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5人が走っていって30分ちょっと。その間にももちろん練習は行なわれてたけど取り分け大した事はなかったから省略するとして。
「―――あー、いい汗かいたね」
聞き間違え様のない爽やかな声にフェンス入り口を見てみると、戻ってきてた兄貴がフェンスにかけておいたタオルを取って汗を拭くところだった。
―――『戻ってきてた』?
確かここのグラウンドは1周200m。それが50周だから10km。それを30分程度って言ったら1km3分ちょい。・・・・・・陸上選手並じゃねーか。
「いい汗っスか? 俺はむしろテニスで汗かきたいっスよ」
「まだ時間は十分にあるし、今からでもかけるんじゃないかな?」
越前と乾さんも走り終わったらしいんだけど・・・・・・本気で走ってきたのか訊きたいくらい平然としてるし。いやまあさすがに息は上がってるけどさ。
「―――英二、大丈夫か?」
「ふ、ふにゃ〜、もーダメ〜。ってゆーかみんにゃ速過ぎ〜〜〜・・・・・・」
フラフラでいつもの猫語ってよりろれつの回ってない菊丸さんを見て、やっと本当に走ったらしいとわかったけど―――介抱してる大石さんは大石さんで平気そうだよなあ。
「やだなあ英二。最初にペースを上げたのは君でしょ?」
「け、けど最後までそのままじゃにゃくてもいいじゃん〜・・・」
「だが菊丸、辛い事は早めに終わらせた方がいいだろ?」
「だからってペース上げたらよけー辛いだろ〜・・・・・・」
「根性ないっスね」
「ゔ〜〜〜・・・・・・」
何かボロクソに言われてるよ。むしろ菊丸さんのほうが普通だって思うんだけど・・・・・・。
そんなこんなで菊丸さんが落ち込んでると―――って何か違うか、手塚さんが話し掛けてきた。
「―――越前・不二・菊丸。
お前たちが真面目に練習をしないと桃城からクレームがついたぞ」
「えええええええ!!? 俺っスかーー!!?」
いきなり名指しで上げられて桃城が驚く。そりゃそうだな。越前には睨まれ菊丸さんには恨みがましい目を向けられて、あげくに兄貴の絶対零度の微笑みだもんな。
「そこで3人には先程のゾーン練習をもう一度行なってもらう」
「お、俺はただ裕太に『青学の練習はいつもこんなもんなのか?』って聞かれて頷いただけっスよ!?」
って俺の責任かよ!? 今度はみんなの目がこっちに向いてるし・・・!!
「ただし少しルールを変更して―――」
「裕太、僕に意見するなんて・・・・・・覚悟は出来てるよねえ?」
「裕太〜、俺の分も後で覚えてろよ〜〜〜・・・!!」
うわ〜、誰か助けてくれ〜〜〜・・・・・・!!!
「不二対越前、菊丸対大石で行なう」
「ありがとう裕太vvv!!!」
「ナイス裕太!!!」
・・・・・・ありがとう手塚さん、ナイス手塚さん。
いきなり態度を180度豹変させにこやかに笑う兄貴に、親指を立ててウインクしてくる菊丸さん。いやもういいけどな。とりあえず俺も心の中で呟く。
「は?」
「え?」
目を点にして驚く越前と大石さんを放ったまま説明が続けられる。
「なので今回は不二・大石が攻撃、越前・菊丸が守りだ。
以前同様不二対越前はこれからすぐ、大石対菊丸は25分後に行う。その他ルールは先程と同じだ。ただし負けた側は野菜汁を飲む代わりに勝った側の命令を、安全面への問題及び今後のテニスへの支障がない限り1つ聞かなければならない。以上だ」
「はあ!? なんスかそれ!?」
目を見開いて叫ぶ越前。周りにいた奴もかなり驚いてる。そりゃまあテニスの試合に罰ゲームをつけるって事自体なんだけど、さらにこんな事までやるとはなあ。しかもそれを言い出したのがいかにも堅そうな手塚さんとくれば、誰だって驚くのも無理ないよな。手塚さんってこんな人だったっけ?
「これは・・・・・・驚きですね・・・」
さすがに観月さんも驚きを隠せないって感じだし。
「ぶ、部長、嘘っスよね? 冗談っスよね・・・? そんな事言って結局負けても野菜汁飲まされるだけでしょ・・・?」
泣き笑いのような顔で越前が手塚さんのジャージにすがり付いて訴える。手塚さんの事『部長』って呼んでるし、多分自分でも何言ってるかわかってないんだろうな。
そんな越前に手塚さんは目を閉じて首を振るだけだった。
「済まない越前。だがこうでもしないと菊丸はまだしも不二は真面目にやろうとしないからな。
まあ引退した2人はそれでも構わないが、これ以上お前の練習まで阻害されるのは問題があるだろう?」
言い聞かせるように肩に手を置き視線を合わせる。だが越前はそれを振り払って同じく被害者(になりつつある)大石さんに目を向けた。
「大石先輩これでいいんスか!?」
「あ・・・けど手塚の言う事にも一理あるから。やっぱり越前はこれからの青学[ウチ]の主戦力になるわけだし・・・・・・」
かなり苦しい言い訳だ。というか手塚さんの言う事にも一理あるって、実は『一理ある』のって前半部分に対してじゃないのか・・・?
絶望の中でも僅かな希望を求めて越前の目が彷徨った。青学テニス部員はそれから逃れるべく視線を逸らし、他校生はあの生意気な青学ルーキー(とはもう言えねーけど)の怯える姿を興味深げに見て、そして俺は・・・・・・
「裕太!!」
最後の希望とばかりに越前に思い切り目を合わされてた・・・・・・。
「あんたの兄貴が犯罪行為してもいいワケ!!?」
破れかぶれに叫ばれる。『犯罪行為』。何をおおげさな・・・・・・と出来れば思いたかった。
多分これは嘘じゃない。というか絶対嘘じゃない。今から兄貴のしそうな『犯罪行為』を思い浮かべる。
誘拐
拉致
監禁
強姦
思い浮かべて―――俺は越前のために『真実』を言った。他の青学の奴ら同様越前から目を逸らして、越前から希望の光を奪う。
―――ごめんな越前。けど・・・
「越前・・・俺が兄貴に逆らえる訳無いだろ?」
「・・・・・・・・・・・・!!!」
心の中で泣いた。越前の絶望しきった目が痛かった。
地面に崩れた越前の肩に再び手を乗せる奴がいた。越前、振り向かない方が幸せでいられるぞ・・・・・・
―――なんて思う俺の声が聞こえる訳もなく、ワラをも掴む思いで越前が振り向いた先に―――満面の笑みを称えた兄貴がいたりする。
「―――と、いうわけで決定ねv」
「・・・・・・」
「わ〜!! おチビ〜、不二〜、頑張れ〜〜〜!!!」
絶対に全部わかった上での菊丸さんの能天気な声が響いた。
兄貴に腕を引かれてコートへ歩く越前の顔は・・・・・・どう控えめに表現しようとこれから13階段を昇る死刑囚のそれだった。
「大丈夫だよ。絶対やらなければならないってわけじゃないんだから」
「・・・・・・・・・・・・」
お? 兄貴にしては殊勝な台詞が・・・・・・ってこりゃ裏があるよな。絶対。
「やりたくなければ僕に勝てばいいだけの話なんだし」
―――実行できる奴中学生で何人いんだよ?
なんて思ったけど、なぜか兄貴のこの一言で越前の目に光が戻ってきた。
「・・・・・・そーっスね。勝てばいいんスよね・・・・・・」
引かれていた手を振り払い、コートに入っていく越前。同じくコートに入った兄貴にラケットを突きつける。その顔に浮かんでいたものはもう絶望ではなくいつもの生意気な笑みだった。
「勝つっスよ?」
「いいよ? ただし―――出来たらね」
2人の雰囲気に呑まれてざわついていた周りが静まった。ついつい俺も生唾を飲み込む。そーいや兄貴と越前ってどっちが強いんだ? 団体戦での出場順番を考えると兄貴の方が後の場合が多かったけど、あれが純粋に実力順なわけでもないし。この間電話で越前と試合したって言ってたけど、結果ははぐらかされたしなあ。さっきの話じゃとりあえず互角っぽいけど・・・・・・。
「1つ、始める前に提案があるんだけど」
サーブを出すべく兄貴と同じコートにいた乾さんが、サーブじゃなくて意見を出した。
「確かに不二はカウンターパンチャーだけど別に攻撃が苦手な訳じゃない。それに対しオールラウンダーではあっても越前はどちらかというと守りは苦手だ。
そこで、ハンデとしてサーブは俺じゃなくて越前が出すって言うのはどうかな?」
なるほど。これで越前のサービスゲームになるってわけだ。
「いいっスよ?」
「うん。僕も別にいいよ」
越前はともかく兄貴も賛成するとはな。ンなに勝つ自信あんのか?
どうやら越前も同じことを考えたらしい。
「―――いいんスか?」
「その1球はカウントされないんでしょ? ならいいよ」
あっさり言った兄貴に越前がむっとした。そう軽くあしらわれちゃなあ・・・。
「それに―――
なんだかんだ言っても乾はデータが欲しいだけでしょ? 僕が越前君のツイストサーブを返せるかどうか」
「なんだわかっていたのか」
「他の人ならともかく乾がそう発案するんじゃあねえ」
「仕方ないだろ? この間はそこで中断されたからな」
苦笑する兄貴に、乾さんも悪びれもせずに言う。もしかしてこの間も決着つかなかったのか?
越前もため息をついて承諾した。
「では、第6試合。不二対越前・・・・・・!!」
乾さんのかけ声に促され、越前がツイストサーブのモーションに入った。ところで・・・・・・
「あ、ちょっと待って」
兄貴が緊張感0で手を挙げた。越前もトスの姿勢のまま固まり、ボールだけがぽとりと地面に落ちた。
「何だ不二?」
「あのさ―――」
ここから先は兄貴の声が小さくてよく聞こえなかった。けどコートを差して何か話してるところからすると今からの対戦の質問か?
「―――で、いいか?」
兄貴の言葉に乾さんは暫く俯いた後、こう言った。
「わかった。ありがとう」
「じゃあ改めて・・・・・・Go!!」
なんだかわからなかったけど、とりあえず試合は始まった。
越前のサーブ。言われたとおり(というのか)ツイストサーブを放った。俺との対戦のときに比べると少しキレが足りない。やっぱ右手じゃそのままは打てないか。けどその割には速いよな・・・・・・。
サーブと同時に兄貴が前へ走り出した。―――ってまさか・・・・・・
「裕太、ゴメン!!」
普通に聞けば謎の台詞が飛び出す。けど俺の予想通りならその言葉の意味は―――
走りこんだ兄貴がラケットを通常より下に構え、ツイストサーブを地面すれすれの位置で打ち返す。超ライジング。言うまでもないだろうけど俺の得意技だ。
「裕太、あれって超ライジングだよね」
「そう・・・ですね」
木更津さんが僅かに驚いて呟く。けど何となく納得は出来た。越前のツイストサーブはかなりの威力だ。上がりきってからじゃ多分兄貴の腕力じゃ返せない。
「―――嫌じゃないの?」
「兄貴なら何でもやりますし。それに別に俺だけの技じゃないですし・・・」
兄貴のトリプルカウンターや越前のドライブBみたいに他の人が普通は真似出来ないような必殺技ならともかく、超ライジングならある程度練習すれば兄貴クラスなら出来るだろう。実際越前も数球でほとんど完成させていた。
それよりも、今は試合の方が気になる。
兄貴が超ライジングで返した1球目、それは、
「いきなりドロップショット!?」
誰かが叫んだようにネットに沿うように越前のコートに落ちていった。越前もさすがに予想していなかったか、ギリギリで間に合ったもののチャンスボールを上げる形となった。
そこへ、リターンダッシュをしていた兄貴のスマッシュが決まる。驚異的な瞬発力で越前も飛び込むけど今度は間に合わなかった。
一切無駄のない兄貴の攻撃に回りもざわめきだした。
「不二先輩のスマッシュって、練習以外で始めて見た・・・・・・」
「越前でも追いつけねーのか・・・・・・」
フェンスの中で、体操服の多分1年と、堀尾だよな? レギュラージャージ着た背の低い奴が話してる。実のところ俺も兄貴のスマッシュってほとんど見た事なかったんだよな。最近はルドルフにいたからっていうのもあるけど、それを差し引いても数えるくらいしかない。あんまり攻撃的なプレイはしないってのが1つ。もう1つは・・・・・・
「0−1。まずは不二のポイントだな」
「メチャメチャやる気っスね」
ぱたぱたとユニフォームについた砂を払い、越前がそう呟いた。確かに。いくら5球って制限されていたとしてもここまでの速攻はまずしない。するとすれば―――
「さっきの罰ゲームもあるけどね。越前君相手に手加減は出来ないでしょ?」
やっぱり本気か。テニスを始めたばっかの頃を除けば多分俺も初めて見る兄貴の『本気』。越前はそれだけの価値があるってわけか・・・・・・。
けどそれを受ける越前は冷静だった。小さくため息をつくだけでそれを流す。
「いいっスけど・・・・・・攻撃側はネットプレイ禁止じゃなかったんスか?」
「ああ、さっき乾に確認したけど、『攻撃側がネットプレイに出たら全面が守備範囲』ってやつ、ネットプレイに出たその1回だけでいいらしいよ」
「じゃあ今みたいにネットに出て即決めたら関係なし、って事っスか?」
「みたいだね」
ンなルールあったのか。通りで今まで攻撃側が前に出てこなかったわけだ。
ぽりぽりと頭を掻いて、越前は後ろに戻っていった。
2回戦。ツイストサーブは変わりなし。ただし兄貴は今度は前には返さなかった。さすがに越前相手に同じ手は使わないか。
ストレートに[まっすぐ]打たれたトップスピンの球を越前は難なく拾い、打ち返す。兄貴のつばめ返しを警戒してか、スライスで。
ネットに出ようとする越前。逆にベースライン上に足止めされる兄貴。・・・・・・これじゃ攻撃と守りが逆だっての。
兄貴の2球目。どうにか越前を左右に振って前に出さないつもりか、かなりきわどいコースを打ち込んだ。けどやっぱり一本足のスプリットステップで追いつく越前―――お、返しが甘い。
1球目より少し前に球が落ちる。けど兄貴は前に出ようとはしなかった。再び越前を振る。
またも追いついての越前の3球目。2球目よりもさらに前に落とされた。コートの前から1/3くらいの位置に。わざと兄貴を前に出して守備範囲を広くするつもりか?
兄貴もそう思ったらしい。開かれていた目を少し細めて、何かを探るように越前を見返していた。
さすがにこれは前に出ないと拾えない。中央のラインまで出てきた兄貴が打ち返す。動揺が出たのか、球がネットより浮いた。
チャンスボール。今度は越前がスマッシュを決めるか・・・・・・いや。兄貴にはあれがある。
スマッシュの体勢に入る越前。ってことはまだあいつは知らないのか? 兄貴の羆落とし。丁度それが5球目になるわけだから決まれば兄貴の勝ち。間違いなく今浮かせた球は誘い。
と、越前のフォームが変わった。ボールと一緒にラケットを下ろしていく。狙いはスマッシュじゃなくてドロップショットって事か? 兄貴が前に出ようとした。
「―――!!」
越前の4球目。放たれた球はドロップショットではなくロブだった。前に出かけた兄貴からは外れ、今までアウトになっていた片側の隅に入れられる。
「足・・・前に出ましたよね?」
ラケットを肩にかけ、越前が小さく笑っていた。確かに、越前が打った時点で兄貴は中央ラインより片足を踏み込んでいた。
「まいったなあ、2重の罠か・・・」
さして悔しくもなさそうに兄貴が頬を掻く。つまりスマッシュと見せかけドロップショットと思わせたあの1球だろう。フォームってあんなに簡単に変えられるものなのか?
「1−1。いよいよ次で決まるな」
ラストの一戦。互いに慎重になってラリーが続く。そして越前の4球目。右隅に走りながら越前がラケットをゆらゆらと揺らした。
「バギーホイップショット?」
兄貴が小さくつぶやく。え〜っと確かそれって・・・・・・
「―――『スネイク』、ですか? けど越前君の体格ではリーチが足りず難しいと思いますけどね」
観月さんが解説してくれる。スネイク、っていったら海堂の必殺技だよなあ。越前もあれが出来んのか? リーチが必要だって―――ああ、それで今の観月さんの言葉か・・・。
けど構わず打つ越前。おお、本気で出来てるよ。極端なカーブで越前の打った球が向かって左隅に収まる。
「けどね越前君。そのショットは半面相手だと狙い打ちされるよ? 前回の海堂の試合、見てなかったわけじゃないんでしょ?」
越前のショットにも顔色ひとつ変えることなく呟く兄貴。でもってその言葉を証明するみたいに簡単に打ち返す。そりゃ半面コートなら余裕で追いつくか。
「でしょうね」
意味ありげな台詞と共に薄く笑う越前に、初めて兄貴の顔が変わる。越前はストレートで打たれた球に走りより―――
―――スライディングをかけた。
「だからあんまり警戒せずに返すでしょ?」
なるほど! 海堂とは違う意味で越前のそのショットも囮か。
「ドライブB!!」
青学の奴らが握りこぶしで叫ぶ。これが決まれば越前の勝ち。けどあっさり諦めるほど兄貴も甘くはない。
急いで駆け寄った兄貴にジャンプした越前が声をかける。
「バックハンドじゃつばめ返しは打てないっスよ!!」
「―――!!」
その言葉どおり、ドライブBの向かう先は兄貴のコートの中央。つまり兄貴にとっては左端。右利きの兄貴にはバックハンドの位置だ。
が・・・・・・
越前の顔が驚愕に染まる。王手をかけられたはずの兄貴が笑ったのだ。
「うまいね。けど―――」
走りながら兄貴がラケットを持ち替える。右手から―――左手へと。
「―――左手ならフォアだよ」
そして本当に左手でつばめ返しを打った。
「な・・・・・・!?」
ドライブBもつまるところはトップスピンだ。確かにカウンターにつばめ返しを使うことも可能となる。けど、まさか左手で出来るとはなあ・・・・・・。
あっけにとられた越前の横を抜け、弾むことのない球はコートを滑っていった。
ラケットを下ろし、兄貴が元の笑顔で話す。
「以前ランキング戦の寸前で右手を怪我したことがあってね。そういう理由でレギュラー落ちっていうのも嫌だったし、だから左手で練習してたんだよ。羆落とし以外なら左手でも一通り出来るよ」
「嘘でしょ? 本気で化け物っスよ、それ・・・・・・」
肩を落として呆然と呟く越前。確かになあ。けどそういうことが平気で出来るから『天才』なんだろうな。
改めて見せられた兄貴との差に、むしろ俺は冷静に受け入れた。兄貴は倒したいと思う。それは今でも変わってない。けど越前に言われたように、兄貴だけじゃなくて『上』はいっぱいいる。氷帝のジロー、それに越前も。そいつらを倒して俺も上に上りたい。今ではそれが俺がテニスをする理由だ。
けど―――今の一戦、兄貴だけじゃない、越前もすごかった。素直に感心する。今の俺じゃとても追いつけない。
―――勝てる気がしなかった・・・・・・今は。
「・・・・・・で」
試合の凄さに緊迫感がいまだ取れず、シーンとしたままの雰囲気をぶち壊して兄貴がにっこりと笑った。
「2−1で僕の勝ち。ということで・・・・・・」
「うあ!!?」
ネットのすぐ前で立ちすくんだままの越前を捕まえるとネット越しに抱えあげる。
「桃・手塚。僕と越前君今日早退するから」
「って何するんスか!?」
「『何』? もちろん越前君を今から家に招待するだけだよ?」
「それで抱き上げる必要がどこにあるんスか///!?」
「ホラ、そうしないと越前君逃げちゃうかも知れないでしょ?」
「毎回こんなことされてれば誰だって逃げます!!」
「そんな事言わないで。ね?」
「『ね?』ってなんなんスか『ね?』って!!」
「大丈夫。ちゃんと優しくするからv」
「その言葉のどこをどう信用すればいいんスか!! そうだった事1回もないじゃん!!」
「う〜ん難しいなあ。僕としてはいつも十二分に優しくしてるつもりだったんだけどなあ」
「『殺すつもり』の間違いでしょ・・・」
「え? 今日もそうしてほしいの?」
「言ってないそんな事!! 離せー! 下ろせー!!」
「じゃあ早速僕の家に行こうか。今日から3日間母さんも姉さんも父さんに会いにアメリカ行ってるし」
「人の話聞けー!! っていうか何!? それじゃ今家に周助1人なわけ!?」
「うんv そうなるねvv」
「嘘だろ!? 嫌だーーー!!!」
ますます暴れる越前を軽々と抱えてコートから出てくる兄貴。そりゃ今の言葉聞けば暴れて無理はねえよなあ。ってか本気であのまま連れて行く気か?
フェンスを出ようとする兄貴に菊丸さんが声をかけた。さすがに越前がかわいそうになったか?
「不二〜」
「ん?」
「もうそんなんにお願い事使っちゃうの?」
「まさか。無理やり連れて行くんだから『お願い』じゃないよ」
「だよね〜。ちゃ〜んといいトコまでとっとかなきゃね。せっかくのチャンスなんだしvv」
「当たり前でしょvv」
―――ダメじゃん。越前マジで味方いねーな。
「誘拐犯ー!! 強姦魔ー!! 変質者ー!! 殺人狂ーーー!!!」
「あ。越前君、いろいろと難しい日本語知ってるねv」
・・・・・・否定してくれ頼むから。
「ってゆーかなんで誰も助けてくれないんだよー!!!」
「え? 決まってるでしょ? ホラ言うじゃない。『人の恋路を邪魔する奴は 黒魔術に呪われて死んじまえ』ってvv」
いやなんか違うだろ。つーか兄貴の場合『僕の恋路を邪魔する人は 直接僕が殺します』じゃねーのか・・・?
「言わないだろそんな事!!」
「けど間違いなくそうなるしvv」
うわー、兄貴なら本気でやるなこりゃー・・・。
「嫌だあああああぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・・・・!!!!!」
泣き顔で狂ったように暴れる越前が、ドップラー効果を残して俺たちの前から消えていく。越前・・・・・・とりあえず冥福だけは祈ってるぞ・・・・・・。
なんともいえない気まずい沈黙の中、一人菊丸さんだけがにっこりと笑いながら俺に声をかけてきた。
「裕太v」
「え・・・?」
「ゴー!!」
「は・・・・・・」
言葉とともに手首のスナップで指し示された方角を見て、俺の目は間違いなく点になった。
「え、と・・・・・・」
それは先程まで俺が見ていた、そして今でも大部分の人間が見ている方向。つまりは―――兄貴が越前をさらっていった方向。
「俺が行くんですか!?」
「もちv」
「俺が兄貴に殺されるっスよ!!」
「大丈夫だって。裕太なら不二も殺さないよvv」
「殺されなくても呪われます!! 大体明日も越前は部活なんだからいくら兄貴だってそこまでの無茶はさせないでしょ!?」
「残念。実は明日は先生の都合で休みにゃんだよねv」
「そんな日にこんな事企画しないでください!!!」
俺の全身全霊の篭った叫びに、菊丸さんはしれっと答えた。
「考えたの俺じゃないし」
・・・・・・。そりゃそうだけど。
「・・・それに! 越前が心配なら菊丸さんが行ったらいいじゃないですか!!」
「あ、それはダメ」
「・・・・・・なんで?」
「俺と不二は協定結んでるし。それに―――」
菊丸さんの笑顔がより一段と輝く。隣にいた大石さんの腕に自分の腕を絡めて、
「今日これから俺は大石とデートだもんvv」
「え? 英二。そんな約束は一言も・・・・・・」
「俺が勝ってそう命令するんだよん。
ねv いいでしょv 大石vv」
「・・・・・・」
周りに幸せという名の圧力を垂れ流して笑いかける菊丸さんに大石さんも沈黙した。かなりえげつない作戦だな。これでたとえ大石さんが勝ったとしても他の命令は一切出来なくなったわけだ。
「んじゃ、裕太。不二とおチビ荷物置いてっちゃったから持っていってあげてねvv」
それだけ言い残すと大石さんと腕を組んだままコートへと入っていく菊丸さん。スッゲーやる気だ・・・。
「・・・・・・・・・・・・」
どうしろってんだよ・・・・・・。
「裕太」
「は、はい!!」
またもかけられた声に背筋を伸ばす。けど今度声をかけてきたのは、当然のことながら菊丸さんじゃなかった。
「寮のほうには俺が連絡入れておくよ。スクールは明後日だからそれまでに帰ってくればいい」
「は、はい・・・・・・」
木更津さんの言葉に力なく頷く。つまりは俺も味方0ってことか・・・・・・。
まあ死なないことを祈って。
「そ、それじゃお言葉に甘えて。失礼します・・・・・・」
俺は魔が一部跋扈しながらも平穏な世界を後にした。
追記
次の日の夕方、そろそろ俺が帰ろうとしたところで菊丸さんが来た。
「裕太〜。おチビ生きてる?」
開口一発、挨拶代わりにそう聞いてくる菊丸さんに何かを間違ってるような気がしつつも、俺は特に気にせず答えた。
「今日の昼は生きてたっぽいですよ? 兄貴が抱きかかえて風呂場に連れて行ったし」
そん時越前はピクリとも動いてなかったような気がしたけど、まあ綺麗にするって事は生きてるからだろう。―――兄貴ならたとえ死んでても保存するために綺麗にしていたとしても不思議じゃないけど。
「んで、今は?」
「さあ。防音されてますから音は聞こえませんし」
「あ〜にゃるほど。まさか開けるわけにもいかにゃいしねえ」
にゃははと笑いながらとんでもない事を言い出す菊丸さん。ンな事やったら即座に兄貴に殺されるだろうなあ・・・。
「―――ところで菊丸さんたちは昨日どうなったんですか?」
話題逸らしに訊いてみる。昨日の様子じゃどちらが勝っても変わらなさそうだけど。
俺の言葉に菊丸さんの顔が緩みまくった。
「にゃ〜vv 2−1で俺が勝ったの〜vv でもって今までデートしてたのvvv」
「はあ、そうですか・・・・・・」
考えてみりゃ菊丸さんの家ってここの近くだったな。って事は帰りに寄ったってわけか。
「で、どうでした?」
全身から花の飛び散る菊丸さんを見ればわからないわけはないが、いかにもそう聞いてくれというオーラを出すこの人に逆らうことは出来なかった。
「訊いてよ〜vvv」
―――かくてえんえん3時間語られ、帰るタイミングを失った俺はもう一晩泊まるハメになった。ちくしょう。明日のスクールは午前から。始発で帰んなきゃ間に合わねーよ。
さらに追記だけど、結局俺は次の日スクールには行けなかった。5時前に家を出ようとしたところ、今度はなんでか起きてきた兄貴に邪魔された。
またえんえんと惚気られる中、俺はつくづくルドルフに入ってよかったと思った。
終わる
いやあ長くかかりました裕太話。原因は他の話に手をつけまくっていたから、ですね。あと落ちのないかい話をえんえんと続けていたから。
あ〜、けど裕太。頑張りました。彼の1人称で。やはりこれも愛の力? ・・・なんか壊れてます。完成がうれしいもので。
しかしなぜか木更津さんが出張りまくってますね。ルドルフ内では裕太と彼が好きなもので。観月もいいんだけどね。けど裕太コマ扱いしたし、不二には睨まれてるし・・・・・・。
あ、そうそう。木更津さん、私の中では太一に続いて天然黒です。観月があくまで勝つために黒くなっている(用な気がする)のに対し、彼は意味もなく黒いです。というか本文中に述べたような感じです。黒さ、とはちょっと違うかな? むしろ透明? 何事も能面のように薄い表情の変化で片づけそう。ああ、観月と彼の仲が悪いというのは私の話の中では事実です。木更津さんは唯一観月に逆らえる存在です(ルドルフ内では)。なのでなにか感じたらすぐに意見します。全面の信頼は置いていません。そんな彼に―――つまりは自分の思い通りに動いてくれない存在である彼に、観月はライバル心のようなものを持っていますが、これまた木更津さんは全くもって気にしてません。そういう態度がさらに観月の怒りをあおるんですけどね。そんな感じです。なんてわかり難い説明だ。
そうそう新レギュラー。かなり適当です(爆)。とりあえず名前のわかる人を(爆裂)。
けど! これだけは力説!! 話の最中に出てきた『吉村優』はオリキャラではありません。立派にテニプリキャラです。とはいっても覚えて―――というより知ってる人は少ないでしょう。なにせ今まで2回あったランキング戦のうち6月期のほうで対戦表に名前が書いてあっただけの人なんですから。よくよく表の書いてあるコマを見ると載ってます。Cブロック。メイツと同じブロック。んで、表に点がどかどか書き込まれていくんですけど(当り前)、その中で(正確には確認できる中で)乾を除いて唯一レギュラー相手に点を取ってるんですよ。6−0ばっかのなか唯一6−1(vs菊ちゃん戦)。これを見て『レギュラーはコイツで決定だ!!』と思い彼になりました。あ、容姿・性格・プレースタイルなどはもちろんでっち上げです。けど菊ちゃんが点とられたとなると苦手そうな持久戦でかなあ、と。オールラウンダーは苦しそうなのでカウンターパンチャーで。けど彼いいなあ。仕事では乾の後輩。ポジションとしてはポスト大石って感じで(と勝手に決めたんですけどね)。
そうそう、今回のテニスの試合やらなんやらは現在発売中のPSソフト『テニスの王子様 for PlayStation』を参考にしました。リョマ中心の【加害者より〜】でも出しましたが、いろんな意味で面白いゲームです。
2002.9.9〜10.6