4.NonStop Rocket!
〜どこへでも連れて行きたい!〜
そこはかとなく間違った使用人生活1 朝
『景吾、朝だよ』
『ん・・・・・・』
自分の周りで、何かが動く気配。耳元に囁かれ、肩を軽く揺すられて。
『景吾。ホラ朝だって』
『眠み・・・・・・』
『やれやれ』
抱き寄せるようにさらに気配が接近する。一晩かけて温めた布団の延長。パジャマ越しの温かい胸に顔を埋めれば、髪の毛を撫でられるくすぐったくて気持ちいい感触が返ってきた。
『な? 景吾、起きよう?』
『あ・・・・・・』
肩を押され、横向きから仰向けになる。反動で上がる手。それは無視し、
『む・・・・・・』
唇に湿ったものが、続いて少し乾いたものが当てられた。こちらも唇を当て、同じものを差し出す。行き場を失くした手は頭を引き寄せ。
『ふ・・・あ・・・・・・』
『ん・・・・・・』
特に激しさを求めない緩やかなキス。意識も同様に、闇の底から緩やかに起こしていく。
焦点のあった目に最初に映ったのは輝く銀糸と、その中心にある穏やかな笑顔。
『お早う。景吾』
『ああ・・・・・・』
そんな感じの光景の中で、
(ああこりゃ夢だな)
跡部はそうはっきり自覚して、さらに意識を深く潜り込ませた。
ψ ψ ψ ψ ψ
翌朝ベッドにて。
「虎次郎く〜ん・・・・・・」
由美子は彼女にしては本気で珍しく困り果てていた。
がちゃ―――
「姉さん、どうしたの? そんな困り果てた声出して」
「困り果ててるから声を出したのよ。周助、虎次郎君は?」
「いるよ?」
「お早うございます、由美子さん。どうしました?」
「お早う、虎次郎君。それに周助もさっき言いそびれたけど。
でね、
――――――跡部君が全然起きてくれないんだけど」
3人で、べッドを見下ろす。確かにそこでは跡部が寝ていた。というか寝こけていた。思いっきり熟睡していた。むしろ爆睡か。
「凄く珍しいような気がするんだけど」
「そうなの?」
「まあ・・・・・・」
跡部の寝ている姿など知るわけがない不二が首を傾げ、よ〜く知っている佐伯は曖昧に頷いた。
「やっぱシャルロットがいないとこうなるか」
「え? シャルロットって?」
「跡部がかなり以前飼ってた猫だよ。
毎朝コイツ起こすのはシャルロットの役目でさ、凄い頭のいい猫だった。毎日時間ぴったりに起こすし、跡部もシャルロットに起こされる時は普通に起きたし」
「今・・・は、もちろんいないのよね・・・?」
一応由美子が確認を取る。結婚以来跡部家で様々な動物を見てきたが、その中に猫はいなかった。それに、佐伯の今の説明は全て過去形だった。
「今は、もう・・・・・・。
―――といいますか、シャルロットが死んで以来、俺が代わりを務める事になりましたから」
「それってつまり・・・・・・もしかしなくても相当前?」
「俺がコイツの家で働いてわりとすぐだから―――5年前くらいかな? ついでに言うと『専属執事』ってさ、何の『専属』かっていうと元は起こしの専属だったんだよな。いつの間にか生活全般の専属になってたけど」
「へえ・・・・・・」
興味をそそられるようなどうでもいいような話。確かにその理屈なら『専属執事』は1人しかいらないだろう。ついでに『執事』と限定されるのは、そもそもその呼び方自体が佐伯しか指していないからか。
「でもなんでサエがその『専属』になったの?」
最大の疑問。佐伯が跡部家の執事になった理由は、跡部家にて鳳に聞いた。では『専属』になったのは・・・・・・。
「ああ、つまりさ」
不二の質問に佐伯は笑い―――
左手に何の目的でか持っていた盆(上には何も載っていない)を、寝ている跡部の頭にためらいなく振り下ろした。
どごっ!!!
「ってえええええええ!!」
さすがに即行で起きる跡部。頭を抱えて蹲る彼を指し、
「跡部を容赦なくぶん殴れんのが俺だけだったから」
「てめぇ佐伯!!」
「ああ跡部、お早う」
「そういう問題じゃねえ!! 何しやがる!!」
「だからちゃんと起こしてやったんだろ? ちなみに朝食会まであと10分だけど」
「な・・・・・・!?」
聞かされた事態に、跡部がサイドテーブルに置かれていた時計に目をやった。現在6時50分。確かに朝食会10分前だった。
つまるところ、由美子が困り果てていたのはこの朝食会に遅れそうだったからなのだが。
「じゃあ跡部君、先行ってるわね。遅れないようにね」
「サエ。遅れさせたら執事として職務怠慢で減給だよ?」
もう起きたからいいのだろう。笑いながら出て行く姉弟を見送ることもせず、なおも跡部は佐伯に噛み付いていた。
「なんでそれを早く言わねえ!?」
「起きてからは15秒以内に言っただろ?」
「だったら起こせ!」
「いや跡部がアホな位爆睡してるからさ。これは面白いってみんなで観察を―――」
「してねえでさっさと起こしやがれ!!」
「ところでいいのか? こんなことしてる間に時間は刻一刻と」
「クソッ・・・! 弱み付け込みやがって・・・!!
後で覚えてろよてめぇ・・・・・・!!」
「はいはい。そんな負け惜しみいいからさっさと仕度しろよ」
そう言う本人は『さっさと』を実践してか、言いながらも持ってきていた服をベッドに置き手早くこちらのパジャマのボタンを外していく。慣れたその手つきは脱がせるのと着せるのどちらにより発揮されるのだろうなどと具にもつかないことを思いつつ(ちなみに正解はどちらにもなのだが)、
(ああ、シャルロットと混ざったのか・・・・・・)
跡部は先ほど見た夢をそう解釈していた。確かに毎朝シャルロットは耳元で鳴き、こちらの口を舐めていた。
解釈した、それを確かめる。
早くもブラウスまで着せ終えた佐伯が下を替えようと屈み込んでいる。両手で顔を上に向けさせ、
「跡部?」
呟きを無視し、腰を折った跡部は夢の中の佐伯―――シャルロットがそうしていたように彼の唇を舐めた。
開かれる唇に、さらに舌を差し入れる。かつて慣れていた行為。佐伯もすぐ乗ってくる。
情熱も意味も、もちろん愛情もないままただ行われる穏やかなキス。それでも上がる鼓動は無視して、離れた唇を、今度は自分のものを舐めた後。
「やっぱシャルロットだったな」
「はあ?」
「何でもねえよ。おら『さっさと』続けろ。あと5分じゃねえか」
「げ・・・・・・!」
逆に告げられた事に、佐伯が呻いて作業に戻る。それ以上言及されないのをいいことに、跡部は夢の内容を反復していた。
反復して―――
(ま、どっちもどっち、ってトコだな)
結局そう結論づけた。
再び上の空になる跡部をそっと見上げ、佐伯は長々とため息をついた。
(は〜。バレてたのかと思った・・・・・・)
佐伯がまだ起こしのみの『専属』だった頃。跡部がひっぱたきでもしないと起きないのをいい事に、その前にいつも耳元で囁き唇を舐めていた。シャルロットがそうしていたように。
それこそ無意識だったのだろう。シャルロットにしていたのと同じように唇を開け、舌を招き入れる跡部に遠慮なく舌を差し入れていた。なんでそうしたかったのか、なんでそれが気持ちよかったのか、知ったのは結局生活全般の『専属執事』となってからだったが。
(逆、かな・・・? 知ったから、なったのか・・・・・・)
下を着替えさせる。俯ける状態でよかった。上げたら間違いなくバレる。顔が赤いことは。