『昨今 夜道での辻斬りが頻発している
特に若い女性は注意されたし』
夢幻想
烈―――1.邂逅
「と、いう訳なんだけどね、烈君」
自分の向かいで同じように正座し僅かに苦笑する人物を見て、烈は小さく嘆息した。線の細い体に同年齢の男性よりも明らかな童顔。他の役人たち、そして目の前にいる金髪の青年と同じ青を基調とした袴姿ではあるが、はっきりきっぱりと似合っていないのは承知の上だった。
「つまり、僕に囮になれ、っていう事?」
質問というより確認の意味で訊く。別にこれが初めてという訳ではないし、抵抗も―――以前に比べれば―――あまりなかった。
金髪の少年、Jもまたやれやれとため息をついた。
「確かに役人の中には女子も何人かいるにはいるけどね。君も知ってのとおり今回の辻斬り相手には彼女らは少々役不足なんだ」
「・・・だろうね」
女性差別ではない。ただ今までの経過を思い出して出た言葉だった。たぶん囮としての不自然のなさを差し引いたとしても、この仕事は自分に回ってきたであろう。
―――ここ最近、夜道を一人出歩く者、特に若い女性が立て続けに辻斬りの被害に遭っていた。被害者は全員急所を外され生きているため正確には辻斬りではないのだが、強盗の類ではなく被害者に共通点も見られなかったため、役人は辻斬りと判断し捜査を開始。警邏や囮など様々な手段を採った。だがそんな役人たちの行為を嘲笑うかのようについに死者が発生した。死んだのはすべて役人。囮として動いていた者も含めてだった。そのせいで捜査はかつてないほど大規模なものになったが、証拠どころか手がかりすらろくに掴んでいないのが現状だった。唯一わかっているのは―――その辻斬りは恐ろしく腕がいい、という事だった。
「君にしてみれば屈辱この上ないかもしれないけど、頼まれてくれないかな?」
「他に適役はいないんでしょ? わかったよ」
幼い頃から腕を磨いていた訳ではないのだが烈の実力は大したもので、役人の中でも一二を争うほどだ。その上大抵の武器―――あるいは素手―――は得意と、まさに今回のような事件には打って付けの存在だった。
「―――ごめん、ね」
一礼し、退室しようとした烈に後ろから声がかかる。自分の事を知るこのただ一人の上官は、申し訳なさそうな笑みを浮かべていた。
「ううん、僕で役に立てるんだったら・・・」
烈もあいまいな笑みを浮かべて返す。そう―――自分に出来る事があるのなら何だってやる、それだけだ・・・。
〆 〆 〆 〆 〆
いつもの如く自室で準備をし夜を待つ。化粧も扮装ももう慣れた。体格のあまり目立たない着物というものはこういう時とても便利だ。
化粧台の小さな鏡を覗く。小さく微笑んで見せるとどこからどう見ても10代の少女だった。今まで一度も男だと思われたことはない―――当たり前だが。
髪を縛る細い白布に手をかけた。高い所で一つにまとめていた髪の毛がさらりと落ち、手には白紐が絡んで残った。腰まで届く赤髪が柔らかく揺れる。囮捜査以外ではほどく事のなくなってしまった髪。過去と現在の唯一の接点。ただ1つ変わらずに残ったもの。だがもはやそれを望む者も喜ぶ者も、此処には在ない。
烈は懐に絹鞘の短刀をしまった。武器がこれ一つというのは心もとないが、これ以上武装すれば目立ってしまう。頼りになるのは己自身、そしてあとは運だけだ。
〆 〆 〆 〆 〆
夜半、そろそろ日が変わるかという頃、烈は人気のない橋に軽くもたれかかっていた。町の入り口にある細い川。町の出入りには必ずここを通らなければならず、そのおかげで橋の両脇に小さな明かりがついているため夜でも割と明るい。
「さて・・・」
ため息と共に橋から身を起こす。そろそろ辻斬りの出没する時刻だ。
烈は袖から手持ち鏡を取り出し、僅かに乱れていた髪を直した。今から町の大通りを一通り歩くとして、恐らく日の出までには終えられるであろう。
一歩踏み出し―――その足が止まる。今まで囮をしていた者は全員その役目を果たしていた。囮をすれば間違いなくそいつと出会う。だからこそ引き受けたのだが―――。
黒い着物の青年が進行方向―――町側からゆっくりと歩いてきた。笠を深く被っているため顔は見えないが、腰には太刀を提げている。一見すれば武士だが、こんな物騒な時間にわざわざ出歩く物好きはそういない。役人の見張りならばこんな目立った事はしない。
烈は右手を口元に軽く当て、俯き少し早足で歩いた。こうすればただ急いで帰る少女に見られるし、何より懐から武器が取り出しやすい。
(いきなり、当たった・・・?)
警戒心を表に出さないよう注意し、男とすれ違う。垂らした髪の毛越しに一挙手一投足観察していると、
男の手が太刀に伸びた。
(速い―――!)
ギィン――――――!!
金属同士のぶつかる音。太刀筋は逸らせたが、それでも着物の裾がざっくり大きく裂けている。
「へえ・・・」
間合いを取った男が太刀を構えもせず面白そうに呟いた。
「最近は女の子も刃物持つようになったのかよ。物騒な世の中になったもんだな」
「物騒にしてるのはお前だろ?」
男の軽口に応えつつ、烈は自分の考えが間違っていたことに気付いた。体格から青年かと思っていたのだが声はやけに若い。自分と同じかそれ以下、少なくともまだ20歳にはなっていないだろう。
烈の言葉に男―――少年は一瞬驚いたようにきょとんと口を開いた。烈の声は顔に見合うほど高いが、今のは挑発の意味で低めにした。
「なるほど・・・。女顔で凄腕の役人がいるって話は聞いた事あるけど、あんたがそれか」
「さあね」
先程の一撃とこちらの物腰で実力を判断したようだ。ならば油断させるという手は使えない。
烈は逆手に持った短刀を握りなおし、構えた。
「この着物、結構上物だからね。これ以上は斬らせないよ」
ニッと笑う烈に、少年もまたハッと笑い声を上げ太刀を構えた。
〆 〆 〆 〆 〆
「へえ・・・!」
少年の10手目を烈が捌いた時点で、彼の口から先ほどと同じ言葉が漏れる。ただし今度は感嘆の意味で。
「俺とここまで戦り合った奴なんて初めてだぜ!?」
11手目――上段からの振りを左に回って避け、一度離れる。武器のリーチ差から間合いが広ければ広いほど不利になるが、流石にそろそろ息が上がってきた。
無理矢理息を細く吐き鼓動を落ち着かせると、相手も相当疲れているのか笠の下から見える部分は汗だくだった。
(さすが、町を賑わす辻斬りだけあるね・・・)
確かに少年の実力は役人の調査通りだった。この少年と互角に戦える者はこの町に果たして何人いるか。剣の師範ですら難しいだろう。一瞬でも気を抜けば烈もまた殺られる。が―――、
(けど、次で最後かな・・・?)
逆に言えば油断さえしなければ勝てる。今までの11手でだいたい相手の手はわかっている。
「ふっ―――!」
短い呼気を吐き、今度は烈が突っ込んでいった。下から振り上がる太刀を髪数本を犠牲にしてかわし、がら空きの懐にもぐりこむ。予想以上の速さにかその度胸にか、少年の顔に驚きが浮かんだ。こうなればもう太刀は振れない。手放して素手で攻撃するよりこちらの短刀の方が速い。
一撃で仕留められ[きま]るよう刃が少年の喉に伸びる。自然と烈も合わせるように顔を上げ―――
2人の目が合う。
「豪・・・!!」
短刀を少年の喉に突きつけたまま烈の動きが止まった。目が勝手に見開かれ、驚きで息が吸えない。
「え・・・?」
自分の呼び声にかそれともいきなり硬直し隙だらけになったことに何か思ってか、少年もまた動きを止めた。
見つめ合う一瞬。
ザッ、と砂利を踏む音を残し、少年は走り去った。それが見えなくなるまで見送り、ようやく硬直が解ける。
「―――何やってんだ、烈!」
すぐ後ろから10年以上の先輩である黒沢に怒鳴られ烈はビクリと振り向いた。いつもなら気配には敏感なのだが声をかけられるまで気付かなかった。余程今の事で動揺しているのだろう―――他人事のように判断し、烈はゆっくりと息を吐き一礼した。
「すみませんでした。賊を捕らえ損ねました」
「なんでさっき動きを止めた?」
「・・・・・・」
黒沢の言葉に烈は唇を噛んだ。今まで何人も殺している辻斬りを、あれだけ追い詰めておきながら傷一つつけずに逃がした。普段ならば絶対にしない失態だった。
「まあいい。次こそは絶対に仕留めろよ」
「―――はい・・・」
首をうなだれ弱々しく返事する烈を、任務の失敗のせいと決め付け、黒沢は再び見張りに戻った。
一方項垂れたままの烈の手から短刀が落ち、済んだ音を立てた。橋に寄りかかり空いた手で顔をさすると、汗とは違う冷たいものが流れ落ちていた。
「豪・・・」
ほとんど見えはしなかったが、あの少年の顔は記憶の中の弟の顔と―――もし成長したらこんな風になるんだろうかという自分の想像と同じ物だった。
「豪・・・・・・」
3年前に死んだ―――自分が殺したような弟。一瞬だけ自分を見つめた蒼い瞳は決して忘れられないものだった。
辻斬りなのに。敵なのに。殺したい程憎いのに。殺さなければならないのに。
なのに―――
「なんで、それがお前なんだよ―――!!」
泣き崩れるのは簡単だった。だが絶対に強くなるのだとあの日に誓ったから・・・。
暫くの間、橋の上には烈のしゃくり声だけが静かにこだましていた――。
2.賭け
既に正体がばれているため無意味ではあったが、烈は一応変装して毎夜見回りをしていた。
あれから一週間。一向に辻斬りが捕まる気配はない―――が、ここ一週間の被害は0だった。
見回りの成果が現れた、と周りの者は喜ぶが実際はそうではない。辻斬りのあの少年は毎日現れている―――見回りをする自分の前だけに。
〆 〆 〆 〆 〆
「これで何回目だよ? よくお互い飽きねーな」
「お前が勝手に毎日毎日僕の前に来るだけだろ?」
「嫌なら見回りなんてやめりゃいいじゃねえか。わざわざ1人で、しかもそんなカッコしてさ。もしかして誘ってる?」
「な―――!? だ、誰が!」
「けど思ってねえ? 俺に来て欲しいって。だからそうしてんじゃねーの?」
烈の体が周りで見ていてもわかるほどビクリと跳ね上がった。顔を冷たい汗が流れ、眼が小刻みに振動する。
実際この少年の腕は大したものだと思う。が、力はともかく技量は自分のほうが上だと確信している。ここまで長引かせずとも幾度も殺す機会はあった。なのに―――
「違う、違う! 違う違う違う――!」
なのに―――自分はとどめをさせない。どうしても途中で止めてしまう。
ナゼ・・・?
全てを振り払うように叫び短刀を振り回す。いつもとは違うその大振りに逆にペースを乱されてか、少年はただ後ろに下がるだけだった。
「そんなんじゃない! お前は僕の豪じゃない!!」
張り裂ける感情。思い出したくなかった過去の傷。
「お前は辻斬りだ! 僕の敵だ!!」
短刀を逆手に持つ手首が―――掴まれた。
「―――なら殺してみろよ、俺を」
静かな声が耳元に響く。右手が引き寄せられ、まるで一週間前を再現するかのように短刀が少年の喉につきつけられる。
「敵なんだろ? だったらためらう必要なんざねえ」
真剣な眼差し。少年にとっても自分にとっても1つの賭けだった。殺るか殺られるか。今この短刀をつき立てなければ自分は殺され、そしてこの辻斬りはこれからも誰かを殺し続けるのだろう。そう―――
―――今自分が殺さなければ。
烈は短刀を振り上げ―――
足元に落とした。
「わかってるよ。お前は豪じゃない・・・」
自分でもよくわからない笑みを浮かべ、烈は小さくつぶやいた。1歩前に出て、自分よりも背の高い少年の胸にすがりつくように寄りかかる。
「わかってる。豪はもう死んだって・・・。
それでも僕はお前を殺せない。わかってるよ・・・」
そのまま滑り落ちるように膝をついた。首をうなだれ、肩を落とす。視界の端に少年の太刀の鞘が見えるが―――もう抵抗する気も起こらなかった。
「殺していいよ。僕の負けだ。お前なら簡単だろ?」
涙が膝に落ちる。今になってやっと、なぜ自分がこんな危険な仕事を選んだのかわかった気がした。
(死にたかったんだ、僕は・・・)
早く死んで―――豪の元へ行きたかった。
「やだ」
「え・・・?」
顔を上げると同時、
少年の蹴りが鳩尾に入り、烈は悲鳴も上げられず気絶した。