彼らには前々から癖があった。気まずい時、苛立った時、総じて―――間を埋めたい時、体を掻くという、そんな癖。
7’.狂気2 −感染−
不二が突然暴れだしたという知らせを聞き、青学メンバーらは許可をもらって交代で一晩中見張りをする事にした。病院側も、たとえ中身は6歳だろうが体は14歳の少年を押さえつけなければならないという負担を考えれば快諾したとして当然だった。いや、中身が6歳だから厄介なのか。手加減無しに暴れる子どもは本当に手に負えない。特に夜中の見回りのため必然的に遭遇しやすい看護師の女性らには危険極まりない事だ。
だがあまり大勢で見たとしても不二に余計なプレッシャーを与えるということで、1人ずつが泊まりこむことになった。
1日目は、英二の役目となった。
「不二〜・・・・・・・・・・・・」
ベッドの上で、しかし横たわる事もなく俯く不二へと英二が情けない声で呼びかけた。大石の指摘していた頬の傷はもう見えない。治ったのではなく―――肉が見えるほどになっていたため治療され、上からテープが貼られていたからだ。
「ごはん・・・・・・食べにゃいの・・・・・・・・・・・・?」
サイドテーブルに置かれた夕食。全く手をつけられていないそれを、何とか話題のタネにしようとする。
そんな英二へと、一瞬だけ視線が向けられた。
「――――――っ!!」
冷たい―――いつもの柔和さなど欠片も存在しない、凍てつくほどの冷たさだけを湛えた瞳に、息を呑んで英二が黙り込む。反射的に吸い込んだ息が喉の奥にぶつかった痛みからか、それとも本能から感じる恐怖からか、大きな目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
それを見ても、不二の瞳に何かが浮かぶ事はない。ただただ空虚が広がるだけ。
と―――
今まで何もしていなかった不二がふいに動き出した。
身を引きかけた英二に詰め寄り、動けないよう体を押さえつけて、
唇を、押し付ける。
「んむっ!?」
合わせた口と口。その隙間から漏れる苦しいだけの声。
触れ合う唇。絡まる舌。
そこに、『快感』は一切なくて。
「ふ、不二ぃ!?」
「うるさいな・・・・・・」
「え・・・・・・?」
驚く英二を引っ張り込み、ベッドの上へと倒れた。
「何―――」
体勢としては押し倒して、しかし実際は、むしろ拘束されているのは英二の方。
英二に見下ろされるまま、不二は自分のパジャマを引き裂いた。
「―――!?」
わけのわからない英二の手を取り、傷だらけの胸へと滑らせる。
みんなが、そうしてくれたように。
なのに――――――
「――――――もういい」
「え・・・?」
「もういいって言ってんだよ。早くどいてよ」
得られない快感。そこにあるのはただの気持ち悪さ。
所詮代理などで贖えるものではない。わかってはいたけれど。
それでも――――――
――――――――――――もしかしたら、少しでもいいからこの渇きを癒してくれるかと思ったんだ。
「何・・・なんだよ、それ・・・!!」
「別に。いいでしょ? キミには関係ない事だよ」
「ンな言い方あるかよ!! 勝手にお前がやっといて!!」
「ああ、ごめんね。
―――ホラ、謝ったよ。これでいいんでしょ? さっさとどいてよ。
ついでにもう暴れないから帰ってくれない? キミ邪魔」
「てめえ・・・・・・!!」
あまりにも身勝手な不二の言い振り。6歳児だからとかそういうレベルではないそれにトドメを刺される形でついに英二が切れた。
「ンなに何かして欲しいんならやってやるよ!!」
ここはベッドの上。こちらが押し倒した絶好の状況。
逃れようと身をよじる不二の肩を押さえつけようとして―――
がんっ!!
そんな音と共に、一瞬全てが暗闇に包まれた。
揺れる頭を無理矢理起こす。暗闇の次に訪れたのは、視界半分を埋め尽くす紅だった。
「な――――――!!??」
不二の手に持たれたものに、ようやく全てを悟る。角に血のついた四角い盆。今更ながらに振り飛ばされた食器が音を立てて床に落ちる。
「あ・・・・・・」
ずきずきと鈍い痛みを伝える頭。手をやれば、ぐちゃりと濡れていた。
それに何かを感じる暇もなく、
「あ・・・・・・?」
髪を掴まれ、引っ張られる。
かろうじてまだ見えていた右目。今その前には細長いものが突きつけられていた。
盆の上に乗っていた箸。瞼の振動に合わせて触れる睫毛の感触が伝わる。
動かせない頭。閉じられない瞼。
硬直する時の中で―――
「もう1回言うけどさ、キミ邪魔。もう帰って」
「あ・・・・・・、ああ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
突きつけられた箸以上に鋭い不二の雰囲気に、英二はそう返事するしかなかった。
・ ・ ・ ・ ・
次の日。
「なあ・・・・・・。
もう止めようよ。あいつらの邪魔すんの・・・・・・」
頭に包帯を巻き、今までとは打って変わって後ろ向きな事を言い出す英二へと、誰もが首を傾げた。
「どうしたんだ? 英二・・・・・・」
心配そうに肩に手を置く大石。そこからわざわざ伝えられずとも、彼の全身が震えている事は最初見たときからわかっていた。
置かれた手に、英二がロコツにびくりと震える。やはり細かく振動した眼球をみんなに向け、
「不二・・・。もう俺らの知ってるアイツじゃねえ・・・・・・。壊れてる・・・。狂ってやがる・・・・・・・・・・・・」
「何が、あったんだ・・・? 昨日・・・・・・」
おかしすぎる英二の様子。今すぐ揺さぶり問い詰めたいが、怯えた彼の様子ではヘタな詰問はむしろ逆効果だ。
そう思い優しく尋ねる大石だったが・・・・・・
「わかんねえよンなモン!! 俺の方が訊きてえよ!!」
それが逆に英二の中で張り詰めていたものを打ち砕いた。
「退行とかそういう問題じゃねえよ!! アイツ誰だよ!? 不二じゃねえよぜってえ!!」
頭を抱えてしゃがみ込み、ぼろぼろと涙を零して泣き叫ぶ。本当にいつもと違いすぎる様。
もう、誰も、何も出来なかった。
俯く一同。英二の慟哭だけが響く静かな部屋で、
ただ1人、顔を上げた裕太が拳を握り締めた。
「今日、俺に行かせて下さい」
与えられた個室にて、自分からは逆側を向き静かに眠る兄。そこに何かおかしい点はなくて。
「菊丸さん、何怯えてたんだ・・・・・・?」
一挙手一投足逃さず見ていた裕太は、結局英二の怯えの原因がわからず首を傾げた。
傾げ―――もう一度異常のない兄を見てあくびする。
「眠・・・・・・」
もう真夜中1時過ぎ。1日の徹夜くらいならどうとでもなると思っていたが、何もしないで起き続けるのはかなりの重労働だった。しかもヘタに集中していたおかげで疲れだけはやたらと稼げた。
「コーヒーでも買ってこよ・・・・・・」
異常はない。少しくらい目を離しても大丈夫だ。
そう判断して部屋を出た裕太は―――
―――自販機にていきなり殴られ、そこで意識が途切れた。
首筋へと手刀を叩き込み、倒れる音を殺すように崩れる体を抱きとめた忍足は、眠気と相まって完全に気絶した裕太を見下ろし呟いた。
「すまんなあ。この先はお子様にはちょ〜っとばっかし刺激強すぎるんでなあ」
くたりと力の抜けた体を椅子に横たえさせ、視線を投げかける。
自分がいる所よりもさらに闇。その奥で、獣のように爛々と輝く3対の瞳を見据え、
「不二の部屋は言った通りや。次の巡回まで3時間。見つからんよう気ぃ付けいや」
「ああ・・・・・・」
小さく頷き、彼の横を通り過ぎる跡部・佐伯・千石。はだけられた彼らの胸元には一様に、
――――――――――――無数の引っかき傷があった。
・ ・ ・ ・ ・
邪魔者が出て行く。
扉が閉じた瞬間、それまで閉じられていた不二の目が開かれた。同時に布団の中で折りたたまれる躰。
他人で代理にならないのなら自らで埋めるしかない。
「う・・・ん・・・・・・」
躰中を這い回る手。彼らはどうやって自分に触れてくれていた?
「あん・・・・・・は・・・・・・」
思い出すまでもなく、勝手に手が動いていく。それだけもう刻み込まれていた。頭にも、躰にも、心にも。
「あっ・・・・・・、あ・・・・・・!」
と―――
かちゃり、と。
ドアが開いた。
邪魔者がもう帰ってきたのかと、煩わしげに目を細め動きを止めた。半端に煽られた躰が興奮を訴える。いっそ代理でいいからやってしまおうか―――つくづくそう思う。
どうせ待っていても来ないのだ。それがいつもの事。求める相手には逃げられて、自分はいつも残される。
ならば代理でもいいじゃないか。
そう思い、振り向く不二。ドアに向けられた彼の目に映ったのは、
――――――――――――代理、ではなかった。
「景、サエ、千石君・・・・・・!!」
がばりと起き上がり、待ち人3人へと微笑む。3人同様目だけが輝く、極上の壊れた笑み。
その笑みに、立ち上がり露になる彼の姿に、どくりと3人の心臓が高鳴った。
欲しくて、欲しくてたまらなかったそれ。言葉をかけるのももどかしく、滑り込んできた3人が不二をきつく抱き締めた。
「せやからお子様厳禁言うたやん」
それこそ獣のように絡まりあう4人。呼吸すら困難なほどの濃厚な空気が支配するその部屋を―――
―――誰のせいだか閉め忘れたドア越しに見ながら、忍足は深くため息をついた。
「後でクレーム来おっても知らんで?」
本当に来られると後でなぜか自分のせいにされる恐れがあるため、とりあえず閉めておく。
「さって、これで俺の役目は終わりやな」
言うだけ言って去る忍足。ドアに背を向け離れていく彼は、
もちろんこの後この部屋で起こった事は何も『知らない』。
・ ・ ・ ・ ・
「暴れた次は脱走!?」
「なんなのよここの子は!!」
「全然役に立ってないじゃないか見張りは!!」
一夜明けて騒然とする病院内。その中で忍足はやはり、
―――軽く肩を竦めるだけだった。
―――Fin
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
さて【帰郷】のanother storyにして裏Ver、なんだかみんなの壊れっぷりが激しくなっております。いっそ不二先輩と『代理』で絡ませ続けようかと思いもしましたがそれやると殺人が多発しそうだったので本人に自制していただきました。
なお消えた4人はこの後どうしたのか、本編の8に戻ってもいいですしいっそ無人島ででも幸せに暮らしていたとしても・・・・・・(設定無視の暴言)。
2003.12.24〜25