天才。
人が僕の事を言う時、この接頭句がつく事が多い。
だからといって別に何か思うわけじゃない。テニスをやることは好きだし、上達するのも周りからそれを認められるのも嬉しいと思う。
『不二君は天才だから・・・』
別に何も・・・・・・
『いやあ。あの天才不二君に勝てる子なんていないよ』
ならそう言ってあなたが逃げる理由は?
人は自分と違うもの―――とりわけ自分より秀でたものを受け入れることが困難な生物である。
そんな事を知らなかったわけじゃない。特に大人なら子どもに負けるのは恥だろう。
(いいけどね。どうせ僕もつまらないし)
僕のことを敬遠するスクールの生徒や教官を、僕もまた敬遠する理由は1つ。
つまらないから。
試合を行う前から自分は負けると卑屈になる。
試合に勝てば『子どものクセに生意気だ』とののしられる。
わざと負ければ『あの天才不二に勝った!』と後々までしつこく言われ続ける。
(ならやらない方がマシでしょ?)
手を抜いてもスクール内の全員に楽勝してしまう僕はここではもう異分子で。
だから―――
『不二君、今度別のスクールと一部生徒の交換を行うんだが、君も参加するかい?』
こんな教官の言葉に、僕はためらわずにYesと答えた。
天才の憂鬱
結論から言えば、たとえどこであろうと僕の立場は変わらないらしい。『別のスクール』に来て最初の感想がこれだった。
僕に関しては既にみんな聞いていたようで、連れてきてくれた教官が僕を紹介すると同時にスクール内がざわついた。
「よお、お前、天才とか呼ばれてんだって?」
好きで呼ばれてるわけじゃないけどね。
「何にせよここじゃお前はただの新入生だ。俺たちが最初に躾してやるよ」
話し掛けてきたのは僕より1年上で6年生の3人。僕は得意のポーカーフェイスですべてを隠してにっこりと笑った。
「―――ゲームセット! 6−0。ウォンバイ不二!」
審判を買って出てくれた人の声とともに、僕はラケットを下ろし軽くため息をついた。3人抜きで50分。これでもかなり手加減した方だ。
『あそこのスクールは強い生徒が多いから』
周りの驚きと感嘆を聞く限りとてもそうは思えない。
「クソ・・・。なんでこんな・・・・・・」
(そんな悔しがり方するなら最初からやらなければいいのに・・・・・・)
言われすぎて最早何とも思わなくなった悔恨の言葉[まけいぬのとおぼえ]を背に、テニスコートから出る。握手はしない。向こうから願い下げだろう。
(別に・・・・・・何も・・・・・・)
「―――にゃ〜。お前強いのな。次俺と勝負やらない?」
「え・・・?」
突然後ろからかけられた珍妙な声に、そしてそれと同時に後ろからかけられた重みに、転ぶのは何とか回避して振り向いた。
同じ年くらいの少年。クセっ毛で赤に近い黒髪を首まで伸ばし、アーモンド型の大きな瞳でこちらを見上げ首を傾げる様は、なんとなく猫を彷彿とさせる。
「けど・・・・・・」
こちらの実力を知った上で人から試合を申し込まれるなどという、実に久しぶりの事態に僕はすぐには返事が出来なかった。多分結果は先ほどと同じだろう。数十分後には彼の僕を見る目も、興味津々なものから険悪なものへと変わるのだろう。
「いーじゃんいーじゃん! それとも何? 俺なんかと試合すんのはイヤとか?」
僕と違う意味で―――本当に楽しそうにニコニコしてた彼の顔がシュンとしぼむ。
(〜〜〜〜〜)
そんな顔をされると断り辛い。
―――などと思っていると、外から助けがきた。
「こら! 菊丸! 新入生はまだ球拾いだろ!? 早く戻れ!!」
青筋を立てて怒鳴る教官に、彼―――菊丸は子どもっぽく(子どもだけど)ほっぺを膨らませた。
「え〜!! 俺も試合やりたいにゃ〜!!!」
「『にゃ〜』なんてつけて可愛子ぶってもダメだ!!」
「ケチ〜〜〜〜〜〜!!!」
なおもしつこく粘る菊丸に、強制的に連れ戻すよりは妥協したほうが楽だと判断したのか、ため息をついて教官が頷いた。
「わかった。ただし1セットだけだからな」
「やった! ラッキ〜♪ ありがと〜おっちゃんvv」
「やめろ! 気持ち悪いことすんな!!」
抱きついてキスしようとした菊丸を引き剥がした教官が、黙って見ていた僕の方を向いて、苦笑した。
「というわけだから、すまないが相手してくれないか? まあ新入生だが実力はそこそこだ。肩慣らし位にはなるだろ」
「何だよ『そこそこ』って!!! スクール期待の星に向かって!!」
「期待してるのはお前だけだ!!」
結局怒鳴り返し、これ以上付き合ってられるかとでも言いたげに教官はくるりと踵を返した。
「んじゃ、いーよな?」
「あ、うん・・・・・・」
菊丸の浮かべた満面の笑みに全てを抜かれた感じで、気が付いたときには僕はもう頷いていた。
「ザ・ベスト・オブ・1セット・マッチ! 菊丸サービスプレイ!」
審判も今度は特にいないので、試合はセルフジャッジで行われることになった。
菊丸の明るい声とともに放たれたサーブを軽く返そうとする。その間にも菊丸がネットに詰めていた。
(早い・・・・・・)
返した球を打つときにはネットぎりぎりにいた菊丸に、僕は僅かに目を見開いた。典型的なサーブ&ボレーヤー。だがサーブを打ってすぐに走ってきたとしても、1ラリーの間にここまで動ける人はそうそういない。
(けど・・・)
大抵の相手はいきなりのダッシュに惑わされるんだろうけど、生憎と僕はそれほど可愛くはない。
そこまで詰めれば当然他の場所ががら空きになる。中央にいる菊丸を避けるように向かって右に打った。右利きの菊丸がいくらバックハンドで打ってきたとしても僅かに届かない位置へ。
「え・・・・・・?」
これで1ポイント目、と思っていた僕は、今度こそはっきりと目を見開いた。菊丸は予想に反してフォアハンドで打ってきた。
―――それも背中側から。
「アクロバット・・・・・・」
もちろんそういったプレイスタイルがあることは知っている。だがこんなところで出来る人が見られるとは思わなかった。
完全に反応が遅れ、僕は横を抜けていくボールをただ見送る事しかできなかった。
「15−0! 菊丸1ポイント目ゲーット!!」
にゃはは、と喜ぶ菊丸に、僕の中で久しぶりの感覚がよみがえってきた。
興奮。
本気でやらなければ負ける―――とは思わなかったが、油断すれば間違いなく負ける。
そんなことを思いながら、僕は口の端を僅かに上げた。いつもの笑みとは違う―――本当の笑み。
あの不二を相手にポイントを先制した、と周りの視線が再び集まる。その中で、
「んじゃ、次行くよーん」
どこまでもお気楽な菊丸の声とともに、第2球目が放たれた。
「ゲームカウント3−4。不二リード」
僕は妙な気分で言葉を口に乗せた。誰かと試合をしていてここまで点を取られたのは本当に久しぶりだ。しかも相手は自分と同じ位の子ども。
このままそこそこお互い点を取りながら試合を続けようか―――そんな気持ちは全く生まれなかった。
(珍しく、ね)
菊丸のアクロバティックには混乱させられたが、そろそろ慣れた。これで条件は互角。後はお互いのテニスの腕での勝負だ。
(じゃあ、いくよ・・・・・・)
先ほどの菊丸の言い方に合わせるように僕も心の中で呟き、サーブを打った。
「ゲームセット。6−4。ウォンバイ―――」
「にゃ〜! 負けたー!!」
僕が判定を言い終わる前に、菊丸はコートに大の字に転がった。
くすりと笑って、ちょっとしたいたずら心で続けてやる。
「―――ウォンバイ不二」
「不〜二〜・・・・・・」
寝転がっていた菊丸がむくりと身を起こすと恨みがましい―――というか拗ねたような目つきで見てきた。
(さすがにからかいすぎたかな?)
ついつい菊丸の様子が面白かったので、普段だったら絶対にしないであろう行為をしてしまった。
(少し・・・うかれてたかな・・・・・・)
ここまで面白いテニスは久しぶりだった。だから気分が高揚しているのか。
気まずくなって、僕は下を向いた。
(せっかく・・・・・・初めてテニスで出来た友達だって思ったのにね・・・・・・)
さらりと流れる髪に隠れて虚ろな笑みを浮かべる。やっぱり僕はテニスでは友達は作れないらしい。
と、
「―――にゃ〜んてね♪」
「え・・・?」
突然の明るい声に顔を上げ驚く僕の前で、菊丸はもう一度寝転ぶとその勢いのまま倒立し、そして腕力だけで上に飛び、立ち上がった。
パンパンと手に付いた埃を落とすと、にぱっと笑ったまま菊丸はその手をネット越しに差し出してきた。
「負けたけど、すっげー楽しかったよん。不二」
「菊丸、君・・・・・・?」
試合を終えて僕に握手を求めてくる人なんてほとんどいなかった。ましてや負けたのに笑ってる人なんて見たことなかった。
(僕に負けた人は、みんな恨めしそうに僕のこと睨んできて・・・・・・)
「『英二』!」
「え?」
「やっぱ友達なら名前っしょ! ・・・・・・ってそーいや俺まだ自己紹介してなかったっけ。
―――菊丸英二。よろしくにゃv」
「あ・・・・・・」
(『友達』・・・・・・)
不思議な響きだった。友達がいないわけじゃない。それでも彼の―――英二の言った言葉は、僕に今までにない心地よさを与えてくれた。
自然と、手が伸びる。
「僕は―――不二周助。よろしくね」
伸ばした手が握り返される。温かい感触が、これが嘘ではないと告げていた。
「ん?」
笑顔のまま、僕は首を傾げた。手を握り締めたまま、英二があちらこちらに首を傾けブツブツ何か言っている。
「ん〜・・・。にゃんか『周助』って言いづらい〜〜〜〜〜!!!」
(そんな事・・・・・・?)
ブッ!
「あははははははは!!!」
そんな事で真剣に悩み込む英二が本当におかしくて、僕は思い切り笑ってしまった。
「にゃ〜!! 人が真面目に考えてんのに笑う事ないじゃん!!」
「ごめんごめん」
目元に溜まった涙を拭いながら謝る僕。両手をぶんぶん振って怒る英二。
それでも繋いだ手は離されなくて。
「別に『不二』でいいよ。ね、英二」
「やっぱ不二ってイジワル〜〜〜!!!」
テニスで僕に初めて出来た友達、菊丸英二。
ネットを挟んでいつまでも笑い続けながら、僕は彼とならうまくやっていけるような気がした。
―――あれ? 知らない? 僕かなり勘は良い方だよ? なにせあの姉さんの弟だからね。
そして現在―――。
・ ・ ・ ・ ・
「英二! 早くしないと部活遅れるよ!」
「うにゃ〜。あとちょっと〜・・・」
部室にて。友達に貸してもらった雑誌を読みふけり生返事しかしてこない英二に、僕はため息をついた。
「そんなんじゃ手塚に『グラウンド20周!』とか言われるんじゃない?」
バタン。
「さー行こー不二。ンなトコで油売ってたら手塚にまたグラウンド走らさせられるし!」
きびきびと立ち上がって扉に向かう英二。その後姿にくすりと笑った。
「―――あー! おチビにゃ〜v」
「え? どこ?」
(ここからじゃコートは見えないし・・・・・・)
「そこそこ。今こっちに向かってるやつ―――ってまた桃がいっしょじゃん!!」
「―――ういっス。英二先輩、不二先輩」
「ハヨっす。英二先輩、不二先輩。
・・・・・・英二先輩、また何怒ってるんスか?」
「桃ばっかおチビといっしょでズルいにゃ〜!!!」
「ええっ!? コイツとはそこでたまたま会っただけっスよ!!」
「ズルいズルいズルい〜〜〜〜〜〜!!!!!」
「―――はいはい、英二。そんなことしてたら本当に遅刻だよ?」
「うにゃ!?」
僕の声に焦った(らしい)英二が部室に備え付けられた時計を見、『もーこんな時間!』とますます焦った。
「いそご、不二!」
そう言い伸ばされた手はあの日のものよりずっと大きくなっていたけど、その温もりはあの日と全く変わっていなくて。
だから・・・・・・
「うん・・・・・・」
僕はまたその手に自分の手を伸ばした。
「―――という訳だから、2人とも急がないと遅刻だよ?」
「うげ!?」
「ホラやっぱ桃先輩がちんたらしてるから!」
「うっせーぞ越前! お前こそ俺が急げっつってんのにファンタ買いたいなんてダダこねたクセに!!」
「何人に責任押し付けてんスか! 先輩なら先輩らしく―――!」
「お前こそこーゆー時しか俺の事先輩扱いしねークセに―――!!」
(そんな事やってる間にさっさと着替えればいいのに)
なおもぎゃーぎゃーやる2人を肩越しに見て、僕は軽く肩をすくめた。
「んにゃ? 不二、どーしたん?」
「いや? 別に?」
仲間・友達・後輩・ライバル、そして―――親友。
テニスを通じて僕には様々な人が出来た。
「これだからテニスって面白いよね」
「ん? にゃんか言った?」
「ううん。何も?」
「そっかにゃ〜・・・?」
首をかしげる英二の後ろで、僕は小さく笑った。作り物じゃない、本物の笑顔で。
―――Fin
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
実はこれ、テニスでは初の話なんですよね。書き始めたのは。でもって書き終わったのは8番目くらい。
・・・・・・・・・・・・
別にただの余談ですけどね。
この話、大学の講義が丁度休講で6時間ヒマだったとき書いた(厳密には書き始めた)ものですが、つまるところ言いたかったのは超人はヒマなのよ、という事です。現在の手塚がいい例ですな。
しかし英二、ネコ語を使わせないと千石さんと口調の差があんまないゾ☆
ラストに、宣伝(になるのかなあ?)。
この話は元々こちらの不二サイドのみの単発モノでしたが、変更しました。メニューにありますとおり英二サイド【天真爛漫のその奥で】とセットになってます。一見人懐っこい英二の性格の裏(笑)とか、なんで最初不二に勝負を申し込んだのか、とかがわかる・・・ハズ・・・・・・です・・・・・・・・・・・・?
―――ちなみにどうでもいいですが、こんな口調(地の文)の10歳か11歳児がいたら怖いよ・・・・・・。
2003.4.8〜11(write 2002.5.31〜8.10)