3.D.D.
            〜深遠より出ずるもの〜






  真実と現実 真実について


 跡部と由美子の結婚まであと3日。
 あの日の事を表面上なかった事にして、この夜もまた、佐伯は跡部の眠りを促したいのかそれとも邪魔したいのかどちらとも判断付かない様子で、仰向けで横たわる彼に被さりつつ髪の毛を梳いていた。
 「もうお前も夫になるんだな。少し前までは―――って全然変わってないか」
 「おい・・・・・・」
 「いやだってお前、本気で感傷浸れるほど変わった自覚ないだろ?」
 「ぐ・・・・・・!」
 「ここまで来るともう結婚しようが何しようが変わりそうもないよな。由美子さんも大変だ」
 「ならまずてめぇが変われよ。てめぇの方がよっぽど変わってねえじゃねーか」
 佐伯の手を避けるように顔を横に向ける跡部。前髪を掻き上げる彼自身の手に隠された先で。
 佐伯は薄く微笑んだ。
 「そうだな」
 「あん?」
 いつになく素直な返事。跡部は結局顔を上に戻した。
 顔が近付き、右頬に手が伸び―――
 目を閉じる跡部だったが、微かに開いた唇には何も来なかった。
 冷血漢のようでいて、それでもやはり温かい感触が来たのはおでこ。
 疑問を乗せた目を開く跡部の前で、額から顔を離した佐伯は先程跡部が見損ねたのと同じ笑みを浮かべ、手を滑らせた。
 頬から顎、そして咽元へ。
 そこで一瞬だけ手を止めた。
 躰を起こし、完全に跡部を跨いだ状態で両腕をぴんと張り、
 「おやすみ」





ψ     ψ     ψ     ψ     ψ






 かちゃ―――。
 後ろ手にドアを閉める。2度と開く事のない彼の寝室[プライベート・ルーム]。
 粘つく金属音を名残惜しげに聞き、消えた後それでも名残惜しげに佐伯はドアに背を預けた。
 一息、無音で息を吐く。その耳元に、
 「やめるの?」
 「周ちゃん・・・・・・」
 横手から声がかけられた。いつからそこにいたのだろう。今ではすっかり慣れたメイド服姿のままの不二が、こちらを見て首を傾げていた。
 (―――じゃ、ないか・・・・・・)
 微妙に彼の視線はずれている。少なくとも目を見てはいない。だからこそ顔を上げ、彼の碧い瞳を見つめてみても特に目立った反応は見せない。
 「『何を』、にする?」
 肝心な部分の抜けた質問。恐らくどれにしたとしても
Yesとしか答えられないだろう。自分は今、考えうる全ての物事をやめてきた―――あるいはその決心をした。
 「何・・・・・・でもいいけどね」
 「じゃあやっぱり全部だね。
  この仕事も今日で辞めるよ。正確には明日辞表出してだけど。
  景吾を殺すのも止めた。辞表受け取ってもらわなきゃね。こういうケジメははっきりつけるのが好きな奴だし。
  でもって―――」
 「愛するのも、やめた?」
 「よくご存知で」
 ゆっくり呟く不二に、茶化して応える佐伯。笑顔の両目から一筋ずつ流れる雫からもまた、不二は視線を逸らした。
 下ろされ、落とされ、足元まで到達した視線。俯いたまま、問う。
 「恨んでる? 僕の事、姉さんの事、家の事・・・・・・」
 「いいや?」
 軽く首を振る佐伯の目からは、もう涙は流れていなかった。
 「むしろ感謝してるよ。不二家との結婚になってよかった。由美子さんなら大丈夫だ。きっとアイツも上手くやっていける」
 遠くを見る瞳。優しげに細めるそれが見るのはかの想い人の未来か。ならば自分は?
 「サエは?」
 「俺?」
 「サエは、これからどうするの?」
 心配げに、再度不二が尋ねた。
 自ら束縛していた鎖を断ち切った佐伯。『自由』となった彼は一体どこへ行くのだろう。
 「そうだな・・・・・・」
 問いかけの意味を正確に察し、佐伯は不二から視線を外し、首を上へと向けた。
 「氷帝でいろいろ学んだし、今度は山吹にでも行ってまた違う事学ぼっかな・・・とか思ってたけど―――」
 「けど?」
 きょとんとする幼馴染へと、顔を戻す。
 右手でくしゃくしゃと頭を撫で、にやりと笑った。
 「青学に戻るのもいいかもね。執事のバイト、募集してたりしない?」





 ドアの中で。立ち去らない足音の主の言葉を聞きながら。
 「馬鹿野郎が・・・・・・」
 跡部はぼそりと呟いていた。
 首筋に手を当てる。少し前に絞められた首。苦しませないようにと頚動脈だけを狙い、なのに最も苦しませるかのように一瞬しか意識を失わせてはくれなかった。
 そして、初めて聞かされたアイツの『真実』。ずっと、それが欲しかったというのに・・・・・・
 (最後まで嫌がらせばっかかよ・・・・・・)
 あんな話を聞かされたら、辞めさせざるを得ないではないか。
 聞かされなければ、提出された辞表を前に少しくらいは混乱出来たかもしれないのに。
 (何が『ケジメははっきりつけるのが好きな奴』だ・・・・・・!)
 殺すのが無理なのならばいっそ、何も知らない間に出て行って欲しかった。
 次に目が覚めた時、もしも痕跡無くいなくなっていたとしたら。もしかしたらそうしたら、佐伯という存在そのものが虚像だったのだと、そう偽ることが出来たかもしれないのに。
 「くそっ・・・・・・!」
 掻き上げる髪の下で歯軋りする。仰向けのままの彼の両目からは、一筋ずつ雫が流れていた。



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