普通に彼らに目を向けていた」
「・・・・・・矛盾してねえか? さっきのてめぇの話と」
「してないさ。目は向けてたけど見てはいなかった。焦点は合ってなかった。たまたま考える最中そっちを向いてただけだ。おかげでみんなは2人のどっちかを見てる―――想ってるって解釈したみたいだけどね」
「だが別に・・・・・・」
たとえ杏が2人の事を想っていなかったとしても、別にだからといって自分を想っているわけでもあるまい。それならば同じだ。
上向きかけていた調子がまた下がる。ひたすらにじれったい様。
特に嫌いではない千石は、跡部がこちらを見ないのをいい事に軽く肩を竦め苦笑した。杏とは違う意味での特権。彼のこんな様を拝める輩はまずいないであろう。
天気の話でもするかのように、さりげなくかつ唐突に話題を持ち出す。
「ところでここに来るまでにちょっと寄り道して見ちゃったんだけど、橘さん、君の事『サイテー』とか言ってたよ」
「・・・・・・ほらな」
微妙に恨みがましい目線が刺さる。かなり慣れた感じの痛み。落ち込む人間を見るとどうも慰めるよりもより突き落としてみたくなる。
しかしながら、今回に関してはこれでも慰めるつもりである。―――というのを信じて欲しい。
「さっきの君みたいに顔真っ赤にして、泣くの堪えて怒ってる感じで」
「・・・・・・・」
「――――――でも拭わないんだね」
「・・・・・・?」
「本当に嫌ってたりもしくは何にも思ってない相手にされたらさ、普通拭ったり洗ったりしない? それこそさっきの君みたいに」
「ありゃてめぇが勝手にやりやがったから―――!!」
「ああ、誤解を招く台詞は『ここ』では止めた方がいいよ」
「・・・何言ってやがる?」
「ん? こっちの話。でも仮に前置き入れてたりしてたらやっぱ逃げてたでしょ? 君。
まあそれより―――
橘さんが怒ったのは、あんな人前でやってきた事と他の子と同じように見られた事でじゃない? 別に君とのキスや彼女になる事を嫌がってるようには見えなかったけど?」
「ンな根拠のねえ話―――」
「あれ? 橘さんの反応見てたらそうとしか思えなかったけどなあ」
恐らく自分が言う言葉に手一杯だった跡部は気付かなかっただろう。跡部と杏の会話が微妙に噛み合っていなかった事に。
「―――ホントか?」
ようやっと喰らいついて来た跡部。寄って来た彼の前で、わざとエサを引き上げる。疑似餌を引き上げ―――本物の『エサ』を落とす。
「俺じゃなくって橘さん本人に確認してみたら?
―――ねえ橘さん」
「なっ・・・?」
千石が、ふいに肩越しに後ろを向く。建物の裏に当たる壁を見やると、そこから・・・・・・
「杏・・・・・・」
「べ、別に立ち聞きしようとかそんな風に思ってたわけじゃないからね。ただ千石さんに『泣きたいんだったらオススメポイント教えてあげる』って連れて来られただけで」
「おい・・・」
半眼で千石を見つめる跡部。杏も同じく。
2対の瞳に見つめられ、千石は明後日の方向を向きぺろりと舌を出していた。
「特にウソとかは言ってないっしょ?
ま、ここから先は君達次第。俺も消えるから好きにしなよ。思いっきりケンカするもよし。もう一回やり直してみるもよし。コーチ達には適当に言っておくよ。
―――あ、任せて。俺のウソは見抜かれた事ないからv」
「まあ・・・人生全般が嘘みてえなヤツだからな」
「どちらかというと・・・、『本当』の方が見破れないような気がするんだけど」
「ひっどいな〜2人とも」
ハハハと明るく笑い、千石が2人に背を向けた。
「じゃあね。お幸せに」
茶化した一言。軽く手を振り去りかけた彼を―――
「ちょっと待って千石さん!」
「おい待ちやがれ千石!」
止めたのは、2人同時だった。
「ん?」
「え・・・?」
「あ・・・」
何とも言えない、間の抜けた空間が広がる。
「―――どうぞ」
促されるまま、これまた2人同時に問い掛けた。
「千石さん、いいんですか・・・?」
「何が?」
「何がって、そりゃ・・・」
「だって千石さんって・・・・・・」
「コイツの事、好きなんじゃねえのか?」
「跡部さんの事、好きなんじゃないんですか?」
「・・・あん?」
「・・・え?」
2人で言い、2人できょとんとする。
「何で俺が?」
「何で私が?」
「千石っつったら『可愛い女の子好き』じゃねえか。お前だってこの間声掛けられたんだろ?」
「それはただのナンパ対象でしょ? 千石さんあなたにキスしたじゃない」
「別にそん位コイツにとっちゃ対した事ねえからだろ?」
「大した事でしょ? 現に千石さんだって『好きじゃない人ならされてすぐ拭う』って言ってたじゃない。自分からするならなおさらでしょ?」
「そりゃ一般論だろ?」
「『一般』じゃないの・・・?」
「一般じゃねえだろコイツの感覚は。ンなモンと同類にされたら誰だって文句言うだろうよ」
「・・・・・・多分あなたに関しても同じ事が言えると思うけど」
「何か言ったか?」
「いいえ別に」
とんちんかんなやり取りをし首を傾げる2人に、
千石はくっくっくと可笑しそうに笑った。
「両方とも正解。でもって外れ。俺は自分がする恋愛には興味ないんだよね。遊び程度ならともかく。
まあ強いて言えば、跡部くんの方には興味あったけど?」
「ほら」
「胸張るポイントじゃねえだろそこは」
千石を指差す杏の頭を、跡部が軽く拳で叩いた。こんな事ももう普通になってしまった2人を、微笑ましげに、そして羨ましげに眺める。
「さっきの君の言い方を借りると、金と名誉はいらないから顔が欲しいってトコ?」
跡部の目が、ぎっと引き絞られた。ただの『暇つぶし相手』程度にならともかく、知り合い―――それも割と気を許している者にまでそんな風に見られていたのが不満だと、全身で語る。
無言の訴えに気付かなかった振りをして、
千石は跡部へと詰め寄った。まるで先程の再現のように。
今度は警戒して跡部も下がった。もちろん今度は壁のない方向に。
頬に指先を触れさせた程度で止まり、薄い笑みを浮べる。
「顔というか―――目にね。いつもは光り輝いちゃう位強いのに、ちょっとしたところですぐに消える。俺は君の目に光を・・・・・・本当の光をあげたかった。
でも―――」
薄い笑みはそのままに、今度は杏を見やる。
「――――――ちゃんと見つけたんだね、光」
手が下ろされる。再び去ろうとする千石を、今度は2人とも止める事は出来なかった。
「じゃあね。お幸せに」
その声は、別に寂しそうでも悔しそうでもなく。
その声は、本当に2人の幸せを願っているようで。
だからこそ、心の底から千石が想っていたことがわかる。
だからこそ・・・・・・
「あー・・・」
「えっと〜・・・・・・」
取り残され、お互い何をどう言えばいいのかわからず暫し無意味に呻き続け、
先に意味ある言葉を発したのは杏だった。
真横を向き、そっけない口調で、
「言っとくけど、私は別にあなたの顔だのお金だの名誉だのが欲しくて近付いたんじゃないからね。でもって私にはあなたの代わりはいないんですからね。そこんとこ、間違えないでよ」
「ああ・・・・・・」
応じる跡部の返事もまたそっけないものだった。
(せっかく一世一代の告白だったのに・・・)
やっぱちゃんと言わないとわからないのかしらこの人・・・などとさりげに失礼な事を考え首を戻そうとする杏だったが・・・
「きゃっ・・・!」
体ごといきなり拘束され、身動きが取れなくなった。
「な、何・・・!?」
慌てる杏。その耳元に、
不器用な、でも優しいキスと言葉が振ってきた。
「愛してる」
ただそれだけ。日々跡部に夢を描いている女性らからすればさぞかし幻滅の光景だろう。
だが、だからこそ、
その言葉は、100並べられた愛の詩よりも遥かに重い。
抱き締められた腕の中で、顔を上に上げる。驚く程近くにあった彼の顔には、自分だけに向けてくれる笑みがあって。
空いていた両手を伸ばし、跡部の頬を引き寄せ、
杏はとびっきりの笑顔で答えた。
「私も大好きよ、跡部さん」
―――Happy End
おまけ
「は〜あ。振られちった〜」
歌うように呟く千石。この様では、間違いなく誰が聞いても本気とは取らないだろう。
踊るようにステップを踏んで歩く。気持ちと言葉と雰囲気と態度と言動が全く一致しないのはいつもの事。彼の『ウソ』を誰も見破れない理由は簡単だ。彼自身ですら見破れないのだから。
どれが本当でどれが嘘なのか。それは彼にとってはどうでもいい事で。
コートの脇へと通りかかる。丁度今練習しているのは榊班らしい。
「あれ? どうしたの千石君。全体的におかしいけど」
「真昼間っから薬はやるなよ? せっかく規則ゆるゆるだってのに、先生達にバレたらきつくされるだろうが」
「あー不二くんサエくんい〜ところに! ちょ〜っと聞いてよ俺ってばさ〜―――!!」
「え・・・!? あのちょっと今はマズい・・・!!」
「バカ千石騒ぐなよ! 榊監督がこっち見てる・・・!!」
「―――不二! 佐伯! 千石! 練習中だぞ! やる気がないのならグラウンド10周走って来い!」
「グラウンドって・・・・・・どこだ? あったっけンなもの?」
「グラウンド走りって―――手塚じゃないんだから」
「ええ!? 俺もですか!? 俺竜崎班なんですけど!!」
「サボっていた者に班分けなど関係ない。サボっていた時点で全員同罪だ」
「うっそぉ〜!!」
「千石・・・。後でと言わず走ってる間覚えてろよ・・・」
「とりあえず・・・無事に走り終われるとは思わないでね・・・・・・」
「あの・・・、サエくん、不二くん。君達目ェマジなんですけど・・・・・・」
「当り前じゃないかv」
「そうだぞ。俺達『有言実行』がモットーだからなv」
「うわすっげー納得・・・」
「3人ともさっさと―――」
『行ってきま〜す』
こうして、振られた挙句走らされ、しかもそれが自分のみ生死をかけた『障害物』レースとなった、まさしく千石にとっては泣きっ面に蜂的1日は過ぎ去っていった。
そして次の日―――
「ねえねえ。俺とどっか遊び行かない? いろいろ案内してあげるよv」
「ええ? ホント?」
「うんうんvv」
「じゃあ、お願いしよっか?」
「マジ!? ラッキ〜♪」
桃城に6−3で勝ち、でもって通りかかった女の子らをナンパする千石を見かけた恋人歴1日の2人は、
「な〜んだ。心配して損しちゃった」
「ま、アイツはああいうヤツだからな」
「じゃあ、私達も心置きなく幸せになりましょうね」
「ああ? 当然だろ? なあ」
―――こちらも Happy End
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
暫く更新が止まっていました。そして挙げた話が跡杏というかノーマルCP。他の話の後書きだの語り隊だの読まれた方、もしかしたら気付かれたかもしれません。そう―――テニプリゲーム史上最も妄想力を掻き立てるドリームゲームこと『最強チームを結成せよ』をやっていました。いろいろ言いたい事は多すぎです。ですがそれはともかくとして、やりました杏ちゃんハーレム(本当にこれがチーム名だったりする)。杏ちゃんをリーダーに、跡部・千石にあと桃と神尾誘って。でもって跡部と千石のみ構い倒していたらチームの友情度49%。間違っても『一丸の思い』など発動しません(代わりに杏・跡部・千石の3人のみ応援してくれるためむしろメチャクチャ嬉しいですが)。さらにラブラブ度もとい個人間の友情度は、今回珍しくMAX100%で杏ちゃんモテモテ。跡部と千石両方から100%受けてたり。ただし杏からは跡部に95%、千石に85%。現在相思相愛になるよう2度目にチャレンジ中。一応出来ましたがなぜか跡部と神尾がむやみに仲良くなって友情度30%越したりしてしまったのでやり直し決定(神尾から跡部へは初期3%。ベカミFanは泣いただろうなあ・・・。しかしさらに下げるとこのようなイベントが発生したりするようです)。しかもその前は跡部と神尾が喧嘩して、なぜか跡部がチームから去るとかいうざけんな的展開になったり。どうも上手くいかないもんです。あ、ちなみに跡部と千石間も最初70%、2回目は大会前(その後変化はなし)にて99%。惜しい! 杏がらみでせっかく2回目は100%相思相愛になったのに!! でも限界を感じ落ち込む跡部と千石を慰める杏。苦笑しながら「おせっかいが」などと言われて鼻血ものです。
そして千石→跡杏。ちょっぴり千石が不幸ちっくですが、これはこれで幸せかな〜、と。そういえばこの展開・・・以前佐伯→跡不二でやろうとして失敗したのと被ってるなあ。千石さんの方が私の中では大人なのか、それとも私の愛情が足りないのか(どっちにとは言いませんが)。でもって最初の計画ではキスして終わりの筈でした。それだとすわりが悪いかなあ、となんとなく千石→跡部も入れてみて、本当はその後杏と千石の会話も入れるはずでした。無理矢理再び迫った千石。今度は跡部も殴って逃げて、その様を陰で見ていた杏と・・・といった具合に。抜いたのは途中で飽きたから―――もとい長くなりそうだからですええ決して飽きたわけじゃないさちくしょう!!
2004.11.2〜3