ここで誓う。
―――俺はぜってー、お前を幸せにする―――
Fantagic Factor
−幸せの要因−
3. 周助についての物語 <後編>
その日の夜、手塚は跡部に「つけといた代金返すな」と喫茶店に呼ばれた。
約束の15分前に店に入る。跡部はまだ来ていないだろうが一応中を見渡し、
「よお手塚」
「・・・早いな跡部」
カウンターでバーテンと何やら盛り上がっていた跡部がイスを回し振り向いてきた。
「じゃあ、奥借りますね」
「ああ。最高のコーヒー持っていくよ」
「楽しみにしてます」
そんな挨拶を残し立ち上がる。
「ここで話すのではないのか?」
「奥に個室があってな。込み入った話すんならそっちの方がいい。
―――どうせてめぇ個室なんて使った事ねえだろ? だから先来て待っててやったんだよ」
馬鹿にするようににやりと笑う跡部にいろいろ言いたい事もあったが、
『込み入った話すんならそっちの方がいい』
特に何も言わず、手塚は跡部の後をついていった。
ζ ζ ζ ζ ζ
「美味いだろ? ここのコーヒー。マスターがよくわかってる」
「で?」
「コーヒーってのはただ買ってきた豆挽いて入れりゃいいなんて思うヤツもいるが、やっぱ美味いコーヒーってのはそれなりの手間暇かけなけりゃな」
「尋ねるが―――」
「あ? 手塚てめぇ口つけてねえじゃねえか。俺様が奢ってやるんだから遠慮せず飲めよな」
「お前は一体何の話があって俺をここへ呼んだ?」
全く流されない手塚に、跡部は一瞬だけむっとした表情になった。
カップを置き、懐に手を伸ばし。
「ああそうだ。すっかり忘れてたぜ。
コレが代金な。しっかり払ったからな」
「跡部」
これも駄目らしい。跡部は笑みを消し、手塚と向き直った。
「周助と知り合いだそうだな」
「やはりその話か。
以前担当された。以上だ」
「それだけかよ?」
「他に何か必要か?」
「必要だな。
――――――てめぇが普段以上に口数少なく話したがらない理由は何なんだ?」
今度視線を逸らしたのは手塚だった。
追随を拒否するように、コーヒーの湯気で眼鏡を曇らせる。
一口飲み、
「特にそのような事はないだろう?」
「ねえんなら話せ」
「よかろう」
ζ ζ ζ ζ ζ
聞かされた内容は周助のものと変わりなかった。当たり前だが。
「―――以上だ。これでいいだろう?」
「まだだな。肝心なモンが抜けてる」
「というと?」
「てめぇは何で周助を受け入れて突き放した? 手塚」
手塚の説明は確かに周助のものと同じだった。だからこそ抜けていた。
―――手塚自身はどう思っていたのかが。
「お前に話す必要は―――」
「ねえとは言わねえよなあ? 俺だから話したくねえんだろ? 訊いたのが千石だの佐伯だのだったら話すんだろ?
なんで俺には話したがらねえ?
――――――俺にも関わりがあるからだろ? なあ手塚」
内容ほど力を込めず跡部が問う。それでもその言葉はまるでナイフのように手塚の心を切り裂いていった。
意識的に作っていた無表情の仮面にヒビが入る。苦しげに瞳を細める手塚を、
やはり跡部は優しく抱き締めた。
驚き目を見開く手塚。その耳元に、囁く。
「言ってみろ手塚。
大丈夫だ。俺は離れねえ。
俺はお前の友人だ。そうだろ?」
「跡部・・・・・・」
そこで、手塚の言葉が切れた。肩に頭を凭れかからせたまま、動かなくなる。
泣いているのではないだろう、周助と違って。別に周助を馬鹿にするワケではないが、手塚はそれほど安い男ではない。
ただ、それでも。
一切抵抗しようとしない。それが彼の気持ちを何より如実に表していた。
暫くそうさせておく。
こちらの思いが伝わったか、ぼそぼそと手塚が話し始めた。
「お前との対戦で左肩を壊し、リハビリを行った。それは後悔していない。今後のテニスプレイヤーとしての人生全てを犠牲にする事になっていたとしても、それでも俺は同じ選択をしていただろう。
―――あの一戦は、それだけの価値があった」
「ああ・・・」
耳に響く甘い言葉。短く頷き、跡部は目を閉じて聞き入った。どんな愛の告白よりも尊い――――――懺悔の言葉。
「もう一度お前と対戦したいと、そして勝ち上がっていく青学に早く戻りたいと、そう願い毎日リハビリに励んだ。
・・・そんな中で、知らせが届いた」
「『青学は順調に勝ち進んでいる』。
知らされ、ふいに思った。自分が抜けても充分勝てる青学。
――――――このまま自分がいなくても大丈夫なんじゃないのか?――――――
ってか?」
一番言いにくいであろう事を言ってやる。多分、逆の立場だったら自分がそう思っていたであろう事を。
先に言われ、むしろ安心した―――言う決心をつけたのだろう。手塚が小さく頷くのが感触でわかった。
「こんな事を言って、お前にはお笑い種かもしれない。だがあの時の、そして今の俺はテニスが全てだった。
青学の部長―――青学の柱として、皆を全国に導くのが自分の役割だと思っていた。
それだけが・・・・・・、
俺の存在意義だと・・・・・・」
それが打ち砕かれた。彼が次に頼るのは何・・・・・・誰なのだろう。
答えるように、先を続けられる。残った息を一度吐き出し、改めて吸い込み。
「何度もお前を呼ぼうと思った。お前にそばにいて欲しかった。お前に言って欲しかった。
―――『お前は俺の唯一無二のライバルだ』、と。
その言葉だけが支えだった。その言葉を、もう一度聞きたかった・・・・・・」
僅かながら手塚が動いた。手に力を込め、こちらの袖を握り締めてくる。
震える肩が、とても小さく見えた。
「だが、呼ぶ事は出来なかった。
お前が求めるのはこんな弱い俺ではあるまい?
お前がもう一度会いたいのは、『唯一無二のライバル』たる俺だろう?
・・・・・・そう、思って」
「・・・・・・・・・・・・」
あえて、跡部は何も言わなかった。
手塚ももうわかっているだろう。だからこそ、そうではない己を自分の前にさらけ出す。
(なるほどな・・・)
半ばどうでもいい事ながら、1つ納得する。
どうりで周助が派遣されたワケだ。この辺りの葛藤が、感知(とでもいうのだろうか?)されたのだろう。
抱き締めた片手を動かし、頭をぽんぽんと撫でる。そういえば周助にもよくやっている事。
2人が似ているからだろうか―――少なくとも、深く考えすぎる点ではそっくりだ―――、手塚もまた、跡部の腕の中で安心したように力を抜いていった。
完全に抜け、更に暫く。
手塚と、そして自分の傷が癒えるまで充分待ってから。
「それで、悩むお前のところに周助が来た・・・ってか」
跡部はそう呟いた。手塚の体をそっと引き剥がしながら。
2人の立ち位置が完全に変わってしまった瞬間。周助が来て手塚は立ち直り、逆に跡部は・・・・・・。
離れ行く跡部の、上げられない顔と歪められた口元を見て何かを悟ったのだろう。手塚の目が僅かに見開かれた。
離れる腕を掴んで引き止めかけ、止める。あの時選ばなかったこの手を、今更求めても意味がない。
揺らいだ心をため息で戻し、手塚は言葉を続けた。
「先程お前は、なぜ俺が周助を受け入れたか訊いたな?
周助が俺を受け入れたからだ。
こんな俺を助けるという。最初に聞かされた時は笑いたくて仕方なかった。ついに赤の他人にまで心配されるほど俺は情けなくなってしまったのかと」
淡々と言われるからこそ、その胸に渦巻いたものはとてもよく伝わった。
「それでも俺は跳ね除ける事が出来なかった。事実助けが欲しかった。
こんな俺を、誰かに認めてもらいたかった・・・・・・」
周助はまさにぴったりだったという事か。聞いた限りでは、周助は本当に手塚を慕っていた。嘘などとは無縁そうな無邪気な様でじゃれ付かれれば、さぞかし気持ちの良いものだっただろう。
卑屈な気持ち―――周助と手塚、どちらに持っているのだろう。多分正解は、そんな事を思ってしまう自分に持っているのだろうが―――に任せるまま口だけで笑みを浮かべ、尋ねた。
「んで、心も躰も気持ち良くさせてもらった、ってか?」
「ワケはなかろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あん?」
即答する手塚に、跡部は実に珍しく呆けた。ヤっていないというのは周助の話で聞いてはいたが・・・
(何で今ので通じんだ・・・・・・?)
自分が知る限り、手塚は相当にニブい筈だった。恋愛ごとなどに興味はなく、世間話ですら敬遠されるのに下世話な話を持っていける勇者など周りにいるわけがない。唯一自分自身がそうなのだろうが、自分は手塚にその手の話をした事はない。
「む?」と返される事を前提で訊いたのに、普通に答えられてしまった。それはそれでひっじょ〜〜〜に気になるところだが。
(違げえ違げえ。今訊きてえのはそこじゃねえ)
心の中で自己完結をし、虚空にあるいは自分に向かって首を振る。
・・・そんな跡部は、手塚から見て実に奇妙な人だった。無言のまま暫し見守り、
跡部が戻ってきたところで問い掛けた。
「お前なら気付いているのではないのか? 周助は―――」
「抱かれるのを嫌がる」
再び先回りして答える跡部。この程度もわからないのかと思われるのが癪だった。
手塚もうむと頷く。
「やはり治らないか。『治す』必要もないとは思うが」
「口では抱いてと言いつつ嫌そうだったから抱かなかった、ねえ。
てめぇがンなに考えるヤツだったとはなあ」
「当然だ」
からかう―――しかしながらその奥に全く悪意を込めない跡部の口調に、手塚も珍しいほどに大きく首を振った。こういったおふざけはこの2人ならではだ。
真面目モードに戻り。
「お前が―――お前達がどうやってそれを乗り越えたのかは知らない。だが俺は、たとえ必要であろうと周助を抱く事は出来なかった。
アイツは俺にテニスを教わる友人だ。それだけで充分だ。それ以上にも以下にもなりたくなかった。その関係を、壊したくはなかった」
「そうやって意地張って、結局壊した・・・ってか」
容赦ない言い振り。手塚の視線が下に落ちていった。
テーブルに肘をつき、組んだ手に額を乗せ。
呟く。多分先程の跡部と同じ笑みを顔に乗せ。
「他に何を選べというんだ? 抱けか? 全て話し納得させろか?
選べたなら誰も苦労はしない。抱いてしまえばもうアイツの笑顔は見られない。全て話したところで決して納得しはしなかっただろう。
他にはなかった。アイツを天界に帰らせる方法など。
少なくとも、俺には・・・・・・・・・・・・」
やはり跡部と同じだったらしい。自嘲を浮かべ、手塚が懺悔を終わらせた。
周助を死なせたくなかった。思ったのはただそれだけだ。たとえどんなに苦しめたとしても、それで生かしてやれるのなら自分は喜んで憎まれ役を買って出よう。
助けるためなら、どんな事でもやる。どんな犠牲でも払う。
それが、自分を助けてくれた周助への恩返し。
それが、
――――――周助を愛した、自分に出来る精一杯の愛情表現。
それは一般で言われる『愛』とはまた違うものなのかもしれない。だが自分の想いにランクをつけるとしたら、周助へ寄せたそれは間違いなく最上級。
だが・・・
少しだけ顔を上げ、髪の隙間から覗き見る。目の前の男―――現在周助と共にいる彼を。
思う。
本当は・・・
・・・・・・・・・・・・他に、方法があったのだろう・・・・・・、と。
あったからこそ、跡部は今も周助と共にいる。
あったからこそ、跡部は自分の話を聞きにきたのだろう。まさか悔しさを分かち合うためでも、ましてや自分にヒントを貰いに来たワケでもあるまい。
ふいに、目に浮かぶ。昼間の情景。
周助は、自分に対して怯えながら―――
―――跡部に縋っていた。
それは、ただ自分から隠れたくてそれだけを思った無意識の行動かもしれない。だがそれでも、
縋ったのが跡部であり、彼もまた周助を受け入れた。それだけが事実。厳然とした、決して何者にも引っくり返せない真実。
俯いたままの手塚からは目を外し、跡部は残っていたコーヒーを一息に飲んだ。
聞くべき事は全て聞いた。言うべき事は何もない。
周助を『勝ち取った』自分が何を言っても、それは屈辱をより増やす事にしか繋がらない。
「んじゃそろそろ行くな。代金はしっかり渡したからな」
必要なだけの挨拶(+確認)をし、それだけで席を立つ。手塚からの返事はなかった。
別に何もいらない。今生の別れではないのだから。
この程度で切れる自分たちではない。言葉を交わさなければ繋がれない程弱い関係ではない。
背を向け、コートを着込む。その後ろで、
―――手塚が顔を上げた。
跡部の背を真っ直ぐ見つめ、
問う。
「お前は、周助を幸せにする事が出来ると思うか? 跡部」
帰り仕度をする背が、ぴたりと止まった。
振り向く。
目が合う。
その目は―――
――――――いつも通りの、自信に満ち溢れた帝王の目だった。
薄く笑い、跡部が言う。
「ああ? 周助を幸せにするかって? そりゃするに決まってんだろ? なあ」
さも当然のように言い切られた。
「なあ?」と振られた以上、ここは一応答えるべきなのだろう。残念ながら今日は樺地もいない。
振った跡部を見る。誰もを魅了する笑みを浮かべる彼を。
何が彼の魅力なのだろう。人を全て己に従わせるカリスマ性か? 先頭に立ち前へと進む雄々しさか?
(違う・・・のだろうな。少なくとも、俺が惹かれるお前というのは)
全ての者を受け入れる器の深さ。誰もを愛する慈悲深さ。
自分をも受け止めるその腕でなら、きっと周助を抱き締める事も出来るのだろう。
息を吐き、手塚が小さく微笑んだ。もうその顔に自分への嘲笑いは浮かんでいない。
肩の荷が下りたかのような穏やかな顔で、肯く。
「そうだな」
ただ思う。
――――――周助が彼の元へ訪れて良かった・・・・・・・・・・・・。
―――3エピローグへ