3.D.D.
〜深遠より出ずるもの〜
閉塞と解放 跡部の場合
妻のいない、1人の部屋。使用人たちに任せられない重要書類や実印などの入った引出しを整理する最中で―――
「―――ん?」
跡部は奥から出てきたものを手に、驚いたような声を上げた。
「こりゃ、あの部屋のカギじゃねえか」
それは、寝室のカギだった。自分と、そして専属執事であった佐伯のみの持つカギ。その事実が証明するように、そこへ入れるのは―――入る資格を持っているのは自分の他には佐伯1人だけだった。かつて一度メイドとして来ていた不二が中に入った事はあったが、その時ですらカギは佐伯が開けていた。
「そういや、アイツに返させんの忘れてたな」
暫くじっと見つめ、まるで本人にそうするかのように自分の顔へと近づけ・・・・・・
唇を触れさせる。
「ん・・・・・・」
舌で舐めて、口に入れて。軽く吸って、歯を立てて。
ただの金属。味気ない冷たい感触。それでも現在彼と自分を繋ぐ唯一のもの。そう思うだけで、押さえ込んでいた躰の疼きが蘇る。
ずるりと引き抜き、唾液のついたそれを潤んだ瞳で眺め、
跡部は立ち上がり部屋を出た。
「忍足が欲しがってたっけか。掃除出来ねえって。ま、使ってなきゃンなに汚れもしねーだろ」
向かうは意図的に造られた『開かずの間』。彼がここにいたのだと、唯一証明するその部屋へ。
カギを開け、中に入る。当り前の話出た時と変わりのない部屋。違いといえば、少し埃っぽくなっていることか。使わなくなってからそれほど経つわけではないが、それでも誰も使わない部屋というのはその事実だけで埃っぽく感じるものだ。
「どっちかっつーとあの野郎が几帳面すぎるからか」
自分の部屋は掃除どころかロクな手入れすらしなかったクセに、佐伯はそうそう汚れもしないこの部屋を綺麗に保つ事は決して怠らなかった。怠ったのはせいぜい―――敷地内に生えてもいない木の実を取って来いと無茶な命令を出して1日中捜索させた日や、テニスをやり頭にボールをぶつけ昏睡状態に陥れた日や、雪降る真冬に防寒具なしで一晩外に放り出し肺炎にまで追い込んだ日―――そんな程度か。
『需要と供給のバランス、ってトコかな? 1番よく使うところを1番綺麗にするのは別に理に反する事じゃないだろ?』
確かに出ろと言おうがこの部屋に入り浸っていた彼にとってはごく自然な事か。自分の部屋は月1回も使用していなかっただろう。5年居座った割に掃除する必要のないほどの綺麗さ―――ついでにもちろん修復する必要も一切なかった―――を誇る彼の部屋には、入った忍足も呆れ返っていた。
『めちゃめちゃ部屋のムダ使いやったな。お前の屋敷、無意味に広い思とたけどやっぱもうちょい狭めてええんとちゃう?』
『うるせえ』
そんな皮肉すら飛ばされるほど主の存在の希薄だった部屋は、それでも在はした年月に反し僅か1時間程度で完全にただの『空き部屋』となった。
後彼の痕跡が残るのはここだけ。
襟元を緩め、真ん中に置かれたベッドに横たわる。ばふんと跳ね上がり、自分を優しく受け止めてくれるベッド。
「そういや、最近あんま寝てねーな・・・・・・」
睡眠時間そのものは同じだ。寝るときの深さが違うのだろう。妻とはいえ、他人のいる場所で無防備な姿を見せるのは好きではない。ついつい警戒心が先に出る。おかげで夜中目が覚める事もざらだ。彼女の僅かな動き、指先だけの触れ合いですら気になる。
それでもベッドを分けようと言わないのはただの意地か。誰に対するものなのかはあえて明らかにしないまま、跡部は落ちる瞼と意識に任せ眠りについた。最後の日、その前日まで共にいたそこは、まるで彼自身を再現するかのように冷たく、そして温かかった。