「な・・・! そんな・・・・・・!!」
 愕然とした佐伯が見やる先では、恋人が楽しげに戯れていた・・・・・・。







浮気のほうふく




 



  
Case1―――不二

 「何でだよ周ちゃん・・・。俺ってものがありながらあんなに楽しそうに・・・・・・。
  うっ、うっ・・・ぐすっ・・・・・・。
  けどいいんだよ・・・。周ちゃんが楽しそうにしてるなら・・・・・・。
  うん・・・。周ちゃんの幸せが俺の幸せだから・・・・・・。ちゃんと幸せにしてもらいなよ周ちゃん・・・・・・・・・・・・」







*     *     *     *     *








 「・・・・・・・・・・・・ウザいんスけどあの人。どうにかなりません不二先輩?」
 木の幹に隠れハンカチ片手に泣いたり微笑んだり忙しい佐伯。彼自身はそれで満足だろうが、傍からそれを見ると非常に不気味だ。はっきりと恐ろしい。
 青学テニスコートのすぐ脇でやり、部員全員の意気をガンガン下げているかの男に―――意外にも最初に根を上げたのはリョーマだった。不二の練習試合の相手。
 げんなりとした顔でぼそぼそ呻かれ、不二も横目でそちらを見やった。苦笑いを浮かべる。
 「う〜ん・・・・・・。いっそ怒鳴り込んできてくれたりとかすると早くて助かるんだけど・・・・・・」
 「つーかお前もさっさと誤解解きに行けよにゃ〜!!」
 審判英二が下す最も効率的なジャッジ。しかしながらそれに、不二はさらに苦笑いを深めた。
 「多分、それやると泥沼にハマると思うんだよね・・・・・・。サエって思い込み激しい上に修正が極めて難しいから・・・・・・。
  ―――僕が言っても、『ああきっと周ちゃんは俺をなるべく傷つけないようにそう言ってるんだろうなあ・・・。俺の事は気にしないでいいからね・・・』っていう感じの反応が返ってくるんじゃないかと・・・・・・」
 「ダメじゃんあの人・・・・・・」
 「お前もよくそういうヤツと付き合えるよな・・・・・・」
 「優しくはあるからね・・・。優しすぎて押しが足りないのが欠点だと思うんだけど・・・・・・」
 「ホンットにゃんか甲斐性なしっつーか・・・・・・」
 あはははは・・・と響く乾いた笑い。不二自身に何の解決策もない事を悟り、ついにリョーマ自らが動き出した。
 ずかずか佐伯の方に向かい、フェンス越しにラケットを突きつけ、
 「ちょっとアンタ!! 言っとくけど俺は不二先輩の事先輩として以上には何も思ってないし! ましてや付き合いたいとかそんな事微塵も考えてないからね!!」
 「周ちゃんの前でなんて事言うんだ!! 傷ついちゃうだろ!? 可哀想だとか思わないのかよ!?」
 「だから!! 勝手に誤解して勝手に引かないでよ!! 俺たちは恋人じゃない!!」
 「いい加減認めてやれよ越前!! 周ちゃんはこんなに真剣なんだぞ!?」
 「それは俺とのテニスの試合にであって恋人になりたいからじゃないだろ!? ってかこんな人恋人に欲しくないし!!」
 「何!? 越前お前周ちゃんの事なんだと思ってんだよ!? 周ちゃんは可愛いし優しいし恋人としてこれ以上ないって位パーフェクトなんだぞ!? それを蹴って他に誰がいるっていうんだ!?」
 「そう思うんだったらアンタがしっかり掴んどけ!!」
 「けど! だから! 俺は周ちゃんの幸せのためなら一歩引く事も辞さない覚悟で―――!!」
 「それがウザいって不二先輩も言ってんだけど!?」
 「ああ・・・・・・。やっぱ俺じゃ周ちゃんも不満なんだな・・・・・・。ごめんね周ちゃん・・・。今まで何も考えないで無理やり恋人面して・・・・・・。こんな俺に今まで付き合ってくれてありがとう・・・・・・・・・・・・」
 「う〜〜〜が〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!」
 「落ち着けおチビ!! 仮にもアイツは他校生!! ボールぶつけたら俺らが大会出場停止だからね!?」
 ラケットとボールを手に暴れだしたリョーマ。英二に羽交い絞めにされぜーはーぜーはー荒い息をつき、
 ぐるりと後ろを向く。
 「不二先輩・・・。やっぱあの人ダメっぽいっスよ」
 それがリョーマの結論だった。そして・・・・・・
 「サエってば、そんなに僕の事を・・・・・・////」
 「・・・・・・。
  ―――佐伯の性格が改善されねえのはやっぱコイツのせいだろーな・・・・・・」
 頬を赤らめ乙女モードに突入した不二を見、
 英二はそう結論を下した。















  Case2―――千石

 朝、家を出ようと運動靴を履くと紐が切れた。
 「・・・・・・。まあ、そろそろ古くなってたしね」



 気を取り直して家を出ると、いつも煩いほどよく鳴くハトが今日は静かだった。代わりにカラスがギャーギャー煩かった。
 「・・・・・・・・・・・・。なんか、今日アンラッキーだなあ・・・」



 1歩踏み出した。目の前に犬のものとおぼしきフンが落ちていた。踏むと運はつきそうだが、そんな事をしてまでつけたくはないので迂回した。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。なんっかな〜・・・・・・」



 部活に出た。ユニフォームに着替えラケットを手に取ると、ガットが1本ぷつりと切れた。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。新しいのに替えるか」



 コートに入った。途端に転がってきたボールを踏んで転んだ。
 「うわわわわっ!! すみませんです千石さん〜〜〜〜〜〜〜!!」
 「いや・・・。多分君のせいじゃないからいいよ壇くん・・・。ハハ・・・・・・・・・・・・」



 部活が終わった。制服に着替えようと思ったら指に痛みが走った。袖に針が刺さっていた。
 じっと見つめ、
 「地味っぽ・・・・・・」
 『呼んだか?』
 「あいや別に」
 振り向いてきた南と東方に手を振り愛想笑いを浮かべる。2人は不審げな表情を浮かべ・・・
 「なあ千石、お前今日どうしたんだ?」
 「え? 何が?」
 「何かこう・・・。えらく朝からなんか不幸に見舞われてるっていうか・・・・・・」
 普通の人ならそんな1日があっても不思議ではないだろう。が、何分彼はラッキー千石。その8割は運ではなく実力で勝ち取っていると、長年彼と付き合ってくればその程度はわかってはくる。わかってはくるが・・・・・・それでも確かに2割は『ラッキー』なのだ。常人ではまずないほどの運の良さ。その千石相手に、これだけの不幸を連打で見舞うのはたとえ神であろうと難しいだろう。
 心配そうに訊いてくる2人に、
 千石は疲れた顔で笑みを浮かべた。
 「なんていうか今俺はね、神より恐ろしい人的災害の脅威に晒されてるんだよ・・・・・・。
  初めて知ったよ・・・。『真なる恐怖』ってヤツ・・・・・・。
  うん、怖いねマジで・・・。首に手ぇかけてなのに絞めない感じの、本当の意味での『嫌がらせ』だよこれは・・・・・・」
 冷や汗を拭う。その手は既に震えていた。
 何が怖いか。絶対それ以上の事を出来るというのに決してやらない事だ。靴は紐以外損傷なし。カラスは姿を現さない。フンは1歩目に置いてあれば確実に踏んだのに。ガットは一番ボロボロのものだった。ボールは練習中に踏み込んでいれば足首を捻りくらいはしただろう。針は入り込まないようまち針だった。
 いっそ一発でとどめを刺して欲しい。優しさと取れなくもないその加減の仕方は、まるでガムシロップを入れすぎたブラックコーヒーを飲まされるような仕打ちだ。甘ったるくてなのに苦くて。どろっと詰まってなかなか飲み込めない。食べ物なら水で流し込めるのに、コーヒーだから他に飲み物がない。
 千石をこれだけへこませられる相手。思いつくのは1名しかいなかった。
 「・・・・・・。佐伯か?」
 「うん」
 『謝れ。今すぐ。さっさと』
 さすがダブルススペシャリストの地味
'sといわんばかりに、その声はぴったりハモった。どころかこの場で話を聞いていた全員の声は。
 「やっぱ・・・、そう思う?」
 えへへ〜と泣き笑いを浮かべ千石が縋り付いてくる。何をためらうと頷く一同に、
 彼は言った。
 「けど俺・・・・・・。
  ・・・・・・・・・・・・近所の公園にいた幼稚園児と一緒に遊んだだけなんだけど・・・・・・」
 『は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?』







*     *     *     *     *








 「だからサエくん誤解だって〜〜〜!!」
 「何が誤解だよ!? しっかりこの目で見たんだぞ!? お前がいたいけない少女を追いかけて掴まえてたところは!!」
 「それは鬼ごっこやってたからなワケで〜〜〜!!」
 「嘘をつくな!! 嫌がってる子抱き上げてたじゃないか!! 証拠写真だって撮ったんだからな!!」
 「撮ったの!? 君さりげにヒマ人!?」
 「とぼけるな!! お前洋服捲り上げて胸触ってただろ!! この変態!!」
 「脇に手ぇ入れて持ち上げただけでしょ!?」
 「しかもその後お尻まで触って!!」
 「支えなきゃ落ちるでしょ!?」
 「相手の子だって何か可愛かったし!! これは立派な青田買いだなと思って警察に―――!!」
 「うわ〜〜〜!! 届けないで〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」
 誤解が解けるまでの1週間、千石はひたすらに佐伯の『純然嫌がらせ』を受け続け、
 そして誤解が解けてから1週間、佐伯を襲った罰として千石は『純然嫌がらせ
Part2』を受け続けた。















  Case3―――跡部

 その日、跡部が部活に出ると
 ―――なぜか佐伯がそこにいた。
 「佐伯・・・」
 俺様に逢いに来たのかと喜ぶ跡部。だが、
 「よお、さえ―――」
 「あ、忍足〜vv」
 「・・・・・・・・・・・・あん?」
 手を挙げたまま固まる跡部の脇をすり抜け、佐伯は後ろにいた忍足に抱きついた。
 「さ、佐伯? 自分どないしたん?」
 「ええ〜? そ〜んなワケなんて訊くなよ〜vv お前に逢・い・た・い・な〜って思っただけなんだからvv」
 「寒・・・」
 「そんな事言うなよ・・・。俺悲しいじゃん・・・・・・」
 「あ〜!! 冗談や!! そない落ち込むなや!! せやな!! 俺も嬉しいさかい!!」
 「ホント!?」
 「ほんまほんま。めっちゃごっつう嬉しいわvv」
 「えへへ〜〜〜vv」
 「――――――ゆ〜う〜し〜・・・」
 「ぐ・・・岳人・・・・・・」
 「お前佐伯張り付かせて何やってんだよ!!」
 「ちょ!! ちょお待ちい!! これにはふっかい事情がある〜―――ちゅーか俺にも何起こっとんのかさっぱりわからんわ!!」
 「そんなイイワケ通じると思ってんのかよ!? だったらさっさと離れろよ!!
  クソクソ侑士!! テメーなんか大っ嫌いだああああ!!!」
 「待ちいて岳人!!」
 だだだだだだだだだだ・・・・・・・・・・・・
 し〜ん・・・・・・
 「な、なあ佐伯・・・・・・」
 「あ、芥川〜〜〜vv」
 「んあ〜・・・。え〜っと・・・・・・おお、佐伯か〜・・・・・・」
 「今日も眠そうだな。
  ―――ああ、丁度よかった。コレやるよ」
 「え!? マジ!? お前Eヤツだな〜!!」
 「ハハッ。サンキュー」
 「よお佐伯。どーしたんだよンなトコで」
 「お久しぶりです佐伯さん」
 「ああ、宍戸に鳳・・・・・・・・・・・・宍戸〜〜〜vv」
 『はあ!?』
 「俺お前に逢いたかったんだよ!!」
 「え・・・? あ・・・?
  ・・・ってンなひっついてくんなよ・・・」
 「そ〜んな照れんなよvv 可愛いなあvv」
 「て、照れてねえ////!!」
 「宍戸さん・・・!!!」
 「ちょっと待て長太郎!! お前何目ぇ据わらしてんだよ!! 何か勘違いしてねーか!?」
 「そうですね・・・。宍戸さんはもっとストイックな人だとずっと思ってました・・・。まさかそんな、躰擦り付けられて喜ぶような人だったとは・・・・・・!!」
 「そっちじゃねえ!!」
 「けど!! だったら俺だって負けませんよ!? 宍戸さん!!!」
 「うぎゃあああああ!!!!!!」
 あちこちに絡んでは壊滅に追い込んでいくスラッシャー佐伯。修羅場と化した部活風景に、ようやく我に返った跡部が根源へと近付いていった。
 「おい佐伯・・・・・・」
 おずおずと手を伸ばす。理由不明で振られた男の反応としてはこんなものか。いくらそれがかの帝王であったとしても。
 弱気な跡部に、気付いたのは宍戸だけだった。
 「おい跡部!! コイツどーにかしろよ!! なんで普通に部活に出て貞操の危機とかに遭ってんだよ俺は!?」
 「あー・・・まあ、なあ・・・・・・」
 見れば、宍戸は既に上を脱がされ現在下の攻防戦に務めていた。対抗し合う筈が、いつの間にか佐伯と鳳は結託し合っていたようだ。
 だんだん跡部の脳も正常に回り出す。自分以外のヤツに迫る恋人に・・・・・・
 ―――当然のようにキレた。
 「おいてめぇ佐伯!! てめぇ何やってやがる!?」
 「宍戸襲ってる」
 「だから!! てめぇにゃ俺っつーモンがあんだろ!? 何他のヤツなんぞに構ってんだよ!? 俺の方がずっといいに決まってんだろ!?」
 「オイ・・・」
 宍戸のささやかな反論は、
 キッときつい眼差しで見上げた佐伯により中断された。怒っている。そりゃもうめちゃくちゃ。周りにいるだけで、圧倒されるほどに。
 そんな怒りのオーラを、佐伯はもちろん跡部にぶつけた。世にも冷たい目で跡部を見、
 「何? お前がやってんのと同じ事やってるだけなんだけど? お前に止める権限なんてあるワケないだろ?」
 「俺が・・・? 何したよ・・・・・・?」
 本当に何も思い当たらず、跡部は眉を顰めた。多分佐伯は自分が他のヤツに言い寄ったという事に関して指摘を入れたいのだろうが・・・・・・
 (他のヤツに言い寄った? 俺が?)
 いくら考えても何もそれらしい記憶が出てこない。確かに毎日のように言い寄られる事はあるが、それらはあっさり突き放している。自分からなんて以ての外。佐伯がいるというのになぜわざわざ他の者に言い寄らなければならないのか。
 ―――などと心の中でノロケる跡部。しかしながら心の中につき、もちろんそれは佐伯には伝わらなかった。
 バッと立ち上がり、跡部に指を突きつけ、
 「ハッ! とぼけるなよ!!
  お前が榊監督とコソコソ話してる場面を見るのはこれでもう5回目なんだよ!!」
 「監督との打ち合わせだろーがそりゃ!!」
 至極尤もな跡部の言い分。しかし周りは、佐伯のあまりの的外れな怒り振りに口をあんぐりと開けて固まった。そのせいで散々引っ掻き回された自分たちって一体・・・・・・
 そして佐伯は―――
 ―――もちろん民主主義の法則に則り、周りの反応を重視した。
 「ヘタクソな嘘を・・・!! だったらなんでコソコソやるんだよ!? 部活での打ち合わせなら堂々やればいいだろ!?」
 「職員室内で大声で打ち合わせする馬鹿がどこにいる!?」
 「だったら監督に対するお前のえらく従順な態度は何なんだよ!? 普段これだけえばり腐ってるクセに!!」
 「俺だって目上の人間は立てるんだよ!! いつも世話してもらってんだから当然だろ!?」
 「『世話して』!? 一体何世話してもらったってんだ!? まさかあんな事やこんな事―――!!」
 「テニスだ!! 他に何がある!?」
 「音楽教師じゃないのか榊監督!?」
 「わかってんなら訊くんじゃねえ!!」
 「語るに落ちたなあ景吾!! そうやって支離滅裂な理論で話題逸らしてうやむやのうちに終わらせようと―――!!」
 「その台詞はそっくりそのままてめぇに返す!!」
 「だったら違うって証明してみろよ!!」
 「ああやってやろーじゃねえか!!」
 こうして・・・







*     *     *     *     *








 「―――私からは以上だ。お前から何かあるか? 跡部」
 「いいえ何もありません」
 「そうか。ところで・・・
  ・・・・・・・・・・・・今日はえらく機嫌が悪そうだが、何かあったのか?」
 「いいえ何もありません」
 完全棒読みで、跡部は綺麗に綺麗に微笑んだ。向けられた相手が
10歩ほど引く、跡部必殺のガン飛ばしもとい笑み。
 向けられ、榊もまた引いていった。
 「そ、そうか・・・。では以上、行ってよし」
 「ありがとうございます」
 馬鹿丁寧に一礼し、去っていく跡部。何も知らない榊は、教え子の突然の反抗に、ただただ唖然とするしかなかった・・・・・・・・・・・・。
 「跡部・・・・・・。以前はもっと可愛かったのに・・・・・・」
 ・・・・・・そんな失言を洩らし、以後1週間ほど学校を休んだのはご愛嬌である。















  Case4―――リョーガ

 紆余曲折を経て佐伯と付き合う事になったリョーガ。しかしながら、特定の恋人を持つのはこれが初めてというリョーガに、今までのライフサイクルを根こそぎ変えろというのは甚だ無理な事だった。
 ちょっと良さげな女性を見ると、挨拶代わりにお茶に誘う。天気の話をするノリで相手をおだて、会釈で済ませればいいところを頬へ軽くキス。そんなリョーガに、
 ―――佐伯がぶち切れたのは付き合って僅か4日目の事だった。
 「お前は以後一切女性と触れ合うな!!」
 「そ〜〜〜んな〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」







*     *     *     *     *








 佐伯の言いつけはとっても厳しいものだった。どの位厳しいか。・・・満員電車で腕が触れただけでデートをおじゃんにされるほどだ。
 これだけやられれば、リョーガもさすがにそろそろものがわかってくる。電車ではオヤジどもを盾にし、店の出入りですれ違う時はドアで突き飛ばして逃げる。
 そんなデンジャラスな毎日を送るリョーガに、事件が起こった。







*     *     *     *     *








 「きゃーーー!! ひったくりーーー!!」
 声のした方を見る。
OLっぽい女性が突き飛ばされていた。もちろん自分と同類の悩みを持つ男の仕業ではない。
 良く言えばカジュアルな服を着た犯人が、それに合わないバッグを引っさげ遠ざかっていく。アレが叫んだ人の言う『ひったくり』らしい。
 確認した時には、もう体は動いていた。今まで散々犯罪行為に手を染めてきた自分が犯人を掴まえようとしている事に皮肉を覚えなくもないが。
 道行く人を何人か跳ね飛ばし(これならさすがに佐伯も許してくれるだろう)、全力でそちらに走っていく。履いているのが運動靴でよかった。
 意外と早く差が詰まる。走りながら気がつかなくもなかったのだが、この犯人はあまり足が速くない。少なくとも、毎日テニス等で鍛えている男子中学生に比べれば。
 (さってどうすっかな〜・・・)
 犯人まで残り2m程度のところで、リョーガはのんびりと考えた。逃げる事に必死な犯人は、今だ追いかけるこちらに気付いていない。あちこち跳ねるバッグを掴んで引き止めるか。壊れるかもしれないが、盗まれるよりはマシだろう。
 ただし1度掴み損ねればさすがに気付かれる。全力で逃げられるか―――反撃されるか。体勢が崩れる自分が反撃をかわすのは無理だろう。
 (一番確実なのは―――そのまま飛び掛る事、ってか)
 犯人に気付かれた。振り向く犯人。手に握られたナイフに、考えを全て捨てリョーガは反射的に突っ込んでいった。
 ナイフが突き出される。周りから悲鳴が上がった・・・が、
 (ンなモン当たるほどトロかねーっての)
 相手はズブの素人。普段徹底して研ぎ澄まされた攻撃を喰らい続ける自分が、まさかロクに狙いも定められていないこんな攻撃に当たるような失態むしろ恥は冒さない。
 体を捻り、際どいところでナイフをパス。こちらも手を伸ばし、相手の首を掴み勢いを全てぶつけた。
 相手も手を伸ばしてきたが、リーチの差により自分には全く届かない。同様に体格にも相当の差があるらしい。抵抗は抵抗としての意味を持たず、相手は楽々押し倒された。
 「ガッ・・・!!」
 喉の詰まったダミ声が響く。自業自得なので同情はしない。
 一応これ以上抵抗されないよう、馬乗りになってリョーガは顔を近付けた。
 「さ〜って引ったくり犯さんよお。痛いメ遭いたくなかったら大人しく盗ったモン返して―――・・・・・・・・・・・・」
 リョーガの台詞がそこで途切れた。近付けた鼻に、香水の匂いを嗅ぎ取り。
 香水をつける男も現代では珍しくもないが、この香りは男物ではない。間違ってつける馬鹿もそうそういないだろう。
 引き攣る顔で見下ろす。小さい体。体重のない軽さ。リーチの短さ。筋力のなさ。
 小柄で運動不足気味の男だと思っていたがこれは・・・・・・・・・・・・
 倒れたはずみに、今まで被っていたスポーツ帽が取れていた。地面に舞い広がる長い髪。これまた男のものだというには無理がある。
 目を閉じ、息を吸う。
 吐き、落ち着き、見下ろす。
 ――――――そこにいたのは、紛れもなく女性だった。
 「何で引ったくり犯が女なんだよ!?」
 リョーガの素敵な性差別発言と、
 「ほおおおおおお・・・・・・」
 真後ろから暗雲が立ち込めるのは同時だった。
 恐る恐る振り向く。
 腕を組み仁王立ちした佐伯が、据わった目で綺麗に微笑んでいた。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えへv」
 だらだら冷や汗を流し、それでもかろうじて残った根性でとりあえず笑う。そんなリョーガに応えるよう、佐伯もまた微笑みを深めた。
 深め、言う。
 「ついに禁断症状の発現かあ・・・。白昼堂々人前で女性を襲うとはなあ・・・・・・。しかも俺とのデートの最中に・・・・・・・・・・・・。
  恐れ入ったよリョーガ・・・・・・」
 「いやちょっと待て佐伯話を聞け!! これには恐ろしくふっかい事情が―――!!」
 「うんうん聞くよ墓前か仏壇の前で。だからちゃんと成仏しきる前にイイワケは言えよ?」
 ばき・・・。ごき・・・。
 「・・・・・・。めちゃくちゃ、怒ってるか佐伯・・・?」
 「いーや俺がまさかそんな。そうだよなー。野生動物勝手に檻に閉じ込めて飼育すると発狂しちまうようなそんな感じなんだよなー。不自由極まりない世界に閉じ込めちまって悪かったなリョーガ。お前はもっと大自然でのびのび生きるのが似合ってんだよ。
  ―――だから責任持って逃がしてやるからな俺が」
 「あいやそんな!! 檻最高佐伯様万歳!! 俺ってば閉じ込めて頂き最高に幸せでありますはい!! これからも一生そんな関係がいいな〜とか思ってみちゃったりハハハ!!」
 「そっかあ・・・。
  ところでリョーガ」
 「はひ・・・?」
 泣き笑いを浮かべるリョーガ。最早正気も保てずガタガタ震える彼とは対照的に、佐伯は綺麗に綺麗に笑みを浮かべた。
 最期の宣告が下される。





 「そういう台詞はな、俺以外の人間の上に跨って言うものじゃないんだぞ?」





 「つまりお前には跨ってオッケー!?」
 「死ね」
 どごすごすぐしゃばきしげしどすどががげりずしゃばこがんがんぐしょごっげんがすっ・・・・・・・・・・・・!!!







*     *     *     *     *








 ぱんぱん。
 「さってトイレも事前運動も済ませたし、昼でも食べに行こっかリョーガ」
 血の海に没したリョーガを見下ろし、佐伯は爽やかな笑みを見せた。暗雲は取り払われたらしい。そりゃこれだけ暴れればさぞかしスッキリ出来ただろう。
 「―――ああ」
 はたいた手を更に叩く。今だ怖くて寝転んだままの女性に、手を差し伸べる。
 「すみませんね犯罪者が迷惑をかけて。大丈夫でしたか?」
 「え・・・? あ、は、はい大丈夫ですともええ・・・!!」
 差し伸べられた・・・・・・血まみれの手に、ただの引ったくり犯その1はカクカク頷くしか出来なかった。
 慌てて立ち上がる(もちろん独力で)彼女に、佐伯が怪訝な顔を浮かべた。
 「・・・本当に大丈夫ですか? 首筋が赤いですが、何かされませんでしたか? もしも何か―――躰に問わず心に傷を負われた場合は遠慮せず言ってくださいね? 叱り付けて今すぐ謝らせますから」
 「いえ、大丈夫です! 何でもなかったですよあはは!!」
 大声で笑いながら、彼女は死まで紙一重のリョーガに視線を走らせた。これ以上『叱り付け』られたら本当に死にそうだ。直接手を下したのではなくとも、それの補助になるのはすっげー嫌だ。
 「そうですか。では」
 にこやかに笑い、
 佐伯は彼女に顔を近付けた。
 そっと耳元に囁く。冷気を纏わりつかせ。
 「―――この事はくれぐれも内密に」
 「は・・・はい・・・・・・!!」
 大人しく頷いてくれた女性に、元の笑みを浮かべ佐伯は軽く会釈した。
 今だ意識を戻さないリョーガを引きずり、口笛など吹きながら去っていく。
 「よしよし。強姦魔の恋人なんて言われんのも癪だからな。無事解決してよかったよかった」





 ―――なおこの引ったくり犯の女性。その後自らの罪を認め警察に保護を求めた・・・もとい自首したらしいが、その夜闇討ちに遭って入院するハメとなったそうだ。そしてこの日、リョーガは女性を襲った罰として、布団にくるまれ屋根から逆さ吊りで一晩過ごした。
 「俺が悪かった〜〜〜〜!!! 助けてくれ〜佐〜伯〜〜〜〜〜〜!!!」
 一晩中彼の雄叫びが轟いていたというのが、後日聞き込みに回った警察に届けられたご近所の意見。


―――Fin

 











*     *     *     *     *


 言わせておいてなんなのですが、きっとサエは「死ね」とは言わないだろうなあ・・・。「死んでこい」といったところか・・・。「死ね」はむしろ跡部が言いそうだ・・・。
 ・・・などと考えつつなぜあえて「死ね」なのか。最短で告げないとクドいからです。

 ―――という非常に危ない前出しを経て後書きです。千石編とリョーガ編は空白の間を裏にしたかったり(技量がないのでしませんでしたが)。「ホラ、俺が襲うのはサエくんだけっしょ?」と言いながら、ちょっぴり強姦ちっくに実際襲う(もちろんバックから)千石。「だから、一生閉じ込めといてくれよ佐伯」とむしろ跨れるリョーガ・・・・・・そう! 向かい合って考えてみれば、むしろ跨いだ方が受け!? 佐伯の台詞は、実はさりげなく配役交換!?
 まあそんな腐り切ったトークはいいとして、以上、抱腹できる報復の話でした。

2005.8.1922