2.恋愛トラップ
〜陥れられたのは〜
内の内―――主の部屋
不二がメイドを辞めようかとそう思った次の日。告げるために佐伯の部屋へ行こうとして、
「―――あ、周ちゃん」
「サエ・・・・・・」
向かいから来た当人と、ばったり出会った。
「あの―――」
「丁度良かった。周ちゃん、悪いけどアイツ―――もとい景吾様、今日1日世話しといてもらえない?」
「え・・・・・・?」
こちらを遮り一方的に言い放つ佐伯。さらに一方的に、手を取り逆向きに歩き出した。
「えっと・・・・・・」
「実は昨日、アイツめちゃくちゃ怒らせてさ。罰として今日中に裏山行ってグズリの実取って来いなんて言われちゃったよ」
「グズリの・・・って・・・・・・」
グズリの実。温かい地方に生える木の実で、甘くてみずみずしいためデザートとして多くの者に好まれる。ついでに言うと・・・・・・この生息条件のためわりと涼しい氷帝には生えていない。
「かなり無理じゃない? 今日中に青学行って帰ってくるのは」
「まあね。だから『罰』なんだし。でもとりあえず主の命令である以上やらないと。
―――というわけで今日1日いなくなるからその間よろしく」
「・・・・・・。もしかして、むしろサエの方が―――」
嫌がらせ? そう訊く前に。
「ココここ。主の部屋は」
急に止まった佐伯が目の前の扉を指差す。何の変哲もない扉。丁度その向かい側にある佐伯の部屋と比べても・・・・・・
「本当に?」
疑わしげな目で問う。使用人と主との部屋(の扉)の違いがさっぱりわからない。
「まあ、初めての人は大体そんな反応するけどね。一応本当。他の奴ならまだしも専属執事が主の部屋間違えたら笑い話にもならないだろ?」
「そりゃ、そうだけど・・・」
「じゃあそういうことで」
曖昧な頷きで解決されてしまったらしい。佐伯が胸ポケットからカギを取り出す。これまたごくごく普通のカギ。
軽い―――なんだか住人に比べえらく頼りなげな音でカギも扉も開かれる。当たり前だがカギがかかっている以上中に誰もいない。
「それじゃ、頑張って」
カギを胸ポケットにしまい軽くそう言う佐伯。戸惑う不二を残し立ち去ろうとして、
「ああそうだ。
―――周ちゃん、世話してる間アイツの事呼ぶ時は苗字じゃなくって名前で言ってくれない? なにせ『跡部家の』じゃなくって『景吾の』専属なわけだし」
「う、うん」
「じゃ、頑張ってね」
もう一度繰り返し、
そして佐伯は本当に去っていった。
「これが、跡部・・・・・・じゃなくって『景吾様』の部屋か・・・・・・」
部屋内を見回す―――ほどの事でもなかったのだが。
広い部屋の壁に埋め込まれた棚。大きく取られた窓と、カーテン揺れる脇に置かれた1脚の丸テーブル。そして中央に、シングル―――とはいえそこらのダブルベッドより大きいベッド。総じて『ちょっと広めで殺風景な1人部屋』だ。
と―――
「ん・・・・・・?」
微妙な違和感を感じ、見回していた首を止める。
「なんだろ・・・?」
形のない違和感は、形ないまま消え去っていた。止めた首をしょうがないから傾げてみて、
ふいに気付く。
「これ・・・・・・」
丸テーブルとは別に、端に置かれていた物書き机。インクと共に上に置かれていたガラス細工の付けペンは・・・・・・
「僕がサエにあげたやつじゃないか・・・・・・」
佐伯が跡部にあげたのか? いや違う。佐伯はそういったことはしない。どうでもいいものは本当にどうでもよく扱うが、大切なものは自分の手元から絶対に手離さない。小さな頃誕生日にあげたそれは、彼も気に入っていたはずだ。現にわざわざここまで持ってきている。
さらによく見る。ペン立てに立っていたペンは2本。脇に置かれたインクも黒と赤それぞれ2つ。
「―――っ!」
違和感の正体がようやくわかった。丸テーブルに設置されたイスの数。そして今のペンとインクの数。さらにその他諸々。挙げればいろいろ出てきそうだが―――総じてこの部屋は妙なところで物の数が多い。
「余分に置いてる・・・ワケじゃないだろうし」
これは屋敷全体に言えることだが、基本的に必要以上の物を置かない。どうやら当主である跡部の好みによりらしい。ならばそれが一番反映されるはずの彼の部屋でなぜこうも余分なものが溢れ返っている?
「これじゃむしろ・・・・・・」
言いかけて、
不二は『その可能性』に息を呑んだ。確かめるため適当な洋服棚を開く。跡部のらしきスーツと共に・・・・・・
・・・・・・執事服がかかっている。
「一緒の部屋で、暮らしてる・・・・・・?」
信じがたい事だ。いくら専属執事とはいえ―――いや使用人だからこそ、主との線引きはより顕著なものになる。必要以上の侵犯は使用人として絶対してはならない行為だ。
がちゃ―――。
再び頼りなく、ついでに遠慮なく響く扉の音。ばっと振り向く不二の前に、
「何やってやがる? てめぇ」
入ってきた主が僅かに驚いた様子で呟いていた。
急いで棚を閉め、改めて向き直る。佐伯に言われた事を反芻させ。
「景吾様、部屋の掃除に参りました」
それを聞き、なぜか跡部の目がさらに開かれる。
お辞儀していた不二に気付かれない内にそれらの動揺を全て消し、跡部がため息をついて訊いた。大体の事情は察した。
「佐伯にでも言われたか?」
「はい。今日1日景吾様の世話を頼む、と」
「で? あの野郎は人の世話勝手に他人に押し付けてどこ行きやがった?」
「景吾様に命じられるままに、裏山にグズリの実を捜しに」
「くっそ・・・! 3倍返しのつもりかあいつは・・・・・・!」
「あ、あの・・・・・・」
頭を掻いてボヤく跡部に、不二がおずおずと声をかける。もしかしなくとももの凄く悪い事をやっていないだろうか、自分は。口にこそ出さないものの、跡部の様子は如実にそう物語っていた。
本人も気付いたのだろう。もう一度ため息をつき、
「んじゃとりあえず掃除は頼んだ。後別に他の世話はしねえでいい。用があったら呼ぶ。元々大して世話させる事もねえしな」
「そうですか。では・・・」
と気まずい雰囲気から逃げるように掃除にかかる不二。その背に、さらに質問を重ねる。
「そういや、どうやってここ入った? カギかかってただろ?」
「ああ、佐伯さんに開けて頂きました」
「んで?」
「え・・・?」
「そのカギどうした? なきゃ閉めらんねーだろ?」
「あ・・・・・・」
そういえば、扉を開けた後カギは再び佐伯が持っていってしまった。掃除をした後跡部が来るまで待てという意味だったのだろうか?
呆ける不二に、跡部は先程までとは微妙にニュアンスの異なるため息をついた。
「ここの掃除が終わったらでいい―――つってもすぐ終わるだろうけどな―――。向かいの部屋も掃除しとけ」
「え? 向かいは・・・・・・」
「知ってんだろ? 佐伯の部屋だ。カギは特にかかってねえ。勝手に入れ」
「・・・・・・はい」
つまり、入って確かめろということらしい。それ以上の説明はしないまま、跡部は扉を閉め立ち去っていった。