最近俺は学校と部活の合間を縫って、ちょくちょくストテニ場に通っている。
 もちろんテニスをやるため―――じゃない。ンな所にわざわざ行かなくても学校然り家然り、どこにだってコートくらいはある。
 最近俺はストテニ場に通っている。理由は―――


 ――――――とある女にテニスを教えるためだった。







 最近私はしょっちゅうストテニ場に通っている。今までもそうだったけど、最近は特に。
 ワケは幾つも挙げられる。お兄ちゃんは今不動峰のみんなと全国目指して忙しいし、それにストテニ場に行けばいろんな人とテニスが出来るし。・・・・・・まあ、言い訳としてはこんなモノかしら。
 最近私はストテニ場に通っている。理由は―――


 ――――――とある男にテニスを教わるためだった。










Let's Step It!






 「よお杏ちゃん。今日も早いじゃねえの。精が出るねえ。
  それとも、俺様に早く逢いたかったか?」
 「冗談! 誰がよ!!」
 ストテニ場にて、学校帰り樺地も連れずにやってきた―――そしていきなりンな暴言を吐いてきた跡部へと、杏は思い切り怒鳴り返した。確かに跡部を待ってはいた。既にウェアに着替えて、準備運動も完璧で。意味そのものは跡部の言葉でも間違ってはいない。だがあくまでそれはテニスを教わるためであり、決して彼の言葉通りの事情ではないええ決して!
 (そうよ! 今日こそこのにっくきキザ顔にボールをぶち当てるんだから!!)
 杏は現在跡部に教わっている・・・・・・と一言でまとめると疑問しか湧かないこの事象。だがこれには立派な経緯があった。
 話は少し前に遡る。







・     ・     ・     ・     ・








 その日もストテニ場に来ていた杏。しかしながら相手は誰も見つからず、仕方ないので1人で壁打ちなどをしていた。と、ここで事件が発生する。
 「あ! やっちゃった!」
 ヒュッ―――!
 「ん?」
 ばしっ!
 「・・・・・・おっと」
 力加減の失敗で飛んでいった(八つ当たりで吹っ飛ばした)ボールが、たまたま同時刻おおむね同じ場所にいた跡部の顔面にぶつかりかけたのだ。もちろん彼がそんな爆笑確実のことをやる筈もなく、しっかりと前に差し出した手で受け止めはしたのだが。
 ゔ・・・! と呻く杏にお構いなしに話し掛けてくる跡部。からかい
10割その他0割としか聞き取れないからかいに杏が苛立っていたところ、跡部は自分の中で何をどういう流れを経たかテニスの指導をしてやると言い出した。もちろんお断りだったのだが、「兄貴なんかよりよっぽど上手く教えてやるぜ」だのと兄を侮辱された挙句、「どんな女でも、困ってるのを見捨てるのは俺様の美学に反する」だのなんだの、ワケがわからない台詞とともに杏はあえなくコートへと連れ去られ―――そして『指導』された。それも、
 (すごく上手い。この人・・・・・・)
 よくよく考えればこれでも氷帝
200人を束ねる部長だ。その上テニスに関しては全国区だ。指導が上手くて当然かもしれない。だが・・・・・・
 (私に・・・合ってる・・・・・・?)
 もちろん兄の指導は上手いと思う。実際自分がここまでなれたのは兄のおかげだ。だが・・・・・・
 最近、兄の指導に物足りなさを憶えているのもまた事実だった。
 (お兄ちゃんは、いつまで経っても私を子ども扱いしてるのよね・・・・・・)
 『お前にはまだ無理だろう?』
 そんな言葉で、決められる自分の限界。そりゃ多分出来ないのだろう。兄に比べれば自分などまだまだ素人だ。出来ない事は多い。だが、
 ―――もしかしたら出来るかもしれないじゃないか。
 (私だって日々上達してるのよ・・・・・・!)
 跡部の教え方は、見事に逆だった。
 『アーン? ンな事も出来ねえのか?』
 逆の意味での限界点の設置。悔しくてたまらなかった。悔しくて悔しくて、絶対この鼻での笑いを改めさせてやると心に固く誓って―――
 ―――終わりの頃には、本当に出来るようになっていた。
 冷静に考えれば上手い方法だ。自分の性格くらい熟知している―――とまではいえなくとも、少なくとも勝気で負けず嫌いな事くらいは。でなければ出会ってそうそうこの男にケンカを売ったりなどはしなかった。
 今まで周りにいる人間はそれを必死に抑えようとし(一部というか1人例外あり)、そして跡部はそれを煽り立てた。今まで誰もしなかった、そんな方法。
 「もう日が暮れちまったな。今日はこの程度にするか。
  じゃーな。気を付けて帰れよ」
 「え・・・・・・?」
 それだけ言って、跡部が背を向けた。軽く上げられた手に、思わず杏もまた手を上げる。挨拶ではなく、止めるように。
 「あん? 何だよ」
 「あの・・・えっと・・・・・・。
  ―――本当に、教えただけ・・・・・・?」
 「ああ? 最初っからそう言ってんだろ? 他に何があんだよ」
 「だって・・・・・・あなたそれで全然得してないじゃない」
 こんな時間いたからには、今日は部活のない日なのだろう。氷帝のような強豪の、それもレギュラーを通り越して
No.1となれば、練習はほぼ毎日の筈。その合間にあるたまの休みを、こんな事に費やして。
 てっきりその礼にデートしろだの無茶な事を言い出すのだと思っていた。なのに・・・・・・
 疑問げに、心配げに見上げてくる杏。その胸の内は―――もちろん跡部は全てお見通しであった。ついでに礼の話を自ら持ち出さないのは、それで思い出されるのが嫌だからという辺りまで。
 跡部は暫し杏を見下ろし、
 鼻ではなく、口元で笑った。
 「言っただろ? 『困ってる女を見捨てるのは俺様の美学に反する』って。他に何か必要か?」
 「え? え、いえ・・・・・・」
 「それとも―――
  ―――教えてやった礼にデートでもしてくれるってか? それならいつでも大歓迎だぜ?」
 「いいえ絶対嫌」
 「即答かよ・・・。ま、お兄ちゃん代わりにだったらとか言ってくるよりゃマシか」
 ため息をつく跡部に、杏も以前の事を思い出す。兄との待ち合わせの最中またも跡部に絡まれて、途中で来てくれた兄が助けてくれた・・・・・・まではよかったのだが、何を思ったのか自分がデートの相手になると言い出したのだ。さすがに跡部も固まって辞退したが。
 噴出しつつ、尋ねる。
 「へえ、やっぱりあなたもお兄ちゃんとのデートは嫌なの?」
 「そりゃ嫌に決まってんだろ? なんで俺様が男とデートなんてしなきゃなんねーんだよ」
 「それもそっか。あ〜あ。よかった」
 「あん? 何でだ?」
 「だって、あなたも一応人並みの感覚はあったんだなって」
 「てめぇ・・・。いい度胸してんじゃねえか・・・・・・」
 「そう? ありがとう」
 「・・・・・・・・・・・・くそっ」
 にっこり笑いかけてやれば跡部は髪を掻き上げ外方を向いた。微妙に拗ねているのか、唇が僅かに尖っている。
 (ちょっと可愛い・・・・・・?)
 そんな事はおくびにも出さず、杏はにっこりと笑ったままこんな提案をした。
 「いいわよ? 『デート』」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あん?」
 余程予想外だったか、跡部の返事が綺麗に
10秒遅れた。
 「何つった? 今」
 「あら? もう耳遠くなった?」
 「なってねえ。内容の確認だ」
 「じゃあもう一度。『いいわよ? 「デート」』。
  ただし場所は今日と同じ。やる事も同じ。で、どう?」
 「つまり・・・・・・これからも面倒見ろって事か?」
 「『デート』でしょ? テニスでデート。今日のは以前の賭けの分ね。言った事は守らなきゃv」
 「・・・・・・・・・・・・」
 めちゃくちゃな理屈をさも当然のように言ってくる杏。変わらぬ笑顔をさらに
10秒凝視し、
 跡部も堪えきれずに噴出した。
 「俺様にンな取引持ちかけてくる女なんててめぇが初めてだ。
  いいぜ? テニスでデート。日時もこのまんまでいいのか? つっても他の日ならさすがに無理だぜ? 部活がある」
 「あ、オッケーオッケー。その辺りはよくわかってるわ。じゃあこのままで決まりね」
 「『デート』。申し込んできたのはそっちだぜ? 遅れるんじゃねえぞ?」
 「レディを待たせるなんてそっちの方が失礼でしょ? あなたの方こそ遅れないで来なさいよ?」
 「よく言うぜ」







・     ・     ・     ・     ・








 「今日こそ絶対1ゲームは取るんだからね!」
 「アーン? ンな事言ってんのはどの口だ? 1ポイントも取れねえクセに俺様から1ゲームでも奪おうなんざ
10年は早ええ」
 最早この『デート』が始まって何度目になったか。などなど今日もまたもの凄いケンカ腰で周りを引かせつつも、2人は実に楽しそうだった。







・     ・     ・     ・     ・








 さて、さらに何度か経ち。
 はあ・・・。はあ・・・・・・。
 「あ〜よかった。まだ来てないわね。
  全くもう、走ってきて損しちゃった」
 いつも通りテニスバッグを肩から下げストテニ場に飛び込んできた杏。違うのは息が荒く既に体を温める必要がないという程度か。
 何度も会う内に跡部についてわかった事がいくつか。とりあえずそのひとつとして、彼は最初に自分が言った台詞を忠実に守っているらしい。それとも、それこそ『俺様の美学』によりか。どちらにしろ、約束の時間より確実に早く来る。おかげで自分が来たら既に跡部が待っていたという事もざら。
 (でも、そんなので借りは作りたくないしね)
 だからこそ、いつしか自分も学校が終わるなりダッシュで来るようになっていた。まるで本当のデートの約束であるかのように。
 「ってやだなあ。ホントのデートだなんて、そんなワケないじゃない」
 思わず口に出して笑う。跡部には兄の代わりにテニスを教えてもらっているだけだ。なんで自分があんな男と・・・・・・。
 「ま、とりあえず練習練習。今日こそ絶対―――!!」
 と意気込む彼女へ―――
 「あれ〜? 彼女ひっとり〜?」
 そんな口調で話し掛けてきたのは、もちろんかの俺様男ではなかった。







・     ・     ・     ・     ・








 「・・・・・・・・・・・・。だったら?」
 
YesともNoとも言いにくい質問。一人ではないが、あの男とセットのように扱われるのもどうかと思った。
 振り向き逆に問う杏。そこにいたのは、大学生程度の男2人だった。このストテニ場はよく通い、大体みんなとも顔見知りだった―――が、この2人組の男は初めて見た。
 小さく驚く杏に、男達も小さく驚いた。驚き、目配せをする。向こうは向こうでこちらを見るのは初めてなようだ。目配せの意味は、『けっこう上物。どうする?』。
 話し掛けてきたのとは違う方が、肩を竦めて軽く笑った。一言で曰く下品な笑い。
 「そりゃもちろん、俺達と遊ばない?」
 「1人じゃサミシイでしょ? それに、テニスは独りじゃ出来ないスポーツだよ?」
 からかい2割に媚び3割、それでありながらどうせ自分達の誘いは断らないというふてぶてしさ4割にその他1割。全体的にごちゃごちゃ混ざったそれには反吐が出そうだ。真面目に相手するだけ馬鹿を見る。
 「あなた達に興味はないわ。じゃあね」
 完全に切って捨て、さっさとバッグを片付ける。誰か知り合いのところへ行けばさすがにそれ以上声はかけてこないだろうと、軽く手を上げ立ち去ろうとした、その手を、
 ガシッ―――
 「―――何かしら?」
 「おいおい。その態度はあんまりじゃないの?」
 「せっかく誘ってあげてるんだからさ」
 「だから返事はしたでしょ? それに相手してくれる人だったらいくらでもいるんだからいいわよ」
 「そうそう怒るなよ」
 「可愛い顔が台無しだぜ?」
 「別にあなた達に可愛く思われたくはないわ」
 ぴしゃりと言い切る杏に、男達も一瞬引いた。その間に手を振り解き歩き出す。と、今度は、
 「待てよおら!」
 「きゃっ・・・!」
 ガッ―――!!
 肩を掴まれ、バランスが崩れる。まるで男の胸に抱かれるような格好に、杏がモロに嫌悪感を露にした。
 「ちょっと可愛いからって下手に出てやりゃつけ上がりやがって・・・・・・!!」
 「いつ私が下手に出ろなんて言ったのよ!」
 「女なら女らしくしおらしくしろってのクソ・・・。ンなのじゃ男来ねえぞ」
 「余計なお世話よ! そんな事しなきゃ来ない男ならそもそもいらないわ!」
 「このアマ・・・!!」
 振り上げられる手に、杏は体を竦ませた。これだけタンカを切ったのだから1発2発は覚悟していたが、さすがに実際喰らいそうになると覚悟も揺らぐ。その傍らで、思わず助けを期待してしまう。
 (いつもなら、こんな時は・・・・・・!)
 思う、杏の耳に届いたのは・・・
 クックックックック・・・というとことん人をバカにした笑い声だった。
 再び体を引かれ、目を開く。振り下ろそうとした男の手首を掴んで止め、杏の体を抱き寄せたのは―――
 「よお杏ちゃん。相変わらずケンカっ早いねえ」
 「跡部さん!?」
 待ってはいたが全く思ってはいなかった人物の登場に、目を見開き驚く杏。それをやはり笑ったまま見下ろし、跡部は他に特に何をするでもなく会話を続けた。
 「おいおい何だよ。ンなに俺様が来ちゃ疑問か? 待ち合わせてんだから居合わせて当然だろ?」
 「だって・・・、あなたっていつも騒ぎ引き起こす側でしょ?」
 「ンな事ねえだろ?
  それに言ってんだろーが。『困ってる女を見捨てるのは―――』」
 「はいはい。『俺様の美学に反する』ね。とりあえず助かったわ。ありがとう」
 「礼はもっと心込めて言うもんだぜ?」
 「言っただけまだマシでしょ?」
 「ま、そりゃそうだな」
 「・・・・・・?」
 てっきり言い返してくるかと思っていたのに。
 あっさり引かれ、ちゃんと礼を言う機会を逃す。が、跡部があっさり引いたのはもちろんそれなりの理由があったからだった。
 「テメエ、何しやがる!」
 すっかり忘れていたが、絡んできていた男達がようやく事態に追いついてきたようだ。手を振り解こうとするのを先に振り解き、それこそ相も変わらずの笑みで跡部が見やった。
 鼻で笑い、
 「別に俺は何もしちゃいねーだろ? 勝手にてめぇらがナンパ失敗しただけでよ。
  ひとつ忠告しといてやるよ。八つ当たりは最高に格好悪いぜ?」
 「このヤロ・・・、中坊のクセに舐めた口聞きやがって・・・!」
 「女も女なら男も男ってか・・・!?」
 「ちょっと待ってよ! なんで私がこの人の女なのよ!!」
 「アーン? 俺様の女って事はそれだけで名誉あるモンなんだぜ? ありがたく思いな」
 「なんでよ!」
 「なにせ俺様は心が広いからな。別に跳ねっ返りだろうが威勢がよかろうが構わねえぜ?」
 「だから余計なお世話よ! ああもう! 大体どの時点から話聞いてたのよ!」
 「おおむね最初からだな。いろいろ笑わせてもらったぜ」
 「はあ!? だったらさっさと来てくれたっていいじゃない!!」
 「別にいいじゃねえの。元々手なんか上げなけりゃ出る気なかったしな」
 「最低! それであなた男なの!?」
 腕からはとうに体を起こし、それでも鼻が触れそうなほどの至近距離へとわざわざ背伸びして近付き吐き捨てる杏。
 そんな彼女へ、今度は跡部がぴしゃりと言い切った。
 「『女らしく』は嫌なんだろ? だったら『男』の観念も変えるんだな。
  俺は自分で何にもしようとしないでただ助けだけ待つ『女』は嫌いだ。男女関係なくな。自分でやれるだけの事を全部やった上でなおかつ助けが欲しいんだったらいくらでもくれてやる」
 「あ・・・・・・」
 ひとつだけ、わかったような気がする。跡部が氷帝の頂点に立つ理由。実力だけではなく、全ての意味で。
 彼は決して自分の下の者たちを支配してはいない。むしろ彼が土台なのだ。彼という存在があるからこそ、部員たちは思う存分自分を伸ばせる。だからこそ部員たちはそんな彼を敬い、結果として彼が『支配』しているように見えるのだ。
 黙りこくる杏に代わり、忘れ去られていた男達が会話に戻ってきた。
 「テメエ、俺達にケンカ売ってきたからにはどうなるか、わかってんだろーなあ」
 「ああ? 売ってきたのはてめぇらだろうが。てめぇの行為の責任くらいはちゃんと負え」
 「ふざけんじゃねえ!
  ―――そうだな。丁度ここはテニスコートだ。俺達とテメエで勝負しようぜ。俺達が勝ったらテメエの女好きにさせてもらうぜ」
 「ああ、中坊ってことでハンデくらいはしっかりやるからそうビビんなくていいぜ? 俺達は優しいからなあ」
 「ほお・・・・・・」
 男達の言葉になぜか悩む跡部。自分が勝手に賭けの対象にされる事には何か思わないでもなかったが、それ以上に、
 (大丈夫かしら? そりゃ彼は全国区だし強いっていうのはわかってるけど、相手は大学生よ? しかもある程度はテニス慣れてるみたいだし・・・・・・)
 跡部のためらいをそう考えた杏だったが―――実際はかなり違った。
 こちらを見上げる杏を反転させ、頭を押し前に突き出し跡部は返事をした。
 「いいぜ? その勝負受けてやるよ。ただしハンデの代わりにこっちの条件を呑んでもらう。
  そもそもてめぇらにケンカ売ったのは俺じゃねえ。コイツだ。なら勝負するのもコイツってのが筋だろ? 俺はその手助けに回る」
 「つまり・・・・・・ダブルスってか」
 「丁度いいな。俺らも2人。お前等も2人。ま、せいぜい愛のコンビネーションでも見せてもらおうか」
 意外なほど簡単に快諾され、下卑た笑いを残し男達はコートへと向かった。ケンカの雰囲気は誰もが察していたため、コートはすぐさま空けられた。
 一方残された2人は。
 「ちょっと! 何勝手に決めてんのよ!」
 「てめぇが始めたケンカだろ? てめぇでちゃんとカタつけやがれ」
 「そん・・・なこと言ったって、相手大学生じゃない」
 「だからどうした?」
 「どう・・・って、そりゃあなたならまだいいわよ? でも私はどうするのよ。ボロ負け決定じゃない!」
 いつもの強気な様子はどこへやら、不安を通り越して悲観に暮れた顔をする杏をつまらなさそうに目を細めて見下ろし、
 「痛っ!」
 跡部は皺寄る額に指を突きつけた。
 「何するのよ!!」
 多少後ろに仰け反りつつもすぐに戻ってくる杏に、指を突きつけたまま言い放つ。
 「てめぇは今まで俺様に何教わってきたつもりだ? 英語か? 野球か? 音楽か?」
 「違うわよ! ついでにペン習字でも五目並べでもカーリング(笑)でもフラダンスでもないわよ! テニスよ!!」
 「またマニアックどころを・・・・・・。
  俺様にテニス教わったんだろ? だったら何気弱になってやがる。
  丁度いい腕試しじゃねえか。利用できるモンは何でも利用しとけ」
 「またあなたはあなたで合わない台詞を・・・・・・。
  でもいいわよ。あなたの指導の腕、試してあげる」
 一応突っ込み、杏は話しながら目元まで下ろされた指を見据え、口端を軽く上げてみせた。
 それこそいつもの強気な笑み。見つめる跡部の表情も変わった。
 『テニスでデート』などとメチャクチャな事を言った時の、あの笑みで。
 「ならさっさと行くぞ。オラ、準備ちゃんと出来てんのか?」
 「それを言うならあなたの方だと思うんだけど・・・・・・」
 跡部についてコートに入ろうとし、ふとそれに気付いた杏が質問した。
 「ところで今更なんだけど・・・・・・、
  ―――あなたダブルス出来るの?」
 「あん?」
 やはり思い出すは自分にいろいろ優しくしてくれる青学の桃。初めて見た時の彼のダブルスはボロボロで、玉林戦後またストテニ場で、今度は神尾とダブルスを組んだ時は「ダブルスは得意分野だ」などと言ったからてっきり進歩したのかと思いきややはりボロボロで。
 ―――しかしその時彼らと対戦していた跡部はもっと凄い事をしていなかったか? お供の樺地に任せ1人高みの見物。そういうと聞こえはいいのだが・・・・・・。
 跡部が振り向き・・・・・・3秒ほど時が止まる。
 半眼で見やる杏の前で目を瞑り、またも鼻で笑い、
 「フッ。俺様に出来ねえ事なんてあるワケねえだろ?」
 (出来ないのね・・・。本気で・・・・・・)
 つまりあの時樺地に任せていたのは高みの見物とかそういう事では決してなく、ただダブルスが出来なかったかららしい。どころかヘタをすると・・・・・・途中で切り上げたのは桃を認めたからではなく、散々挑発してくる2人に対し、絶対自分はやりたくなかったからではないだろうか・・・・・・?
 「どうした? 頭なんて押さえやがって」
 「いえ・・・。ちょっと頭痛がしただけ。気にしないで」
 「そうか?」
 「ええ・・・。そう・・・・・・」







・     ・     ・     ・     ・








 始まった試合。第一ゲームは跡部のサーブ。絶望への前奏曲でサービスエースの4連打。あっさり1ゲームこちらに入った。
 次いで2ゲーム目。男達側のサーブを最初に受けたのは跡部だった。危なげなくリターンし、どころか相手のペースを崩すライジングショットにこれまたあっさりポイントが入る。
 「やる〜♪」
 「当然だろ?」
 先程の心配はどこへやら、『シングルス』における普通の安定した強さ―――つまりは絶対的強さに、杏も声をかけた。性格は気に食わなかろうが、テニスプレイヤーの卵としてはやはり強い人は単純に凄いと思う。それも自分が知る中で兄に並ぶかあるいはそれ以上であるとなれば。
 「次はお前だぞ」
 「大丈夫よ! 任せて。そのためにあなたに教わってきたんでしょ?」
 「クッ・・・。なら教えてやった成果はしっかり見せろよ?」
 「もちろん」
 相手はやはりある程度はテニスをやっているのだろう。第一ゲームは無視するとして、さっきの男のサーブはなかなかスピードも重さもあった。
 同じ程度のスピードと重さを誇るサーブを、
 「んあっ!」
 掛け声と共に、杏もまた危なげなく返した。これはこれで予想外だったらしく、またしても見送られ得点が加算される。
 「やるじゃねえの」
 「当然、でしょ?」
 「よく言いやがるぜ」
 「あなたに教わってきたんだもの。それにあなたの馬鹿力にいつも付き合わされてるからね」
 「なら―――このまま行くぜ」
 「モチ」







・     ・     ・     ・     ・








 その後の試合は、本当に跡部・杏ペアの一方的なものととなった。杏がこれはまともに教わったジャックナイフというかスイッチブレードというかをやってきたと思えば、跡部が杏の必殺技であるフェザードロップで不意をつく。なおフェザードロップとは現在杏が唯一兄に、そして跡部にでも効果を見せられる技で、なんとラケットを振るとその風圧で球が逃げるという謎のドロップショットだったりする。
 そして、
 「破滅への輪舞曲! 踊ってもらうわよ!」
 『な・・・・・・!!』
 そう言い本当に破滅への輪舞曲を喰らわせる杏に、跡部含め周り全員が驚きの声を上げた。
 「・・・・・・なんでてめぇがンな技使いやがる。そりゃ俺様の必殺技だろ?」
 「あら? 弟子って師匠の技盗むモンでしょ?」
 「・・・・・・・・・・・・本気でよく言いやがる」
 「ありがとうv」
 「誉めてねえ」
 そんなこんなで、終わってみれば結果は6−0の跡部・杏ペアストレート勝ち。心配だった―――それこそ本当に線でも引いて阿吽戦法やろうかとまで思っていた跡部のダブルスも思ったほどは問題もなく(多少はあった。が、それこそ『俺様の美学』なのかとりあえず杏にボールがぶつけられることはなかった。逆に杏は跡部に4度ほどぶつけたが。なおこれは故意ではなく事故で)、男達も自分達との実力差にあっさりと引いていった。
 再び静かになったストテニ場にて。
 「今日は、本当にありがとうね」
 杏は先ほど言い損ねた礼を、今度は口先ではなく心から言った。助けてくれたこともそうだが、その他いろいろも含めて。
 「正直、今日のあなたカッコよかったわよ」
 ヒロインを助けるヒーロー的な『カッコ良さ』ではなく、それこそ子どもが成長するための道標たる親のカッコ良さ。氷帝のみんなが彼についていく理由がよくわかった。
 「あん? 何今更な事言ってやがる。俺様の格好良さなんて一目でわかるもんだろ?」
 「今日まで全然わからなかったわ」
 「てめぇ・・・・・・」
 にっこりと微笑む杏に呻く跡部。それこそこの『テニスでデート』が始まってからずっと変わらない2人の関係。
 「ま、何にしてもとりあえず自分の実力はわかっただろ?」
 「ええ。ついでにあなたにはまだまだ届きそうにないこともね」
 あの男達に勝つことで、同時に判明した事。今だに跡部には全く歯が立たない。デート―――というか指導を始めた時と同じように。だからこそ今まで、何かが変わったという自覚はこれっぽっちもなかったのだが。
 「私の実力に合わせて実力セーブしていってるんでしょ? その内絶対全力出させるからね」
 「面白れえじゃねえの。兄貴とお前と、どっちと先に本気でやるか楽しみにしてるぜ。なあ、
 「え・・・?」
 いきなり変わった呼称に、頷くのも忘れ声を上げる。向こうはそんな疑問点を察したようで。
 「何だよ。『杏ちゃん』っつーと怒るから普通に呼んだだけだろ? それとも桃城みてぇに『橘妹』とでも呼ぶか?」
 「というか私が怒ってたのはあなたの馬鹿にするみたいな言い方にだったんだけどね・・・・・・」
 『杏』。頭の中で反復させる。いい、ような・・・・・・気がした。
 「ま、いいわよ杏で。橘妹じゃ長すぎでしょ?」
 「そう来ねえとな。んじゃ、遅くなっちまったが『デート』始めるとすっか」
 「ええ!」
 改めてコートへと向かう2人を、初夏の爽やかな風が撫でていった。



―――Happy End













おまけ

 「でも跡部さん、なんで私にテニスの指導しようなんて思ったの? ああ、『俺様の美学』云々はもういいから」
 「・・・・・・・・・・・・。別に理由なんて必要ねえだろ?」
 「あるわよ。1回ならともかく何回も付き合って」
 「そりゃ『デート』の約束だからな」
 「だけ?」
 「つまりなんだよ?」
 「だって跡部さんならそれこそ本物の『デート』の誘いなんていくらでもあるでしょ? 毎回試合の度に応援凄いじゃない」
 「ほお・・・。よく知ってんじゃねえの」
 「そりゃあれだけ騒がれてればね」
 「で、ヤキモチってか? 可愛いじゃねえの」
 「誰がよ! ただちょっと・・・・・・
  ・・・・・・それこそ私なんて女の子らしくないし、普段からみんなに『もっと女らしくしろ』って言われてるし・・・・・・」
 語尾を窄めていく杏。その頭に、ぽんと手が乗った。
 「言っただろ? 俺は別に跳ねっ返りだろうが威勢がよかろうが構わねえって。
  いいんじゃねえの? 『自分らしく』ありゃ」
 「跡部、さん・・・・・・?」
 それはずっと欲しくて、でも誰もくれなかった言葉。まさか彼に言われるとは・・・・・・。
 それこそ『自分らしい』の見本品。だからこそその言葉には説得力があった。
 「それに―――」
 跡部が何かを続けようとしたところで、
 「あ〜! あっとべくんのデート現場はっけ〜ん!!」
 「ひっど〜い跡部ってば!! 僕ってものがありながら!!」
 「ほら周ちゃん、こんな最低男は放って置いて、俺とどっかいこうね」
 「ぐっ・・・・・・!!」
 「不二さん! と、千石、さんでしたっけ? それに・・・えっと・・・・・・」
 「あ、会うのは2回目だね。
  前回は何にも言えなかったけど、俺は六角中テニス部の佐伯虎次郎。よろしくな。君は?」
 「こちらこそよろしく。あの時はありがとうございます、相手してくれて。私は橘杏」
 「ああ、もしかしてあの不動峰の?」
 「ええ。その橘の妹です。よくわかりましたね」
 「テニス上手かったからさ。もしかしたらそうかな? って思って。
  で、今日はどうしたんだ?」
 「跡部さんにテニス教わってたんです」
 「へえ。専属こき使いコーチか。いい判断だね。実力だけはあっただろ?」
 「あはは。上手いねサエ。あと教えるの上手いんじゃない?」
 「え〜! でも跡部くんず〜る〜い〜!! 俺にも教えて〜〜〜!!」
 「て、め、ぇ、ら・・・・・・
  ―――いい加減俺様の上からどきやがれ!!」
 ばん! と後ろからのしかかってきた3人を跳ね除け起き上げる跡部。3人は3人でもちろん跳ね飛ばされる事もなく、バランスを取り適当に後退しつつ、
 「わ〜い跡部が怒った〜♪」
 などと言うだけ言い、追いかけられる前に走り去っていった。
 「・・・・・・・・・・・・ええっと」
 「当て逃げか? あいつ等は・・・・・・」
 呆然と、3人が逃げていった方向に首を向け呟く杏。跡部も気分だろうが服を払い、
 「まあ、こういうのが身の回りに多すぎるおかげで大抵のヤツがえらく普通に見えるもんでな」
 「そう、ね・・・・・・」
 立ち竦む2人へと、日本の夏特有のむわっとしたあっつい空気がのしかかった。



―――Real End











 はい。以上、マイナー極まりないでしょうがとりあえず虎跡よりはメジャーであろう、そんなものっそひっくいラインでの対決が出来そうな跡部×杏話でした。既にUpされている話は桃杏なのですが、ぶっちゃけ不二リョ以下略の数合わせでなったという意味合いが強く、さして好きだったというか好き嫌いの論点で話せるほどハマってはいなかったりしました。いや杏ちゃん単体では好きなのですが、単体だと話が進まずごふんがふん。それが一転、PS2ゲーム『キスプリ&ラブプリ』及び『S.H!2』をやって以来跡部×杏が凄い好きになりました。私テニスでのノーマルCPはどうもゲームにより培われるようで、最初に好きになったリョーマ×朋香むしろ何もしないうちは逆か? は『SWEAT&TEARS』でハマりました。機会があればそっちも話書きたいなあ。
 ではそんな妙な方向にあっつい会話は語り隊にでも載せるとしまして、この話を終わりにします。ちなみに杏ちゃんの私的イメージというと、桜乃のようなあんまり女の子女の子した感じではなく勝気で強気な子悪魔ちゃんでいって欲しいなあ、という感じで。なので1番彼女らしいのは跡部やら千石やら相手に張り合ってる時・・・・・・というワケで今後杏ちゃん絡みの
CPというか杏ちゃんとよく絡む人は、跡部か千石かになりそうです。
 そういえば跡部、すでにどこかで語ったような気もしますが、私の中では理想の上司です。こういった人の下ではよく伸びると思います。ただし合う人は。杏ちゃんやら裕太やらの負けず嫌いな性格の人は本当によく伸びそうだ・・・・・・。

2004.3.3031


P.S.
 そういえば、タイトルの『
Step it』。『歩調を合わせる』という意味があるそうです。そして同時に『踊る』という意味も。跡部が杏ちゃんに歩調を合わせる感じで。でも絶対同じスピードにするのではなく、わざと先にいって振り向いては何か言い、怒った杏ちゃんが走って追いついて来たところでまた歩き出して―――って全然歩調あってないじゃん。ちなみに『踊る』の方。そんなワケで杏ちゃんが途中でフラダンスの話してたり。見ようによってはここがタイトルのオチでした。なのにその前のカーリングで笑いがついているのは・・・・・・アニプリネタですね。どこぞ天才が球技大会でやっていた、というか何で青学は球技大会の種目にカーリングが・・・・・・?
 そしてサエと杏ちゃんの会話、ラブプリ絡みの会話だったのでそのままの設定でいきました。なお杏ちゃんはこれまたまだ全員とはやっていませんが、出会う中でのわりと大多数の人にテニスの相手をしてもらうみたいですね。本文中の跡部の如くボールぶつけられた出会いにより。