Shining Dark  Darkness Shine

〜輝く闇 ほの暗い光〜






 生物が生物としての営みを行なうこの地にて、それとは一線を隔した存在があった。
 彼らは、見た目は人間によく似ている。
 人間との相違点は2つ。
 1つ。彼らには背中に鳥の翼のような大きな羽がある事。種族により、白いものと黒いものの2種類がある。
 2つ。彼らは生きるために食物や水ではなく『心』を食べる事。白い羽を持つ者は喜びや愛しさといった正の心を、黒い羽を持つ者は憎しみや悲しみといった負の心を。
 彼ら以外の種族―――とりわけ彼らによく似た人間は、自分達を区別するため、彼らの事をこう呼んだ。
 『天使』、と、『悪魔』、と。





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 それはよくある光景だった。夜道を歩く女性。ナイフを持ってその女性に襲い掛かろうとする覆面の男。
 パンプスの音を響かせ逃げる女性を―――《彼》は街で最も高い建物の上から眺めていた。まだ
10代後半程度の、精悍な顔をした青年。
 「エモノ・・・発見、と・・・・・・」
 つまらなさそうに呟き、漆黒の羽を広げ滑空していく。適当なところでスピードを緩め、ゆったりと宙に浮かんでその様子を眺めた。
 まだ、早い。今すぐ『食べる』のは効率が悪い。ぎりぎりまで追い詰め、負の心がピークに達したところで邪魔者を排除、そのまま頂くのが一番効率が良い。
 そう《彼》が判断している間に、走っていた女性が何かにつまずいて転んだ。いい傾向だ。恐怖で体と脳の連絡が上手くいっていない。これでさらに『焦り』が加わる。
 ナイフを翳してゆっくりと近付く覆面男。その顔には愉悦の笑みが浮かんでいる。
 全く興味なさげにどちらも見下ろし、《彼》もまたゆっくりと音もなく男の後ろに着地した。
 ふわり、と羽が広がり―――そして折りたたまれる。同時に広がった腰まで届く長い銀髪が、羽を覆い隠すように元に戻っていく。
 さすがに真正面にいて《彼》に気付いた女性が、目を見開いて驚いた。
 その様子の変化に気付いた男が振り返るよりも早く、
 「ぐあ・・・・・・!?」
 立ち上がった《彼》は男を蹴り飛ばした。
 さほど力を入れたようには見えなかったのに、面白いように軽々と男は飛んで行き、横手にあった頑強なシャッターをへこませ、止まった。
 それをやはりつまらなさそうに眺める。
 「あ、あの・・・・・・」
 そこに、声がかかった。
 視線を戻す。襲われていた女性が、呆然と見上げている。
 男を見ていたのと変わらない瞳で見下ろす《彼》。
 「あなた・・・・・・悪魔・・・・・・?」
 「だとしたら?」
 「―――!!!」
 女性の瞳がこれ以上ないほどに見開かれる。先程の恐怖と焦りに、混乱が加わった。第一に悪魔を見た事がないのだろう。当り前だ。悪魔を見たものはほぼ例外なく死んでいる。
 珍しいことではあるまい。己が生きるために他者の命を糧とするのはどの種族にも共通する事だ。たとえ自らエネルギーを生み出す植物であろうと、その生存は競争だ。自分が生き延びるために隣に回るはずの水や日光を横取りすることなど日常茶飯事だろう。
 女性は動かない足を必死にばたつかせ逃げようとする。生存本能。『人間は本能の欠落した動物だ』と誰かが言っていたが、少なくともこの女に関してはそうでもないらしい。
 逃げようとする女性に2歩で追いつき、襟元を掴み上げる。
 「ひっ・・・・・・!!」
 顔中を涙と鼻水でぐしょぐしょにする女性の、短い悲鳴を零す唇に《彼》は己のものを重ねた。
 そこを接点に、女性の中に溜まった負の心を奪い取る。
 適当にとったところで、《彼》は唇と襟元を離した。相手が生存不能になるまで全ては取らない。本当に上辺だけだ。負の心が軽減され、むしろすっきりとする―――そんな程度だ。



 ―――『情け?』



 かつてそう聞かれた事を思い出し、心の中だけで苦笑する《彼》。その通りだったらどんなによかっただろう。
 「あ・・・・・・」
 女性が唇を指で触れ、顔を赤らめる。
 「ありがとう、ございます・・・・・・」
 「別に」
 始まりと同じままつまらなさそうに答え、《彼》は再び羽を広げた。夜空に銀糸が舞う。
 「あの・・・! お名前は・・・・・・」
 赤い顔で尋ねて来る女性。負の感情が消え、今度は愛しさという正の感情が生まれ始めた。
 肩越しにそれをわずらわしげに見やり、
 「ない」
 《彼》は即答した。名前などない。名前というのは他者同士がお互いを認識し合うために用いる記号だ。生まれてからずっと一人だった自分には必要にないものだった。
 「そう・・・ですか・・・・・・」
 呟く女性を無視して、《彼》は空へと舞い上がっていった。





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 「ぐ・・・・・・」
 建物の上まで舞い上がったところで、《彼》が堪えきれずによろめいた。襲い来る吐き気。
 「まだだ・・・。まだ・・・・・・」
 口に手を当て、今すぐ全てを吐き出したい欲望を押さえ込む。その額には、びっしょりと汗をかいていた。
 「くそ・・・、どこだ、クリス・・・・・・」
 今までの無表情から一転、苦しそうに顔をゆがめ、周りをぎょろりと見回す《彼》。見開かれた目に、銀髪が覆い被さる。
 それを忌々しげに払ったところで、
 「・・・・・・兄さん」
 「クリス・・・・・・」
 その死角から、少年が現れた。茶色く肩までの短い髪に、幼い大きな瞳。
 そして―――天使の象徴たる白い羽。
 自分より頭1つ分低い弟を見つけるなり、《彼》はその小さな体を思い切り引き寄せた。
 「わ・・・・・・」
 屋根という不安定な場でよろめくクリス。自分の胸にもたれかかってくる弟の顎を上げ、
 「ん―――!」
 《彼》はやはりクリスの小さな口に全てを吐き出した。
 流れていく、負の心。クリスが喉を動かし、それを懸命に飲み込もうとする。
 クリスの白い羽が、徐々に黒く染まっていく。
 「―――は、あ・・・・・・」
 羽が半分ほど黒くなったところで、全てを吐き終え、2人の唇が離れた。
 荒い息をつく《彼》。濡れたままの額に、クリスの手が当てられた。
 「兄さん、大丈夫―――」
 心配げに尋ねて来る弟の手首を―――
 《彼》は逆に掴み上げた。
 「え・・・?」
 強制的に上を向かされるクリス。上を向いた顔に、再び《彼》が顔を寄せた。
 「ふ―――」
 またも重なる唇。今度は《彼》がクリスの舌に自分のものを絡め、自分の口内へと引き入れた。
 「う・・・あ・・・・・・」
 同時に、先ほどとは逆に『彼』の体へと流れ込んでくる正のエネルギー。人間のものよりも遥かに上質で澄んだ天使のそれ。負のエネルギーによって構成された悪魔にとっては自殺に等しい行為を、それでも《彼》は止める事が出来なかった。
 「ふ・・・・・・ん・・・」
 今までの吐き気が嘘のように消えていく。
 (気持ちいい・・・・・・)
 人間の負の心を食う時には決して感じないその快感に、《彼》は瞳を閉じて酔いしれた。このまま、永遠にそうしていたい・・・・・・。
 だが、
 「ん・・・、兄さん、待って・・・・・・」
 苦しそうな声で、クリスが余った手で《彼》の胸元を力なく押し戻した。
 「まだ・・・浄化、できてない・・・・・・」
 呟くクリスの羽は、まだ4分の1ほど黒いままだった。負の心をも正のエネルギーに変えてしまう、通常の天使にはないクリスの浄化能力。だがさすがに性質の全く逆のものにするのは時間がかかるらしい。ただでさえそれにエネルギーを費やすというのに、さらに食われていくのだ。消耗したところで無理はない。
 「―――と、悪い・・・」
 それをわかっていながらやってしまった。自分を抑える事が出来なかった。
 崩れ落ちるクリスの体を支え、《彼》がもう一度謝る。
 「ホント、悪い・・・・・・」
 屋根の上に座る弟の肩に顎を乗せ、顔を上げないまま小さく呟く《彼》の頭を、優しい感触が撫でていく。
 「そんなに謝らないでよ、兄さん」
 顔を上げて驚く《彼》に、クリスがやつれた顔で微笑んだ。
 「僕なら大丈夫だからさ」
 「クリス・・・・・・」
 ね? と首を傾げて笑うクリス。誰の目から見ても無理してるのは明らかだったが―――
 「すまない・・・・・・」
 さらにもう一度謝り、《彼》は両手をクリスの首に緩く回し、胸に顔を埋めた。子どもが母親にそうするように、胸の中で力を抜いた。
 悪いとわかっている。いくらクリスに浄化能力があろうと、天使たる彼が悪魔である自分といるのはそれだけで危険な事だ。互いに力が反発し合い、お互い自滅するに過ぎない。
 自分は悪魔でありながら負の心をエネルギーに変えられない、という特異な体質だ。悪魔としては失格といえる。それでありながら、だからといって正の心を食う事が出来るわけでもない。クリスから受け取る正のエネルギーが唯一の栄養源だ。
 クリスは、もちろん実の弟ではない。一人きりで、無理矢理負の心を吸っては吐き出したいのを堪えなんとか自分のエネルギーとしていた頃、たまたま拾ったのだ。まだ幼いにも関わらず、周りに誰もいない、『捨てられた子』を。
 小さな体を抱き締め、ほっとした。その時理由は判らなかった。だが、放ってはおけなかった。自分と同じ、『一人』の彼を。そして何より、その今までに味わった事のない安心感を、どうしてももっと味わっていたかった。
 『クリス』と、かろうじてその天使が覚えていた言葉を名前とし、2人で過ごす事もう何年か。今ではわかっていた。この『安心感』の理由。
 (本当に、すまない・・・・・・)
 心の中だけで《彼》が懺悔する。今も自分を包み込む、あの時と同じ『安心感』。壁にもたれ、必死に浄化を行なうクリスから溢れる正のエネルギーに全身を包まれ、まるで自分が浄化されているような快感に、自然と瞼が落ちていく。
 危険な事だと、わかっている。クリスにとっては、良くない事だとも。
 だが―――
 手放す事は出来なかった。あきらめる事もまた。
 快感を一度覚えてしまったこの体。もうこれなしでは生きていけない。
 (ごめん、クリス・・・・・・)
 偽りの謝罪を繰り返す事しか出来ない弱い自分に自嘲して、《彼》は混沌の世界へと眠りについた。





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 「―――兄さん?」
 自分にもたれたまま静かな寝息を立てる兄。呼びかけに応じないのを確認すると、クリスはずっと頭を撫でていた手を止め、下へと下ろしていった。
 自分もまた壁にもたれ、白い羽で兄と自分を覆い尽くし、その中で―――
 兄の長い髪を指に絡め、耳朶を指でなぞり、頬を滑らせ、唇へと向かわせる。
 逆の手を兄の腰に回し、抱き締めながら綺麗な髪に顔を埋める。それ自身が三日月のような硬質の光を放つ銀色の髪。
 (いい匂い・・・・・・)
 自分の最もよく知る兄。そして、自分が唯一知る兄。
 天使や悪魔は『生まれた』瞬間から記憶も意識もはっきりしている。兄自身はなぜか気付かなかったようだが、実のところ、本当はあの兄に拾われる前からの記憶もしっかり残っている。正の心を食う事が出来ず、負の心を食い回りの天使たちに阻害されていた日々。覚えているのは個々人のことではなく、自分とは相容れないその集団だけ。
 兄と出会ったのはそんな中で。親からも見捨てられ、もうどうでもいいと適当な家の玄関前で倒れていたところを、たまたま見つけられた。向こうはどう思ったのだろう? 栄養補給も出来ずに死にかけていた自分を抱き上げ、抱き締めてきた。
 その瞬間、体中にどくりと熱いものが走った。今まで感じた事のない、興奮。
 もっと欲しくて、でも天使である自分と悪魔である兄。一緒にいられるわけはない。だから兄の服に伸ばしかけていた手をなんとか下ろした。
 ―――筈だったのに。
 なぜかこの兄は自分をそばに置いておいてくれた。自分の事を聞かれ、異端児だと知られたくなかったから記憶がない振りをして。
 あっさり納得した兄。彼自身は名前がないから好きなように呼んでいいと言われた。
 不思議に思わない兄に、それとなく尋ねてみた事がある。「それが普通じゃないのか?」と逆に尋ね返された。
 さらに暫く過ごして、ようやくわかった。『生まれた時からずっと一人』。『名前がない』。
 ―――この兄には本当に記憶がない。
 わかったなら、それを利用しない手はなかった。『一人きり』同士。なし崩しに一緒にいる事になった。
 自分の事―――自分の体質についても、正直に話す。
 同時に、兄の性質についても聞いた。自分と一緒にいると安心する、とも。
 ますます都合がいい。これで一緒にいる理由が明確なものになった。
 兄が調達した負の心を自分が浄化し、それを兄に分ける。そのサイクルの中で―――自分も兄の負のエネルギーを分けてもらう。
 そう。今のように。
 眠る兄を抱き締め、その体から溢れる負のエネルギーを自分に吸収する。
 「は・・・! ん・・・あ、あ・・・・・・!!」
 あの時感じた、あの時からずっと感じつづけている『興奮』。喉をのけ反らし、兄が起きない範囲で躰を震わせながら、クリスが嬌声を上げた。人間の、雑念の混ざった汚い負の心などでは絶対に得る事の出来ない、純粋にして濃厚なるその力。悪魔だから、ではない。悪魔なら何度も会った―――何度も喰らった事がある。それらですら到底及びつかない尊き兄の力。
 「んん・・・!! ふ、あん・・・・・・」
 (いや・・・。違う、か・・・・・・)
 興奮する躰とは反対に、冷めた心で考える。本当は、・・・・・・だから。だから、自分にとってこの兄は特別なのだろう。
 「は、あ・・・。は、あ・・・・・・」
 上がった息を落ち着ける。潤んだ瞳、上気した頬。
 何も知らずに今だ腕の中でこんこんと、気持ち良さそうに眠り続ける兄の耳元に口を寄せ、クリスは羽を出来るだけ閉じた状態で、囁きかけた。
 「愛してるよ、兄さん・・・」
 恋愛感情。
 生物とは異なる発生の仕方をする天使と悪魔には本来備わっていないはずのもの。実際のところ、これが本当に恋愛感情なのかはクリス自身にもわからない。
 だが、それでも―――
 この気持ちに、他の名前はつけようがなかった。
 「愛してるよ。兄さん・・・・・・」
 もう一度繰り返し、《彼》の耳にキスをするクリス。決して交わる事のない2人の想いを、ただ空に浮かぶ三日月だけが見届けていた。



―――Fin














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 なんとなく裏限定オリジナル話です。というか、ご存知の方には4月からテレビで放送開始した『D.N.Agel』見て思い立ったとバレバレのものですね。いいなあ、天使やら悪魔やら。
 表のドタバタとは一味変えて、サブタイ通り本気で受×受っぽく。というかこの2人、どっちが攻かと問われると、多分読んだ方全員が弟・クリスと答えるのではないでしょうか? 私も最初はそのつもりでした。というわけで今(完成形)は違います。兄である《彼》が攻です。ただし表の攻×攻っぽい要素の多過ぎる各
CP同様(むしろ逆に、か?)これまた簡単に逆転しそうな2人ですが。
 さて、そんなこんなで何となく始まったこの話。なんとないまま(どーいう日本語だよ・・・?)続けていきそうです。《彼》の記憶のない部分、とか、なんで負の心が食えないのか、とか、クリスはクリスでなんで浄化作用なんて持ってるのか、とか。そしてなぜこのサイトでは異例の兄×弟なのか、とか(爆)! ・・・・・・よくよく考えると本気で異例なんですよね。一応テニスの不二兄弟は兄攻めで行こうと思えば行けそうですが。
 ではこの『なんとなくオリジナル(問答無用でこれが正式タイトルになりそうだ)』。続きが出た際はまた読んでくださるととっても嬉しく思います。

2003.4.155.4