0.悩み多き少年たち
〜Time will heal the...〜
真実と現実 真実の捻じ曲げ方後編
結婚生活は、極めて順調に進んでいった。心配されていた(?)跡部の性格の悪さも噂ほどではなく、おかげで由美子も彼を操らずに済んだ(笑)。
唯一何か問題があるとすれば―――
―――跡部が決して由美子を求めようとしない、という事か。
ψ ψ ψ ψ ψ
夜。
本日すべき事を全て終え、後は寝るだけとなった―――ところで。
跡部は夫婦2人の部屋ではなくかの部屋に向かうと、おもむろに身に纏っているものを脱ぎ、シングルベッドに潜り込んだ。かつてはここで毎日求め合った。それは今でも変わらず。
「あ・・・、ん・・・う・・・・・・」
自分の望む通りに動く両手。果たしてこれは自分の記憶がそうさせているのか、それとも・・・・・・
「うあっ・・・・・・!!」
疑問は今日もまた解消されないまま、一度体を跳ね上げさせた後、跡部はベッドへ―――眠りへと沈み込んでいった。ワンテンポ遅れて布団がのしかかる。確かな暖かさに身をゆだね、夢の中でアイツに会える事を祈りながら・・・。
さらに夜。
1人眠る跡部の元へ、客人がやってきた。
あどけない表情で眠る跡部を見下ろし、くすりと笑う。
「随分と・・・、可愛い顔ね」
入ってきた存在―――こちらは名目上夫婦の寝室実質自分の1人部屋から来た由美子は、そう呟くと、
彼を包む布団を剥がした。
露になる全身。傷1つない綺麗な裸体は、逆に傷つけたいという願望を起こさせる。偽物じみた、現実感のない躰。だから―――
―――今は冷めているが、熱い雫を垂らす中心は酷く現実的だ。
そのギャップが、より欲望を煽る。ぜひとも手に入れてみたい。誰をかは言わないが。
苦笑し、由美子は跡部の上に手をかざした。
安らぎを与える一定のリズムで、不安を植えつける呪文を紡ぐ。さて『彼』にはどちらに聞こえるか。
「がっ・・・!!」
仰向けで寝ていた跡部の体が、えび反りに反り返った。一瞬で見開かれた目。しかしそれは目覚めによるものではない。
「うあ・・・あ・・・・・・あ・・・・・・」
焦点の合わない目で虚空を見据える。ビクビクと痙攣する体。布団をまくっていたおかげでよく見える。陶器のような白く綺麗な肌に、1本、また1本とつけられる『傷』が。
増えるごとに、痙攣が激しくなっていく。最早ビクビクなどといった生易しいものではない。最初ほどではないが、筋肉全てが振動していると言っても過言ではないほどだ。
ガクガクと振るえる跡部。異常なその様を、それでも平然と見やり、
(さすがに・・・・・・これ以上は限界ね)
跡部の『魔法使い』としての力量を逆の意味で甘く見ていた。普段の様からすると、自分には届かないがかなりの実力だった。だからこそこの程度は平気かと思っていたが・・・・・・。
(どうりで私が近付いても目覚めなかったわけね。根源精神導入[ダンピング]なんて・・・・・・)
自分ですらそうそう出来ない(というかやりたくない)ほどの高度な術。名前通り精神の奥底まで入り込むこれ、ノリは眠りを極度に深くしたものだが、垂直落下[ダンピング]の異名は伊達ではない。ヘタをすると2度と目覚めることは出来なくなる。眠ったまま死んだ者の中に、割合的に少なくはあるが確実にいるのだ。この術を失敗し、戻って来れなくなった者が。
それだけ危険な術でありながらそれでもやる理由は2つ。1つとして、肉体という枷を外せる事。筋肉が脳により制御を受け、本来の力の70%しか発揮出来ないのと同じで、精神もまた肉体により制限を設けられている。それもかなり厳しいラインで。なくなれば、使える術のレベルは格段に上昇する。
そしてもう1つ。これは彼ら限定だろうが・・・・・・一見混じり合ったものでも、よくよく見ると混ざり合っていないものは多い。
なんにせよ、結果的に肉体から精神を切り離す事になるこの術。行っている間は、肉体が完全に無防備になる。そう、今の跡部のように。
術をかけられさすがに気付いただろう。しかしもう手遅れだ。一度嵌ってしまった術から抜け出すのは容易なことではない。それこそアリ地獄と同じだ。藻掻けばそれだけ深く嵌ることになる―――嵌った本人は。
呪文の結尾に、言葉を紡ぐ。
「さあ、跡部君を護る騎士[ナイト]を気取るのならば姿を現しなさい」
それが合図だった。強制召喚術発動。
「ぐあっ・・・!!」
跡部の体が一際大きく跳ねる。同時に―――
―――まるで薄いガラスの砕けるような音と共に、傷こと出来かけていた陣が消滅した。
僅か一瞬。相殺した術者は、由美子と同格以上か・・・・・・それとも根源精神導入状態なのか。
満足げに微笑む由美子の前で、ゆっくりと身を起こした“それ”が気だるげに前髪を掻き上げた。
眠そうな、疲れた声で呻く。
「久しぶりの肉体って、やっぱ疲れるモンなんだな」
跡部の体。跡部の口で紡ぐ、跡部の声。しかしながら―――違う。これは“跡部”ではない。
跡部よりも、とてもよく知っているもの。弟ら共々、ずっとその成長を見守っていた者のもの。
“それ”の手が下へと落ちる。もちろんさらさらの髪も。
特に落とした手で躰を隠す事もなく。そして落ちた髪が顔を隠す事もなく。
“それ”がようやくこちらに気付いたか(もちろんフリだろうが)、のんびりと見上げてきた。笑みの浮かぶ顔で。
好意的な、優しい笑み。やはり違う。跡部はこんな笑みは浮かべない。こんな―――
―――向けられた者に絶望的寒さを植えつける、鋭すぎる刃をその内に秘めた剣呑な笑みは。
笑って、“それ”が話しかけてくる。
「お久しぶりですね、由美子さん」
「ええ。9年ぶりね。
――――――虎次郎君」
正体を当てられ、“それ”―――“佐伯”が目をぱちくりとさせた。跡部の姿かたちでそのような事をやられると奇妙な感じだ。間違いなく佐伯本人もわかった上でのパフォーマンスだろう。
実際、見た目にわかりやすい驚きは一瞬で消えた。元の笑みで問いてくる。
「なんでわかりました? 俺だって」
「使用人たちにあなたの事は聞いていたもの。直接はさすがに言われなかったけど、繋げてみればわかるわ。あなた達が恋人関係にあった事―――ある事くらい」
言い直した事に意味があるわけではない。ただ、今だに露にされたままの躰を見れば一目瞭然といっただけだ。それこそ佐伯もわかっているから隠さないのだろう。跡部は自分のものだと、何よりわかりやすくアピールするために。
「でも、俺がここにいるかどうかは賭けだったでしょう?」
「そうね。現れてくれなかったらどうしようかと思ってたわ」
肩を竦め、あっさり肯定する。半分本当で、半分嘘。
初めて見せられた乱れた跡部の姿に、推測は確信となっていた。後は現れるタイミングだけだった。彼をおびき出すためだけの術。現れる前に跡部が自分の傀儡になってしまっても仕方ない。
「それで? わざわざ呼び出して何の用ですか?」
「用・・・ってほどの事でもないんだけどね」
呟き、
伸ばした由美子の手を、“佐伯”はばしりと容赦なく弾いた。手に握られていた宝石を。
冷たい目で問う。
「どういうつもりですか?」
「見たままよ。夫婦なら円満な関係を求められるものでしょ?」
「そのためなら手段は選ばない、ですか?」
「ええ」
笑顔で頷く由美子。握られていた宝石は―――傀儡用の魔具だった。それも先程呼び出し用に即興で作り出したものとは違う。体に埋め込まれれば跡部の自我は一瞬で砕け散るだろう。
“佐伯”が己の―――いや、跡部の体を両腕で抱き締めた。
宣言する。
「景吾は渡しませんよ」
言葉と同時に、
『風』が生まれた。
佐伯が得意とする、風の魔術。得意なのは知っていた。ではこの威力は果たして9年間で上げた実力の成果なのか根源精神導入状態―――というか肉体を捨て去り精神のみの存在となったからなのか、それとも単純に跡部を護るためなのか。
頬を撫でるそよ風に、由美子は僅かに体を震わせた。動揺している。怯えている。この自分が。一体いつ振りのことだろう?
むせ返るほどに溢れ返った力。それでありながら彼は完全に制御している。綻びなど全くない。だからこそ―――
―――“佐伯”が命令を下せば、これらは一斉に襲い掛かってくる。
自分に防げるか否か、微妙なところだ。どちらにせよ無傷では済まないだろう。あるいは無傷のまま死ぬか。自分がか―――“それ”がかはわからないが。
(意味のない賭けに賭け物[ベット]が自分の命じゃ割に合わないわね)
自分は決して無謀家ではない。常に上限を定め、それを下回る事のみをこなしている。根性なしと言われそうだが、己の限界もわからない馬鹿よりはいいだろう。
(例えばこの子のようにね)
確かに今現在“佐伯”は完璧に術を制御している。しかしこれを実際使い出したらどうなるか。
精神でしかない佐伯自身は無事だろうが、体がもたないだろう。ただでさえ1つの体に2つの精神を入れるなどという無茶をやっているのだから。そして―――
――――――佐伯は間違いなく自分を犠牲にする。自分を排除し危険を無くした後、負担をなくすために出ていく―――死ぬつもりだろう。だから短期決戦を狙い全力を開放した。
自分の限界・・・・・・やっていい事とやってはいけない事の境目がわかっていない。なぜ跡部が根源精神導入状態になっていると思うのだ?
(あなたに逢うためでしょう? 虎次郎君・・・・・・)
ならばその佐伯がいなくなったらどうなるか。跡部はもう2度と戻って来ないだろう。佐伯を求め、永遠に己の精神内を彷徨う。
部外者だからこそわかる事。わかった上で、
由美子は薄く微笑んだ。
「いいわ。今日は止めておきましょう。分が悪そうだわ」
「・・・・・・」
全く信用していなさそうな佐伯の睨みを手でいなし、
「邪魔してごめんなさいね」
そう詫び、部屋から出て行った。
扉から半身を出し、
由美子が肩越しに振り向く。
「ただし―――忘れないでね。
一瞬でも隙を見せれば跡部君はもらうわよ」
かちゃりと閉められた扉。なおも暫く睨みつけ気配を追い、
ようやっと安心したか、“佐伯”はまくられた布団を元に戻した。
寝転ぶ。やはり久しぶりの体、それも自分のものではないのを無理矢理使うのは疲れる。先程の術―――怒りにより、披露感はより増していた。
眠りに落ちながら、もう一度体を掻き抱く。かつてそうしていたように。
「お前は俺が護るよ、景吾」
部屋に戻る。1人きりの部屋へと。
出る前扉に仕掛けておいた伝話用の術を発動させる。丁度言葉が聞こえてきた。
《お前は俺が護るよ、景吾》
(そう、そうやって護り続けなさい。永遠に・・・・・・)
そうする限り―――“佐伯”が“跡部”を護り続ける限り、
―――2人はひとつになる事はない。それこそ永遠に。
伝話を切り、
「全く、本当に世話の焼ける子たちね・・・・・・」
呟き、由美子は薄く笑った。先程見せたものとは違う。弟らの面倒を見る姉の笑みで・・・・・・。
ψ ψ ψ ψ ψ
『夢』の中で、自分に凭れ眠る跡部をそっと抱く。幸せそうな寝顔を幸せな気持ちで眺め、
「愛してるよ、永遠に・・・・・・」
佐伯はそう囁いた。ずっと言いたくて、それでもずっと言えなかった言葉を。
ψ ψ ψ ψ ψ
目覚める。いつもと同じ朝。隣に誰もいないベッドももう慣れた。
―――『愛してるよ、永遠に・・・・・・』
夢の中で囁かれた言葉。妄想の賜物か、
――――――それとも真実なのか。
目を閉じ、体を抱き締める。抱かれるよりも、遥かに欲しかったその言葉。
抱き締め、そして離す。大丈夫だ。その言葉だけで、今日もまた自分は生きていける。
・・・・・・ひとつとなって生きていく事を決めたのに。なのに今でも求めてしまう。アイツの言葉。アイツの温もり。
弱い自分。それを笑い飛ばす存在ももういないけれども。
それでもそれは確かに『ここ』にいる。だから自分もここにいるのだ。
「よし」
景気付けに頷き、
跡部はベッドから立ち上がった。
―――Fin
ψ ψ ψ ψ ψ ψ ψ ψ
何だかワケのわからない話として終わりました(爆)。一応イイワケとして、一般的に『溶けている』状態というのは分子レベルで言うと目には見えないほど小さくバラバラになって包まれている状態(砂糖水で曰く砂糖の分子1つ1つが水分子に覆われあちこち散らばった状態)であって決して本当に混ざり合っちゃったりしてはいない! ・・・という事で(だから何なんだ)。
そして独りになるとあっさり死んじゃいそうな跡部。なんっかめちゃめちゃカワイイ子ちゃん状態だなあ・・・。
そういえばダンピング。経済用語と医学用語、読まれた方々は一体どちらを思い浮かべるのでしょうねえ。ちなみに私は医学用語の方からつけました。どうでもいい余談ですが。というかその前に普通の意味で知っておこうよ自分・・・。
2004.11.6〜12.2