それは、わかれて割と経ってからの事。時間でいえば午前7時50分。なんでこんなに細かくなるのか―――丁度六角は朝練のない今日、家でのんびりしてからさて出かけようかとバッグを担いだところだったからだ。
 背中から伝わる振動。手を突っ込み震える携帯を取り出し、画面を見る。電話受信。相手は『跡部景吾』。
 くすりと笑い通話ボタンを押し、
 「どうした景吾。もう俺が恋しくなったか?」
 そんな冗談は、続く相手の声で即座に掻き消された。
 《虎次郎君かな? 狂介だけど》
 「ああ狂介さんお久しぶりです。どうしたんですか? わざわざ景吾の携帯で」
 持ち主の父親からの電話。家族ぐるみで付き合っているため、互いの携帯番号も知っている。用事があるなら自分のものを使うだろう。普通なら。
 何かがあった。
 そう頭で察しながら、佐伯はあくまで平静を保った。『何か』が何かわからない以上、喜怒哀楽どれを表したところで意味はない。電話越しの、こちらも平静な狂介の声からは何も推測する事は出来ない。彼ならたとえ跡部が突発的にサンバにハマり踊り狂っていたとしても普通に対応するだろう。
 問いかけ、待つ。間が開いた。珍しいことだ。
 佐伯はどちらかというと見た目や態度と裏腹に悲観的な考えの持ち主だ。いくつかの『悪い事態』を想定し・・・
 ―――返ってきた狂介の言葉は、それらをさらに悪くしたものだった。










 《いきなりな事だけど、景吾君が死んだよ。それだけ伝えておこうと思ったんだ》










 「え・・・・・・?」















同じドアの前で
AnotherStory 〜ヴェールの向こうで〜



―――冥界入口にて―――
S ver


 「―――ようこそ冥界へ。僕は周。ここの管理をやってるんだ」
 「・・・・・・・・・・・・ああ」
 目が覚めるなりかけられた声に、佐伯は疲れた頭と体で呟いた。声が枯れている。何でこんなに疲れているんだろう。考え、思い当たる。
 (ああそうだ。狂介さんから景吾が死んだって聞いて・・・・・・)
 何も考えずに風呂場で手首を切った。そのまま意識を失うまで泣き叫び続けた。両親がいなかったのが幸いした。おかげで誰にも邪魔されないまま最期となった。
 目の前にいた存在を見る。冥界の管理人・周というらしいそれ。『周』というと幼馴染の少年を思い出すが、なるほど確かにそっくりだった。
 ふ・・・、と薄く笑う。どうせそっくりさんに会うのならば跡部に会いたかった。
 「あれ? 驚かないね」
 「さっき一番驚いてきたばっかなんだ。もうこれ以上驚く事もないよ」
 問われ、佐伯は笑って答えた。乾いた笑い。枯れた笑い。
 ああ一番驚いてきたさ。跡部の死に比べたらこんなものなんとちっぽけな事なんだか。
 「じゃあ驚かれないまんま先進めるけどね」
 少し寂しそうに続ける周。不思議なものだ。かつては彼に笑顔を与える事、それが自分の遺伝子にすら刻み込まれていたかもしれない最重要事項だったというのに。
 ―――今ではそれもどうでもよくなる。周があくまでかの幼馴染当人ではないからか。それともそんな事を考える心すら無くなったからか。跡部と共に。
 「つまり君は死んだんだ。自殺という形でね」
 「ああ」
 両手を見下ろす。カミソリでざっくり切った両手首は今はもう傷跡だけで。何度も壁だの浴槽だの殴っている間に折れた指もまた異常はなかった。本当の意味で笑う。つくづく自分も支離滅裂な事をやったものだ。半分以上もげていた手でよくそれだけの力が出せたものだ。空気中でそれだけ振り回してよく血はちゃんと流れてくれたものだ。
 くっくっくっ・・・とさもおかしそうに笑う佐伯は気にせず、周は淡々と続けた。
 「死に方には3つの種類がある。
  1つは寿命や病死といった『誰の責任でもない死[
Die]』。
  2つは事故や殺人により他人に殺された、いわゆる『不条理な死[
Accident]』。
  そして3つは自殺者や殺人者。つまりは『自己責任による死[
Kill]』。君は分類するとこれだ」
 わざわざ解説されるまでもなくわかりやすいもの。確かに自分は自分の死を自分で選んだ。他の誰のせいでもない―――もちろん跡部含め。
 「普遍のものである輪廻転生の輪を乱す
Killerは冥界においては罪人扱いなんだよ。罰として仕事を命じられる」
 「ふーん」
 これも普通に受け入れる。理屈として納得できなくもない。強いていえば・・・天の定めし『運命』というのは、己の寿命までしっかり生きた場合を想定されていたらしい。新たな発見となった。
 「特に反対はなし?」
 「別にないさ。罪に対して罰を求めるのは生きている時から死んだ後まで変わりないだろ? 天国の対として地獄がいつまでも語り継がれてるのもそれを裏づけする要因だ。そういえば日本じゃこんな話もある。親より先に死んだ子どもっていうのはそれだけで罪なんだそうだ。三途の川の手前で一定の高さ以上まで石を積み上げなければ渡れない。ところが完成まであと一歩のところで見張りの鬼がそれを倒す。何回も何回もその繰り返し。それが子どもに与えられた罰だ。
  親どころか祖父母祖々父母その他諸々親戚一同生きてる中最初に死んだからな。そりゃ罰は随分重いモンになんだろうな」
 「そういう悲観的思考止めてくれないかなあ・・・。おかげでやたらとややこしい事になったんだけど(ぼそり)」
 「何か言ったか?」
 「いや何も。
  君の期待に添えなくて残念だけど、とりあえず誰が生きてて誰が死のうが僕は死に関わる事象しか見ないから。君の事も
Killerとして十把一絡げに扱わせてもらうよ。
  で、君への仕事が彼のお守り」
 あっさりと出された結論。周の手振りに合わせ、今まで何もなかった地面に新しい存在―――新たな人物が現れた。
 寝転んだままぴくりとも動かない人物。それは・・・
 「景吾―――!!」
 今までロクな反応も示さなかった佐伯が、大きく目を見開いた。見慣れた相手。見覚えのある姿。
 自分の家から帰っていった時の服装そのままで、跡部はここで眠り込んでいた。
 「なんで・・・お前・・・・・・」
 力の入らない体で、四つんばいになって這うように進む。僅かな距離がとてつもなく遠く感じる。
 遠い遠いその間に、周が解説を続けた。
 「さっき死について説明したよね。彼は君より少し前交通事故に巻き込まれてここに来た。分類すれば、2番目に含まれる
Accidenterだ。
  君の話を応用させてもらうと、罪に対して罰を求めるなら嫌な事に対して良い事も求めようとするのは当然だろ? 自分の責任じゃないのに死んだ。なら何を求める? 次に早く生まれ変わるか――――――生き返るか」
 「生き返、る・・・?」
 呆然と問いかける佐伯に、
 周は最も残酷な答えを返した。





 「そう。君がもう少し待っていれば彼は生き返って―――君の元へ戻ってきたかもしれないんだよ?」





 「あ・・・・・・・・・・・・」
 意味のない呟き。開いた口から声が洩れ、
 開いた目から涙が零れ落ちた。
 「あ・・・・・・あ・・・あ、あ・・・・・・
  ―――ああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
 徐々に間隔の狭くなる声はやがて叫びとなり辺りを包み込んだ。眠り込んだままの跡部に縋り泣き出す佐伯。枯れた目から止め処もなく溢れ出す涙を、周はただ黙って眺めていた。特に何も覚えない。同情も非難もしない。全ては自分で選んだ結果だ。
 (まあ・・・、生き返れる保障はないからいっそコレが最良かもね)
 まずは全体を把握させるに当たり、わざとすっぽ抜いた説明。死人がそう簡単に生き返るワケはない。
 佐伯の声が、ようやっと収まる。赤く染まった眼球の中心にある翠の瞳孔。跡部の上に頭を乗せ、寝転んだまま光の灯らない瞳で見つめられると・・・
 ・・・どちらが死人かわからなくなる。正解は両方死人だが。
 とりあえず目を開けている方―――自分にとっては直接の仕事相手である罪人の目を見て、
 罰の執行人である周は、最大の罰を課した。










 「君への仕事だ。彼が生き返る手伝いをしてあげてね」









 「―――っ!!」
 佐伯の目に光が戻った。がばりと身を起こし、
 「どういう事だ!?」
 「そのままの事だよ。彼には生き返る権利がある。もちろんそれを選ぶかは彼次第だけど、もし選んだなら彼には
10日間かけて生き返るためのある試練が与えられる。詳しい説明は後でするけど、君は彼の案内人としてずっと先導して欲しいんだよね。
  どうする? やる? やらない? やらないなら別の人にやらせるけど?」
 「やらせてくれ!!」
 他のヤツにやらせるのならば自分がやりたい。たとえ
10日とはいえ一緒にいたい。
 進んで罰を受けてくれる佐伯に、周はにっこりと微笑んだ。
 (あーあ。いいのかな。詳しい事も聞かないで)
 そんな思惑を内に秘めた微笑みを。
 「じゃあ説明するね。彼が目覚めたらまずこの辺りの確認。それは僕がやるね。生まれ変わりを選んだら君は次の人を待つ。生き返りを選び
Aliverとなったら君の出番だ。僕は君を彼に引渡し―――そして彼に関する全ての権利を君に譲渡する」
 「え・・・?」
 「彼が生き返る方法は1つだ。ここに扉があるよね?」
 「ああ・・・」
 何もないただの大地。あるのは自分たち3人と、あとその扉だった。某(一応)ロボットアニメのど●でもドアの如く何の脈絡もなく立っている扉。扉というのは普通2つのものの仕切りとなるはずだが、壁がなく向こうも見渡せるところからすると何の仕切りにもなっていなかった。
 周がこちらを見たままコンコンとその扉を叩く。向こうから返事がくると面白いが、もちろんそんな事はなかった。
 「これが冥界と現世を繋ぐ唯一の出入り口だ。ここをくぐれば彼は帰れる」
 「・・・案内の意味なくないか?」
 目の前にあるものになぜ案内がいる? 周が「じゃあこちらへどうぞ」と一言言えば終わりではないか。
 誰でも抱く当然の事をやはり考える佐伯。わかっているよとうんうん頷き、
 周はぽんと佐伯の肩を叩いた。
 「彼迷わせて」
 「は?」
 「幻影と催眠術とでもいうかな。冥界っていうのは固定した姿がないんだ。その人が頭の中で考えるイメージそのままになる。今は少し面倒だから僕の『イメージ』優先させてもらってるけど、君に任せた時点で君のイメージが優先される。
  君は君の造り上げた『冥界』を彼と共に旅する。そして
10日後にそのイメージを解く。そしたら元のここに戻ってくるという仕組みだ。その間はどんなところで何をしてても自由」
 「それで・・・・・・何の意味があるんだ?」
 「だから『試練』さ。本来ならここで案内人としてつくのは
Aliverから離脱した『もうひとりの自分』。生き返りたいと口では言っても心から願わないと『案内人』はちゃんとした案内をしてくれない。また旅している間に心変わりが起こっても同じく。10日っていうのはただキリのいい日にちを選んだだけだけど・・・とにかく戻ってくれば生き返らせるけど、戻って来れなければ生き返らせない」
 「何で今回俺になったんだ?」
 「だって丁度ほとんど同じ時に死んだんだもの。それに他の人ならともかく君になら十分『罰』になるでしょ?」
 「つまり―――」
 頭の中で整理する。周は俯く佐伯に近付き、
 耳元に、そっと囁いた。
 「生かすか殺すか。彼の全ては君次第さ。
10日と言わずすぐ扉に辿り着かせてもいい。逆に一生迷わせ2人でいてもいい。選ぶのは君だよ?」
 悪魔の囁き。頭がグラグラする。
 (景吾が・・・ずっと俺と・・・・・・?)
 それは、甘い甘い誘惑だった。跡部に全てを話し、一緒にいてくれと縋りついたら―――
 ―――多分跡部は生き返る事を諦めてくれるだろう。諦めて、死んだままで・・・・・・。
 ますます俯いていく佐伯の頭に、
 ばさりと布が被せられた。
 「うわっ・・・!」
 「答えは今すぐ決めないでいいよ。まずは彼の意志確認だ。それと―――
  ―――この試練で案内人は普通顔を隠す。当たり前だね。自分と同じ人に案内されてたなんていったら怖いもの。別に君なら隠さなくってもいいけど、まあ使いたいなら使って。中からはよく見えるから」
 渡された布を広げてみる。真っ白なフード付きマントだった。試しに羽織り被ると、マジックミラーのように外からは見えないが中からはよく見えた。
 「じゃあそういう事で、次は彼が目を覚ました時ね」
 「ちょ・・・ちょっと待ってくれ!!」
 説明し終えたとばかりに踵を返す周を、佐伯は何とか掴んで引き止めた。
 「目を覚ますって―――そういえば確認してなかったけど、何で景吾ずっと目ぇ覚まさないんだ?」
 「死んだから」
 「いやここ冥界じゃん。俺覚めてるし」
 「ナイスツッコミ☆」
 「だから何が言いたいんだよ・・・!!」
 「つまり死のうと思って死んだ君と違って、彼は本当に突然死んだんだよ。あまりに突然すぎて自分が死んだって自覚できないくらいね」
 「じゃあ今のアイツは―――」
 「『生きても死んでもいない状態』って言うのかな? もちろん現世の人間の考え方ではとっくに死んでる。心臓も呼吸も止まり瞳孔も開いて医師に死亡宣告をされた。
  ただし僕らの言う『死』っていうのは、本人が冥界に辿り着いて初めて成立するんだ。彼の場合体はしっかり死んだから辿り着いたけど、心は現世を彷徨ってる状態だ」
 「ならこっちに呼び寄せればいいんじゃないのか?」
 「残念ながら僕はあくまで冥界の管理人だ。現世は別のヤツが管理してる。でもってその管理者は真面目一辺倒でね。冥界に来る意志を示さないと―――死んだって自覚してくれないとこっちに送ってくれないんだ」
 「つまり・・・」
 「いわゆる幽霊ってトコだね、今の彼は。このまま現世彷徨ったままかも。
  別に珍しくもないからねそういうのは。意志が強い人ほどそうなりやすい」
 「そこを何とか」
 「だから僕には無理だって」
 「現世の管理者に頼むとか」
 「ヤだよ。『人の生き死には本人が決めるものだから部外者が口出しをするな』とかお説教喰らうもの。いいじゃないか退屈しのぎにちょっと位乱入したって」
 「だよなあ。本当にお堅いなあその管理者」
 「ねえ。そんな事でもしなきゃやってられないよこの仕事」
 「お前も辛いんだなあ。よしよし」
 「慰めてくれるの? ありがとう」
 ・・・・・・なぜだか異様な感じで馴染んでしまった佐伯。やはり不二に似た姿と名前はここでも威力を発揮するらしい。
 「じゃあ慰めてくれたお礼に。
  君が呼び寄せたら?」
 「え?」
 「死んでいようが生きていようが、自覚していようがいなかろうが関係ないさ。君は自分がここにいる事を彼に知らせればいい。本当の案内人―――道標になれば、自然と彼もこちらへ来ようとする。君が死んでいる事を知らないなら尚更ね」
 「なるほどなあ。で、伝え方は?」
 「さあ?」
 「・・・・・・もうひとつ手を思いついた。そこの扉開けっ放しにするっていうのどうかな? 入り口に君吊り下げといたら、兄馬鹿のアイツなら飛んでくるさ」
 「駄目ええええええ!!! 代わりにこっちからも出てくからいろいろ!!」
 「意外とちゃんと考えてんだな」
 「だってそんな事したらまた国光に怒られるし!!」
 「『国光』?」
 「現世の管理者」
 「真面目一辺倒な理由がよくわかる名前だな」
 「とりあえずそこはいいとして!!
  体と心は離れてても繋がってる筈だ。体を通じて心に呼びかければいいんじゃないかな。多分それで通じると思うよ」
 そんな周の推測に、
 他に手も思いつかないので佐伯は従ってみる事にした。
 寝転がる跡部。空っぽの体を抱き起こし、呼びかける。
 「なあ景吾、聞こえるか?」
 もちろん返事はない。冷たい体に、心と共に熱を染み込ませるよう優しく抱き締めた。
 「俺はここにいるよ? お前の体と一緒に、お前が来るの待ってる」
 髪を掻き上げ頬を撫でる。あどけない寝顔はいつまで経っても変わらない。いつも他者を睨むような目つきをするからわかりにくいが、跡部はこれでかなり童顔だ。そうからかわれるのが嫌だからわからない表情をするとも言えるが。
 「なあ、早く来てくれよ景吾。俺のところに」
 撫でていた手を下ろす。唇へと。キスをした事は1度もない。結ばれたあの日は、抱き締めあい互いの温もりを確認するだけで満足だった。その先に何かをしようなど微塵も思っていなかった。
 ゆっくりと、自分の顔を下ろしていった。冷たいが柔らかい唇。一方的ながら初めてするキスに溺れながら、佐伯はただ跡部を求め続けた。















・     ・     ・     ・     ・








 そして3日が経ち・・・





 「もう一度今の生―――跡部景吾として生きたい?」
 「ああ。生きてえ」





 迷わずそう答えた跡部と共に、
 佐伯もまた、自分の答えを見つけ出した。















 「改めて―――よろしくな、『コウ』」
 (こっちこそ、よろしくな、景吾)
 利き腕の拳をぶつけての挨拶。交わしながら、佐伯も心の中で返した。



―――AS