The Nightmare
〜pre2〜
静まり返った病院の廊下にて。
「あ、会長・・・」
いすに座り、ただ目の前にある病室の扉を見ていたせなは、横手から聞こえてきた足音にふと顔を上げ、軽く頭を下げた。
「どうだ? 烈は」
向かいから落ち着いた足取りで歩いてきた男が、挨拶も抜きにして尋ねる。眼鏡の奥にある切れ長の瞳。如何なるときも感情を映し出さないそれは、今現在も冷静なままだった。
特にそれは気にせず、せなが簡潔に答えた。
「『手術』は、終わったそうです」
「手術は?」
簡潔―――かつ謎の台詞に、彼の目が僅かに細まる。
「怪我はあまりたいしたことなかったそうです。ただ打った場所が頭のため現在検査を行っています。
―――そちらは?」
「ああ、ご両親と弟への連絡は終わった」
せなの言葉に会長・間宮が頷き、彼女に示されるまま隣に腰を下ろした。
烈が交通事故に遭って病院に運ばれた。その知らせを最初に受けたのは家族ではなく彼ら学校側だった。間の悪いことにこの日烈の両親は商店街の人たちと温泉旅行へ行き、さらに弟も今日から陸上部の夏合宿に出かけていたのだ。
彼が持っていた生徒手帳を元に学校側へ連絡が届き、そして生徒会メンバーへと伝えられたその知らせ。とりあえず会議は緊急解散。慌てるメンバーを強制的に帰らせ、せなが家族の代わりに病院へ行き、間宮がその間に家族へと連絡を送っていたのだ。
―――合宿中の弟・豪はともかく、彼がなぜ旅行中の改造と良江と連絡が取れたのか・・・その辺りはいつもの事なので誰も気にしていなかった。彼の情報網は本気であなどれないものがある。
とりあえず互いに連絡事項も終え、待つこと暫し。
「そういえば―――」
ふと間宮が呟いた。独り言と会話を足して2で割ったような、彼独特の話し方。だが彼のことを少しでも知る者なら、これが独り言ではないとわかる。彼は決して必要のない事は口にしない。それは最低限のことしか口にしない―――という意味ではなく、彼の言葉は常に彼自身を除く誰かへと伝えるために発せられるものだという事。
そしてこの場には彼を除いてはせなしかいない。彼女は扉から視線をそらして彼を見やった。
間宮もまた、彼女を見て言う。
「私は別に女性差別をするつもりはない。それだけは前置きをしておくが。
―――夜ももう遅いが帰らなくていいのか?」
その言葉にせながああ、と声を上げた。ずっと病院にいたため気付かなかったが、今はもう・・・・・・
「・・・・・・会長」
「何だ?」
「まだ・・・8時ですけど?」
腕時計を指差し言うせな。そんな台詞が出るからてっきり真夜中なのかと思っていたのだが・・・・・・。
間宮がしれっと答える。
「夜だろう?」
「確かにかろうじて日は沈んでいるでしょうけれど」
真夏の『夜』8時。その明るさは今更言うまでもないだろう。
これ以上続けても不毛になりそうな話題に、せなが肩を軽く竦めて決着をつける。
「私は一人暮らしですから心配する人はいませんし、それにマンションにも特に門限はありませんから。
私よりむしろ会長のほうがそれは言えるのでは?」
今の彼女の言い分からすると、厳格な家庭で育っている間宮のほうがむしろ帰るべきだろう。が、
「烈は生徒会の業務の最中に事故に遭った」
「厳密には少し違うのでは・・・?」
「ならその責任は会長である私にもある」
完全に突き放したような冷たい言い方。しかしそれを聞いて、せなは軽く微笑んだ。
「本音は?」
「俺もあいつの事は心配だからな。友人として」
変わる、一人称。彼女から視線を逸らし扉を見る間宮の耳に、くすり、と小さな笑い声が届いたような気がした。
「『も』ですか?」
「お前もだろ?」
「まあ確かに」
彼の言葉に、せなが頷く。当たり前だ。心配でなければ扉の前で何時間もこうして待っていたりなどしない。
それきり途切れる会話。特にこれ以上続けようとも思わず、2人は扉に視線を戻した。
そして、さらにどれだけたったか・・・・・・。
「・・・・・・実際にあるのね、こんな事」
「まあ可能性として0ではないだろうな」
「でも、普通事故に関してだけじゃありません?」
「あいつの人生は余程『嫌な事』だらけだったようだな」
「思い出したくもない程に?」
「やはり君と出遭ったのがその最たる理由かと」
「その言葉は目的語を『会長と』に入れ替え、そのままお返しいたします」
再び扉の前にて。2人はお互い目を合わせないまま口だけでそんな会話を続けていた。少し前に検査を終え、2人は看護師に呼ばれ中に入ったのだが・・・。
「生まれて初めて『目を点にする』という言葉を実感したわ」
「俺もだな・・・」
そんなことを今も若干呆然としながら話す2人。今も病室で医師といろいろ話しているのであろう少年を思い出せば、それも無理はない事だった。
病室に入るなり放たれた烈の一言。それを聞き、せなは笑顔で、間宮は沈着冷静な表情で―――
―――暫く硬直していた。
2人ともまず表情は変えないタイプのため一緒にいた医師やら看護師やらに不審な目を向けられたのだが、それは無視して呆け続け・・・・・・
医師らに適当にお礼を言い、そのまま退場してきた。
その後出てきた看護師に説明を受け、とりあえず理屈としては納得したが、だからといってまたすぐに入る勇気はさすがに2人とも持っていなかった。
「―――さて、どうしましょうか」
「脳に異常はないのだろう? 原因が何であれ、精神的な事情ならばきっかけさえあれば元に戻るかもしれない」
「問題は『きっかけ』ですね」
『友人』はその『きっかけ』としては不十分のようだ。今現在烈に最も近いであろう2人ですら何の役にも立たなかったのだ。
となると―――
「『援軍』でも待つか」
「そうですね」
そして現れた『援軍』は―――
「烈兄貴!!」
「誰・・・?」
――――――あっさり撃沈されたのだった。
・ ・ ・ ・ ・
「どーいう事だよこれはぁ!!?」
事故の知らせを受けて急いで帰ってきた改造・良江・豪、説明するための医師と看護師、そして付き添いのせなと間宮。人数からしてなかなかに賑やかな病院の廊下は、豪の怒鳴り声のおかげで余計に騒がしいものとなっていた。
「まあまあ豪君落ち着いて」
「落ち着いてられるかあ!!」
「だがそう焦っていても仕方ないだろう?」
「う゛・・・。それは・・・・・・」
いくら豪でもさすがにこの会長に逆らうのは厳しかったようだ。
それを確認し、間宮は心配げに医師らを、自分たちを、そして病室の扉を見る両親に深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。我々が彼に買出しに行かせたばかりにこんな事になってしまって・・・」
間宮の隣でせなもまた頭を下げる。責任、という意味でならそれがあるのは会長たる間宮にのみではない。じゃんけんとはいえ彼を一人で行かせた自分たち生徒会メンバー全員にある。
そんな2人の態度に、改造と良江が慌てて首と手を振った。
「そ、そんな事ないですよ! あれは事故だったんですし・・・!」
「そ、そう! 事故なんだから予測できたわけもないですし・・・・・・!!」
自分の子どもと同じ高校生相手とはいえ、まるで―――どころか完全に身についた社会人のような慇懃な様に、こちらもまた敬語になる2人。
が、
「そうだぜ! 何で兄貴1人で行かせたんだよ!?」
彼の謝罪に、一度は落ち着いた(っぽい)豪がまた騒ぎ出した。
「こ、コラ豪・・・!!」
「兄貴が暑いの弱いって知ってたんだろ!? だったらこの位予想つくじゃねーか!!」
支離滅裂なその言い振り。それを真に受けた場合、烈は毎年夏になるたびこのような事を引き起こしていることになる。
―――というのはただの屁理屈[イイワケ]でしかない。社交辞令というもの以上に、2人もまた同じ考えの下わびているのだから。
やり場のない怒りをすべてぶつけるように、頭を下げる間宮を無理やり引き起こす豪。その襟首を掴んで、拳を固め―――
――――――と。
ばん!
「―――お前うるさいぞ」
病室の扉が開くとともに、そこから現れた烈が据わった目で呟いていた。
『え・・・・・・?』
固まる、一同(特に医師と看護師)。今まで記憶喪失という少々普段と違った状態であるとはいえ、あんなに従順でおとなしかった少年がこんな迫力をかもし出せば無理もないであろうが。
彼らとは逆に知っているからこそ硬直する知り合いら。あまりのいつも過ぎるその様子に、記憶が戻ったのか!? とも思ったのだが・・・・・・
それだけ言うと烈は一同に軽くお辞儀をしてまた病室へ戻ってしまった。どうやら今のは条件反射だったらしい。
「なんと・・・・・・」
「烈君のお兄ちゃん根性って・・・本能に刻み込まれたものだったのね・・・・・・」
呟き――――――
2人でぽんと手を叩いた。
「とりあえず糸口は見つかったな」
「そうですね」
そして、わけがわからずきょとんとする豪の肩を叩き、
言った。
「では豪、後は頼んだ」
「豪君。頑張ってねv」
「はあ?」
こうして、豪の災難―――もとい、記憶喪失烈Presents『本能による「日常生活」の過ごし方』が送られることとなった・・・・・・。
―――本編1へ
・ ・ ・ ・ ・
2にしてようやっとプロローグが終わりました。さあ! これから記憶喪失烈兄貴はどうなるのか!? いやいつもと全然変わんないような気もするけど!!
では、いよいよこれより兄貴の本領発揮です(だからいつもと変わんないって・・・)!!
2003.6.25〜28