6月のある昼下がり。突如振り出した雨のおかげで人々は足止めを喰らい、たまたまそこにあった喫茶店は一種の寄り合い場と化していた。
 天気予報士の『梅雨入り』の言葉がまるで呪文であったかのように、昨日まで、いや、午前中は晴れていたはずの空は、今はどんより湿ってひたすらに雨粒を吐き出しつづけている―――誌的ではないか。だが今喫茶店でやることもなく、しかしながら何もせずに店内にいるのは失礼だからと欲しくもない飲み物やら軽食やら頼みただでさえ軽い財布の中身を無意味かつ余計に減らさらざるを得ない者たちには、誌的に訴えられれば立派な嫌がらせとなるであろう。
 自分の気分を代弁しているんじゃないだろうか、と勘違いしたくなる勢いで暗くなっていく空を、『客』は頬杖をついてただただ陰鬱に見上げるしかなかった。
 ―――筈だった。







ケカビアオカビ馬鹿ビに注意!








 「―――な〜んでいきなり雨なんて降るんだよ・・・!!」
 窓際の席にてやはりそんな事をボヤく少年。その様子からすると彼もまた『被害者』の1人なのだろうが、今や他の客達はこの雨をいつも頑張る自分へのご褒美などと神へ感謝しながら外を―――ではなく少年を見ていた。
 正確には、少年の斜め向かいでにっこりと笑う彼を。
 「まあまあリョーマ君、梅雨入りだって言うし、仕方ないんじゃないかな?」
 「よくない! おかげで今日の予定めちゃめちゃじゃん!!」
 リョーマ、と呼ばれた少年が噛み付く先で、『彼』はブラウン管越しで見るよりずっと優しい笑みを湛えていた。彼―――不二周助が。
 弱冠
19歳という若さでありながら既に世界トップレベルのプロテニスプレーヤーとして名を馳せている彼。甘いマスクとそこからは考えられない程の天才振りを発揮するその姿は、不思議な二面生を伴い、日本中の、少なくとも今この場にいる彼ら彼女ら客達のハートを完全にゲットしていた。
 2人を見守る客達。その頬は赤らみ、目じりも頬もだらしなく垂れ下がっている。
 それに気付く事もなく、リョーマと不二の八つ当たりコントはまだまだ続いていた。







・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・








 「あ〜! も〜今日せっかく部活だってなかったのに!!」
 外を見てなおも文句を垂れるリョーマ。その台詞をどう解釈したか、不二の笑みがさらに緩む。
 「え? そんなに僕と一緒にいたかったのv?」
 「―――なワケないだろ。
  じゃなくて! せっかく周助とできるって思ったのに!!」
 (で、できる・・・って、何を!?)
 (え・・・!! や、やっぱあんなことやこんなこと・・・・・・!!!)
 リョーマの台詞をさらにどう解釈したのか、聞くともなしに聞いていた―――どころかあからさまに聞き耳を立てていた周りの客たちがざわめいた。もちろんリョーマは『テニスが』できると思っていたのに、と言っているのだが。
 とりあえず不二は正確に汲み取ったらしい。リョーマの頭にぽんと手を置き、にっこりと笑った。
 「リョーマ君。確かにテニスはできないけど―――」
 (なんだテニスか・・・・・・)
 (確かに昼間こんなトコでそんな事言うワケないよな・・・・・・)
 安堵と失望をブレンドした微妙な空気が流れる中、それを完全に無視して不二が言葉を続ける。
 「でもおかげでこんなところでリョーマ君と2人っきりでのんびりできたじゃない」
 (2人きりって・・・・・・俺ら無視かい―――)
 ごん!!
 (当たり前でしょうが!! 不二様は私たちとは住む世界が違うのよ!! たまたまここに降りてこられた方なんだからそのお姿を拝見させていただけただけでありがたいと思わなきゃ!!)
 突然のスター来航(大笑い)に脳内オーバーヒートして錯乱気味の女性が恋人を荷物でぶっ叩いて小声で怒鳴る。
 うんうんと頷く9割の客。残り1割が彼女と気絶した男、そして先程から注目の的の割に周りを全て無視している不二とリョーマである以上、実質彼女の発言に全員賛成らしい。
 唯一不満顔の、しかし別に彼女の言い分に何か反対なわけではないリョーマが頬杖をついて口を尖らせた。
 「これじゃ何のために昨日の夜あんなに頑張ったんだか」
  ((うええええええええええええええ!!!????))
 リョーマの驚くべき告白に、客全員が目を見開いた。がたん! と音を立てて勢いよく立ち上がりそのままコケる者。悲鳴を上げまいと口と、あとまあついでに鼻を手で押さえて顔面紫色になる者。
 リアクションこそ人それぞれだが、全員の言いたい事は1つだった。
 が、
 それを口にする前に不二が頷いていた。
 「うん。確かに昨日のリョーマ君は凄かったものね。僕も驚いちゃったよ。あんなに出来るなんて」
  ((〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!))
 口元に手を当てくつくつ笑う不二。その姿からは想像もつかない発言に、客たちの悲鳴は一気に声帯の限界を超えた。
 (いやああああああ!!!!! 不二様が不二様が不二様が〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!)
 (あ、あんな子ども相手にどんな事を・・・・・・!!)
 (え? っていうか今の台詞だとむしろ不二君が越前君に手玉に取られたって事・・・!?)
 (ま! まさか・・・!! 実は不二君が受!?)
 (そ・・・! そんな・・・・・・!! 不二様は攻でしょ!? あのお方が誰かに主導権握られてるなんてそんな事あるわけが・・・・・・!!!)
 (あ・・・、考えただけで鼻血が・・・・・・)
 などなど続く客たちの、半ば意味不明の会話(?)。それにしてもなぜここにいる全員は会話の意味を正確に理解しているのか・・・・・・。
 さて真相はどうだったのか、それは次のリョーマの台詞で簡単に判明した。
 「周助が言ったんじゃん。『宿題終わったら相手してあげる』って」
 「う〜ん。けどそれであんなに頑張るとは思わなかったよ。嬉しいな。そんなに今日僕とテニスしたかった?」
 「当たり前。周助と対戦なんてほとんどできないんだから」
  ((なんだ・・・。やっぱテニスなのか・・・・・・))
 空気の中の失望が8割ほどまで増える。
 が、やはり―――というかそれこそ当然のように周りの空気には気付かないリョーマが大あくびをした。
 「おかげでめちゃくちゃ眠いし」
 「まあ、ほとんど徹夜だものね」
 「誰のせいだと・・・・・・・・・・・・」
 さすがに3度目ともなればもう回りも『期待』はしていないのか、今度はさらりと流される。実のところリョーマの言っていた『宿題』。これから休日に入るからと大目に出されたものの、そのほとんどを不二が手伝った(むしろ不二がメインでリョーマが手伝った)ため夜
11時には終わっていた・・・・・・などという事実を知ったなら客たちは果たしてどんなリアクションをしてくれるのか。
 そんなどうでもよさそうなことはさておいて。
 不二がさらに優しくふんわりと笑った。―――鼻血を出す者もさらに増加する。
 イスの角度を変え、頬杖を突いて不満げなリョーマを横から覗き込みつつ尋ねる。
 「そんなに眠いなら少し寝る?」
 「寝る」
 不二の質問にそれだけ呟き、リョーマが頬杖を外した。支えを失い倒れかけた頭が、不二の肩に当たる。
 そのまま動かなくなるリョーマ。その頭を軽くなで、不二が顔を寄せた。
 「おやすみ、リョーマ君」
 小さく囁き、リョーマのさらさらの髪にキスをする。
 もたれるリョーマの肩を抱くと、自分もまた軽くもたれかかり、不二が瞳を閉じた。
 それきり静かになる2人―――とは対照的に、店内には悲鳴と怒号が錯綜した。
 (きゃ〜〜〜〜〜〜vvvvvv 何あれ何あれ!! 肩なんて貸してるわよ!? カワイ〜〜〜〜〜〜〜〜vvvvvvvvvvvv)
 (あ〜〜〜ん!! 私も不二君に肩貸して欲し〜〜〜〜〜!!!!!!)
 (む・・・、むしろ俺が貸してえ・・・・・・!!)
 (っつーかやっぱ男のロマンは膝枕だろ・・・!!! しかもそれで『おやすみ』なんて囁かれちまった日には・・・・・・!!!!)
 顔を真っ赤にして大興奮する一同。店内の気温が一気に5度ほど上昇する。
 なおも気温を上昇させつつ熱い議論を繰り広げる、たまたま今店にいるというだけが共通点の赤の他人同士。
 そんなこんなで1時間ほどがあっさりと経ち・・・・・・







・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・








 「ふ、あ・・・・・・」
 「ん・・・・・・・・・・・・」
 ようやく目覚めたかもぞもぞとリョーマが動き出した。不二もリョーマから手を離し口元に当てる。軽くあくびをしたらしい。
 それ以上に遠慮なく大あくびをするリョーマ。目をごしごしと擦ってから、う〜ん、と思いきり伸びをする。
 猫のようなそんな動作に不二が微笑み―――そして飽きる事無く彼を見ていた一同がさらに狂喜乱舞する。
 リョーマを充分堪能した後、まだ雨の降り止まない外を見て不二がきょとんと瞬きした。
 「ああ・・・・・・」
 「何? 周助」
 「そういえば、ここってスポーツセンターのすぐ近くじゃなかったっけ?」
 「・・・・・・だから?」
 だから何なのか。テニスコートはこの雨で使えない。
 言いたい事がまだわからないか、眉を潜めるリョーマを見やり、人差し指を立てる不二。
 「確かあそこってスカッシュできなかったっけ?」
 スカッシュ―――2人でやる壁打ちテニス。
 まあちょっと自分のやりたいものとは違う気もしたが、このままここで何もせずにただだらだらと時間を潰すよりはずっと良さそうだ。
 リョーマも不二の提案に賛成する。
 「んじゃそっち行こ」
 「そうだね」
 がたりと椅子を引き立ち上がる2人。残り2個の椅子にそれぞれ立てかけておいたテニスバッグを肩に下げ、レシートを手に(もちろん不二の)店を出て行った。
 それを見送り―――
 「んじゃあ俺達も―――」
 「そうね、そろそろ―――」
 「あんま長時間ここにいても迷惑だろうし―――」
 「そうそう―――」
 同じ内容のことを様々な言葉で表現しつつ、やはり立ち上がる他の客一同。彼ら彼女らがこの先どうするのか・・・・・・そんな事はいまさら言うまでもないだろう。







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 5分後。
 「ありがとうございましたー」
 最後の客を送り出し閑古鳥となった店内では、従業員たちがぜひとも今日はここで閉店という事にしようと店長に必死に掛け合っていた・・・・・・。



―――肝心の主役らは・・・?















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 はい。完全に主役ら無視の第3者視点で行ってみました(イヤ一部混じってたけど)。本っ気でヤですね、こんな店。
 では梅雨っぽく腐りまくった話を終わりにします。

2003.6.1115