生憎と同居人はもう足りてんだ。これ以上厄介事はいらねーよ。





Fantagic Factor
           
    −幸せの要因−




. 『同居人』  〜周助の 仕事場訪問記〜



跡部の場合 −跡部財閥総帥息子−  <後>

 「今日はごちそうさまでした」
 「今度はウチがお誘いしますよ」
 「それは楽しみですね」
 再びレストラン前にて、ごくありふれた別れの挨拶をする一同。結局食事中は美恵の1人話となっていた。にこにこと笑って聞く狂介。時折娘を注意する父親。そしてそれを完全に無視して食事に集中していた跡部に―――そんな跡部を意識しながら同じくひたすら食べていた(とはいっても少量だが)周助。
 唯一盛り上がっていた美恵は、ラストまで1人明るくみんなと接していた。
 「また会いましょうね、け・い・君v」
 明るく笑って―――
 ―――跡部に軽くキスをしていった。
 「あ・・・・・・!!」
 思わず小さく声を上げる周助。驚く彼を見て微笑すると、彼女はハイヤーに乗り込みさっさと立ち去ってしまった。
 何より声を上げるほど驚いてしまった事に驚き、ばつが悪そうに俯く周助は。
 「ちっ・・・」
 と舌打ちしつつ口を手で乱雑に拭う跡部がちらりと自分を見ていたことも、
 そんな2人を本日何度目か、狂介が面白そうに見据えていたことも、
 もちろん気付きはしなかった。
 「お・・・」
 再びポケット内で鳴る携帯。バイブ音を上げるそれに、
 「出たら?」
 狂介が今度は普通に指を指して言ってきた。
 この3人ならば遠慮する筋合いなどない。携帯を手にとりその場で2言3言話し、
 「くそ・・・!」
 跡部は乱雑に通話を終了させた。
 「どうしたの?」
 「岳人と宍戸の馬鹿コンビがまた馬鹿な事しやがった。だから忍足か鳳かに任しとけっつたんだよ。アイツら次やりやがったらぜってー下に落とす・・・!
  ―――ってワケだから周、ハイヤー用意するからお前1人で帰れるな?」
 「え? 大丈夫だよわざわざそんな気を使わなくっても・・・」
 「てめぇの『大丈夫』はアテになんねえ」
 「そこまで断言されるとなあ・・・・・・」
 「―――ああ、なら彼は僕が送ろうか? 景吾君の家でいいんだよね?」
 「え・・・・・・?」
 「な・・・・・・!?」
 横手からかけられた狂介の言葉に、2人は目を見開いて彼を見やった。
 『彼』。狂介はそう断言した。もちろんまだ言っていない。言うつもりなどなかったのだから当然だ。
 2人の驚きを前に、してやったりという笑みで狂介が種明かしをする。
 「僕を騙そうなんてまだまだ早いよ、景吾君。君は『女性』を連れてくることで今回の話をなかったことにするつもりだったんだろうけど、本当の女性を連れてくるような真似はしない。そこまで馬鹿な性格じゃないことはよくわかってるよ。美恵嬢の攻撃にさらさせる事についても何か思うかもしれないけど、何より勘違いされたら迷惑だ。
  それに、気付かなかったかな? 彼の化粧、僕の最愛の女性[ひと]、琴美と同じだよ? 君がやったんだろう?」
 「最愛の女性、って・・・」
 「つまりは俺の母親だな。素直に『妻』って言わねえのはコイツだからだ。
  ついでに家出る時にゃ言わなかったが俺の化粧の元は、佐伯と千石共々母さんに小せえ頃よくさせられてたからだ」
 「そうだね。清純君も虎次郎君も、もちろん君も可愛いと親馬鹿な目抜きで思っていたけど彼も充分それに匹敵するね。今度はぜひ一同で『正装』してきてくれ」
 「断る! そういう変態発言堂々としてんじゃねえ!!」
 「失礼だね。僕は純粋に可愛いものを愛でたいという意味合いで言っているのに」
 「母さんに殺されんぞ、それ聞かれたら・・・・・・」
 そんな対談をする跡部親子を見守りながら、周助は軽く何度か頷いていた。
 (へえ・・・・・・)
 そういえば、資料では3人は幼馴染とあったか。当り前だがあまり過去の話などしないためその頃の情報は0に等しいが。
 「そんなワケで僕が彼を送ることに反対はないね? それとも君はハイヤーが来るまで今の彼を1人で放って置く気かい? ああ、もちろん僕はそのまま一緒に待ったりなどしないで帰るよ?」
 「人でなしか? てめぇは・・・・・・」
 「それとも、道中僕が良からぬ事を彼にするんじゃないかって疑ってるのかい?」
 「聞けよ人の話は」
 「それについては安心してくれていいよ。『女性[レディー]』の扱い方については心得ているつもりだからね。ちなみに一応主張しておくと、『扱い』って言ったのは僕は『女性尊重者[フェミニスト]』じゃないからだよ。男女平等をモットーにするなら女性だけを気遣う言い方はむしろよくない。男性相手にも僕は同じ言い方をする」
 「扱い以前に周に手ぇ出しやがったらその時点で殺すけどな」
 「おやおや。恐いもんだね。まあまだ人生楽しみたい事は多いから殺されないように誠意努力するよ。
  じゃあ景吾君はお仕事に行ってらっしゃい」
 「くそ・・・!」
 捨て台詞を残し、去っていく跡部。その様からすると実のところあまり時間的余裕はなかったようだ。少なくともこんなところで愚にも付かない話をしている余裕は。
 「じゃあ、僕らも行こうか」
 「はい」
 狂介のエスコートで、周助もまた行き乗って来た跡部のハイヤーとは別の車に乗り込んだ。







ζ     ζ     ζ     ζ     ζ








 狂介が運転をし、周助が助手席に乗る。2人きりの車の中で。
 「ところで周君―――ああ、そういえば君の本名を聞いていなかったね。まあ景吾君も君のことをそう呼んでいたようだし、このままでも構わないけど何か希望名はあるかい?」
 「希望・・・といいますか正確には周助です」
 なんとなく暖簾に腕押しという諺を彷彿とさせる彼の話に早くも順応した周助が、運転する狂介ににっこりと笑ってみせる。
 それに満足げに頷き、
 「なるほど。
  では周助君、君は今日の『食事会』の意味についてはわかったかな?」
 よく話すようで肝心なところをぼかし、相手に悟らせる美恵嬢とは対極の話し方。一見意味不明のようで決して別の意味には取らせない彼の質問に、周助は本日何度か感じた心の軋みを隠すように曖昧に答えた。
 「簡易的なお見合い、ですか?」
 「まあそこまで大それたものでもないけどね。尤も向こうの2人にとってはどうだったか、残念ながら僕は彼らじゃないからわからないけど。
  何にしろ、景吾君は気に食わなかったようだね。君のような『口実』まで使うとはいやはや」
 「『口実』・・・?」
 「断る口実だよ。美恵嬢は見事に乗ったね。君を景吾君の恋人だと勘違いした」
 「そう、ですね・・・・・・」
 はっきり『勘違い』だと言い切る狂介。跡部ももちろんそれを狙っていたのだろう、が・・・・・・。
 その先を考えないように、返答から質問へと切り替える。
 「じゃあ、狂介さんは―――とお呼びしてよろしいでしょうか?」
 「ああ、構わないよ? 名字で呼ばれると景吾君と紛らわしいし、『お父様』は僕が照れる」
 笑ってそんな事を言ってくる狂介に、周助も気持ちを落ち着かせて尋ねた。
 「では狂介さんは、景のお見合いに賛成だ、と?」
 「お見合い―――ひいては結婚に? う〜ん。どうだろうね。周りは大賛成だよ。早く身を固めて『大人』になってくれってね。なにせ景吾君の・・・いわゆる『女遊び』はかなり激しいからね。それに早く後継ぎが出来てくれると安心するらしい」
 「『周りは』、ですよね。推測形が多いですし。
  では貴方は?」
 「よく聞いてたね。でも僕の答えは最初に言った通り、『どうだろうね』だよ。基本的に僕は景吾君の生き方に特に口は出してないんだ。なにせ景吾君の人生は彼のものであって僕のものじゃないからね。さすがにそこまで責任は持てない。彼の性格からしても僕の指示は望んでいないだろうしね。
  結婚するならするでそれは良し。しないならそれもまた良し。結婚した者みんなが『大人』になるとも限らないし、なにより共に在り続ける手段が結婚だけとは限らない。今の景吾君はそれの良い例だ。随分楽しそうに毎日を送っている。共に仕事をする氷帝グループの仲間、それに君たち同居人には感謝するよ。
  ―――まあ尤も、親の言いなりに動いて
19歳で結婚、景吾君を生んだ僕が言っても説得力はないだろうけどね」
 「親の言いなりで? ですが、失礼ですけど先ほど奥さんを指され、『最愛の女性』と仰られましたよね? それに―――」
 幸せそうですよね。その言葉は伏せておく。心を詠んでも今の彼はほんとうに穏やかだ。とても嫌々今の生活を送っているとは思えない。
 そんな周助の言葉に。
 「嘘はついてないよ? 琴美は僕にとって最愛の人だ。親の言いなりとはいっても最終的に彼女を選んだのは僕だからね。自分の判断と人生には責任を持つし、いつまでもクヨクヨ他者に責任をなすりつけ後悔するのは僕の人生哲学に合わない。
  それに今の生活も幸せだよ。実のところ今まで言ったのはただの建前さ。のろけになるだろうけど本当に彼女に出会えてよかった。そして景吾君が生まれてきてくれた事についてもね。神に―――いや、天仕様に感謝しないと」
 「え・・・・・・?」
 いきなり出てきたよく知る単語。だが何故彼がそれを? しかもあえて言い直した?
 さすがに顔に出たのだろう。信号で止まったのをいい事に楽しげにこちらを見やり、狂介が説明を続けた。
 「知ってるかい? 天仕様。なんでも人に幸せを運んでくれるらしい」
 「それは、まあ・・・・・・」
 それ以外何とも言い様が無い。狂介もまたある程度以上は知っているようだが、彼の様ではそれを信じているのかただの妄想だと思っているのか区別がつかない。
 目線を僅かに逸らして戸惑う周助に、狂介の笑みが深くなった。
 「これは景吾君にも言ってないことなんだけどね。僕に『幸せを運んでくれた』のが琴美だよ」
 「まさかそれって―――!」
 「ああ。君の推測どおり。琴美は天仕だよ。引かれたレールの上をただ歩くだけの僕は彼女にとって、いや天仕にとって『不幸な人』だったらしい。それで来たんだけどね。
  だから僕は言ったよ。『僕を幸せにしたいなら結婚してくれ』ってね。始めは冗談のつもりだった。多分ね。もしかしたら卑怯な脅しだったのかしれない。こう言ってしまえば彼女は断れないことを知っていたわけだから。
  彼女はそんな僕の誘導どおり頷いたよ。それで僕らは結婚することになった。周りはもちろん猛反対さ。跡部財閥を継ぐ者が、誰ともわからないぶっちゃけどこぞの馬の骨と結婚するとくれば当然だろうけど。
  見合いの話は前から来てたけど、それを機に一気に十倍以上に跳ね上がった。僕は自分で全部断ったよ。親に逆らったのは初めてだ。意外とやってみると面白い。琴美と手と手を取り合ったからもっと面白かったのかもね。
  事態は琴美が妊娠したというので一気に解決したよ。僕が勘当寸前になってね。僕以外跡取がいなかったのが決め手みたいだ。だから周りは手の平を返して琴美を迎えた。琴美の子―――景吾君に正式に跡を継がせるためにね。
  だが景吾君は―――」
 狂介の視線が周助から逸れる。いや、視線そのものは逸れていない。焦点が周助からもっと遠くへ移っただけで。
 恐らく今彼の目には悪態をつきながら会社へ向かう息子が映っているのだろう。妻共々自慢の息子が。
 「―――僕より遥かに賢い。手綱を取るのは一苦労、どころか未だに全く取れてないさ。
  景吾君の手綱を取れるのは、それこそ清純君か虎次郎君か、仕事の仲間か―――あるいは君かもね」
 「僕が、ですか? またなぜ―――」
 彼の焦点が戻る。自分を指差しきょとんとする目の前の少年へと。
 信号が変わった。前へ視線を送り、のんびりとアクセルを踏み、のんびりと会話を続けた。
 「景吾君が如何なる理由であろうと自ら他人を僕に紹介したのは初めてだよ。ついでに自分の事を名前で呼ばせているのを見るのもね」
 「でも、名前については僕が勝手に呼んでいるだけですよ? どう呼ばれようが自分には関係ないって言ってましたし。
  それに先程の、美恵さんだって景の事は名前で呼んでいたじゃないですか」
 ちなみに周助が(佐伯は少々例外だが例外だが)狂介含め彼らを名前で呼ぶのには理由がある。最初に本人が言った通り、彼には名字がない。いや、天仕にはそもそも、といった方が正しいか。寿命がやたらと長く、人間と比べて世代交代が時期が遅い彼らが家云々などと考え出したら大変な事態になるからだ。
 もちろん人間と長く接する中で名字についても充分学んだが、やはり普段から使うなら慣れた方にしたい。
 「おや? 君なら気付いているかと思ったよ。美恵嬢が彼を名前を呼ぶ度不快感を露にしていた事に。
  確かに景吾君にとっては呼ばれ方はあまり重要じゃないかもね。彼自身呼ばせ方及び呼び方と親密度を比例はさせていない。君も知っているだろうけど同居人3人が全員名字で呼び合っている事でそれは証明される。彼らは3人とも個人[パーソナルな]空間に他者を入れることを良しとしない性格だからね。同居までしてしまう時点で親密度は最上位に等しい。
  でも景吾君、『自分には』関係ないって言ったんだろう? つまりは呼ぶ側には関係あるって事だ。
  得てして人間名字で呼ぶより名前で呼ぶ方が親しいと思う輩が多いからね。間違ってはいないけど景吾君はこの手の勘違いが嫌いなようだ。実をいうと僕もこれに関しては景吾君に賛成だ。だから僕は他人を名前で呼びはするけど極力他人に名前は呼ばせない」
 瞳を鋭く細めて言う狂介。その先には真っ青になって慌てふためく少年の姿が。
 「あ、あの、申し訳ありません!! 僕、そんな事とは梅雨知らず何度も名前でお呼びしてしまって―――!!」
 本当に申し訳なく思っているらしい。ただでさえ小さな肩をすぼめて何度も何度も膝が額に触れそうなほどにくっつけ謝る周助に、狂介は声を立てて笑った。
 「随分と素直に謝るね。それともそれは僕に対する嫌味かな? 最初君が僕のことを名前で呼んでいいかと尋ねた際、僕は了承したと思うけど?」
 「あ・・・・・・」



 『じゃあ、狂介さんは―――とお呼びしてよろしいでしょうか?』
 『ああ、構わないよ? 名字で呼ばれると景吾君と紛らわしいし、「お父様」は僕が照れる』




 「でもあれは、景と紛らわしいからで―――」
 「紛らわしい? なんでさ。君は景吾君のことを『景』と呼んでいるじゃないか。僕をどう呼ぼうがそれと被る事はないよ。
  ああ、『お父様』で照れるのは本当だけどね」
 「それは、呼びませんが・・・・・・」
 「呼ばないのかい? それは残念」
 「残念って・・・・・・」
 本気で心底残念そうに首を振る狂介を、周助が頬に一筋汗を掻きつつ見やる。
 そこで、車が止まった。窓の外には見慣れたマンション。
 「はい。着いたよ」
 「あ、ありがとうございます!」
 礼を言い車から出る周助。なぜか後に続いて狂介も出てくる。
 ばたりとドアを閉め、周助と向き直った。
 「さっきの美恵嬢の質問は僕が代わりに答えておくよ。
  息抜き[マスコット]は景吾君にとって最も役に立つ存在だよ。仕事上『役に立つ』有能な人材は彼のもとにいくらでも集まってくる。でも彼に―――彼らに休息を与えるなんていう大役を果たせる者はそうはいない」
 「でも、僕はいつもみんなに迷惑かけてばかりですよ? 何もしていませんし、景には怒られてばかりですし。それに僕のせいでみんないつもケンカしてますし。特に景とサエは」
 なぜだか、彼には全てを話したくなる。もしかしたら彼の答えが自分の望みどおりである事を知っているからか。
 そんな周助の予想に―――期待に、裏切る事はなく。
 「へえ、景吾君だけじゃなくて虎次郎君が、ねえ。それは珍しい。2人のケンカか。ぜひそれは見てみたいものだ。
  ―――それは立派な息抜きだよ。親として決して自慢は出来ないんだろうけど自信を持って言わさせてもらうと、景吾君は不器用な性格だ。いつも自分勝手に生きてるようでなかなか自分が出せない。恐らく彼からしてみれば自分勝手に生き過ぎてる僕を反面教師とした結果だろうけど、出せない理由は周りの目然り下の面倒見然り。中間管理職の苦労についてよく言われるけど、トップだって立派にそれは当てはまる。ただプレッシャーが上司[うえ]じゃなくて周り[よこ]になるだけでね。ケンカが出来るほどのワガママが言える場所は少ないよ」
 微笑む狂介の手が周助の頭に乗る。優しく撫でつつ、
 「だから、これからもぜひ景吾君たちを頼むね。みんな僕にとっては息子みたいなものだから」
 心地良い感触。やはり親子だからなのだろうか。この空間はとても居心地がいい。
 「はい・・・・・・」
 頷き、周助が瞳を閉じた。小さな体を抱き寄せようともう片手を回した―――
 ―――ところで。
 「―――おい」
 「え? 景・・・?」
 「やあ、景吾君。早かったね」
 「馬鹿ども殴ってさっさと改心させたからな。
  で、てめぇは何やってやがる。『誠意努力』はどこいった?」
 「誠意努力の結果がこれだ、って言ったら?」
 「ンなに殺して欲しいか?」
 「ああやっぱりそうなるかい? ちなみに『誠意努力の結果抱く寸前で君に気付いた』、って意味だけどね」
 「明日の朝刊トップはてめぇの惨殺死体で決定だな」
 「恐いなあ。じゃあ殺される前に退散しようか。
  ああ・・・・・・」
 車のドアを片手で開ける狂介が、もう片手で周助を引き寄せた。
 驚く跡部と周助、2人を無視して耳元に囁く。
 「(淑子さんと由美子君は元気かな? よかったら挨拶しておいてもらえないかな。琴美は元気だって)」
 「―――!!」
 (僕のこと、知って・・・・・・!?)
 目を見開き狂介に顔を向ける周助。そこに映ったのは、跡部と同じ呑み込まれそうなほど深い瞳。
 「ん―――!!」
 息を呑む間もなく、唇が合わせられた。不快感は何もない。むしろ・・・・・・
 触れた時同様あっさり離れていく唇。反射的にそれを追おうとしたところで、
 「てめぇは何やってやがる!!」
 怒鳴り、跡部が2人を引き剥がす。
 跡部の力強い腕の中で、周助はその言葉を聞いた。不思議な笑みを浮かべる狂介の言葉。
 「僕は天仕[きみら]についてはよく知らない。君が何を目的としてここにいるのかも。
  でも、自分の好きなように生きようと思うのは何も人間[ぼくら]だけの特権じゃない。





  ――――――幸せになる権利は君にも充分あると思うよ」





 (―――!!)
 古い言い方をすれば体中に電撃が走ったような、そんな衝撃。
 抱き締める彼の温かい腕。自分はそれを求めてもいいのだろうか?
 さっさと車を発進させ、狂介が去っていった。
 「次会った時はぜってー殺す・・・・・・!!」
 跡部の呪詛を聞きながら、周助はさらに別の『声』を聴いていた。
 <景吾君に関しては今のとおりさ。後は君次第だ。
  ―――『お父様』。楽しみにしてるよ>
 (“伝心”・・・?)
 天仕の能力、“詠み”の逆利用。やりようによっては自分の意図した通りの『心』を伝えることも出来るらしい。この間跡部・佐伯・千石の3人が弱っていた自分に力を送ってくれたのも分類すればその1つ。ただしここまではっきり伝えられたのは初めてだ。
 琴美に聞いていたから。長年天仕と接する事で通常の人間より心の扱いに長けたから。今自分に触れている息子を媒体としたから。理由はいろいろ考えられるが・・・・・・
 (さすが景のお父さんだね・・・)
 結局のところ結論はここに落ち着くようだ。
 「おい周! あの野郎に他に何かされなかったか!? クソ! やっぱ送ってから行きゃよかったか・・・!!」
 肩を掴んでガクガク振りつつ真剣な眼差しで聞いてくる跡部。彼の心の大半は今でも詠めないままだ。だが、
 詠めるほんの一部分は本当に自分を心配している。ほんの一部分だというのに、それだけでも直接向けられると心も体も全て切り裂かれそうなほど強い。
 「だ、大丈夫だよ・・・。話してただけだし、すごく優しくしてもらったし・・・」
 「優しく!? 優しく何された!!」
 「え、いやそういう意味じゃなくってその、励ましてもらったりとか悩み聞いてもらったりとか・・・・・・」
 「そう・・・、か・・・・・・」
 揺さぶりが収まる。周助の肩からゆっくりと手を離し、跡部は息を吐いた。安堵と、もうひとつ。
 それを周助に悟らせないまま、意識を飛ばしかけているらしく頭と目をくりょくりょ回す彼の体を抱きしめる。
 「け、けえ・・・・・・?」
 「消毒だ」
 言い、唇を合わせた。本当に消毒するかのように、全てを父親から自分へと書き換えるように、唇を舌で舐め、角度を変え何度も合わせる。
 「ふ・・・は・・・・・・」
 口腔内にも入る舌。快感のポイントを突かれ、舌を絡め取られて。
 激しい行為でも感じるのは心地良さ。狂介にも感じたものとやはり同じで、でもそれより遥かに強い。
 「ん・・・、う・・・・・・」
 離したくなくて、首に手を回して抱きついて。
 どのくらいそうしていたのだろう。お互い抱き合ったまま温かさを確認しあって、
 周助が尋ねた。
 「ねえ、景・・・」
 「あん?」
 「景は、結婚しようとかって、思わない・・・の・・・・・・?」
 決して視線を合わせはせず、跡部の肩に顔を埋めたままそんな事を言ってくる周助。
 「あのスチャラカ親父に何か吹き込まれたのか?」
 「ううん・・・。ただ、僕が聞いてみたいって思っただけ・・・・・・」
 「する――――――つったら?」
 「応援、するよ・・・? ちゃんと・・・・・・。それが、僕の仕事だから・・・・・・」
 すぐに、答えられた。ずっと、跡部の腕の中で、そう言おうと考えていたから。軋む胸はもう張り裂けそうだ。



 『幸せになる権利は君にも充分あると思うよ』




 たとえそうでも―――いやそうだからこそ、跡部の幸せを一番に考えたい。彼の幸せな姿が、自分が何よりも望むものだから。
 だから、ためらわずにそう答えた周助に。
 跡部の顔から表情が消えた。
 だがそれも一瞬のことで。
 大きくため息をついて周助の頭をカツラごとぐりぐりと撫でまわした。
 「生憎と同居人はもう足りてんだ。これ以上厄介事はいらねーよ」
 「え・・・・・・?」
 顔を上げる周助。顔を上げて見たのは呆れ返る跡部の顔―――ではなく。
 「―――へ〜え。『厄介事』ねえ。
  で、お前は部屋に使用人も入れたくないなんてワガママ言ってその『厄介事』らに炊事洗濯やらせてる、ってワケだ。
  俺としてはさっさと結婚でも何でもしてとっとと出てって欲しいよ」
 いつの間にこちらも帰ってきたのか、佐伯が口だけで笑ってそんな事を言っている。ちなみにもちろん手は跡部から周助を奪取すべく伸ばされている。
 「ああ? 出てけだあ? この家は俺様のものだろーが。てめぇらが出てけよさっさと」
 佐伯を睨みつけながらも手を払いのけつつ周助を片手でさらに引き寄せる。
 「それはいい案だな。
  ―――ねえ周ちゃん。周ちゃんもこんな横暴社長の家なんていたくないよねえ?」
 「え、え〜っと・・・・・・」
 「何周まで巻き込んで勝手なことほざいてんだよ。
  ―――おい周。てめぇこそンな腹黒野郎となんか一緒にいたくねえよなあ?」
 「う、う〜ん・・・・・・」
 「ほらいたくないって言ってんじゃん」
 「『え〜っと』のどこが肯定なんだよ。俺のほうに肯定したじゃねーか」
 「もの凄く首傾げてただろーが。声も裏返ってたし」
 「―――じゃあここは足して2で割って俺と一緒になろう! 周くん!!」
 『勝手に乱入すんな千石!!』
 どごばご!!
 本気でいつの間にか争う2人から周助を掻っ攫い明後日の方向へ指差し宣言する千石を後ろから蹴り倒し、再び争いは跡部と佐伯へと移っていった。
 絶対に自分を離そうとしない2人に挟まれ、揉まれながら、
 周助は狂介に言われた言葉を思い出していた。



 『彼らは個人[パーソナルな]空間に他者を入れることを良しとしない性格だからね。同居までしてしまう時点で親密度は最上位に等しい』
 『彼らに休息を与えるなんていう大役を果たせる者はそうはいない』
 『ケンカが出来るほどのワガママが言える場所は少ないよ』




 こんな風に争いながらも決して彼らは離れる事はなく。
 こんな風に争いながらも決して彼らの関係は変わる事なく。
 (僕も、この中に入れると思いますか? ねえ、狂介さん・・・・・・)









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 はい。なんだかむやみに出張って主役ら食ってます跡部父。【Let's Fight!】にて跡部の母親というものを少し登場させてみたのですが、跡部の性格と口調考えるとどうやっても厳格な家庭に育ったとは考えにくいような・・・。そんなわけでこんな父親になりました。なお母親は不二母の淑子さんと気が合う時点でのほほんとした方です。跡部曰く不二に似た。そして父親が佐伯に、母親が不二に似ているという跡部。彼らに対する耐性はばっちりですな。
 しっかしこの父親好きだなあ・・・。これからこのシリーズのみならずいろんな所に乱入させようか・・・・・・。

2003.12.27〜2004.1.12