2.恋愛トラップ
〜陥れられたのは〜
間違いだらけの使用人生活2 専属執事の場合
その日は、跡部が仕事に出かけなかった。
ぱたぱたとあちこち動き回る不二。その最中、たまたま2階ベランダにあるテラスにて2人を発見した。小さな丸テーブルにつき何かを書いている跡部と、お茶セットの載ったカートを押してそこに近付く佐伯を。
「景吾、お茶いらないか?」
「・・・・・・・・・・・・で、今度は何仕込んでやがる?」
「そうかいらないか。じゃあそこいらにいるメイドとでも―――」
「いらねえたあ言ってねえだろ!?」
「だったら最初っからいるって言えよ」
「・・・・・・・・・・・・。
ああいるよいるっつったらいーんだろ。くっそ・・・・・・」
「やっぱり―――」
「さっさと置いてけ」
ドスの入った跡部の声に、やれやれと言わんばかりに佐伯が肩を竦めた。竦めて、手早くお茶の準備をしていく。その辺りの所作はさすがに慣れているようだ。
「はい」
「ありがとよ」
跡部にカップを渡し、ついでに手元を覗き込む。
「何やってんだ?」
「見りゃわかんだろ? 仕事だ」
「今日休みって言ってなかったか?」
「休んでんだろ?」
「・・・・・・。家にいる=休む、って考え方のお前もどうかと思うけどさ。
少しは気、抜けよ?」
一方的に言うだけ言い、佐伯が離れていく。そのまま去るのかと思いきや・・・
「・・・・・・何やってやがるてめぇは」
「ん? 『休んでる』」
自分の分のカップを持ち、跡部の座るイスの背もたれに軽く腰掛けのんびりとお茶を飲み始めた。
「忙しい奴のそばでさも暇そうにくつろぐって、すっごい贅沢な気しないか?」
「『忙しい奴』の代表として答えてやる。
―――張り倒すぞてめぇ。
ったく・・・・・・・・・・・・」
ため息をつき、跡部もまた書類を脇に片付けお茶を飲み出す。
のんびりとした空気が流れていた。お互いに何か話すわけでもなく、どころか背中合わせのままだというのに、それでも2人はとても仲がよさそうで。
「・・・・・・・・・・・・」
(『専属執事』、か・・・・・・・・・・・・)
何の意味を込めてかこちらもため息をつき、不二はテラスへと続くその部屋を通り過ぎようとした。そこで、
後ろから、呼びかけられる。
「あ、周さん。よかった。忍足さんが探してましたよ」
「わかりました」
頷き、鳳の後についていく。一度だけ振り返り―――
「何か用事ありました?」
「え? いいえ・・・・・・」
「そうですか。てっきり佐伯さんが呼んでたのかと思いました」
「サエ・・・きさんが?」
「ええ。いたでしょ? そこに。跡部さんと一緒に」
確信を持っての鳳の言葉。首を傾げる不二に気付き、
「ああ。あそこは跡部さんも佐伯さんも気に入ってるみたいで、今日みたいに天気よくって温かい日はよくいますよ」
「そう・・・なんですか。
でも、跡部様はともかく佐伯さんは何をやっていらっしゃるんですか?」
「さあ? 特に何も。
もしかしたら何かやってるのかもしれませんけど・・・・・・。普通にお茶入れて、後は普通に飲んでるだけですよ。いつも見てる限りでは。
―――ああ、後しょっちゅう邪魔してますね。って言ったのバレたら後で怒られるの確定ですけど」
「それじゃそれこそ―――」
(モロに『うぜえ』の対象じゃあ・・・・・・)
思うのだが・・・・・・
「いいんじゃないですか? そりゃ一見追い出そうとしても居座られてるって感じですけど、本気で邪魔なら跡部さん容赦なく締め出すでしょうし。
俺と・・・あと樺地って跡部さんの仕事上の秘書がいるんですけどね、俺達2人は本当に小さい時から跡部さんに仕えててよく知ってますけど、その上で断言します。跡部さん、基本的に他人は受け入れませんよ? 本当に内と外の区別はっきりした人ですから」
「じゃあ、佐伯さんは相当に気に入られてるんですか?」
「そう、とも、違う、とも言えますよ。内と外の区別ははっきりしてますが、逆に内に入ればかなり誰にでも親しくしますし、跡部さんは。
ホラ、使用人たちとも普通に話してるでしょ? 俺はずっとそれが普通だって思ってたんですけど、特に佐伯さんなんて初めて来た時、『はあ!?』って凄い驚いてましたよ。―――ああ、佐伯さん、元々青学の人で氷帝[こっち]には学業目的で来たそうですよ。よっぽど青学と氷帝って違うのかなあ?」
「へえ・・・・・・」
何とも言いようがなく、とりあえず返事をする。
そして、ふと思った事を尋ねた。
「じゃあ、佐伯さんって何でここで執事をやってらっしゃるんですか? 学業目的なら他の仕事に就いた方がいいと思うんですけど・・・」
「それですか? その辺りだったら俺にもわかるや。
―――でもそれを言う前に1つ。周さんは、氷帝の政治関係って詳しいですか? 特に王とかその周りについて」
「えっと・・・、ごく基本的な事でしたら。
氷帝帝国って王『家』と言える存在はないんですよね? 完全実力主義で実力のある人が国の経営に参加、引いては『帝王』になって。そしてその資格がないと判断されたら即座に落とされて。
現在の王は跡部様のご両親で、次期王の最有力候補が跡部様、なんですよね?」
「凄いですね。正解。ひとつ訂正しておくと『最有力候補』って言うと跡部さん怒りますよ。実力の上でも人望の上でもほとんど確定ですし、争える存在なんて他にいないですから。それこそ現帝王たる跡部さんのご両親くらいしか。
ところで周さん、これは別に詰問でも何でもなくただの俺の素朴な疑問なんですけど・・・
――――――周さんって氷帝の人じゃないですよね? もしかして佐伯さんと同じ青学の人だったりしません?」
「え・・・・・・?」
いきなり問われ、足を止めて驚く。別に何か怪しい行為をした覚えはない。見分けなんてつかない筈だ。なのに・・・・・・
呆ける不二に、まさかそこまで驚くとは思わなかったか鳳がむしろ慌てて両手を振った。
「あ、いえ、別にだからなんだって事はないですよ? 働くのは氷帝の人じゃなきゃ駄目とか出身国により差別があるとかそんな事は絶対に!
本当にただ、あの、そのちょっと思っただけです! 俺そんないろんな人と触れ合う事なんてあんまりないですし、もしもよかったら周さんの国の話とか聞かせていただきたいなって思ったくらいで・・・!! ああいや、そんな強制とかじゃないですよ!? ちょっと後学のために聞いてみたな〜っと・・・・・・!!」
「え!? いえいえそんな頭を下げないで下さい! 確かにそんな出身国で差があるようにも見えませんし別に隠してたとかそんなワケでもなくただ言っていなかった程度の事ですし、もちろん訊かれたらいうつもりでしたし国の話なんてそれこそいくらでも・・・・・・!!」
互いに混乱してだんだんワケがわからなくなっていく不二と鳳。プッ、と同時に噴出し、
「ええ、そうです。私も青学から来たんですよ。まあ私は流れ流れですけど」
真実ではないが嘘でもない。完全でっち上げよりはそっちの方が何かと便利だ。その辺りの理屈は名前と同じく。
「でも、鳳さんよくわかりましたね?」
それこそ単純に問う不二に、鳳が照れたように頭を掻いた。
「ほら、周さん、最初に跡部さんに挨拶した時お辞儀したでしょ? その時あれ?って思ったもので」
「お辞儀で、ですか?」
「ええ。少し話飛びますが、佐伯さんってお辞儀する時特徴ありますよね―――ってそう思うのは俺だけかもしれませんけど、利き手胸に当てて逆の手は下げたままで・・・・・・」
「ああ、あれ・・・ですか・・・・・・」
利き手を胸に当てて一礼。青学ではごく普通のお辞儀の仕方だ。膝まで折るのはさすがにかなり位に差がある場合だが、むしろ鳳が言っているのは手を胸に当てて云々についてだろう。
「氷帝だと男性女性どちらもおへその前に両手を合わせてするんですよ。それでその違いについて佐伯さんに尋ねたら、青学では胸に手を当てるのが忠誠の証だって言ってたもので。
それでこんなところでも国ごとに風習の違いがあるって知ったんですけど―――やっぱり手を胸に当ててお辞儀してた周さんを見て、もしかして周さんも青学の方なのかな、って思ったんですよ」
「へえ・・・。そうなんですか。今まで全然疑問に思った事なかったですね。そんなところは」
「あはは。俺も最初佐伯さんの見てすっごい不思議だなーって思いました。氷帝だと両手をしっかり見せないとむしろ失礼なんですよ。武器を持ってるって見なされますし」
「え!? じゃあ―――!!」
「ああ、跡部さんは大丈夫ですよ。ご両親と共に外交もよくやってますから青学式ももちろん知ってるでしょうし、そもそも礼儀とかはあまり気にしませんから」
「確かに・・・・・・」
それこそ失礼な事だろうが、跡部のあの口調と性格はどう考えても『礼儀』を重んじているようには見えない。
「―――まあ、佐伯さんと忍足さんが来て以来、ますます拍車がかかったようですけど」
「え・・・? それって・・・・・・」
ぼそりと続けられた言葉に―――というかその中での『佐伯』のフレーズに敏感に反応する不二。
「話がかなり飛んでたんですけど、王『家』じゃない以上跡部さんがたとえ現王の息子とはいえ別に王を目指す必要はないんですよ。逆に王にするため教育する義務も。
そんな感じで跡部さん、普通に―――とはいっても氷帝の中でも最高レベルのですけど―――学校に行って学んでたんですけどね。そこで忍足さんとか宍戸さんとか、それに佐伯さんとかと会ったそうです。さすがにその理由は知りませんけど、佐伯さんは跡部さんと同じように国について学んでいたようで、それで意気投合した結果、卒業後ここで働くようになったそうです。跡部さん、真剣な―――と言いますか、貪欲な人程気に入りますから。確かに佐伯さんって凄いですよね。ここ来てまだ5年しか経ってないのに、もう生まれた時から・・・どころか何十年も仕えてるみたいに仕事こなして。元々頭もいいんでしょけど、それ以上にそれだけ努力したんでしょうね。元々いた国だって違うから氷帝の事は一から勉強したでしょうし。跡部さんが引き入れた理由凄くよくわかりますよ。俺も尊敬します」
「へえ・・・・・・」
先程の彼の言葉を使うならば、それこそそれが普通だったから意識していなかった。だがやはり、身内を誉められるのは悪い気はしない。
「そういえば、忍足さんも言ってましたね。少し違いますけど、跡部様も佐伯さんも厳しいって」
「言えますねそれ。どころか佐伯さんなんて一見甘やかしてるようでその実跡部さん以上に厳しいですよ。失敗する位ならともかくそれに対して何のフォローもしなかったりしたら問答無用で即刻クビですよ。この辺りに関しては跡部さんも同意見みたいですから庇ったりなんかは絶対してくれませんし」
「そんなに、ですか?」
「ああ、失敗自体は別にやっても平気ですよ? それこそ跡部さんだって佐伯さんだってしますし。ただそれを誤魔化したり他人に責任押し付けたりとかそういった事が2人とも嫌いみたいですね。そもそも人に何かやってもらおうっていう他人任せな精神が何より嫌いな人たちですから。とりあえず失敗したら即座に謝って、それでどうしたらカバー出来るか考える事を勧めます。成果そのものよりその過程を見て人を判断しますから、2人とも。何にしろ、そういう事含め『ちゃんとやれ』ばすぐに気に入ってもらえますよ。なにせその代表例が佐伯さんなわけですし。
―――ああ、何か長くなっちゃいましたね。すみません。忍足さんには俺から謝っておきます」
「あ・・・・・・」
そういえば、忍足に呼ばれて行く際中だった。
2人で再び噴出す。
「忍足さんには2人で謝りません? 人に責任押し付けるのはバツ、でしょう?」
「それもそうですね」
ψ ψ ψ ψ ψ
「やっぱいたの周ちゃんだったんだ」
「わかってたのかよ、てめぇ」
「だから『そこいらにいるメイドとでも』って言ったんじゃん。他の人なら見物なんてしてないでさっさと素通りしてたよ。
―――にしても困ったな」
「あん? 何がだよ」
ようやく不二の元いた方から視線を戻してきた跡部に薄く笑い、佐伯は腰を上げるとカップをテーブルに置いた。
空いた手を跡部の手に重ね、そのまま後ろから跡部を抱き締める。
耳元に口を寄せ、
「俺とお前がこんな関係だって思われてたりして。結婚前にそういうゴシップはさすがにマズくないか?」
囁いた、その耳を舐める。
「思われたら・・・・・・てめぇのせいだからな」
「俺だけ? 責任の押し付けはよくないだろ」
さらに、頬にキスをしようとしたところで―――
パン―――!
拘束していた手を跳ね除け、跡部が立ち上がった。
「思われたくなきゃンなトコで手ぇ出してくんじゃねえ」
振り向きもせずテーブルの上のものを片付けながら言ってくる。警戒心バリバリの背中へと、佐伯はくつくつと笑って話しかけた。
「『ンなトコで』、ねえ・・・。
―――じゃあ部屋で待っててくれよ。好きなだけ、手出してあげるから」
「てめぇが一生待ってろ」
「それもいいな」
笑みのまま、片腕だけ引く。さすがに反応が早い。体を捻り、勢いよく振り向いてきた。
振り向いたばかりのところを、一瞬だけ掠めるようなキスをする。先ほどのリベンジ。
「ほら、俺だけのせいじゃないだろ?」
「言ってろ馬鹿野郎が」
心底呆れた様子でボヤき、跡部が室内へと戻っていく。その後姿に向かっていつもどおり胸に手を当て一礼し、
「さって、と・・・。本気で周ちゃんはどんな風に思うかな?」