Despairing Dreamers








 窓越しの硬質な月明かりに照らされる中、その晩も佐伯は静かに身を起こした。肌に直接触れていたシーツが垂れ下がる。さらりと―――しているようでその実肌にいつまでもまとわりつくシーツの感触は隣で眠る男そのものに似ていて。
 無言のまま、サイドテーブルに置いてあったケースを持ち上げる。とんとんと底を叩き、飛び出た中身を軽く咥えてやはりサイドテーブルに置いてあったライターで火をつける。淀みのない慣れた手つきはそれが彼の『日常』である事を示した。
 立てた片膝に手を置き、一方向だけを見て紫煙を吐く。その耳へ、単刀直入な一言が飛び込んできた。
 「―――おい。タバコ1本よこせ」
 「ああ、起きたんだ・・・・・・って言っていいか?」
 くつくつと笑って佐伯が見下ろす先、くぐもった声の発信源では―――
 佐伯のにいた跡部が枕に顔を埋めたまま起き上がろうと無駄な努力をしていた。
 「寝タバコ禁止じゃなかったか?」
 「てめぇのせいで起きれねーんだよ・・・!!」
 布団に爪を立て、跡部が頭の角度を変える。かろうじて現れた右目。泥沼の上澄み液のような、濁っているようで澄み渡っている瞳に薄く笑いかけた。
 「また随分ロコツな言い方を」
 「事実そのままだろーが・・・・・・」
 「事実はね。ついでに真実も。でももうちょっと言い方ないか?」
 「ねえよ」
 「即答かよ。
  いいけどね。裏を返さなくてもそれだけお前が俺のことを求めてきたってことで」
 「言ってねえだろンな事!!!」
 あからさまな濡れ衣に身を起こしかけ―――
 ―――やはり駄目だったらしく再びベッドに没した。
 「くそ・・・・・・!!」
 隣で笑う男の代わりに布団を一発殴って呻く跡部。吸い込まれそうなほど綺麗な瞳が髪に隠れる。
 せっかくの鑑賞物件を隠す無粋な髪を掻き上げるべく手を伸ばし、佐伯は笑みを深めた。
 思う。穢れなき彼の瞳に自分はどう映るのだろう、と。
 さぞかし汚く映るのだろう。
 (まあそれ以前に、俺のことなんてロクに見てもいないだろうけどね)
 彼がその瞳に焼き付くほど映し続けるのは、もう一人の『幼馴染』・・・・・・。
 バシ―――!!
 髪に触れかけた手が逆手ではたかれる。スイッチブレードといいコレといい、つくづくバックハンドの好きな男だ。
 これでも手加減された筈なのに―――というか今の彼では本気など出せないだろうに―――痺れる赤い手を擦り、やはり佐伯の浮かべたものは笑みだった。
 幼馴染の―――不二の浮かべる造り物の笑いとは違う。佐伯は本当に笑っている時にしか笑わない。少なくとも彼らの前では。
 (なんだ。正常じゃん)
 これで手に縋り付かれでもした日にはどうしようかと思ったが・・・・・・どうやらその心配は無用のようだった。
 「さっさとタバコよこせ」
 手を振ったついでに仰向けになった跡部。さらについでにそのまま右手を上げて手の平を広げる。
 にべもなく言い放つ彼の目は特に目立った感情は浮かんでいなかった。せいぜい疲労感程度か。
 ―――先程までの、それこそ死んだ魚のような虚無感は浮かんでいなかった。どうやらテンションは下降したらしい。
 見た目が『上』機嫌に―――テンションがハイになるほど跡部の目は死んでいく。
 (やっぱこっちのほうがいいな)
 狂ったテンションで、死んだ目で求められるのならば―――
 冷たく返されはたかれ、それでもいつもどおりでいてくれる方がずっといい。
 たとえ自分を映してくれなかろうが、それでも今の瞳の方がずっといい。
 (・・・・・・なんて思う俺も終わりだな)
 胸の内に浮かぶものを全て隠し、佐伯は改めて跡部を見下ろした。
 見下ろし―――見せ付けるように、持ちっぱなしだったタバコを口に含む。
 「てめぇ・・・・・・」
 額に青筋を立てる跡部をやはり見下ろし、一服―――
 ―――して、伸ばされていた跡部の手を掴んだ。
 そのまま横へと倒し、自分もまた跡部の上へと倒れ込む。普段なら避けられていただろう。だが今避けられないのは疲労感のせいでありそして・・・・・・
 「タバコ―――の代わり」
 呟き、佐伯が唇を跡部に重ねた。タバコの炎が互いに当たらないよう調節して、跡部の顎を下に下げる。
 「ん、あ・・・・・・・・・・・・」
 されるがまま開かれた口へと遠慮なく舌を突っ込み唾液を流し入れる。
 濡れた音と混じって響く喘ぎ声に聴覚が犯される。
 強い光を放つ瞳が閉じられた分、より露になる端正な顔に視覚が犯される。
 触れ合う肌に触覚が、絡み合う舌に味覚が、汗の匂いに嗅覚が、なにより彼の存在そのものに全身全霊が犯される。
 このまま永遠にそうしていたい欲望と闘いつつ、佐伯は跡部を解放した。このまま続けていれば何をしでかすかわからない。
 「何のつもりだ?」
 長いキスながら息を荒げる事もなく問いてくる跡部。唾液を一滴たりとも零さずにいてくれたことに小さな感動を覚える。
 ―――彼からしてみれば『その勝負受けた』といったところだろうが。
 跡部によく見えるよう、持ちっぱなしだったタバコを掲げて、佐伯が笑った。
 「だから、『タバコの代わり』。なんてね」
 「馬鹿か」
 パシ―――!
 半眼のボヤきと同時、再び響くこの音。今度は佐伯を直接狙ったものではなく―――
 「さっさとよこせっつってんだろ」
 佐伯の手からタバコを奪い、跡部はそれを吸い込んだ。
 長々と吐かれる紫煙。さして気持ち良さそうでもおいしそうでもない様子で、僅かに目を細める。別に好きだから吸っているのではない。依存症になるほど吸ってもいない。ただ―――他に間を埋める方法を思いつけないから吸い続けているだけだ。それ以外の意味はない。跡部にも、また佐伯にも。
 「相変わらず傍若無人だな。人の迷惑とか考えろよ」
 「てめぇがな」
 返された言葉に肩を竦め、2本目をサイドテーブルから取り上げる。
 火をつけようとして―――止めた。
 代わりに、問う。
 「そういや―――」
 「あん?」
 「もう落ち着いたか?」
 「何の話だ?」
 「いや別に」
 跡部の、予想と期待どおりの返答を確認し―――
 ―――結局火はつけず、佐伯はただの棒切れとなったタバコを手の中で弄んだ。
 跡部からの突然の電話。家のものではなくわざわざ携帯から携帯へとかけられ、1コール以下で切られたそれ。挙句に電話し返せば全てコールセンター行きとなっていた。
 (そんなのわざわざやるこいつもこいつだけど、それだけでわざわざ東京まで来る俺も俺だよな)
 皮肉げに思う。それでも放って置けなかった。
 何があったのか―――今更問うまでもない。昨日不二から電話があった。東京の強豪校同士で練習試合をするという。
 聞いた瞬間から嫌な予感はしていた。挙げられた学校名は・・・・・・不動峰・聖ルドルフ・山吹、そして青学に―――氷帝。
 知ってしまったのだろう。何をかはわからないが、とりあえず何かを。
 『遊びに』―――本音はどうであろうと建前は遊びに行った先で、久しぶりという理由だけではなく楽しそうな不二の姿に予感が確信へと変わった。さらに跡部率いる氷帝学園は早々と帰ってしまったと聞けば最早確定だ。
 適当なところで切り上げ、跡部の家へ行けば本人は部屋で休んでいるという。その部屋は、携帯同様何の反応も見せない。
 幼馴染という遠慮の存在しない関係がこんなときには役に立つ。聞いちゃいないだろうが一応言うだけ言って許可無く入った。
 入った先で、跡部はベッドで横になって寝ていた。制服も脱がず布団も被らず、かろうじてネクタイだけは緩めて。
 後ろ手にドアの鍵を閉め、ベッドへと一気に接近。逆方向へ頭を向ける跡部へとかがみ込み、やはり許可無くキスをした。
 長々と―――本当に長々と触れ合った後で、
 『―――「安眠妨害」って言葉知ってるか?』
 『「強姦」って言葉だったら知ってるけど?』
 『次から勉強してこい』
 『了解』
 呆れ返る跡部を優しく抱きしめ、もしかしたらあくび混じりに流れたりしたかもしれない涙を舌で掬い取り、安心させるように顔中にキスをして―――
 ―――そして跡部が気を失うまで抱き合って。
 それこそ皮肉な話だ。佐伯が跡部にしているのは、2人が不二にしているプロセスと同じ。する理由も同じ。なのに今ここに不二はいない。いなくて当然だ。いたなら自分が必要とされるわけがない。
 むしろいないのは幸いだ。別に不二が悪いわけでも邪魔なわけでもない。ただ・・・・・・
 不二は跡部の気持ちに応えられない。それだけの問題だ。ならば今ここにいて跡部の気持ちを余計に軋ませるのならばいないほうがいい。ただそれだけ。
 (まあ、俺は俺でいていい存在じゃないんだろうけどね)
 自分は純粋に幼馴染としてここにいるのではない。
 まさかこんな日が来るとは思わなかった。壊れた『幼馴染』という関係。最後まで護ろうとした自分が最初に壊していたなどと知る日が。
 ただ自分は、崩れる関係の中で壊れていく跡部に手を差し伸べていただけ。それだけの―――はずだった。
 この関係を、どう表すればいいのだろう。決して恋人ではなく、でも
sexフレンドというものでもなくて。
 あえて分類するならば―――いや、どう遠回りしようと最終的にはここにしか落ち着かないのだろうが―――幼馴染付き合い。それ以上でもそれ以下でもない。
 ―――――――――はずだった。
 (なんで変わったんだろうな・・・・・・?)
 自分でも不思議でたまらない。いっそ誰かに訊いてみたい。なんでこんな事になったんだ? と。
 決して叶わぬ想いを抱え、崩れる関係の中で壊れていく跡部に手を差し伸べ―――
 ―――気が付いたら好きになっていた。
 最初あったのは同情心と、そして一抹の好奇心だったと思う。この誇り高き傍若無人な帝王が、たった一人の人間を愛して。極々普通、平凡極まりない事象。平凡すぎて逆に驚いたほどだ。
 なのにその平凡な事象は、そこから先に進む事は絶対になかった。
 今にして思う。帝王ですら叶える事の出来ない願い。自分程度が実現できるわけはない。
 独り行き場のない想いを持て余す彼に、自分がしたのは悪魔の囁き。
 ―――『なら今ここで晴らしてみないか?』
 このときにはもう好きになっていたのかもしれない。彼同様、その気持ちを自覚していなかっただけで。
 笑みを浮かべて抱き締めた自分。背中にゆるく回された手に、寄りかかってくる躰の熱に、跳ね上がった心臓は何のために?
 それ以降続いている関係。何かあるたびにこうして自分は呼び出される。それもまた、不二との関係と同じ。
 3人の関係の裏で行なわれているこの接触。なのにこれは『浮気』には当たらない。
 自分達がどうであろうと、それは不二にとってはどうでもいい事であり。
 ―――そして跡部にとってもどうでもいい事、である。
 『もう落ち着いたか?』
 ・・・・・・いっそこの手で完全に壊してしまったほうがいいのかもしれない。
 (跡部を? それとも・・・不二を?)
 どちらにせよ実現不可能な思いに自嘲を浮かべ、佐伯は弄んでいたタバコに火をつけた。





 今度こそどこも見ずにタバコを吹かす佐伯を見上げ、
 (一人でカッコつけてんじゃねーよ、馬鹿が・・・・・・)
 跡部はそう呟く代わりに、吐き出した煙に続きため息をついた。
 再びタバコを口につける。唇に触れる指。僅かに湿っている。
 『だから、「タバコの代わり」。なんてね』
 ふざけて言っていた台詞。そんな言い訳をつけてでも触れたい。その気持ちはそれこそ痛いほどによくわかる。
 ―――自分が不二に対するものと同じだから。
 同じだから、だからこそそれに応えるわけにはいかないのだ。
 自分が愛するのはあくまで不二であり、佐伯に対して持つ感情は彼の持つものとは違う。半端に応えればそれこそ相手を傷付ける事となる。
 それこそ自分と同じだ。
 (半端な愛情なんていらねーんだよ。佐伯も、俺も)
 不二からそれを得ようなんて思っていない。同時に佐伯は自分からそれを得ようと思ってはいまい。
 気持ちの上では佐伯と全て同じで。
 なのにその気持ちを利用する辺り行動はむしろ不二と同じ。いや、わかっていてそうする自分の方が遥かに卑怯か。
 (最低だな。俺は・・・・・・)
 不二を諦めることもできないのに、『無条件』で差し伸べられる佐伯の助けに縋っている。
 ―――『あ、跡部!』
 今日行なわれた5校合同の練習試合。レギュラージャージで嬉しそうに手を振る不二の隣には既にあいつがいて。
 一瞬でも、不二に逢えると少なからず浮かれていた自分が馬鹿馬鹿しくてたまらない。予想してしかるべきだった。『5校合同』―――不二の『恋人』もまたその中に含まれる事に。
 多分、いつもどおり接していたと思う。その間の事は何も覚えていない。ただ、不二が楽しそうだったという事だけしか。
 気が付いたら不二ともそいつとも別れていて、
 ・・・・・・そしてバッグに入れていた携帯に手を伸ばしていた。
 呼び出していた番号。慌てて電源ごと切る。自分の女々しさに反吐が出る。
 試合前にその事を思い出して電源を入れたら―――不在着信記録が全て塗り替えられていた。
 ―――『馬鹿か、コイツは・・・・・・』
 見て思わず笑った。繋がらない電話相手にあいつは一体どれだけ頑張ってんだ?
 不思議と軽くなる心。おかげで試合には一切何の影響もなかった。
 試合後すぐ帰ったのは、期待があったから。電話受信の時間は一定内に固まっている。それ以降は全くない。
 諦めた―――のではないだろう。彼の性格というより彼の想いを知っているからこその確信。こんなとき放ってはおかない。
 それこそ自分たちが―――自分が不二を放っておかないのと同じように。
 ただの1コールのためだけに本当に千葉からここまで来た佐伯に、自分が覚えたのは安心感。
 この気持ちが恋愛感情に変われたとしたらどれだけいい事か。自分にも、佐伯にも、不二にも。
 そうしたら全てが解決するのに。
 それなのに―――
 (最低だな。俺は・・・・・・)
 もう一度思う。思って、笑う。
 佐伯はこんな自分を好きなのだと。
 (コイツの目にはどれだけ曇りが入りまくってんだ?)





ζ     ζ     ζ     ζ     ζ






 「何笑ってんだよ?」
 「別に。何でもねえよ」
 「すっごい、気になるんだけどね。その言い草」
 「そうか? なら言っていいか。
  お前本気で馬鹿だな」
 「はい?」
 「聞こえなかったか?
  お前本気で馬鹿だな」
 「聞こえてたけどさ・・・。
  何なんだよ脈絡もなく」
 「言ったとおりの意味だろ? それに聞きたいっつったのはてめーだ」
 「はあ・・・。
  でも―――」
 「あん?」
 「『馬鹿』って事ならお前にも十分あてはまるだろ?」
 「俺様のどこが?」
 「さあね」
 「言え」
 「お前が言ったらね」
 そんな、2人の会話。『いつもどおり』のそれが―――



 ―――2人の夢の終わりを告げていた。






 

絶望への前奏曲[プレリュード]。もしもこの耳に聴こえていたならば何か変わっていたのだろうか?


―――Fin









ζ     ζ     ζ     ζ     ζ     ζ     ζ     ζ     ζ     ζ     ζ     ζ

 さって、『D3』に続きこの話です。前回佐伯→跡部→不二っぽくなったということで開き直って今回はモロにそれで行きました。そして恐らくといいますか間違いなく続きます。なぜか毎度毎度単品にするはずが気がついたら3部作になっていたもので。
 というわけで『D3』・『D2』に続き最終章は『D4』。どういう『D』になるかはさておいて、結構いい単語ありますね『D』って。さ〜ってあと『D』といったら・・・・・・(思いつかないんかい)。
 では、2人の誕生日を祝えないどころかどんどん暗くなるまま終わりにさせていただきます。あ、最終章はもちろん今までほとんど触れなかった彼について。さあ、ラストに彼らの関係はどうなるのか!?
 そういや余談。結局未だに不二の恋人が誰だか明かされてません。とりあえず青学・不動峰・聖ルド・山吹・そして氷帝のどこかにいるということのみ(って、8割以上の確率でそうなるでしょうが・・・・・・)。

2003.10.710