8.もうひとつの『真実』





 「まあ、とりあえずこれで一件落着ってところね」
 部屋の真ん中に座り、鏡の向こうから聞こえる跡部の怒鳴り声を聞きながら、
 『彼女』――――――不二由美子は薄く微笑みを浮かべた。
 瞳を閉じる。宙に浮かぶ彼女の背中から生えるは、神及びそれに仕える巫子の証たる純白の翼。
 くすりと笑う。
 「惜しいわねえ景吾君。ちょっと外れ。
  ‘神’は存在するのよ?」
 神であり―――同時に『魔王』とも言える存在は。
 名前通り魔族の王。本来ならありえない筈の複数の人間との契約を交わし、その強大な力により魔族という1種族を越え、全ての種族の王となった存在。‘ヘヴンズドア’は確かに『神への入り口』だ。契約を交わした者―――巫子との間にこれを幾つも開ける事で神は神となったのだから。
 笑みのまま、手を首に当てる。翼と共に浮き上がってきたもの・・・・・・首を締めた指の跡に手を滑らせ、





 「存在するから・・・・・・事態がややこしくなる」





 苦笑して、吐き捨てられる一言。
 たとえ巫子であろうと人間としての生活もある。それこそ今の不二や跡部のように。その中で、千石に―――そして佐伯に会ったのはただの偶然だ。例に上げるまでもなく今と同じように。
 どこまでを偶然と―――運命の悪戯と呼んでいいのかわからないが、気が付けば由美子は佐伯を愛していた。契約は結べずとも、それでも幸せだった。
 壊れたのは、件の実験により。
 思い出し、ぞくりと身を震わせる。冷たい体を掻き抱き、それとは対照的に熱い目頭を手で覆い、










 「ごめんなさい・・・。虎次郎君・・・・・・」










 由美子は小さく小さく謝っていた。
 壊れた実験を行う壊れた研究者たち。壊したのは神で、その原因を作ったのは彼女自身だった。
 神は己の巫子たる彼女が他の魔族を愛する事を許さなかった。だからこそ最も残虐な手で2人を別れさせようとした。
 知っていたから。わかっていたから。
 だから彼女は佐伯を信じ切れなかった。
 自分達よりも遥かに高位の存在である神の仕組んだイタズラ。逃れるほどの『強さ』がたかが一魔族でしかない佐伯にあるとは思えなかった。
 今でもよく憶えている。首に手をかけた佐伯。その目が示すのは隠しようもない怯え。



 ―――『そんな目で俺を見ないで』



 そう言いたいのに。そう伝えたいのに。
 口に出すのはただ自分に逃げを促す言葉だけ。
 自分を殺し・・・・・・そして壊れた佐伯。自分のせいで壊した佐伯。
 彼を愛する事を許されなかった彼女は、死ぬ事もまた許されなかった。即座に魔族として転生させられ―――彼の悲しみを、彼の苦しみを、逐一見せられた。
 暴走する彼を前に、彼女は何度も神に泣いて頼んだ。「自分に関する記憶を全部消してくれ」と。
 彼女が本当に失くしたかったのは彼の力ではなく記憶。自分が壊してしまった心を取り戻すために、彼の中で自分の存在そのものを消し去りたかった。全て失くし、また彼女に出会う前の彼に戻って欲しかった。
 しかしながら、神はそれすらも許してはくれなかった。
 神が選んだのは抹消ではなく封印。人間の中に彼の力と記憶を封じ、そして・・・・・・


















































 「もしもその人間とあれが本当に愛し合ったのなら、その時封印を解き全てを返そう」


















































 信じられなかった。何を言った? 今。
 一度は救い、その上で追い討ちをかけようというのか?
 幸せを見つけた彼を、またしても不幸のどん底に落とそうというのか?
 彼は、永遠にこの呪縛から逃れる事は出来ないのか?
 彼を愛する事は、それだけの罰を与えられるほどの罪なのか?
 崩れ落ちる彼女を見下ろし、神はさらに言葉を重ねた。










 ―――『己の罪を永遠に背負って生きよ』、と・・・・・・。










 殺したかった。心底憎く思った。この神を、初めて。
 愛とはまた別の意味で、尊敬を抱いていた。この神にならば、永遠についていっていいと思っていた。
 なのに・・・・・・










 「ただそれだけの理由であなたは彼を永遠に呪い続けるのですか?」










 答えは―――
Yes










 殺そうと誓った。力はある。ヘヴンズドアによる神と同等の力が。方法もある。それを使いこなせるだけの頭が。
 殺そうと、顔を上げ―――
 「あっ―――!!」
 先に『攻撃』を仕掛けてきたのは神の方だった。
 彼女の胸―――心臓部に手を伸ばし、めり込ませる。
 体の中、心の奥底に沈めていたヘヴンズドア。
 無理矢理、こじ開けられる。
 「いやあああああ!!!!!!」
 人は言う。これは最高の快感だと。
 「う・・・ん、あ・・・・・・!!」
 最高の快感と――――――最低の歓びと。
 無理矢理繋げられた心。抗う術は完全に0。
 「そうだな。お前の力を使おう。お前は巫子の中でも特に強い力を持つ。あれを封印するにはぴったりだろう」
 「やめ・・・・・・て・・・・・・!!
  ああっ―――!!!」
 力のほとんどを奪い取られ、最早立ってもいられず彼女は床に敷かれた分厚い絨毯へと身を投げ出した。
 薄れる意識。闇に落ちそうになって・・・・・・
 「見ていなくていいのか? 愛する男の悪夢の始まりを」
 「く・・・・・・っ!」
 かけられた情けの言葉に、血が滲むまで唇を噛み締める。
 目の前の空間が歪む。映し出された光景は悪夢と―――





 「―――っ!!」





 ―――そして希望だった。


















































『俺の心なんていらないから、だから・・・サエくんを元に戻してください・・・・・・!!!』




















































 「馬鹿な事を考える者もいる。お前の心など貰ったところで意味はなかろう」
 嘲い、術を使おうとする神を―――いや、その向こうに見える男を見て、
 彼女の顔に僅かだが笑みが浮かんだ。
 いた。悪夢からの解放者が。
 男―――高位魔族の1人である千石清純。
 彼の心を使って、二重の封印をかければいい。そうすればたとえ佐伯が誰かを愛し神のかけた封印が解けたとしても、もうひとつが残り結果として封印は解除されない。
 ただし、ただ心を使って封印するだけというのは出来ない。先ほど神も解除に条件をつけたように、封印というのは要は金庫の中に何かを預けるようなものだ。開ける事が出来なければそれは成立しない。いかなるものであろうと、‘鍵’と呼ぶべきものが存在しなければ。
 だからこそ、彼女はあえて神と同じ手法に出た。
 千石と接触し、彼の了解を仮契約とし出来上がったヘヴンズドアから心を取り出し、
 神の封印の上にさらにそれで封じ、‘鍵’を作り―――
 自分がその鍵を壊す事が出来たら佐伯は絶対安全なのだが、残念ながらそこまでの力は残されていない。そこで、










 彼女もまた、その‘鍵’を人間に預けた。










 条件は神と同じ。千石とその‘鍵’の保持者が愛し合えば封印は解除される。
 神も彼女のそんな抵抗は知ってはいただろうが、あえて止めては来なかった。何を馬鹿な事をしているんだとでも思ったのだろう。だが―――
 これは充分に勝機のある賭けだった。千石はよく佐伯と一緒にいたため、必然的に彼女もまた彼のことはよく知っていた。そう、例えば・・・





 ――――――千石は誰も愛さない事、などを。





 元々千石の感情は希薄だ。表面上はどう取り繕うとも彼の心の中に入り込むことなど余程の存在でなければ出来はしない。しかもその彼が感情を中心とした心全てを封じられるのだ。その状態で、しかも‘鍵’の保持者などという限定された存在を愛する確率など天文学的に低い。
 しかも―――





 ―――『あなたがもし心を取り戻したいのなら、
     見つけなさい。箱と鍵を持つ者を。2人の‘受継ぎし者[サクセサー]’を』






 促す振りをして、警告する。それとは決して接触するな、と。
 頭の回転はズバ抜けていい彼のこと、すぐにこちらの意図した事は察しただろう。





 そして、千石と彼女は共犯者となった。





 記憶を失くした佐伯から真実を覆い隠し、
 ‘箱’を見つけないよう、監視に付き。
 神から離れ、人間として何度も何度も、回数も忘れるほどに何度も転生をし続け―――


















































 「まさかこんなに近くに全てが揃うなんてね」
 おかしそうに笑う。自分の弟と幼馴染みが‘箱’と‘鍵’の保持者、さらに同じく幼馴染みが佐伯と千石だなど、偶然にしても出来すぎだ。
 「それとも・・・・・・神は全てを見ている、かしら?」
 出来すぎた偶然は自分達の関係だけではない。
 人間・不二由美子としての顔がかつての自分そっくりだった。その上さらに生まれてきた弟の顔まで。
 記憶を封印されたままの筈の佐伯が、同じ状況下にあったにも関わらず跡部ではなく不二を契約者として選んだ。
 極めつけは、誰も愛さない筈の千石が跡部を愛した事。
 跡部と接する中で封印が解けていったのではない。彼は無意識の内に、本来備わっていなかった『他者を愛する心』というものを自ら作り出したのだ。だからこそ、跡部に別れを告げられた瞬間自ら作り出したそれを自らの手で壊したのだ。もうそれは必要がないから。そして―――極限まで高められた憎悪と絶望の中で、初めてそれを自覚した。
 「何にしても、これで悪夢は終わったのね。
  周助は、私よりも強かった・・・・・・」
 全てを知った上で、それでも佐伯を受け入れた。神のかけた呪いに打ち勝った。記憶と力が戻り、そして神の束縛を示す白い羽根が黒に戻ったのがその証。
 鏡の向こう―――近くて遠い世界で笑い合う彼らを見やり―――

























 「今まで、呪いをかけ続けていてごめんなさい。
  周助、景吾君。





  2人の事、めいっぱい幸せにしてあげてね・・・・・・」


















































 「終わった、か」

 「ええ。終わりました。あなたの期待とは逆にね。
  ご愁傷様でした。私の自慢の弟はあなたよりも強い」

 「確かにな。さすがにお前の弟となるだけある。あれと結ばれるのもまた運命か」

 「・・・・・・・・・・・・そうですね」

 「これで、もうお前の役目も終わったな」

 「ええ」

 「戻って来い。私の元へ」





 見下ろすような口調と裏腹に、優しく抱き締める腕は温かい。その温かさは、初めて会った時―――契約しようと決めた時からなんら変わりはなく。
 由美子は腕の中で体の力を抜き、小さく頷いた。
















 「・・・・・・はい」










―――Fin









ζ     ζ     ζ     ζ     ζ

 このラストだと、もしや不二が家に帰った時由美子姉さん死んでる!? いえいえそんな事はないですよ? 『戻っていく』のはあくまで気持ちの問題での事。実際はまだまだ手のかかる4人の監視改めお守りのために『不二由美子』として一生を遂げるのでしょう。あ、ちなみにラスト、『彼女』から由美子になっているのは実は千石や佐伯同様それが本名だからです。だからこそ逆にラストまでずっと名前明かさなかったんですけどね。明かすと一気にネタバレが起こりますから。
 さて
2003年から書き始めて実質メイツ×リョーマの【加害者より〜】並の短さで書き上げたこの話。がが〜っ! と書いた理由は確か2辺りで語ったとおりだったりするのですな本気で。ファンタジーとかパラレルとかの名目をつけて中身すちゃらか話を毎度書いているのですが(もちろん世にある多くのファンタジー作品はどれもこれも唸りたくなる位素晴らしいと思います。あくまで自分がヘタに設定懲りすぎた挙句その場のノリで話暴走させすぎる結果すちゃらかになるだけで)、その割に理屈家なのでなんとしてでもこじつけないと気が済まないタチなもので、今回のようにまだそれっぽいものがつけられるものは書いてて楽しいです。いや実はさらに何本か『ファンタジーパラレル』と名称付けられるものがあるのですが、ヤバい・・・。話が支離滅裂だ・・・。無理ありすぎて、おかげで先へ進まない・・・・・・。
 ではそんな私の悩みはどうでもいいとして、それでは皆様、長い話をラストまでありがとうございました。

2004.7.11