7.部活後 ―――対日吉
部活が終わり、部員とミーティングをして、監督と明日の予定なんかを話し合い、それらを元にメニューを組み立てて、最後に今日の報告として部誌を書き。
結果としてどうやっても跡部が帰るのは部員たちの中でもラストになる。部室でだらだら話す者や、それこそ跡部を待つ者なんかもいたりするが(さらに部室のカギ当番をラストまで強制的に残したりもするが)、この日はカギ当番も跡部自身であったため、本当に彼のみが最後まで残った。
「そういや・・・・・・」
部誌を書き終え気付く。そういえばもう1人残りたいと言って来た者がいたか。だからカギ当番は自分が替わると言われのだが、跡部は跡部で相当遅くまで残るため、カギは部室に置いておき最後に出る方が掛けようと決めていたのだ。今だカギは部室扉隣に掛けられている。まだ帰っていないか、それとも自分が部室を離れている間に帰ったか。
「コート、見てくるか・・・・・・」
他の場所で練習していたのなら大爆笑だが、学校にわざわざ残る最大の利点はコートが自由に使えることだ。そうそう妙なところにはいないだろう。
立ち上がったところで、
「―――跡部さん、まだいたんですか?」
扉が開き、入って来た存在になぜか自分の方が驚かれた。
「別にンな驚くほど遅くはねえだろ? 俺はいつもこんなもんだ。
それよりお前こそ随分遅くまでやってたんだな、日吉」
初夏であるにも関わらず日はとっぷり沈んでいる。扉の外ではライトの明かりが晧々と眩しい。
「いえ、まだ早いですよ」
感情のあまり表れない日吉の声。だがこれは謙虚ではない。実際こいつはその通り思っているのだろう。
好感の持てる返事に、跡部はへえ・・・と小さく頷いた。下克上。常に上を目指し、今ある自分に満足はしない。こういう態度は嫌いじゃない。ついでに自分に歯向かってくる存在も。
上に上るのに自分が邪魔だというのなら、いくらでも倒して欲しい。
(ま、そう簡単にゃ倒させねえがな)
結局のところそういう相手がいないから退屈なのだ。頂点というのは、上る過程は面白いが上ってしまえば案外つまらないものだ。だからこそそこで興味を無くす。今まではそうだった。
(さって、今回はどうなるかな?)
「で、首尾はどうだ?」
「何が、ですか?」
「実力の方だよ。まさか青学の1年ボーズにやられたまんま、なんて事ぁねえだろうなあ、ああ?」
跡部の軽い揶揄に、日吉の目が僅かに細まった。
それに気付き―――気付いただけで跡部は無視した。
背中を向け、机に広げていた部誌を片付ける。後ろから日吉がじっと自分の背を見つめているのが気配でわかった。刺すように痛い視線。痛くて、心地良い。
「帰るんならさっさと仕度しろよ。カギが閉めらんねえ」
視線が、殺気を帯びる。何も知らない振りをして、片付けを続ける。続けつつ・・・・・・両手をいつでも使えるように空けておく。
接近は、思ったより早かった。武術を会得した者の驕りか? 自分は相当舐められているらしい。テニスだけでなく、何においてもそういう扱いは嫌いだ。
待つ義理を無くし、跡部は後ろを振り向いた。そっと寄りかけていた日吉が驚きを露にする。自分が典型的速攻型である事は向こうも知っているだろうが、まさか自分が一切仕掛けていないうちから気付かれていたとは思っていなかったらしい。
(本気で、舐められたもんだな)
隠密接近は最早無意味。察してからの日吉の動きは速かった。
一気に間合いを詰めてくる日吉をのんびりと見つつ、そんな事を考える跡部。もう一度後輩教育はし直した方が良さそうだ。
机のおかげで後ろには下がれない状況下で、跡部は逆に前に詰め、同時に日吉の間合いを外した。正確には、その間合いで攻撃するタイミングを。
日吉が後ろへと下がる。ここが恐らくこいつの間合いの境界線。
重心が下がり、さらに右手が引かれる。テニスラケットを持った状態での体勢を考え、左手で牽制、右手で攻撃か。
(確か・・・古武術の極意は全ての筋肉をフルに使って速く動く事、だったか)
一瞬でのスピードにならこちらも自信はあるが、果たして我流で正統派の武術にはどこまで敵うか。
が、
(我流は我流ならではの利点があるんだぜ?)
跡部もまた、左半身の構えに移る。ただし手は一切上げず、素人が見ればただの自然体と取れる構え。
跡部といえば派手なパフォーマンスが目立つが、完璧なるオールラウンダーと賞されるように、全般を、特に基礎ほどマスターしている。それはテニスのみにあらず如何なる物事においても同じ。まんべんなく広く、そして深くが彼の学習理念[モットー]。
戦闘全般で言える事。結局のところ自然体が一番様々な事態に対応しやすいというものだ。それこそ日吉のように自分固定のスタイルがない以上、ヘタに大げさに構えるよりは遥かに有効だ。
眼力というほどのものではない軽いノリで日吉のテニスプレイをもう一度思い出す。テニスをやる上では明らかにおかしいスタイル。ただし古武術―――いや、戦闘スタイルだと考えれば極めて理に適うそれ。恐ろしく合理的だ。しかも使う上での迷いがない。相当にそれに慣れている。その・・・・・・正統派スタイルに。
(だから、変則パターンに弱い)
口端を上げ、跡部は一気に日吉へと突っ込んでいった。間合いも牽制も完璧無視。これでは突撃バカだ。間違っても自分がいつも闘[や]り合うヤツらに仕掛けた日には即刻返り討ちに遭う。逆に自分が仕掛けられたとしたら即座に蹴り倒し冷笑を浴びせ掛ける。
なのだが・・・
「何・・・!?」
日吉が戸惑い、反撃の手を遅らせる。なまじ普段跡部の武勇伝を聞きすぎた。あれだけケンカ慣れしている跡部が、まさかこんなド素人ですらしないであろう手法に出るとは思わなかったのだろう。
決定的な遅れ。迷いと共に繰り出された左の抜き手を体を捻りつつ避け、跡部は日吉に最接近した。最接近し―――再び離れる。
「―――!?」
右側をすり抜け抜き去る自分に驚き、日吉が首を動かした。自滅への王手[チェックメイト]。
(筋肉[ちから]っつーのは・・・・・・支えがねえと使えねえぜ?)
踏み込んだ左足を滑らせ止まる。同じく進ませていた右足を軽く上げて止まった。急激な運動。反動で体が戻る。戻り―――
―――日吉の右膝裏に当たった。
「な・・・・・・!」
いわゆる『膝カックン』。ただしただでさえ重心を後ろに落とし、しかも首を動かし僅かにバランスの崩れていた日吉に堪える事は不可能だった。
「くっ・・・!」
日吉が自ら体を後ろに倒す。一度倒れた上で改めて起き上がる気か。いい判断だ。起き上がれたならば。
日吉のポロシャツを掴み、引っ張られる形で跡部もまた前へと倒れる。
「―――っ!!」
倒れこんだのは、もちろん同時だった。日吉に折り重なるように体を預け、強制的に反動を押し殺す。
胸筋のついた弾力ある胸の上で跡部は頬杖をついた。悔しげに見上げる―――実際の高さでいえば。首の動きでみればむしろ胸程度の位置にいる自分は見下ろす、か―――日吉に薄く笑ってみせる。
「俺様に歯向かう度胸だけは認めてやるよ。敵いはしねえだろうがな」
「な・・・なんでアンタ、あんな攻撃に出た? らしくもねえ」
「らしく、ねえ・・・・・・。
生憎だが俺はお前と違って正式に何か学んだってワケじゃねえからな、おかげで闘いのHow toは知らねーんだ。
―――確実に勝つための方法を選んだ。俺らしくねえか?」
「・・・・・・・・・・・・前言撤回します」
組み敷かれたまま、日吉が細く息を吐いた。
「でも・・・」
「あん?」
「決め手が甘い。氷帝部員全体の風潮みたいっスね。それともアンタがそうだからですか?」
言いながら、日吉が体を転がす。特に寝技を使っていたわけではない。ただ乗っかっていただけの跡部の体もろとも。
抵抗なく仰向けにさせられる跡部。左腕を後ろに折り畳みながらもう半回転させる。
「俺はまだ降参してませんよ。さっきっからそうですが、アンタこそ、俺の事相当舐めてくれてたみたいですね」
左肩を極められ床に全身つけられた『屈辱的体勢』で、それでも跡部の笑みは消えなかった。
「なるほどなあ。今日1日で俺も宍戸と忍足に似たような台詞何度も言ったが、俺からスタートか。そりゃ思いつきもしなかった」
「・・・・・・余裕ぶってられるのも今のうちですよ」
膝をついて跡部に跨った日吉が、拘束する手を左手1本に移し余った右手を跡部の腰に回した。
上に浮かせ、垂れたポロシャツを捲くりハーフパンツを掴む。
「てめぇも大概ワンパターンだな。今日1日でその手は3回目だぜ?」
「知ってます。見てましたから。
そして―――アンタが感じてたのもな」
「ほう・・・?」
興味深い台詞に、跡部の片眉がぴくりと上がった。
「俺様が感じてただと?」
「ええ。アンタほどじゃありませんが俺も人を見る目はそこそこにありますからね。元々弱いのか欲求不満なのか知りませんが、確かに感じてましたよね?」
形は疑問形。しかし中身は断言の言葉に、
「へえ。そりゃぜひともウチの『クセ者』に聞かせてえなあ」
「肯定するんですか?」
「否定しても聞かねえだろ? 俺はムダな事はしねえタチだ」
「そうですか。では・・・
―――抵抗もしないで下さいね。ムダですから」
片手で器用にハーフパンツを下げていく。本日それこそ何度も弄られたところにまたも手が伸ばされ―――
「う・・・あ・・・・・・」
「普段は女王のように虐げているのに、アンタ自身は苛められるのが好きなんですか?」
極めた手はそのままに、日吉が後ろからのしかかりつつそんな事を言ってくる。自由な右手で体を支え、跡部はちらりと振り返り口を開いた。
「かも・・・、な・・・・・・」
浮かべられた妖艶な笑み。細く光を放つ瞳の意味を日吉はどこまで悟れるか。
「ところでこの際聞いとくが・・・どういう意味で抵抗はムダだ?」
「わかりませんか? アンタほどの人が」
「わか・・・んねーから、聞いてんだろ・・・・・・?」
「・・・正直失望しますが、まあいいですよ。
端的に言って、ヘタに抵抗すると肩脱臼するか骨折れますよ? いくら左とはいえテニスを続けるつもりなら進んで傷つけたくはないでしょう?」
「なるほどな・・・。てめぇは油断しねえ、ってか・・・・・・。ぜひとも宍戸や忍足に見せてえもんだぜ・・・・・・」
「あの人たちもせっかくいいところまでいったのに勿体無い。自分が優位に立った途端油断するから足元掬われるんですよ。
そしてアンタも」
「そりゃ、ご尤も・・・」
「わかっていただけた―――」
「だがな、
―――俺がいつ優位に立たせた? てめぇも含めてな」
「な・・・?」
小さな疑問の声は、
ゴキッ―――!!
それ以上に大きな音を前にあっさり消え去った。
左肩の関節を外して拘束を解いた跡部。半回転し、日吉のジャージ胸元を掴んでもう半回転。再び体勢は先ほどと同じものに戻った。
「アンタ何を―――!!」
驚き日吉が首を上げようとして―――途中で止まった。眼前に突き出された跡部の指を見て。
「いい判断だな。そのまま顔上げてりゃ両目潰してたぜ。てめぇのさっきの言葉借りるんなら、テニス続けるつもりなら進んで怪我したくはねえだろ? しかも目やられりゃ致命的だぜ?」
「ですが、片腕だけで俺に勝てるつもりですか? 奇襲は成功みたいですけど、俺が避けるか弾くかすれば終わりですよ?」
「さあな。そん時きゃそん時考える。
だが、どうやら本気でてめぇの指摘どおり、氷帝にゃ詰めの甘いヤツが多すぎるようだな。片腕封じて安心してんじゃねえよ。人殺すのなんざ指1本ありゃ充分だ」
にやりと笑う。冗談か、それとも本気か。
『人を見る目はそこそこにある』日吉は悩む事無く抵抗を止めた。間違いなく本気だ。
わかって・・・・・・だからこそ尋ねた。だらりと垂れ下がった左腕に視線をやって。
「何で、そこまでやるんですか? どうやら外し慣れてるみたいですけど、やりすぎるとクセになりますよ。それこそ試合中致命的な事になる」
そんなリスクを負うならば自分に従った方が遥かにいいだろうに。あんな行為に出はしたが、実際に何かをするつもりはなかった。そして跡部の腕を壊すつもりもまた。
それこそ『人を見る目がある』跡部ならば気付かなかったわけではあるまい。自分はただ、跡部に負けを認めさせたかっただけだ。この帝王に、一度でいいから勝ってみたかった。
だが、
のしかかったままの跡部は、日吉の質問にそれこそ楽しそうに笑った。裏表のない、本当に楽しげな笑顔。
「俺はな、プライドが高いんだ」
「・・・・・・それはよく知ってます」
「だからな・・・。
他人に負けんのは嫌なんだ。勝つためならなんでもするぜ? 後々どうなろうが、負けを認めるよりゃ遥かにいい」
「・・・・・・・・・・・・。『らしい』ですね」
「そりゃどーも。ありがとよ」
『跡部景吾』たる人物の根幹がわかったような気がする。周りは彼のことを人間外のレベルまで祭り上げているようだが、実際のところ彼を形作る一番の要素はこれに尽きるのだろう。ただの負けず嫌い。極めて単純な思考。
だからこそ誰よりも強い。だからこそ共感が持てる。そして、
―――だからこそ、惹かれる。
頭を床まで戻し、日吉がため息をついた。ぱっと見いつもの無表情だが、僅かに笑みを浮かべているようにも見える。
果たして跡部はどちらと見て取ったか・・・・・・。
「参りました。完全降参します。もうアンタに手は出しません」
「そーか? そりゃ勿体ねえなあ。
ま、俺様に歯向かって来たその度胸だけは認めてやる」
言いながら日吉の頬に手を滑らせる。疑問げな日吉の顎を軽く上げ―――
「―――っ!?」
日吉の受けた驚きは、今日跡部を相手にする中で一番のものだっただろう。
重なる躰。重なる唇。開いたまま固まる日吉の口を十二分に堪能して、
「この位はサービスにくれてやるよ。気が向いたらまた来な。それだけの価値がありゃ、見合うモンやるよ」
目を見開く日吉にそれ以上の言葉はかけず立ち上がった跡部は、肩関節を治すと部誌を棚に戻しバッグを手に取った。
「じゃあな日吉。カギはしっかりかけてけよ」
振り向く事もなく告げ跡部がノブに手をかける。扉を開けたところで、後ろから声がかかった。
ようやく上半身を起こした日吉が、愕然とした顔で問う。
「アンタ、まさか最初っから全部図ってたのか・・・?」
最初から―――自分を挑発して向かわせたのも、わざと負けかけたのも全て。
そんな問いかけに、ようやく跡部が振り向いた。
最後の反撃前に見せた妖艶な笑みと―――決して誰も崩せない強い光を放つ瞳で。
「ゲームの主導権[ながれ]を握んのは俺様の十八番だ。ついでに言っとくが、俺は感じはしても酔いはしねーぜ?」
それを最後に去っていく跡部。静かな音を立て閉められた扉を暫し見やり、
「なら・・・・・・
―――次は、絶対アンタの事酔わせてみせますよ。跡部さん」
これが、日吉が初めて人に溺れた瞬間だった・・・・・・・・・・・・。
そして・・・.再び部活中 ―――対××
―――襲う襲われる以前に・・・・・・戦闘シーン書くの面白いなあ・・・。そういえばパラレル『Survive〜』でもサエの戦闘シーンをやったら熱入れて書いたような・・・。
理論はかなりどころか明らかにめちゃくちゃです。日吉の古武術に関しては20.5巻より、跡部の構えは文庫『魔術士オーフ。ン』シリーズより主人公オーフェンのスタイルです。跡部は絶対オールマイティな型にするだろうなあ、と。
そしてよし! 日吉×跡部だ(ったか?)! ジロ跡に次いで書き易い! ようやっと跡部総受けに近づいてきた(・・・のか?)!!
2004.5.10〜12