同じドアの前で
本編
―――冥界出口にて―――
街を抜けると、そこは本当にドアの近くだった。でもって・・・・・・
「やあお帰り」
「思いっきりスタート地点じゃねえか・・・」
にこにこ笑って迎え入れてきた周に、跡部はがっくり項垂れた。つまり自分たちは10日かけてぐるりと回ってきただけだという。
「旅なんてそんなモンでしょ? 大抵スタート地点に戻る」
「そりゃ言われりゃそういうモンだけどよお・・・」
「納得した?」
「しねえよ!! やっぱてめぇ不二の生き別れの兄貴だろ!?」
「・・・まだそのわかんないネタで引っ張るの?
じゃあ完全納得するまで説明続けるけど、実は君はこの10日間ここから動いてないよ」
「・・・・・・あん?」
「僕言ったよね? 『君が今見てるのは君が造り出すイメージ』だって。冥界そのものがそうなんだよ。初めて来たのに馴染みやすくなかった?」
「そういや・・・・・・」
振り返る。ここ10日間。確かにここは自分が『冥界』と聞いて漠然と描いていたものによく似ていた。似すぎていた。
全てが繋がる。冥界なのに普通と同じ生活をしていたのはそれをしないで生活する方法を思いつけなかったからだろう。動植物があり、尚且つ普通に食べられたのも現世での生活が基準になっていたからか。
そして何よりあの不思議果物。初めて見せられた乾汁がアレだった。見た瞬間思った。・・・ぜってーこの世界の物件じゃねえ、と。
・・・・・・ならばこちらにあって普通か。
「そうやって一定期間の旅から帰って来た人だけが生き返れる仕組だったりするんだよね。それにしてもきっちり10日で帰って来た人は初めてだ。よっぽど感覚がしっかりしてるか生き返りたいっていう想いが強いかだね」
「帰れねえヤツもいんのか?」
「日付の感覚が曖昧になるからね。自分を失えば当然カウントも出来なくなるし、そもそも帰るっていう目的を見失う。『終わった』って理解しないと抜けられないんだよ」
「だが、そのためにコイツ―――案内人がいるんだろ?」
指差す跡部に、
周はゆるく首を振った。
「いいやいないさ。『案内人』はもう一人の自分だ。自分の中に隠された自分。これがどうであるかで生死が決まる。
『冥界』のイメージは厳密に言えば君じゃなくて『それ』のイメージだ。たとえ自分が帰りたいとどんなに願おうと、『それ』が願わなければ自分は永遠に帰れない。心の奥底では願っていなかったわけだからね。
10日きっちりで帰ってこれたっていうのは、君が心の奥底から帰りたいって願ってたからだ。
何にしても―――
―――ドアまで到着おめでとう。くぐったら現世に戻れるからね」
あっさり言い切られる。スタンプラリーゴール地点にいるお姉さんだってもう少し何か加えてくれないか?
ドアを見て・・・
呟く。
「そういや『死ななかった』事にするっつったが―――つまり事故そのものは起こるワケか?」
「起こるよ。さすがにそこまで大幅には弄れない。
君は病院に運ばれ暫く・・・つまり10日プラス君が気がつくまでの3日ね・・・植物状態。その後奇跡的に目覚めるって筋書きで」
「まとめると俺がここにいた13日間は現世でも経過してるってワケか」
「過去へ未来へ飛べたら神様です。
あ、記憶は消しとくよ。君の日常生活に支障はないよ」
「ほお・・・」
頷き、
跡部はもうひとつ尋ねた。
「コイツ―――コウのヤツ、俺をここまで案内してきたがこれでコイツの『罪』も免除されたってか?」
「まだ気にするの? 彼は―――」
「答えろ」
周の言葉を遮る。と、
「なんで?」
今度は逆に周に遮られた。
数秒だけ、自分の中で言葉をまとめる。
「仮にコイツが俺の造り出した幻影だとする。どっちにしろ俺のせいで何か後腐れが起こんのは気に喰わねえ」
「なるほどねえ」
くすりと笑い、
周が今度は縦に首を振った。
「うん。これで彼は改めて次の生へと行けるよ」
「そうか・・・・・・」
「他に訊く事は?」
「ねえよ」
「じゃあ―――」
「断る」
「え・・・・・・?」
声を上げたのはもちろん周のみ。だがコウもまた、声には出さないものの驚きを露にしていた。
『断る』。確かに跡部は今そう言った。周の言葉は途中で切れたがそれは、
―――『じゃあドアから現世に戻ってね』
「何、言ってるの? 戻りたかったんでしょ? だから旅したんでしょ?」
瞬きする周を見て、
跡部はその視線をさらにコウへと移した。
じっと見る。フード越しでも気付いたのだろうか、コウは翠色の瞳を伏せさせた。
のんびりと近寄り、
「俺が戻るんだったらコイツと一緒にだ」
「え・・・・・・?」
二度目の周の呟き。そして・・・
「けい・・・・・・」
二度目の『コウ』の呟き。あえてくぐもらせていないその声は、耳に心地よい澄んだバス。
跡部の手が、マントを止める紐へとかかる。片手で解きながら、もう片方の手はいつぞやと同じく頬へと滑らせ。
「そうだろ? なあ、
――――――佐伯」
確信があった。絶対この存在は自分が造り出したものではないという確信が。
ならば正体を隠す理由はどこにもなかった。
隠すのは、本人だからでありそして・・・・・・・・・・・・
・・・・・・俺が生き返るための枷にならないように。
マントが外れ、フードが落ちる。下から現れたのは紛れも無い恋人の顔で。
「なんで、お前俺だって・・・・・・」
呆然と呟く佐伯に、跡部は瞳を細めた。
「ばーか。どれだけ一緒にいたと思ってんだよ。顔隠してようが声殺してようがてめぇの事なんぞ3秒で見抜いてやるぜ」
「3秒・・・は、さすがに無理だろ・・・?」
佐伯もまた笑う。
「ンな事ぁねえよ。最初に気配消して現れた時から可能性としては考えてた」
「ちなみに確信になったのは?」
「握手の時な」
「左利きだから?」
「それだったら該当者多すぎだろーが。
俺が出した右手を見てお前は左手を出そうとした。同時じゃなかった。お前の動体視力ならきっちり見てたんだろ? 俺が右手を出したって。だからお前は左手を出した。いつものクセで。俺がああやって『握手』する事はお前なら知ってんだろもちろん。
でもって出しかけてから気付いて引っ込めた。俺にバレるのを恐れて。だから『左利きか』って俺が聞いた時思い切り動揺した。違うか?」
「でも、握手の時は利き手出すのが一般的だし」
「そりゃ先に出すか同時に出すかの場合だろ? 後に出したクセに逆の手出したりすりゃ、そりゃ立派に相手に喧嘩売ってんだろ。
お前だってテニスの試合前後、右手で握手すんだろーが」
畳み掛ける跡部の言葉に、それこそ『コウ』のようにだんまりを続け・・・
「・・・・・・何だ。そんなに早く気付いてたのか。ならもっといろいろやりゃよかった」
「十分しただろーが・・・。つーかそもそも『コウ』とか何だよ? とことん捻りのねえ名前出しやがって。あからさまに『コジロウ』略しただけじゃねえか」
「だってお前の口から他のヤツの名前聞いたらムカつくから」
恥じらいもためらいもなくそんなバカップル万歳な台詞を言い出す佐伯。さすがに跡部の顔が赤くなった。
十分時間をかけて冷まし・・・・・・
「んで?」
「ん? 何だ?」
「―――なんでお前、自殺なんてしやがった?」
佐伯の顔から、笑みが消えた。
暫し経過。今回が最も長いか。多分5分はかかった。
再び佐伯が笑う。今度は弱弱しく。
「わかんだろ?」
「何をだ」
「・・・・・・お前がいない世界で、俺独りで生きるのは嫌だったんだよ」
「ンな、理由でか・・・?」
「ああ、そんな理由でだよ。独りで生きるくらいなら、お前と同じ世界に行きたかった。ただそれだけの理由だ。お前が死んだって聞いてすぐ、遺体の確認もしないで風呂場で手切った」
「そんで、死んで・・・ここに来た」
「『罪人』としてな。でもって仕事を与えられた」
「俺の案内人、つー仕事か・・・」
「ああ」
佐伯が頷いた。さらに畳み掛ける。
「なんで・・・言わなかった? 顔隠して、偽名使って。今俺が言わねえ限り自分で言い出しはしなかっただろ?
俺と会うのは嫌だったか?」
「違う!!」
吠える佐伯。その目から、涙が零れた。
涙を流したまま、続ける。それこそ己の罪を告白する罪人のように。
「嬉しかったよ・・・。まさかお前にまた会えるとは思ってもいなかった・・・。死んでも全然変わってないお前見てほっとした・・・。10日間、一緒にいれるって言われて・・・泣くほど嬉しかった・・・・・・」
「なら、なおさら―――」
「言えるワケないだろ!?
言ったら続けちまう・・・! 『ずっとここにいてくれ』って・・・! 『現世になんて帰んな。ずっと俺のそばにいてくれ』って・・・!!
お前はAccidenter―――Aliverだ・・・! 『生きるべき人間』だ・・・!! 俺とは違う・・・! 重圧に勝てなかった俺とは違う・・・!!
お前は現世に戻って・・・また新しい人生を始めるべき人間だ・・・・・・!!
だから・・・・・・」
佐伯の声が小さくなる。聞き取ろうと顔を寄せ、逆側―――ドアの方へと反転させられる。
後ろから聞こえる、佐伯の泣き笑い声。
「だからな、景吾・・・。
お前は生きてくれ・・・。
生きて・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺の事は忘れて幸せになってくれ・・・・・・・・・・・・」
これが俺の造り出したものならば、俺は絶対ここへは戻って来れなかった。
時計が正常に動き続けた事。戻る合図をくれた事。全てはこれが―――佐伯が、『俺が戻る事』を願ったからだ。
俺は・・・
・・・・・・・・・・・・この世界で、永遠に2人でいたいと願っていた。
とんと背中を押される。
振り返りたい衝動を無理矢理殺した。振り返れない。振り返ってはいけない。佐伯の覚悟を、佐伯の努力を、全て無駄にしてしまう。
「準備いいかな? ドアが開くよ」
無常に響く周の声。それを合図にドアが開いた。
ドアまで後3歩、2歩、1歩。
光溢れるドアの先。その先にあるのが闇しかない地獄だと思う自分は一体どうしたらいいのだろう。
ドアの縁に立ち、ようやく振り向く。周のずっと変わらない笑顔の向こうに、佐伯の汚く綺麗な笑顔が見えた。涙を顔中に流し、それでもその顔に無理矢理笑みを浮かべたそんな笑顔。
本来なら死んだ自分に捧げられる笑みだったのだろう。なぜ生き返る時に餞として捧げられているのだろう?
旅の最中に起こった全てが蘇ってくる。そういえば途中で会った女が言っていたか。
―――『・・・・・・・・・・・・出らんないでしょ?』
出ない事を選べた彼女は幸せだったのだろう。自分も選べたらどんなにいい事か。
さらに思い出す。赤い汁で唇を紅く染めていた『コウ』―――佐伯。そういえば自分たちはキスひとつしていなかった。
肩越しにドアの外を見る。佐伯が待っていたはずの世界。佐伯に会うためだけに戻りたかった世界。
佐伯を恨むつもりはない。きっと逆だったら自分もそうしていた。
ならば今自分が取るべき手は・・・・・・
―――『そうだね。正確には君が生き返るまで。でもって失敗すれば彼の再生はさらに遅れる』
向かい合う2人。向かい合い・・・
跡部は晴れやかな笑みを浮かべた。
後ろ向きにドアの外に飛び降りつつ、言う。
「またな、佐伯!!」
「え・・・・・・?」
駆け抜ける、猛烈に嫌な予感。『また』会う方法はひとつだけ。
「景吾!!」
佐伯はドアへと駆け寄った。周の制止を無視し、外へと身を乗り出す。
見えるのは落ちていく跡部だけ。どこに隠し持っていたのか、尖らせた木を己の胸に突き刺した跡部だけ。
もう死んでいるだろう。確実に心臓を貫いている。
―――なのに浮かべられた笑みはとても穏やかで。とても幸せそうで。
「景吾お!!!」
叫び、
佐伯もまた、外へとその身を躍らせた・・・・・・・・・・・・。
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