もしもそれでアンタが止まるのなら
もしもそれでアンタが俺を見てくれるのなら
倒してみせるよ
ねえ、不二先輩・・・・・・
血よりも深く・・・
不二の家にて。玄関へと入るなり、不二が硬直した。
(裕太・・・・・・・・・・・・)
玄関に置かれた靴。自分のものではないその運動靴の持ち主はただ一人。
(帰、ってる・・・・・・?)
そう思ったのは誰だったか。硬直する不二の後ろで、英二とリョーマが一瞬だけ目配せした。
2人同時に、ため息をつく。
―――なんだって帰ってきやがったんだ・・・・・・。
「あら周助、お帰りなさい」
「ただいま・・・」
「それに菊丸君に越前君、だったわよね? いらっしゃい」
「どーも・・・」
「おじゃましま〜す・・・・・・」
淑子の出迎えに、ぎこちないながらも答える3人。そこへ由美子も現れた。
「あら、周助、お帰り。それに菊丸君に越前君もいらっしゃい」
「ただいま・・・」
「どーも・・・」
「おじゃましま〜す・・・・・・」
由美子の出迎えにもまた、同じ挨拶を繰り返す。
その不自然さには特に気にする事もなく、由美子が笑顔で言葉を続ける。
「そうそう。裕太が帰ってるわよ。良かったわね」
誰にとってだか、この上ない皮肉に、しかしながら3人ともごく普通に対応した。
「へえ、裕太帰って来たんだ」
笑顔で答える不二。
「へ〜。やったじゃん不二!」
こちらも笑顔で明るく言う英二。
「良かったっスね、不二先輩」
にやりと笑うリョーマ。
「じゃあ早く上がってらっしゃい。もう夕飯食べ始めてるわよ」
早々去っていく2人の背中を見やり、
不二はため息をついて篭っていた力を抜き、
そして英二とリョーマは互いに視線を逸らして歯軋りをした。
「お帰り。裕太」
「あ、ああ・・・・・・」
ダイニングに入るなり先手を打って挨拶した不二に、カレーを食べる手を止め顔を上げた裕太が曖昧に応えた。
「帰って来たんだ」
「姉貴が帰って来いって言ったからな」
会話は続けられるが、2人の視線は一度も合っていない。
お互いを見るのが怖い。
危ういバランスの上に立つ『平穏』。僅かにでも誰かが何かをすればあっさり壊れるそれ。
「何よ。私のせいって言いたいわけ?」
3人分のカレーを持ってきた由美子が後ろから裕太の頭を小突き、うやむやのうちに会話は終わりを告げた。
食事中。
「―――だったんですよ」
「あはは。もー菊丸君ってば面白いことを」
「笑い事じゃないですよ〜!」
英二が明るく盛り上げ、それに由美子がのる。淑子は笑顔のままで会話を聞き、
裕太・不二、そしてリョーマは黙々と食事を食べ続けた。
―――英二の存在に感謝をしつつ。
「ねえ、明日は部活ないでしょ? 2人とも今日僕の家に泊まらない?」
そんな不二の誘いを、
「別にいいっスよ」
「わ〜いv お泊まりお泊まりvv」
英二とリョーマが快諾する。
裕太と2人になりたくない不二。
裕太と2人にさせたくない英二とリョーマ。
利害は一致しているのだ。断るワケがない。
「じゃあ今裕太がお風呂入ってるからさ、次越前君入ってきなよ。その次が英二ね」
不二が微笑んで自室のドアを指差す。安堵感が外まで伝わっていた。
「ういーっス」
「え〜!? 俺よりおチビ優先!?」
「英二は何度も泊まりに来た事あるでしょ? 越前君は初めてのお客様だからね」
―――『何度も』
その1センテンスに立ち上がりかけていたリョーマの動きが止まった。浮かぶのは、動揺より―――同情。英二がいつから不二を好きだったのかは知らないが、ここに2人っきりで通されてさぞかし彼も辛かったであろう。今の自分同様。
外部から接する事ができる限りでは最も不二自身に近いこのプライベートルーム。そこに2人っきりという状況でありながら、彼は何もする事が出来なかっただろう。
ここにすら飾られた不二と裕太の写真を見てしまったならば。
―――写真の中での、不二の本当の笑顔を見てしまったならば。
「ぶ〜ぶ〜!!」
「はいはい。英二には待ってる間何か飲み物でも持ってくるから」
苦笑して英二の頭を撫でる不二。気持ち良さそうに目を細める英二に、
(本当に猫みたい)
そんな感想を抱いて部屋を出て行った。
主のいなくなった部屋でなされる会話。
「良かったっスね。優しくしてもらって」
「焼きもちってか?」
皮肉るリョーマに、英二が今までの態度を一変させ、にやりと笑った。
「いーだろ。こーやって地道にポイント稼いでいくんだぜ」
「本気で地道っスね」
「うっせー」
隣の部屋では、
(は〜。落ちつかねえ・・・・・・)
ベッドに寝転がった裕太が心の中で呟いた。声に出さないのは、ただ出してしまうとそれが隣に伝わってしまうような気がしたからだ。隣の―――兄の部屋に。
そんなわけはない。いくらなんでも微かな呟きが全て洩れるほど安い造りをしているなどという事は。
それでも、気のせいと頭ではわかっていても、隣に人の気配がある限り落ち着く事は出来そうになかった。
(なら・・・なんで帰って来たんだ・・・・・・?)
こうなる事はわかっていたのに。
(姉貴に言われたから・・・・・・)
違う。それはただの口実だ。姉の命令は基本的には絶対だが、あの姉は―――いや、ウチは全体的に自分に甘い。然るべき理由をくっつければ最後には自分のわがままは大抵通る。
なのになぜ自分は姉の言葉に甘える形で帰ってきてしまったのか。自分は一体この家で何をしたいのか・・・・・・。
(・・・・・・・・・・・・)
考えようとしても考えがまとまらない。苛つく。頭ががんがんする。気が散ってよけい苛つく。その繰り返し。
(だああああ!!!)
頭を掻きむしって、ベッドから跳ね起きる。
(下行こ。下)
苛つきを抑えるように、ドアへと向かう。苛つきを抑えるために―――そして、その先にある回答から逃れるために。
頭が痛い。
血管が脈打つどくどくという律動が直接頭に刺激を与えているようだ。
試合の後から感じていたそれは、
家で裕太に会ってから余計に酷くなっていた。
笑みを浮かべるのももう辛いほど。
気持ちが悪い。
いっそ全てを吐き出したい。
(僕も水、飲もうかな・・・・・・)
そう思い、向かった台所で・・・・・・
「裕太・・・・・・」
「兄貴・・・・・・」
ばったりと。本当にそんな言葉がぴったり合うほどに唐突に会ってしまった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
呼びかけたきり、何もせずに黙り込む2人。余程何も見なかった事にして立ち去りたかったが、いくらなんでもそれは不自然すぎる。
「裕太も・・・・・・」
「え・・・・・・?」
どれだけそうしていただろうか。不二がかろうじて造り出した笑みで思いついたことを言ってみる。
「裕太も、水飲みに来たの?」
「あ、ああ・・・・・・」
再び沈黙。だがきっかけは出来た。動くための。そして、話すための。
水道へと向かう裕太。コップを用意しながら、会話を続ける。
「も・・・って事は、兄貴もか?」
「僕? 僕は英二に飲み物を持って行くために来たんだけど?」
不二の口から洩れる他人の名前。それに妙な息苦しさを覚え、裕太はそうか、と相槌を打って蛇口へと視線を走らせた。
「うん・・・。けど―――」
こちらもコップを出した不二が、冷蔵庫に頭を突っ込んだまま呟いた。
「僕も欲しいかな。水」
僅かに耳に届いた言葉に―――裕太がごく自然に2つ目のコップを用意する。無意識にか、意識的にか。慣れからかか―――それとも、少しでも兄に喜んで欲しいと思ったからか。
全てを足せば自然に見えるその行為。
栓を捻って水を止め、コップを兄に差し出す。利き手の左手で差し出したコップ。今度は完全に無意識だった。
だから不二も無意識を装い、右手でコップを受け取った。
重なる、2人の手。
「―――!!」
反射的に引こうとした裕太の手を、不二が握り締め、引き止める。
テニスをやっているとはとても信じられない細く白い手に。
骨のしっかりとした逞しい手に。
裕太の心臓が跳ね、
そして不二の頭痛がさらに酷くなった。
頭痛の中でも、感じる快感。このまま、手を離したくなくて。
どく・・・どく・・・どく・・・どく・・・
意識が遠のいていく。浮遊感の中で、ただ裕太の手の感触だけを楽しむ。
俯く不二の顔に、笑みが浮かんだ。
「兄貴!!」
呪縛から逃れるように、鋭く叫ぶ裕太。何の呪縛なのか。兄のなのか。それとも・・・・・・自分の、なのか。
裕太の叫びに、不二の意識が現実へと引き戻される。
「―――っ!」
びくりと震える肩。力の抜けた手から、コップが滑り落ちた。
がちゃん! と、コップの割れる音が響く中、
頭痛が限界を迎えた不二が、それを合図にするかのようにくたりと崩れ落ちた。
「兄貴!?」
とっさに手を伸ばす裕太。その腕に抱き込まれ、不二が目を見開く。
(裕、太・・・・・・!?)
家にいた頃とは違う、手同様逞しくなった腕。自分よりも大きな胸板にもたれ、だがそこから流れる匂いは記憶の中のそれと何ら変わりはなく。
気持ち良さに目を閉じる。その様は先ほど頭を撫でられた英二と同じ―――虚しい自己満足。この手が、この胸が、自分のものになることは絶対になくて。それでも、この一時だけでもあたかもそれが自分のものであるかのような錯覚を自分の中に植え付ける。
「兄・・・貴・・・・・・?」
震える声で、裕太が呟いた。とっさの事で、抱き締めてしまった。腕の中の、小さな存在。自分がずっと追いかけていた背中を、ここまで小さいと感じたのは初めてだった。
「兄―――」
自分にもたれたまま動かない兄。もしかしたら気を失ったのかもしれない、と思う。
きっとそうなのだろう。この兄はイメージとして貧血を起こしやすそうだ。だから倒れそうになって、だから自分の手に掴まろうとしたのだろう。きっとそうだ。
確認しようと、そっと体を起こそうとする裕太。
それを感じ―――
「―――っ!」
不二が顔を上げた。怯えたような、泣きそうな顔で。
「あ・・・・・・」
かけようとした言葉を飲み込んで驚きの声を上げる裕太に、
「あ、ああ、ごめん。ちょっと立ちくらみが起こっちゃって・・・・・・」
不二がにっこりと笑った。造られた、笑顔。大丈夫だ。まだ、いける。
「そ・・・か・・・・・・」
「うん・・・。
―――あ、ごめん。コップ割っちゃった。すぐかたさないとね」
口実を作って、裕太から視線を逸らす。もう一度合わせてしまえば、多分もう『演技』は出来ない。
「あ、や・・・。兄貴具合悪いんだろ? だったら俺がやっとくからさ、すぐ部屋戻ったほうがいいぜ」
「そう・・・かな・・・・・・」
「ああ、そう・・・・・・」
早く出て行って欲しい。そうしないと―――自分がどうにかなりそうだ。
「じゃあ・・・ごめんね、裕太」
何に対しての謝罪なのか、呟いて部屋を出て行く不二。それを見送って―――
裕太は水道台に背中を預け、その場にずりずりとしゃがみ込んでいった。
一人になった部屋で、隣からもまた気配が消えた事に嫌な予感を覚え下に下りていた英二。細く開いたドアから台所を覗き込み、
(予感、的中・・・ってか)
コップの受け渡しをする2人。不二の明らかな愛撫に、裕太が唇を震わせている。
倒れる不二。抱き合い、動かない2人。よっぽど乱入してやろうかと思った。乱入して、不二を引っぺがして。驚く不二の頬を殴って「裕太はお前の恋人じゃない!」と言いたい。力の抜けた不二を抱き締め、裕太に見せ付けたい。
叶わないと、わかっていても尚描く、そんな妄想。
「じゃあ・・・ごめんね、裕太」
上辺だけの謝罪を呟き、こちらへ歩いてくる不二から隠れるように、
英二は急いで階段を駆け上がった。
「・・・・・・・・・・・・」
タイミングが良かったのか悪かったのか。お風呂上り、リョーマが浴室から出ようとしたところで台所前に立つ英二を発見した。こっそり中を窺うその様子で、大体今中で何が繰り広げられているのか想像がついた。
(ヤバ・・・・・・)
見ていた英二が突然踵を返した。慌てて浴室へ身を隠す。英二はこちらに気付くこともなく、急いで階段を駆け上がっていった。急ぎつつも、足音は一切立てずに。
さらに見ている。次に現れたのは不二。こちらはこちらで英二には気付かなかったらしい。ついでに自分にも。
俯く横顔。垂れた髪の隙間から、顔が見える。
笑み、ではない。少なくともいつもの『造られた』笑みでは。だがこれを笑みと表する事も出来なくはないのだろう。いや、
楽しそうに笑う事を『笑み』というのならば、今の不二のものこそまさしく『笑み』なのだろう。
目を見開き、開いた口を吊り上げて。おかしくてたまらない、といった感じで。
そのまま上に上がる不二を見送ってさらに暫し。誰も出てこなさそうなことを確認して、浴室から出た。
スリッパを手に持ち、足音を殺して、台所へと向かう。不二がきっちり締めなかったのか、細く開かれた扉からは丁度座り込んだ裕太が見えた。
立てた膝に顔を埋め、動かない裕太を見て、
(ふ〜ん・・・・・・・・・・・・)
頷き―――リョーマもまた、2階へとゆっくり上がっていった。
裕太の部屋の前で、不二が足を止めた。木のドアへと向きやり、先ほど裕太にそうしたようにもたれかかる。
自分の手で、自分を掻き抱く。先ほど裕太がそうしてくれたように。
「ん・・・・・・裕太・・・・・・」
呟く。精一杯の愛しさを込めて。
届くはずのない想いを乗せた声に―――
―――応えたのはもちろん弟ではなかった。
「―――そこ、アンタの部屋じゃないんじゃないの?」
裾を何度も折った不二のパジャマを着て、肩にタオルをかけたリョーマが階段途中から声をかけてきた。
「ああ、越前君。もう上がったの?」
「悪かった?」
「何が?」
リョーマの皮肉も笑顔でかわす。いつもの、笑顔。
「じゃあ、部屋行こうか」
答える素振りを見せないリョーマに、会話を切って部屋へと誘導する。自分の、部屋へと。
誘導されるままに不二の横を通り過ぎようとするリョーマ。ふと目の前の扉に目をやり、
「ここって裕太の部屋だよね」
「そうだけど?」
首を傾げる不二。部屋へと向けられていたその手首を握り、
「―――!?」
扉を大きく開いた。
驚く不二を、その中へと押し込み、扉を閉める。
「越前君!?」
「殺風景な部屋っスね」
制止の声を無視して呟き、目に付いたベッドに不二を押し倒す。
少しシーツの乱れたベッド。まさかずっとそのままだったわけではあるまい。
寝るにはまだ早いが、先ほどまで裕太が寝転がっていたのだろう。
それを察したか、不二も寝転んだまま首を捻ってシーツを見る。
この状況下ですら自分よりも裕太を優先させる不二。
顎を掴んで無理矢理上を向かせて、リョーマは開かれた口に舌をねじ込んだ。
「ん―――!!」
硬直する不二の上にのしかかり、両手を拘束する。
両脚の上にも乗り、体の自由を完全に奪う。不二はただ息苦しさに首を左右に振るのが限界だった。
そこにいつもの笑みはない。恐怖と混乱に、瞳をぎゅっと閉じて怯える彼に、
愉悦感を覚える。
普段では、絶対に見ることの出来ない素顔。
そして―――弟にも絶対に見せたことのないであろう『素顔』。
リョーマは顎を掴んでいた手を離し、そばにあった固まりを掴み上げた。
「これでも嗅いでたら?」
呟き、不二の顔に押し付ける。
息苦しさにひたすらもがき続ける中で、『それ』に気付く。
(裕太・・・・・・)
顔に押し当てられた枕から発せられる、先程のものと同じ、弟の匂い。
それが、脳を麻痺させる。
ブラウスを外していく手。体中を這い回る指。胸元に埋められた顔。肌を舐める舌。―――そして、弟の香り。
現実が崩れていく。
これは誰だ?
この手は、この指は、この顔は、この舌は、・・・・・・この匂いは・・・・・・、誰のものだ?
壊れる世界の中で、自分に都合のいいものだけが手元に残る。
誰だっていいじゃないか。
『彼』だってそれをわかった上でこんな行為に及んだのだから。
解放された手。滑り落ちた枕の先に見える、『彼』の頭。
「裕太・・・・・・」
焦点の合わない瞳で呟き、不二は愛おしそうに抱き締めた。
その腕の中で―――
違う者の名を呼んで自分を抱き締める不二に、零れそうになる涙を歯をくいしばって堪え、リョーマも抱き締め返した。自分で選んでしまった道。代わりでもいい。それでも、ただ、
・・・・・・自分の元にいてほしかった。
体を起こす。見上げる不二。決して自分を映してはくれないその瞳を見下ろし、リョーマは再びキスを落とした。
遅い。
自分が部屋に戻って、もうどの位経ったのか。
適当につけたテレビを上の空で見ながら、英二は何度も何度もドアと時計に目を往復させた。
すぐ戻ってくると思ったのに。
(何やってんだよ・・・・・・!!)
苛つく、その耳に。
ごと・・・・・・
「・・・・・・」
隣の部屋から鈍い音が聞こえてきた。
(裕太が帰ってきたのか・・・?)
いや違う。裕太のあの様子ではすぐには動けまい。それに―――
(裕太なら途中で不二とかち合ったはずだ・・・・・・)
そんなミスはまずしないだろう。あの状況でもう一度すぐに会えるだけの度胸は、裕太にも、そして不二にもないだろう。
自然と細まる目。
不自然にならないようにゆっくりと、テレビの音量を下げていく。
全神経を、耳に集中させる。
今度聞こえてきたのは声。
『あ・・・・・・・・・・・・』
ダッ―――!
篭ったその声を聞くなり、英二は部屋を飛び出した。
「ん・・・あ・・・・・・」
体を起こした不二に抱き締められながら、リョーマが彼の胸に顔を埋めていた。
舌で与える刺激に忠実に反応する不二に、自分も興奮する。
ばん!
ドアの開く音。来たのは裕太かそれとも―――
入ってきて、
目の前にあった光景に、英二が目を見開いた。乱れたベッドの上で、やはり乱れた不二が、妖艶な笑みを浮かべている。
その彼の笑みの先には―――自分ではなく、リョーマ。
自分がずっと憧れていた地位。
欲しくってたまらなかったその地位に、しかしながらいるのは自分ではなくて。
「〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
噴き上がる怒りを抑えるため、拳を握り、唇を噛む。
怒れる理由はない。
ずっと、逃げ続けていた自分には今更・・・・・・。
唇から血が滴り落ちる頃、
英二の口が吊り上がった。
ゆっくりと、微笑む。
「にゃ〜んだv おチビってば一人で楽しみやがってズルイぞ〜v」
笑い、後ろ手にドアを閉めた。
月明かりだけに照らされたほの暗い部屋で、唯一照らされたベッドへと歩いていく。
ベッドに腰をかけ、肩越しに振り向いた不二を見やり。
「俺も混ぜろよな〜vv」
口元だけは楽しそうに呟き、
不二を後ろから抱き締める。
自分と同じ、男のものだとは思えないほどの細く、柔らかい感触。
「英二・・・・・・?」
後ろを向いたままの不二の頬をなで、
英二は最初で最後のキスを贈った。
優しく、全ての想いを込めて。
離れた不二の唇に、さらにリョーマがキスをする。
自分の全てを捧げるように。
わかっている。自分の、自分達の気持ちが絶対に彼には届かない事は。
わかっている。こんな事をやったところで、彼の心は決して手に入れることは出来ない事は。
―――わかっている。この行為には何の意味もない事は。
ただの自己満足。それでも・・・・・・・・・・・・
がちゃり。
今日、開いては中に入った者の運命を変えていった扉が、
三度開かれた・・・・・・。
(兄貴、もう部屋、行ったよな・・・・・・)
のろのろと割れたガラスを片付け、裕太が台所の入り口を見やった。出来る事ならここから出たくはなかった。出れば兄に会ってしまうかもしれない。
兄に会いたくはない。思ったのはこれで2度目だ。家を出る前。そして、今。
家を出る前は嫌悪感だった。では今は? 今はなぜ会いたくない?
自分の腕を見下ろす。少し前、ここに兄が納まっていた。ごく短時間だったはずなのに、今でも抱き続けているかのようにその感触が鮮明に焼きついていた。サラサラの髪。小さな体。低めの、だが温かい体温。そして胸元にかかる息遣い。
思い出して、心臓が跳ねる。
(またか・・・)
傷むほどに鳴り響く胸元をきつく押さえ込む。
(何なんだよ・・・・・・!)
吐きたいほどに苦しくて。だが決して不快感ではなくて。
本当にわからないのか。それとも本当はわかった上でその答えから逃げているのか。
思う。今日一日。いや、家を出る前からの事。もしかしたら全ては繋がっているのかもしれない。
だとすれば暗号のようなものか。1つがわかれば自動的に他のものもわかる。
問題は―――その1つを『わかる』かどうか。
「・・・・・・・・・・・・」
無言で、裕太は台所から出て行った。こんな事を考える時点で、本当は全てわかっているのだろう。陰鬱に、それだけは納得して。
全てを拒否しようとするあまり外界の情報まで遮断していたのが悪かったのか。
部屋を開けた途端、目の前に広がる光景に。
裕太は目を開いてゆっくりと息を呑んでいった。
自分のベッドの上で絡む3人。
真ん中の1人を両側から抱き締め、冷めた目で自分を見るリョーマと英二。
そして、2人の間で恍惚とした笑みを浮かべる・・・兄。
自分が初めて見るその顔。自分といる時は見せてくれなかったその顔を、2人には見せている。
自分には・・・見せてくれなかったのに・・・・・・。
「あ・・・わ・・・悪りい・・・・・・」
痺れる頭。口だけで謝り、裕太は部屋に入る事無くドアを閉めた。
そのまま、トイレへと向かう。
トイレで全てを吐き出し、ようやくわかった。
自分は兄を好きだったのだ、と。
好きだから、自分を見て欲しくて。
好きだから、『弟』として扱われるのが嫌だった。
嫌悪感は、兄にではない。正体のわからなかったこの気持ちにだ。
何もわからないまま、ただ全てを兄に押し付け憎み続けた。
「バカみてえ・・・・・・」
なぜもっと早くわからなかったのだろう。もっと早くわかっていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。
1度は―――ではない。何度突き放しても、手を差し伸べてくれた兄。もしも握り返していたとしたら、今自分達はどうなっていたのだろう。
「ホント、バカみてえ・・・・・・・・・・・・」
扉にもたれ、しゃがみ込み、裕太は1人、笑い続けた。笑い、そして―――独り、泣き続けた。
均衡が崩れた。全てが終わった。
もう裕太は自分を見てはくれない。もう裕太が自分を追ってくれることはなくなった。
感情を映さない瞳でドアを見つめたまま、動かなくなった不二。
その目から、
一筋の涙が流れた。
頬を伝う涙を舌で掬い取り、
リョーマと英二が不二を抱き締める。
壊れた彼の心を、少しでも溶かせるように。
虚ろな瞳が、もう一度笑みを取り戻してくれる事を願って。
抱き締める、2人の肩に顔を埋め、
不二はゆっくりと瞳を閉じた。
〆 〆 〆 〆 〆
「これから紅白戦を行なう!! 呼ばれた者からコートに入れ。
不二・・・。それと越前! まずはお前達からだ!!」
手塚の言葉でコートに入る2人。
コートの外で2人を見て、
英二が笑みを浮かべた。
小さな、自嘲。
自分は一体なんだったのだろう。
報われないと、最初からわかっていたはずのものにいつまでもしがみ続けて。
結局決定打を打っていたのは他の誰でもない自分自身。
もしも諦めずに行動できていたとしたらどうなっていたのだろう。
その答えが、今目の前にある。
コートで向き合う2人。
同じ場所に立ち、お互いだけをその瞳に、その心に映し出す。
自分はあそこに立つことは出来なかった。
その場所に立ち、彼と向かい合う少年に、そっと呟く。
初恋の終わり。初めて愛した人の幸せを願って。
(おチビ。不二の事、頼んだぞ・・・・・・)
ねえ越前。
もし君が僕に好きになってもらいたいのなら、
もし君が僕に愛してもらいたいのなら、
僕を倒してみせてよ。
僕の上に立ってみせてよ。
そしたら、
僕は君だけを見てあげるから。
裕太が僕にそうしたように、
君だけをこの目に焼き付けて、
君だけを追い続けるから。
ねえ越前。
僕を倒してみせてよ。
ねえ不二先輩。
もしも俺がアンタを倒したのなら、
アンタは俺を見てくれる?
裕太がアンタにそうしたように、
目に焼き付くほどに俺を見続けて。
憎むほどに俺を追いかけて。
そして、
狂うほどに俺を愛して。
ねえ不二先輩―――
「倒しちゃってもいーんすよね?」
そして、試合が始まる・・・・・・。
―――Fin
〆 〆 〆 〆 〆 〆 〆 〆 〆 〆 〆 〆
うわ〜。や〜っと終わった〜v 1回書いて途中で放置したおかげで日付が凄まじい事になってます(大笑い)。元は表にあったのに、なぜかここは裏です。なぜでしょう? ―――すみません。裏にする意味全っ然なさげですが、ただもうテニスの表=ギャグという妙な方程式(別名『お約束』)が出来てしまったため(私の中で)シリアス一辺倒のこの話は裏へ移動されました。
しっかし前作以上に読みづらいですね。断りなく地の文が変わる。4人視点でそれぞれ作ろうかとも思ったのですが、さすがに随時全員視点で捕らえるのは無理でした。
あ、ラスト。もちろん不二&リョーマ対戦の紅白戦です。ここまで引っ張るからDVD9&10巻発売記念なんですね。時期思いっきり外してますけど。
では、他はともかく初のリョ不二たるこの話を終わりにさせて頂きます。しかし・・・・・・皆さん結局何がやりたかったのか・・・・・・・・・・・・(爆)。
2002.10.20〜2003.5.14