夜明け、嵐の訪れ 〜Opened Eyes〜
3.インターミッション
タン! タ、タタ、タ。タン!
コートに響く不規則なリズム。ラケットと地面の間で繰り返される安定性のないバウンド音に煽られるまま、烈の鼓動がさらに速まる。
「いよいよ始まるね」
そんな瀬堂の呟きを合図としたか、不来がボールを手に取り高く投げ上げた。
「え・・・・・・?」
サーブを打つには高すぎる。あれでは打てる位置に落ちてくる前に風に流される。
が、
次の不来の動作は、今度こそ完全に見る者の度肝を抜くものだった。
上がったボールを追うようにその場で飛び上がる不来。空中で体をえび反りに仰け反らせて―――
バン!!
―――打ちつけられ球が、猛烈なスピードでコート中央をえぐった。
「15−15!!」
「速い・・・・・・」
「おい、見えたか今の!?」
「相手一歩も動けなかったじゃん・・・!!」
審判のコールを聞いて、ようやくざわめきだす周り。その中で、
「へえ・・・・・・・・・・・・」
烈が小さく笑みを浮かべた。硬直した肺から息を出し、体の緊張をほぐす。
(まさかここまで腕上げたなんてね・・・・・・)
気持ちを落ち着かせるように、軽口を叩く。
「出来るようになったんだ。アタックサーブ」
「そのアホな呼び方止めい!!」
軽口―――の中にも当然の如くMIXされる嫌がらせに、着地したばかりの不来が地団太を踏んだ。
そう、バレーボールのアタックにシルエットがそっくりな(ラケット除く)この技、そもそもは不来もまだ風輪にいた頃、成長期途中のためまだ体も小さく(今もだが)絶対的な筋力のなさから威力のある球が打てず決定力に欠けるという同じ悩みを持った不来と烈の共同制作―――になるはずのものだった。
2人が狙ったのはサービスエース。1撃目で決められたならば上記のような悩みも解消される(サービスゲーム限定ではあるが)。そしてその中で不来の出した案が今のもの、通称『アタックサーブ(烈のみ使用)』であった。
―――『こないにするとジャンプした分高さ稼げて落下するボールに重力まで加わるやろ? その上体のバネフルに使えるから俺らみたいに小さい体でも充分威力出るで。ただしあんま遠く狙うと意味あらへん球になるから打つんやったらほとんど真っ直ぐ、最短距離専用やろうけどな』
そう言い実演してみせつつ着地にミスってコケる不来へと半眼で『アホか』と呟きはしたが・・・・・・
(出来るんだ、本当に・・・・・・・・・・・・)
いろんな意味で感動する。彼は一体この8ヶ月で何の練習をしていたのだろう・・・・・・・・・・・・?
「―――まあどっちにしろ、
このゲーム、もらうで」
「ふ〜ん。
別にいいけど?」
「さよか」
にっこりと笑い後ろ向きな同意をする烈に無表情で返しつつも、しかしながら不来は逆に警戒心を強めた。
(タチ悪いで。そーゆうんは)
ラケットを構える烈。あんな事を言いつつも爛々と輝く目は決してこちらのリードを許そうとはしない。
―――『さあ、どうやって攻略しよう』
あからさまにそう物語る瞳を見つめたまま、不来は2球目を投げ上げた。
「また出た! アタックサーブだ!!」
なぜか周りにその名称で馴染まれてしまったらしいその事実に心の中で烈呪殺宣言をしつつ、ラケットを振り下ろす。
先ほど同様最短距離―――センターぎりぎりへと打ち付けられる球・・・・・・・・・・・・へと。
走り寄っていた烈がドンピシャのタイミングでラケットを振った。
フォアハンドで差し当てられるラケット。球の当たる衝撃が手へと伝わり―――
カシャン―――!!
手から弾かれたラケットが、コート外へと滑っていった。
「30−15!」
「ふーん・・・・・・・・・・・・」
先ほどと同じ呟きをし、烈は鈍く痺れる手の具合を確認した。異常がないと確認すると、今度は弾き飛ばされたラケットを。
こくこくと頷く烈。その目にはやはり強い光が灯っている。
(『肉を斬らせて骨を絶つ』かいな・・・・・・)
1ポイント落としたのはわざと。今の1球、ラケットに当たった一瞬で威力や角度、ボールにかかったスピンその他を確認したのだ。
(普通やったら・・・・・・・・・・・・変えるべきなんやろな)
口の中で呟き―――
不来は次の球をまた高く投げ上げた。
『わかって』いながらそれでも挑むのはくだらないプライド。かつてせっかく思いついた名案を鼻で嘲[わら]いやがったコイツにはぜひこの技で1ゲームぶん取りたい!!!
鼻息荒く主張する彼の思いを受け止めたか、球の威力がさらに増す。
(これでどや!?)
コートへと激しく叩きつけられるボールに、やはりまた駆け寄る烈。
振られたラケットが―――
―――弾き飛ばされなかった。
「ぐ・・・・・・っ!!」
バシュ―――!!
「40−15!」
「セーフセーフ。アウトだった・・・・・・」
「いっや〜。でも今のはびびった〜。アレ打ち返せるやついるなんて思わなかったよ」
「でもま、もう無理だろ。これ以上やったらあいつ絶対手首痛めるって」
ダブルスならイン。シングルスならアウト。そんな微妙な位置に返された球を見送り、
不来はほっとため息をついた。
(セーフセーフ。アウトやった・・・・・・)
台詞はギャラリーと同じ。しかしその意味は違う。
(今の『カウンター』やん・・・。あいつ瀬堂先輩に教わっとったんかいな・・・・・・)
相手の球の威力を利用して自分の球とする『カウンター』。筋力のないが故に今の2人と同じ悩みを持っていた瀬堂がその技術の高さを元に編み出した、特殊プレイスタイル兼絶対必殺技。相手の球の性質を瞬時に把握し、さらにそれに合わせるだけの技術を要求されるが、もしも出来たならば2人の悩みは解消されるどころか自分の実力よりも上の事が可能となる。それこそ今の烈のように。
(せやけど、まだ不完全ちゅー事か・・・・・・)
威力を完全に受け流せず、そのせいで若干体勢が崩れ狙いが逸れた。完全なる『カウンター』ならばこのような事態は起こらない。
余裕を取り戻した不来が軽口返しをする。
「惜しかったなあ。やっぱ天才と凡人の差、ちゅートコか?」
「そうだね」
言い訳の仕様もない事に、烈は笑顔で肩を竦めた。今のは本気で失敗した。威力の読みが甘かった。
瀬堂なら2度も『失敗』はしない。彼ならば先ほど捨てた1球で全て把握しただろう。
厳然と横たわるレベルの違い。それこそ『天才と凡人の差』か。
「でも・・・・・・
――――――――――――」
「ん?」
口の中に消えた言葉を追って口元を見やる不来。しかし消えた言葉は表れず、代わりに小さく吊りあがるだけだった。
「何?」
「いいや。何でもないよ」
にっこり笑って言われる怪しすぎる台詞。あからさまなごまかしだが・・・・・・
(まあ、もー答えちゃくれへんやろな)
不来もまた肩を竦めて、
「せやけど、あんま無理せえへん方がええで! 手首イクやろ?」
一応警告しておく。こんなところで無理して棄権負けなどされるような事態は避けたい。
「ありがとv」
止める気0。礼だけ言って構える烈に、不来は通算5回目のトスを投げ上げた。
・ ・ ・ ・ ・
「けっこー様になってんじゃねーの?」
「そうだな。2週間の付け焼刃的特訓にしては大したもんだ」
烈の『カウンター』を見て笑う加瀬に、三村もまた同意した。レギュラー決定から今日までの2週間、わざわざ烈(と瀬堂)だけ特別メニューを組んだのだが、どうやらムダにはならないだけの成果を上げたようだ。
「なにせ生徒も先生も優秀だからねv」
「・・・・・・・・・・・・」
「別にいいけどな」
恥じらい、とか、遠慮、とか、とにかくそういった感じの思想が欠如しているらしい瀬堂の言葉に、加瀬も三村も視線をコートへと戻した。
「けど、
―――理由言った方がもっと上達したかな?」
「ンな事もねーだろ?」
「これから上達するさ」
・ ・ ・ ・ ・
4回目のアタックサーブ。これが決まれば不来に1ゲーム入る。その中で、烈が性懲りもなくラケットを振るった。
振るいつつ、言う。
「でも―――
サービスゲーム取るには最低あと1球は決めなきゃ駄目だよ!!」
「ぅげっ・・・!!」
スパ―――ン!!
ジャンプしたままの不来。その足元を烈のリターンが通り抜けていった。
「40−30!!」
完璧な『カウンター』。どうやら2球でマスターしたらしい。
「ね?」
以前不来がこの技を発表した際烈が『アホか』と呟いた理由は2つ。1つは実現不可能だと思ったから。そしてもう1つは―――
「やっぱり返されると取れないんだね」
「うっさいわ!!」
致命的過ぎる欠点。本気でサービスエースしか狙っていないこの技に、烈はこめかみに指を当てしみじみと呟き、不来は微妙に顔を紅くして怒鳴り散らした。突っ込んで誤魔化した、とも言えるが。
それはともかく。
「せやったらもー1球返してみ! そしたら偶然やあらへんって認めたるわ!!」
「うわ・・・。めちゃくちゃ負け惜しみだね・・・・・・」
「受けるか受けへんか、どっちか決めい!!」
「・・・ってサーブ打つの不来な時点で決めるの僕じゃないじゃないか」
「おっしゃ受けたるわその勝負!!」
「だから挑んでないから。
―――まあいいけどね」
なにやら一人わけのわからない論理で話を進める不来。話のワケはわからないが―――その狙いはよくわかる。文字通り『勝負』を挑んできた。
(さて、何をしてくれるのかな?)
舌なめずりでもする気分で烈が独りごちる。自分の言葉にもあったようにただ打つだけなら何も言う必要はないのだ。サーブは最もにして唯一自分の狙いどおり打てる球なのだから。
それでありながらあえて宣言してきた。それも破られた筈の技を使うと。彼のことだ。本気で今のが偶然の産物だったなどという判断をするわけがない。それなのにまだやるのは―――
―――さらに対抗策があるから。しかもそうとこちらに悟らせた上でなおかつ点を取れる自信のある対抗策が。
「ほな―――行くで!!」
宣言どおり、本当に高く上げられる球。それを追ってジャンプする不来。ここまでは先程と同じ。
(いや―――)
「ミスだ・・・!!」
「動揺が出た・・・・・・!?」
飛び上がる不来のバランスが傍目にもわかるほど『崩れて』いる。明らかに今までとは違う、それに対し・・・・・・
・ ・ ・ ・ ・
「いや―――」
烈が思うと同時、しかしながら疑惑を深める烈とは対照的に、瀬堂は実に楽しそうに微笑んでみせた。
その隣では、加瀬が試合を見ることもなくベンチの背もたれに頭を乗せている。
「あ〜あ。まずは不来に点が行っちまったか」
「まあ仕方ないんじゃない? 向こうのサービスゲームだったんだから。
―――イイワケとしてはこんなもの?」
「んじゃ次は烈が取れる事でも願うか。その屁理屈じゃ取れんだろ?」
「『理屈』だけじゃゲームは取れないよ。けど『理屈』が出来なきゃゲームは取れない」
「おーおー。そりゃ哲学的なお言葉で」
・ ・ ・ ・ ・
『崩れた』体勢で、それでも『無理矢理』打つ不来。だが来た球の威力は変わらない。そこに一抹の不条理さを覚えなくもないが―――
(相変わらず・・・ムチャクチャやるね・・・・・・!!)
笑みを深くし、烈がラケットを振り下ろす。その時既に不来は着地姿勢に入っていた。
せめてもの手として向かって左に打ち返す。不来がいるのはセンターギリギリとはいえ右側。その上左利きの彼はこの球をほぼ必然的にバックハンドで打たざるを得ない。
総じて、一般的には守備範囲が最も薄まるポイント。彼にとっては無意味極まりないが。
(さあ、どこに打ってくる?)
自分と同じ理屈を用いるなら、不来もまた右か左か、どちらかの端を狙うだろう。センターギリギリにいる自分にとって最も守備範囲の薄まるどちらかを。
先程自ら『返されると取れない』と言っておきながら、返されることを前提でそんな事を考える烈。その彼の考えをなぞるがまま、
「追いついた!?」
「馬鹿な・・・・・・!!」
ボール到達より早く着地した不来が、筋肉の収縮を利用して今度は横に飛んだ。ダイビングボレー。フォアだろうがバックだろうがラケットの持ち方を無視し、最大限に守備範囲を広げる―――そしてこれまたその後のことを全く考えていない頭からの突っ込み。
その状態で、左手を振るうならば・・・・・・
(右!)
そう予想付けて烈が走り出す。この状況で左―――彼から見てみれば真横にはまず飛ばない。ただ当てるだけならばともかく弧を描いて振られるラケットに合わせ、ボールもまた斜め後ろへと飛んでいく。
が――――――
「―――!!」
返されたボールは、彼の予想を裏切り走り出した烈の後ろを駆け抜けた。
「真ん中・・・・・・・・・・・・」
考慮に入れていなかった場所。動いたが故に新たに出来た死角。動かなければ守備範囲のど真ん中だった。
(考えすぎた・・・・・・)
「惜しかったなあ」
のんびり呟く声が届く。倒れた体をゆっくりと起こす不来。そんな態度もさらに屈辱感を煽る。自分が引っかかるとわかっていたから倒れた後すぐ起き上がらなかったのだろう。
「動かへんかったら返せたんになあ・・・・・・」
訂正。引っかかるとわかっていたからわざわざ倒れたのだろう。
完全に読み負けした悔しさ。半年間ロクに練習していなかった分のブランクが一気にのしかかってくる。
その悔しさをバネにするわけでもないが。
「ゲーム1−0!! 千城リード!! チェンジコート!!」
(次は絶対取る!!)
審判に促されるままコートを移動する烈の胸には、それはそれは硬い硬い決意が込み上げていた。
・ ・ ・ ・ ・
さて2ゲーム目。1ゲーム目にて不来が周りの度肝を抜いたのと同じ場所にて、
―――烈はさらに周りの驚きを呼んでいた。
「何だよアレ!!」
「打てねーだろアレは・・・!!」
真っ直ぐ前を見た状態で両足を肩幅に広げた、いわゆる『休め』の体勢。これでは脚の力も体の捻りも一切使えない。自由に動くのは肩より先のみ。
だが、それには構わずトスを上げる烈。左手で上げたそれを追う様にラケットを持つ右手を上げ―――
―――それを空いた左手にに持ち替える。
『な・・・・・・!?』
同時に変化する体勢。右足を軸に90度回転。ほとんど真横を向くなりラケットを振り下ろした。
「左投げの左打ち? ほんま曲芸好きやなあ!」
コート端へと打たれた球へと、余裕で追いつきつつ軽口を叩く不来。特にどころか一切驚きもしない彼へ、さらに烈が軽口を叩いた。
「『芸』は身につけるほど面白いからね!!」
その言葉を証明するように―――
「うぎゃっ!!」
バウンド後、大きく跳ね上がった球が身を乗り出しかけていた不来の顔面を襲う。さすがにそれを無様に食らうほどアホでもトロくもなかったが、おかげで1ポイント落とした。
「おい、今のって・・・・・・」
「ツイストサーブ、だったよなあ・・・・・・」
ざわめく周り。中学生レベルでこの技を使える者は少ない。だがむしろ・・・、
(アイツ左手でも打てるようなったんか・・・・・・)
―――『「芸」は身につけるほど面白いからね』
確かにその通りだ。自分が知る限り烈はツイストを右でしか打てなかった。だから左手で打つのを見たとき油断した。まさか来るとは思わなかった。
今度の読み勝ちは烈らしい。ぽりぽりと頭を掻いて不来が苦笑いした。
「せやけどツイストゆーたら普通相手の足元狙わへん?」
「どうせ不来なら追いつくでしょ? どこ打ったって」
「なんや。俺の自爆かいな」
すぐ足元に打たれればもうちょっとは警戒したかもしれない。動いたからやられた烈。動けるからやられた自分。
(ま、仕返しとしてはぴったりやな)
やられたからやり返す。なんとも烈らしい。
「で? 次はどないな芸見せてくれるん?」
「さあ? どうしようか?」
不来の揶揄に、烈が首を傾げ曖昧に言葉を濁す。言葉を濁し―――再び予測不能の構えへと入った。
・ ・ ・ ・ ・
「おい不来どうするんだよ!!」
「あっさり取られたぞ!?」
「何あんな見た目だけのコケ脅しに簡単に引っかかってんだよ!!」
(仕方ないやろ? どないせいっちゅーねん・・・・・・)
ベンチに戻るなり部員らの心温まる言葉に、不来は温まった心でもって悪態をついた。投げる手と打つ手でそれぞれ2種類。その上本気で芸の幅を広げてきたらしく、サーブだけというのにやたらとバラエティーに富んだ打ち方の数々しかもフェイント付き。計算などわざわざせずとも予想が外れる確率がやたらと高いのは目に見えている。とりあえず対処できるだけはしたが30ポイントが限界だった。
よくよく考えずともこの程度はわかりそうなものだが、むしろこうなるとわからないこそこいつらはレギュラーになれないのだ、とも言えそうだ―――ヤジはフェンスの外、レギュラー以外の部員の溜まり場から聞こえていた。
そして一方フェンスの中、こちらはこちらでどう捕らえていいかいまいち判断のつけ辛い反応であった。
「はい」
その一言だけで手渡される眼鏡ケース。渡すだけ渡してさっさと去ろうとするマネージャーの背中に、不来が問い掛けた。
「何も言わへんの?」
「何か言って欲しいの?」
振り向く彼女の顔にはただ単純に疑問符が浮かんでいる。
それ以外一切の感情を映さない、濃緑色の瞳を5秒ほど観察して―――
「―――ま、ええか」
肩を竦め、不来は片手で外した眼鏡をケースに収めた。
・ ・ ・ ・ ・
きゃ〜〜〜〜〜〜vvv
コートに戻るなり広がる悲鳴。
「相変わらず・・・だね」
不来の向かいで烈がおかしそうに笑った。『・・・』の辺りを口にしないのは保身か。さすがに色めき立つ奴等全員を敵に回す発言は控えるらしい。
「うっさいわ・・・・・・」
烈が濁したのと同じ台詞を烈自身へと返す不来。その顔は僅かに引きつっていた。
周りは何に騒いでいるのか。もちろん眼鏡を取った不来に、である。切れ長の瞳に左右対称の整った小さな顔。烈や瀬堂とは違った意味での中性的な顔立ち。女性に近いというより―――男女どちらにしてももったいない。実際騒いでいるのは男女半々だったりする。
そういうのを自覚しており、なおかつそれがウザいから顔隠し様の眼鏡をかけているのだ。だがそれだけを目的とする眼鏡は、おかげで視界は狭まるわ汗が鼻に溜まるわ挙句に激しく動けば上下に揺れて邪魔だわのどうしようもない代物だったりする。それならさっさと買い換えろと言いたい所だが、わざわざその程度の目的のために金と手間をかけるのも惜しい。
そんなわけで、不来は必要に応じて眼鏡を付け外ししている。彼が眼鏡を外すのは即ち―――戦闘体勢の合図。
「さ・・・て。
まあお遊びはこの辺で止めとくとして」
「さっき確か『こっからは、本気出して行こか』とか言ってなかったっけ?」
「本気と遊びは別モンやろ?」
「まあ、ね」
しれっと答える不来に、烈も肩を竦めて応えた。さっきの自分、『本気を出していなかったのか?』と問われればもちろんNoだが、『遊んではいなかったか?』と問われるとこちらもNo。『本気で遊ぶ』という分類も間違いなく存在する。殊自分達においては。
そして―――ここから先は『お遊び』ではなくなる。
遮るもののなくなった目線をお互い交わす。それだけで充分だった。
一瞬で消える『遊び』の雰囲気。周りの誰にも―――ほとんど誰にも気付かれないまま密やかに、本当の戦いの火蓋が気って落とされた・・・・・・。
・ ・ ・ ・ ・
そして続く試合。最初の頃のような『魅せる』派手さはない。だが―――
『――――――っ!!』
周りの者はヤジや声援どころか息を呑むのも精一杯な真剣さで見ていた。
「凄い・・・・・・」
誰かがかろうじて洩らした声。一時たりとも見逃さないようにと瞳孔をぎりぎりまで絞ってピントを合わせる。そうでもしなければ見落としそうで―――そしてそれだけする価値は充分あった。
コートを縦横無尽に走り回る2つの存在。細めた瞳が収めるは相手の全て。研ぎ澄まされた神経が求めるは躰の触れ合い以上の心の触れ合い。重なり合う心の中で、愛撫するかのように腹の底を探りあう。鼓動はひとつとなり、互いの息遣いが喘ぎとなって互いを活性化させる。溶ける躰。溶ける心。濃密にして濃厚なる2人だけの空間。もしも完全に混ざり合うことが出来たとしたら、それは至上の喜びとなるのかもしれない。
だが現実に2人は2人のままだ。溶け合うことも、ましてや交じり合う事も出来ない。だからこそ互いに求めることを止めはしない。
一歩でも相手に近づけるように。一瞬でも相手に長く見続けてもらえるように。
そんな渇望に支配されるまま、2人は試合にのめり込んでいった。
・ ・ ・ ・ ・
「い・・・・・・!?」
試合に見惚れていたのは豪も同じ。だが彼は周りとは違う意味で声を絞り出していた。
「嘘だろ・・・・・・?」
呆然と呟く。信じられない、というかまずありえない。なのに目の前でそれは起こっている。その驚きに。
「なんでアイツ・・・、あんな動き出来んだよ・・・・・・」
豪が見ているのは兄・烈ではない。いや、そちらを見てはいるのだ。相手を左右に振り回し、揺さぶりをかけ、守備範囲の中と外、その境界線を正確に見極め外を常に狙える緻密なボールさばきを。
だが対戦相手の不来は常に追いついている。烈が読み間違えているわけではない。不来の守備範囲が尋常ではないのだ。コート内に落ちる限り全てを打ち返すといわんばかりの広さ。そして当り前ながらコート内に1度は落ちなければアウトとなる(ラケット含む相手の体に当たった場合は除くが)。
他の球技に比べテニスコートはそう広くはない。それもシングルスコートとなれば尚更。しかしテニスボールが互いのコートを行き来する時間を考えたらそれですら広いのだ。瞬発力には自信のある自分でも、コート中央にいない限り全面を守るなど出来ない。普通は出来ないものだ。だから初心者からプロまで基本戦術は統一されている―――相手を左右に走らせ空いたスペースに打つ、と。
しかし不来はこの戦術を完全に無視している。彼のコートに『オープンスペース』は出来ない。
「なん、で・・・・・・?」
呻く豪の耳に、ふいに言葉が届いた。
「―――瀬堂をボールやラケットのコントロール、つまり外的コントロールの天才とすると・・・・・・不来は内的コントロールの天才だ。生まれついての才能、でもって生まれてからの練習で身に付けたバランス感覚に体全体の統合性、筋肉と骨の柔軟性。そういったのが一見不可能なことを可能にしちまう」
「不来の動きそのものは極めて物理法則に適したものだ。ただし加瀬が言った通り普通不可能だからまるで物理法則を無視しているかのように見えるだけで」
「え・・・・・・?」
加瀬と三村の解説を聞いてもやっぱりよくわからない。どころかむしろ余計に混乱する。
(内的コントロールの天才・・・? 物理法則に適した・・・・・・?)
パニックを起こす豪に、助け舟が入る。
「つまりね、豪君。例えば君が今までボールを追って左に走っていたところ今度は右に打ってきた。君ならどうする?」
「どうする・・・って、そりゃ右に走るっスよ? 当り前でしょ?」
「そうだね。当り前だね。で、どうやって?」
「はあ?」
「だから、どうやって右に走る? 今まで左に走ってたんでしょ?」
「だから、方向転換して―――」
「具体的には?」
「はあ・・・・・・」
堂々巡りする質問。とても意味があるように思えない。
呆れ返って、豪は答えた。極めて具体的に。この辺りの嫌がらせは兄譲りだ。
「そんなの、左足踏み出して進んでた勢い殺して、でもって縮んだ筋肉の勢い利用して逆側に踏み出す。でしょ?」
「そうだね」
あっさり得られる同意。当り前すぎるのだからそれこそ当り前だが。
眉を潜め口を尖らせ、顔といわず体といわず全身で『不満』の文字を露にする豪に、瀬堂はくすりと笑って指差した。
「不来君を見てごらん。そうしてないから」
「はあ!?」
もの凄く納得のし難い発言。とりあえず瀬堂の顔をまじまじと見るが、特に彼は冗談を言っているのでもからかっているのでもないらしい。
代わりに、こんな一言を言ってくる。
「初めて見た時は僕らも驚いたよ。もちろん加瀬もね。
―――あの加瀬をまともに驚かせた人物として、彼の名前は後世に残るかもね」
「うっせーよ瀬堂」
後半の冗談兼からかいはいいとして・・・・・・
豪は言われるままに試合に目を戻した。丁度烈が不来を左右に振っている。まるで自分に『それ』を見せるかのように。
食い入るように、じっと見る。視線。体の動かし方。足運び。
その中で―――
「あ・・・・・・!!」
「何かわかった?」
「足首、捻ってる・・・・・・?」
「―――正確にそれやると挫くけどな」
「足首だけじゃない。軸足全体に回転をかけてるんだ」
揶揄る加瀬に続き、三村が補足をしてきた。
「この世界には『慣性の法則』と言うものが常に成り立つ。進む方向を変えるからといって即座に今まで進んでいた勢いが消えるわけじゃない。だから方向転換の際はさっき豪が言った通り一度勢いを殺し、そして新たに勢いをつけるという2重の操作が必要だ。
だが不来はそのどちらもほとんど行なわない。それこそ正確に言うなら最低限にしか。
不来は方向転換の際、軸足で小さく弧を描く。そうして曲線―――円運動を行う。円はどこを動く際も一定の力でいけるし途中で止まる必要がない。豪が言ったのは線運動だ。直線と直線の間、頂点で必ず止まる。さらに円を描けばそこには遠心力が発生する。そうやってさらに加速するんだ。
だから不来は方向転換が早く、しかも加速がかかりやすい。そんなわけで元々足は速いがそれ以上にラリーが続けば続くほど時間辺りの移動範囲―――守備範囲が広がる」
「え、でもそれって・・・・・・」
今の話自体はわからないでもない―――詳しい理屈は抜きで。
例えばそれこそ本当の『折り返し』。三角コーンを立てそれをぐるりと回って来いと言われたら豪だってぐるりと円を描いて回る。その方が足にかける負担が少ないからだ。だがそれはあくまで余裕がある場合の話。テニスのラリー中にそんなちんたら円など描いていたらまず間にあわない。
「だから驚異的なんだよ、不来の動きは。普通にやろうと思えばそれこそ加瀬の言った通り足首を挫くのが関の山だ。仮に運良く出来たとして力に振り回されて外側に転ぶ。あるいは足がついていかずにもつれる。それが出来るのは才能と努力の賜物だ。そうそう出来る代物じゃない―――あいつ以外には」
「凄いでしょ? なにせ反復横跳びでは加瀬ですら不来君の記録は破れないからね」
「今年は並んだだろーが」
「1年の時の記録に、でしょ? 間違いなく向こうは上がったよ?」
「くそ・・・・・・!」
呻く加瀬にふと思い出す。この部活は全員スポーツテストの結果を申告するのが決まりだった。それを元に各々の身体能力を測るのだが―――
この結果は体のつくりというハンデを抜いたとしても加瀬の独壇場らしい。さすがむやみに超人。
が、そんな彼でも他人に―――他の部員に負ける競技が2つ。1つは20mシャトルラン。延々と同じ行為を繰り返すそれにさっさと飽きるらしい。10段階評価で10点になった途端止めるそうだ。ちなみにこれに勝つのは嫌がらせの如く満点になっても延々と走り続け、周りにダレを通り越して拍手喝采を撒き散らさせる瀬堂と烈。
そしてもう一つが反復横跳び。今と同じ会話を繰り広げる2人に、一体この部活で誰が彼に勝ったのか不思議でたまらなかったのだが。
静かに騒ぐ2人に一応視線をやって―――そしてあっさり外して三村が続ける。
「まあ今のは解り易い例だったが、不来の動き全般はそれの応用だ。あいつは力の使い方が上手い。単純な筋力はないがその分力の向き、ベクトルを自在に操る。そういう意味での『内的コントロールの天才』。だからアレ―――烈曰くの『アタックサーブ』みたいなのも打てる」
「あり? でもラストバランス崩してたっスよね?」
「わざとな」
「え?」
「不来において本当に『バランスを崩す』っていうのはまずよっぽどのことがない限りない。バランスを崩して見えたのは普通にジャンプした後その力を膝から抜いて、足が上に上がる一方上半身は必要以上に上げないようにしたからだ。
それにただ上から叩きつけるだけじゃなくて回転を与えたことでボールからの反作用を利用した。下向きにかかる反作用をな。
だから着地が早かったんだ。さすがにその後横に跳んだ時は普通に筋肉の反発を利用して云々、つまり豪がさっき言った通りの流れだったけどな」
「バランス崩さない・・・って、その割にダイビングボレーして普通に倒れてたけど・・・」
「あれは烈が返せないって確信してたからだろ? じゃなかったら倒れた勢いで転がるなり手をついて前に回るなりしてさっさと起きてる。その手のアクロバティックも得意だからな」
「んじゃもしかして兄貴が最初にスマッシュ打たなかったのも―――」
「ああ、さすがに気付いたか。
―――あの時烈が普通にスマッシュを打っていたら不来なら返していた。体勢が崩れていたなんていうのは関係ない。不来は守備範囲内に来る限りどんな体勢、どんな状況だろうが9割9分以上ボールを取る。烈がポイントを取ろうと思ったら残り1分以下を狙うかさもなければ完全に守備範囲外に決めるか。で、あの時はムーンボレーで守備範囲外に落としたってワケだ」
「は〜・・・・・・」
こう聞くと恐ろしく理詰めな2人のプレイ。ため息をついて豪がこう評価した。
「とても俺にはムリっスね」
「安心しろ。大抵誰にでも無理だ」
クッと笑う三村を横目で見る。誰よりも理詰めで攻めている、この先輩を。
「ついでに言うと不来の特徴はあと2点。もうわかったと思うが1つは頭の切れ。理詰めというのと少し違う。頭で考えるというより感覚として把握する。いわゆる勝負勘だな。それにおいてはそれこそ理詰めで来る烈と互角だ。
それでもう1つは―――持久力」
「う? 瞬発力とか得意なのに?」
「俊敏さと持久力、一見反発してるようだけど両方兼ね備えてるのが不来の特徴だよ。というか実のところ不来においてはこの2つは共存してる。
さっき不来の動きは円運動だって言ったよな? だから余計な力も負担もかけないって。
不来の体格を考えると細身な分持久力はあるって言えなくもないが体が小さい分まだまだ不利だ。節約してるんだよ。だから長時間もつ」
余談だが、豪は聞きそびれたようだが先程のスポーツテストの話、実はシャトルランでも不来は加瀬に勝っている。烈が勝っているのだから、それに張り合う彼が勝つのは当然だ。彼ら2人の記録はぴったり同じだった。
「節約・・・・・・」
自分には無縁極まりないもの。むしろそれは―――
と、ここまで来て豪は視線を当初の目的の人に戻した。そんな不来と対戦中の彼の少年・兄の烈へと。
「もしかして烈兄貴ってめちゃくちゃ不利なんじゃ・・・・・・」
烈の武器は頭の切れと持久力。だがどちらも不来は持っている。筋力がないのはお互い様だろうが、替わりに不来はその代替技と何より俊敏性を兼ね備えている。
豪の予感そのままに、
「だろうな」
あっさり三村はうなずいてきた。
「だがそうなるとむしろ驚異的なのは烈の方だな。なんでそれで互角に戦えるのか」
「え・・・・・・?」
「互角だろ?」
言いながら、手元のクリップボードを豪に差し出す。話しながらもスコアを中心とした結果は全てつけていたらしい。
現在試合開始1時間で4−3。最初のサービス対決は除いたとして1時間弱で今だ3−2。ポイントを取るまでの時間が長いからとも言えるがさらに全ゲームデュースまで持ち込まれている。わざと持久戦を狙っていない限りよっぽど実力が僅差でなければこうはならないだろう。実際点の取り方には法則性はない。どちらか一方が有利になる展開は一切ない。
「この2人はいつもそうだ。どう比較しようが烈が不利なのは明らかだ。なのに決してそれが明確な結果として現れることはない。
そして―――」
にやりと笑う。その目が今だ横で無意味な『冗談兼からかい』を続けている友人へと移った。
「さらに驚異的なのが瀬堂だな。不来相手に確実に勝つ」
「あ・・・・・・」
瀬堂と烈の特徴は極めてよく似ている。それは豪のパートナーが今日になって烈から瀬堂に変わった事からもわかるとおり。
つまり―――
「原因不明だが、やろうと思えば烈も不来には勝てるってわけだ」
それを証明するように・・・
「ゲーム風輪! 4−4! チェンジサーブ!!」
ワッ―――!!
6度目のデュースを制した烈へと、喝采が上がった。
・ ・ ・ ・ ・
「ゲーム千城! 6−5!! チェンジコート!!」
審判の声をどこか遠くで聞きつつ、不来はベンチへとふらふらする足取りで戻っていった。
空けられた場所へ、何も考えずどさっと腰を下ろす。心配げに見守る部員らを無視して背もたれに大きくもたれ、一言。
「あ゙〜。づがれ゙だわ゙〜・・・・・・」
死にそうな声で呻く。本当に死にそうだ。むしろ死なないのが不思議なくらい。
ばくばくいう心臓。吸っても吸っても足りない酸素。まるで水の中で溺れているかのようだ。
水に―――
ふわりと顔にかけられるタオル。辛いもの全てを覆い隠し、真っ白な幻想の中湿った冷たさが気持ちいい。火照った顔が冷やされ、なのに自分はどこまでも昇っていきそうだ。
眼精疲労で腫れぼったい目を冷たさで覆われ、さらに鼻にも口にも・・・・・・
「ありがとさん。ホンマ気持ちええ―――
・・・・・・・・・・・・
―――ってちょっと待ちい!! 殺す気か己は!!」
窒息死寸前の白く遠のいていた意識を無理矢理引き起こし、不来はタオルを放り捨てて立ち上がった。立ち上がりざま振り返る。タオルは背もたれ越しにかけられたのだろうが―――わざわざ見ずともこんなことをして来る犯人は一人しかいない。
案の定。
「あら。辛そうだったから少しでも楽にしてあげるのがマネージャーの務めかと思ったんだけれど」
「その理屈は間違っとらんがお前はそれ以前が間違ごうとる!!」
「え? でも『殺す』って書いて『楽にする』って読むんじゃ・・・・・・」
「そないに読むんはお前と烈だけや!!」
「あらおかしいわね。加瀬先輩に言われたのだけれど」
「そないゆー特殊パターンを通常に当てはめんなや!!」
「不来君だから当てはめたんだけれど」
「どーゆー意味や!!」
「そのままの意味で」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。もーええ」
極度の疲れを覚え、会話を打ち切る。今までの疲労感も手伝って、どっと疲れた様子で不来はベンチに再び座り直した。
時計を見る。現在試合開始1時間45分経過。1時間過ぎてからはほとんど互いに点が取れていない。単純計算で15分で1ゲーム。
15分。早ければ1ゲームどころか1セット取れるというのに。
「さすがにマズいなあ。次取れな負けるかもしれへん」
一応軽口風味に言う。周りに心配されたくはない。
「大丈夫だろ、それだけ余裕なら」
部長の光坂がそう返しつつぽんぽんと頭を叩いてきた。とりあえず軽口をそのまま受け取ってくれたことに感謝する。
「向こうも相当にバテてるみたいだしな」
「・・・・・・・・・・・・へ?」
信じられない事態に、数秒空白の間を作った後顔を上げる。
「ホラ」
言われたまま見やる先―――コート向かいの風輪ベンチにて、確かに烈は『果てて』いた。
「うあ・・・。マジかいな・・・・・・・・・・・・」
果ててはいた。こちら同様ベンチで俯いて、ひたすら荒く呼吸を繰り返す。が、息継ぎを行なうその細い肩はほとんど上下していなかった。
「アイツめちゃめちゃ余裕やん・・・・・・・・・・・・」
一見過呼吸かと疑いたくなるほどの息の荒さ。だが本当に過呼吸など起こしているならば胸式呼吸をする。間違っても腹式呼吸であれだけ激しく息を継ぐような真似はしない。やりにくい上余計に疲れるからだ。
あれは烈に特異の回復法。どういう理屈なのか完全不明だが、余裕のあるうちはああやって烈は息を整える。もしかしたら酸素の摂り溜めでもしているのかもしれない―――絶対無理だが。どころかむしろ過呼吸を引き起こしそうに見えてたまらないのだが。
「ご愁傷様。タイブレーク決定ね」
「ゔゔゔ・・・。どーせそーなるんかい・・・・・・」
実に楽しそうに呟くせなに、不来は誰に対してかわからないがとりあえず誰かに対して怨念を込めて呻いたのだった・・・・・・。
・ ・ ・ ・ ・
目を見開き荒い呼吸をし、流れる汗はそのままにしかしながら開いた口から垂れようとする唾だけは忌々しげに飲み込む。
「あ、兄貴・・・・・・?」
こんな烈の姿を見たのは初めてだった。さすがに心配になった豪が手を伸ばし―――
―――隣で肩を叩かれて、止められた。
「まあまあ。放って置いて大丈夫だよ」
「で、でも・・・・・・」
「別にいつものことだから」
あっさりそう言い切る瀬堂に、僅かな嫉妬を覚える。いや、こんな状態を引き出した不来へか。
見た事がなかった。こんな烈は。
自分が見た限り、烈はいつでも余裕で、いつでも笑顔で。
―――こんな風に苦しそうな姿は見た事がなかった。
複雑な表情で俯く豪。ぱたりと落とされた手を見送り、
瀬堂はぽんぽんと豪の頭を撫でた。
見上げる豪へと、にっこりと笑う。
「大丈夫だよ。烈君、特に疲れてないから」
「・・・・・・・・・・・・はあ?」
・ ・ ・ ・ ・
(ああ、くっそ〜!! 次の1ゲーム取られたら終わりじゃないか!! やっぱさっきの落としたのが痛かったか・・・!! 逆に打ってたら絶対取られなかったのに・・・!!
あ、でも次はこっちのサービスゲーム・・・。なんとかここで挽回してタイブレークに持ち込む・・・・・・!!)
体よりむしろ頭の熱冷ましを―――しているはずがなぜかヒートアップしていく。その苛つきを呼吸に変えて、とりあえず体には酸素を供給して適度に冷ましたところで無理矢理打ち切る。
頭を上げたところで―――
ふわりっ、と上からタオルが被せられた。
「・・・・・・加瀬部長?」
タオルの端を持ち上げ、隙間から恐らくかけてきたであろう方向を見やる。そこにいたのは烈の呟きどおり、部長の加瀬だった。
「んで? 景気はどーだ?」
「あと1ゲーム取られると負けますね」
問う彼に、にっこりと笑って誰にでもわかることを答える烈。
「まあ、じゃなかったらルールの意味ねーしな。
んで?」
「つまり?」
「その1ゲーム、取られるつもりか?」
「まさか」
にやりと笑う加瀬に、先程と同じ笑みのままさらっと断言する。
質問の意図するところがわからなかったわけじゃない。それでも焦らしたのはむしろはっきり聞いて欲しかったからか。それともはっきり言いたかったからか。
だからはっきり聞かれるまま、烈ははっきりと宣言した。
「取らせるわけないでしょう? 当り前じゃないですか」
タオルを頭から被ったまま、鼻で嘲う烈。それは今までの笑みとは違っていて。
剣呑で、妖艶。そして他のどれよりも魅力的な笑み。タオルを被せたのは正解だったかもしれない。豪がこんな笑みを見ていたらそれこそ嫉妬に狂うだろう。
この笑みは、不来にしか引き出せないものだ。烈がライバルだと認め、全身全霊で持って挑む相手にしか。
久方ぶりに見るその笑みを前に、こちらはいつも通りの人を見下す笑みを浮かべ加瀬がタオル越しにぽんぽんと頭を叩いた。
「そーかそーか。そりゃよかった。
んじゃ俺はウォームアップしてくっから」
「ごゆっくりどうぞ」
「・・・体、冷め切る前に終わらせろよ」
「努力いたします。出来る限りは」
「・・・つまりきっぱりと無理ってワケか?」
「受け取り方は人それぞれですから」
「・・・・・・。『ゆっくりやれ』の意味がよくわかるな」
「命令ではないですよ? そう推奨しただけで。それにゆっくりじっくりウォームアップすることは大事ですから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。もーいい」
不来が感じたのと同類の疲労感を覚え、加瀬はため息だけを残しそそくさと立ち上がっていった。
それを見送り―――烈もまた、立ち上がった。
タオルを捨て、呟く。真正面にてやはり立ち上がった彼に向けて。
「さあ、続けようか」
・ ・ ・ ・ ・
そして、始まりから2時間が経過する。
「ゲーム風輪! 6−6!!」
「タイブレーク突入だ!!」
「いよいよ決まるぞ!!」
―――『目覚め』4へ
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
よ〜やっとできました目覚め3にして2人の初対戦です。そしてそれでありながら試合シーンを初っ端除いて全く出さないという気の利かなさっぷり。しかし出すとむしろ余計わけがわからなくなりそうな―――といいますかそこまでテニスの試合をよく観戦したことがないのでどんな感じかわかりにくかったからなのですが。なので毎度恒例理論と言うより最早屁理屈はめちゃくちゃです。ただし不来の戦法は試すと本当に足を挫くというのだけははっきりと。いえ、試してはいませんけどね。
では目覚め4。よーやっと長かったこの試合もそれで完結です。そしてどう転んでもこの目覚めもこれで終わりになります。そして序章はやっと折り返し。は〜自分で招いた種とはいえなっがいな〜。
2003.9.29〜11.23
そういえば、テニスの話題をしていると必然的に出てきますテニプリの話題。最初に不来がやっていたのは千石さんの虎砲ちょい変形ver。そしてPS2『Smash Hit!』をやっていてつくづく思う事・・・ダイビングボレーは本気で役に立たねえ・・・。突っ込んだ後、起き上がるまでに間が出来、相手に返されると絶対取りにいけません。なのでダイビングボレーよりアクロバティック覚えさせてます。というわけで、本当に相手が返さないと確信しない限り不来は滑り込んだまま止まったりはしません。
ではそんなところで。この先もよろしくお願いします。