3.D.D.
            〜深遠より出ずるもの〜






  夢とうつつ 浸る幻想


 毎日忙しく働きまわる佐伯。その姿はいつもと―――以前となんら変わりはなく。
 (青学[ウチ]では、ね・・・・・・)
 机に向かい今日も勉強をしながらも、不二は横目で佐伯の姿を捉えていた。
 かつて、青学を出て行く前の彼。そして今、青学に戻ってきた彼。何も変わってはいない。もちろん年齢やそれに付随する経験などにより変わるべき部分は変わっている。だが、中心部―――芯はそのままだ。青学でその経過のみを追えばなんら不自然な事はない。
 ―――氷帝での彼さえ見なければ。
 氷帝では、芯から変わっていた。自分や裕太を弟のように可愛がり、誰にでも優しく、目上の人の言う事をよく聞いていた佐伯が。
 人をからかう事に全力を注ぎ、『優しさ』は人ごとにやたらなムラがあり、目上の人の言う事は鼻で嘲っていた。
 そして・・・・・・心の底から楽しそうだった。
 彼の仕えた主のおかげで。
 主といる時の佐伯は、本当に嬉しそうに、楽しそうに、笑っていた。表面的にこそ今と差はないが、ずっと見ていたからこそわかる。彼は氷帝に行き変わり、青学に来て戻った。戻ろうと努力している。
 「佐伯・・・・・・」
 「ん? 何? 周ちゃん」
 僅かな呟き。あえて呼び方を変えたのは彼―――跡部に対抗してだろうか。
 佐伯はすぐ振り向いてきた。呼ばれたからか、自分の声だからか、それともこんな呼び方だからか。
 「どうしたの?」
 呼ぶだけ呼んで、顔を上げもしない自分をどう思ったか、佐伯が近づいてくる。
 隣に来て、ようやく顔を上げた不二は佐伯を引き寄せた。
 「周ちゃん・・・・・・?」
 疑問げに見る―――しかしその奥でも造られた『優しさ』は揺らがせない佐伯を無視し、頬に手をかける。
 唇で触れるだけのキスを、それでも永遠といえそうなほどに長い間した後。
 「サエの気持ちがそんなに軽いものだったとは思わない。本当なら殺しても足りないくらい僕や姉さん、みんなのことを憎んでると思う。今こんな事言うのは卑怯だって事もわかってる。でもさ、
  ―――これ以上、無理して普通を装うサエを見ていたくないんだ」
 「そんなに、無理してるように見えるかな?」
 「見えないよ。全然わからない。だからきっと無理してる」
 「それはまた哲学的な」
 「僕なんかじゃ変わりは務まらないだろうね。跡部と結婚した姉さんの弟だなんて意味では余計に。それこそ今僕がサエを満足させる方法なんて君に殺させる事くらいしか思いつけない。
  だから・・・・・・僕を自由にしていいから・・・・・・・・・・・・」
 その先を詰まらせ俯く不二。佐伯は彼の小さな体を抱き締めた。
 「サエ・・・・・・?」
 逆転する立場。腕の中で首を傾げる不二の体温を感じるように、抱き締める腕に力を込める。
 さらに暫くそのままでいて、その間に佐伯は『答え』を見出していた。
 「そうだね。そうするべきなのかもね・・・・・・。
  7年間、ずっと見てきて断言するよ。確かに跡部は軽い性格じゃない。想いがどこ向いてたとしてもさ。
  だから・・・・・・
  今はきっと、由美子さんのこと愛してるんだろうね。それこそ真剣に」
 「サエ・・・・・・・・・・・・」
 「だから俺も、そろそろアイツの事吹っ切った方がいいんだろうね。いつまでも想ってたところで何にも変わらないし、むしろこんな気持ちは邪魔なんだろうね」
 「違―――」
 「ねえ周ちゃん、さっき俺を満足させる方法なんて俺に殺させることくらいしか思いつけないって言ったよね?
  実際に何度も思ったよ。今はもちろん、周ちゃんがメイドとして働きにきてる間は特に。
  ああ、これと同じ顔の人がこれからはアイツと一緒になるんだ。愛して、愛されて、幸せになるんだ、って。
  いなくなったらどうなるんだろう? いなければ、俺がずっと一緒にいられるのかな、って」
 「やっぱり・・・・・・・・・・・・」
 「でもさ、今は思うんだよな。
  ―――今更殺したところで何も起こらない。
  アイツとはもう完全に別れた―――っていうのもヘンかな? 元々告白もなければ付き合ってたワケもないし。俺たちの関係は傍から見た通りの主人と使用人その1だっただけだからね。もしかしたらアイツもそうだったのかもな。俺が勝手に独りで盛り上がってるだけで」
 「で、でも・・・・・・!!」
 抱かれたまま、肩に顔をうずめたまま必死に反論しようとする不二はもちろん見ていなかった。話しながら、言葉を紡ぎながら、だんだん佐伯の目から光が消えていくことに。
 濁った平面の目で見下ろすは最早兄弟のような幼馴染ではなかった。
 自分からアイツを奪ったあの女の弟。今更さも同情しているかのような顔で何をほざく?
 どん―――!!
 「痛・・・!!」
 いきなり突き飛ばされ、机にぶつかり不二が声を上げた。両手を頭の上に拘束し、のけぞった背中をさらに反り返らせる。
 机の上に敷き伏せた状態で、佐伯は先ほどの続きを述べた。
 「きっとアイツは今頃由美子さんを愛してるんだろうね。精神的にも、肉体的にも。
  どうやって抱いてんだろ? ちょっと想像しにくいな。いつも俺が抱いてばっかりだったし。まあやり方はしっかり教え込んどいたんだからわかるだろうけど」
 くつくつと、笑いが止まらなかった。間違ってもこんな風にはしていないだろう。
 笑いながら、不二の着ていたブラウスを裂く。
 「やっ・・・・・・!!」
 「嫌? さっき言ったじゃん。自由にしていいって。
  だったらこういうのもアリなんじゃないの? 見せてよ。教えてよ。由美子さんがどんな声で喘いで、どんな感じでヨガるのかさ」
 「そん、なの・・・・・・」
 「へえ、泣き顔もいいね。凄いそそられる。もっと苛めたくなる。まあ由美子さんは簡単には泣かないだろうけど」
 「ヤダ・・・、サエ・・・・・・」
 「ねえ、その声で言ってよ。『景吾』って。どんな風に呼ぶんだろ? すごい聞いてみたい。ああ、由美子さんなら『景吾君』かな?」
 「止めて・・・お願い・・・・・・」
 「由美子さんは媚びたりしないと思うけどね。ま、俺のやり方が悪いんだろうけど。
  このまんまじゃラチあかないし、さっさと行こうか」
 破いたブラウスを両側にどけ、露になった胸元へと顔を落とす。
 「う・・・ん、や・・・・・・」
 「随分敏感だね。家系かな? それともこういう状況だからかな? ああ、もしかして初めて?」
 「ふあ・・・、やん・・・・・・」
 「本当によく感じるね。やりがいがあるんだかないんだか」
 「あ・・・! あ・・・・・・」
 喘ぎ、ヨガる不二を暫し見下ろし、
 「――――――なーんてね」
 佐伯は顔を上げ、彼を解放した。
 「え・・・・・・?」
 「ごめんね、驚かせちゃって」
 当たり前のことながら、こちらのいきなりの豹変についていけない不二。棚から適当な上着を選び細い肩に羽織らせ、イスへと落ち着けさせる。
 いつものように頭を撫で髪を梳き、涙が収まった辺りで、腰を落とした佐伯は両手で不二の肩を掴んだ。
 先ほどの展開を思い出し怯える不二にひたりと目線を合わせ、
 「でも今のはお仕置きだよ。
  跡部と由美子さんの結婚はみんな祝福してるし誰かが悪いとかそんなことは絶対無い。その事で周ちゃんが俺に負い目を感じることも、ましてや自分が犠牲になってとかそんな事考える必要は全然無い。もし周ちゃんがそんな事感じてたり考えてたりしたら、誰より嫌がるのは由美子さんだよ?」
 「あ・・・・・・」
 ようやく、思い出す。自分が跡部邸へ潜入捜査なんて無謀な事を思いついたのは姉が悲しまないようにしようとして。家族が苦しむのは、嫌だから。
 なら・・・今自分がしていた行為は何だったのだろう? 姉のため佐伯のためと銘打って、本当はただ自分の逃げ道が欲しかっただけじゃないのか?
 跡部の、佐伯の、どうしようもないほど互いを想う気持ちを知ってしまったから。だからそれを裂く立場となってしまった自分へのイイワケが欲しかった。
 佐伯がもし自分を愛せば、あるいは殺せば、少しは彼の中にわだかまるものを取り除けるかもしれない。そんな独りよがり。
 「ごめん・・・なさい」
 「わかればよろしい」
 項垂れる不二の頭を撫で、佐伯は鷹揚に頷いてみせた。
 「でも、気持ちは凄く嬉しいよ。そんなに俺の事思ってくれてたんだって思う。心配かけちゃってごめんね」
 「そんなことな―――」
 顔を上げる彼の唇を指で止める。
 立ち上がり、佐伯は優しく笑った。
 優しく、脆く、そして、それでもまっすぐに。
 「でもさ、あと少し。あと少しだけはこのままでいさせてくれないかな? すぐ切り替えられるほどさすがに器用じゃないんだ」
 「う、ん・・・・・・」
 「ありがとう」











 いつか、雪が降り積もり全てを覆い隠すように、この気持ちもまた忘れられる日が来るのだろうか。

 それとも春の陽射しが雪を溶かすように、ゆっくりと消化していくのだろうか。

 今自分に出来るのはこれを厚い厚い氷の中に閉じ込める事だけで。

 結晶となった想いを忘れる事も消化する事も出来ず、

 俺はただ、砕けないように注意しながら綺麗な結晶を心の一番奥底へとしまい込むだけだった。










夢とうつつ  溺れる妄想