7.想い壊れてその先で 1





 2人を跡部の家の別荘へと呼び出す事は極めて簡単だった。予め罠として陣を張っておくのもまた簡単。
 乗せられ、警戒せずに来た2人。不二が陣の中央に立った時点で全ては始まりを告げた。
 「え・・・・・・?」
 光り輝く足元。同時に膝の力が抜け、へたり込む不二。佐伯が驚き近寄ろうとして―――
 「―――っ!!」
 眼前に迫ったものに、慌てて身を反らした。
 「何すんだよ千石!!」
 後ろに一回転して起き上がる佐伯の前で、魔力により作り出した剣を携えた千石が明るく笑っていた。
 「ん? サエくんの妨害」
 「ふざけんな!!」
 一喝する佐伯に、ぱたぱたと手を振る。やはり笑顔は笑顔のままで。
 「ふざけてなんかないよ。ホラ」
 言いながら翳した手の平。溢れ出る力に堪えきれず、佐伯は陣の外まで後退した。
 今までとは桁違いの力だ。今のを後退するだけで留められたのは、千石が手加減していたからに過ぎない。本気でやっていたのならば、自分など一瞬で消し飛ぶ。それほどの力だった。
 「お前・・・・・・」
 頬を冷や汗が流れる。この力、知らないわけじゃない。
 かつての―――跡部と出会う前の力。これが『高位魔族』たる彼の本来の実力だ。
 契約者の力を、根こそぎ奪う彼の実力。
 「‘ドア’、開いたのか・・・・・・?」
 信じられない思いで呟く。‘ドア’を―――ヘヴンズドアを開く事そのものは確かに千石も、そして跡部も望んでいた事。しかしこれでは・・・・・・
 「わかってんのかお前・・・。そんな力の使い方したら、跡部殺すぞ・・・・・・」
 千石が何よりも避けたかった事態。彼が‘ドア’を開かなかった理由。
 彼の力は強大すぎるのだ。今までその力の過負荷に耐え切れず、何人もの契約者が死んでいった。
 だからこそ彼は力の制御に長けている。―――その筈だった。
 制御しない力の使用。恐らくこれでは1時間持たずに跡部は死ぬ。
 (何とかして、食い止めないと・・・・・・)
 考え―――気付く。自分に攻撃するのは千石。では今不二に何らかの術をかけたのは?
 千石の肩越しに円陣の中を見る。広がるのは、最悪の光景だった。




















 「よお不二。俺様の趣向はどうだ?」
 「跡、部・・・。君・・・何、したのさ・・・・・・!」
 「大した事じゃねえんだけどな・・・・・・」
 呟き、近付いた跡部が不二へと手を伸ばした。膝を付きしゃがむ不二。その胸元、開かれた襟の中では―――
 ―――契約陣が、赫く輝いていた。
 「な、に・・・・・・?」
 見た事のない光。ヘヴンズドアを開いている時も確かに光りはするが、あれは純白の光だ。こんな、血のような赤いものではない。
 見上げる不二に、跡部は皮肉げに笑みを浮かべた。自分もまた契約陣の描かれた胸元を開き、
 「ただ、



  ―――佐伯でも貰おうかと思ってな」



 呟き、既に描かれている陣のすぐ下に、手を滑らせもうひとつ陣を描く。不二の胸元に描かれたものと同じものを。
 描き終わると同時、
 『―――っ!!!』
 2人は声にならない悲鳴を上げた。互いの胸元で増幅した光。気味の悪い色を帯びたそれが、天を、地を、全てを貫く。
 「ふああああああああ!!!!!」
 「うああああああああ!!!!!」
 爆発的に増大する力。かかる重圧。
 悪魔側の同意を得ない契約では、その負担は全て契約者である人間の元へ到達する。
 今2人は、佐伯との契約権を奪い合っている状態だった。先にこの重圧に根を上げた方が、契約権を放棄する事になる。
 放棄したのは―――





 ――――――不二だった。





 「あ・・・・・・」
 小さな呟きと共に、小さな体がぐらりと揺れる。
 急いで立て直す―――が、もう遅い。一瞬意識を手放した隙に、契約の証たる契約陣は、










 跡部の元へと移っていた。










 胸元に新たに出来上がった陣を、
 それを抱えて嘲う跡部を、
 不二は呆然と見やるだけだった・・・・・・。



















 「・・・・・・・・・・・・」
 目の前で繰り広げられている事態に、佐伯もまた何も発することが出来なかった。
 「へえ。凄いねえ跡部くん。本当に書き換えちゃったよ。契約陣」
 聞こえる、『いつもと同じ』声。いつもと同じ―――心のない声。
 「お、まえ・・・・・・!」
 佐伯は自分の危険も何も考えず、千石へと向かっていった。
 襟元を掴み、自分の元へと引き寄せ、
 「お前跡部に何させてんだよ!? 本気でアイツ殺す気か!!?」
 人間1人で悪魔2人との契約。確かに理論上は不可能ではない。ただし、
 ―――悪魔2人に力を奪われるという不可に耐えられる人間が存在するのならばの話だが。
 しかも受け持つのが自分達元『高位魔族』2人。挙句千石はヘヴンズドアを開き、制御せずに力を使い続けている状態。いくら跡部とはいえ、この状態でまともにいられるわけがない。
 実際―――




















 くつくつと堪えきれないように笑う跡部。いきなりその笑いが止まった。
 「う・・・あ・・・・・・。か・・・はっ・・・・・・!」
 むせ返る。俯く彼の口から、どろどろの液体―――血が撒き散らされる。かかる負担が、早くも肉体のレベルまで達しているようだ。




















 「今すぐ止めさせろ!! じゃないと手後れになるぞ!!」
 「なんで?」
 「なんで・・・って見たらわかんだろ!? 何お前落ち着いてんだよ!!」
 「なんで―――止めさせなきゃいけないのさ?」
 本当にわからないらしい。きょとんとする千石に、
 佐伯が覚えたのは絶望感だった。
 「お前・・・・・・」
 「だって、跡部くんが望んだんだよ? 俺はそれを叶えるだけさ。止めさせる理由なんてどこにもないじゃん」
 曇り一点のない笑顔。悟ってしまった。
 ―――もう何を言っても無駄だと。
 何があったのか知らない。ただ言える事が1つ。










 ――――――ここにいる千石は、もう跡部や不二の知る彼ではない。










 「お前は、それでいいんだな?」
 「他に何があるの?」
 「ならもういい。俺が止める」
 「させないよ」
 「っと・・・!」
 跡部の方へ向かう―――途中で、
 後ろから迫り来る衝撃波。今度は予想して避け―――
 「―――ると後ろに当たるよ」
 「な―――!!」
 千石は言った。『避けると後ろに当たるよ』と。
 『後ろ』に。不二と、そして―――跡部に。
 「この・・・!!」
 両手をクロスさせ、『後ろ』を守るように防御の術を展開させる。いつものように
 「がっ・・・!!」
 「しまっ―――!!」
 後ろから聞こえる声。振り向くその先にいるのは、喉を掻き毟り仰け反る跡部。
 今自分は、誰の力を使っている?
 急いで術を解除する。それでも治まらない跡部の苦しみ。それだけ千石が力を使っているのか。
 いや―――
 (わざと発動を遅らせてる・・・・・・)
 今のためらい。その間に放ってしまえば、それこそ自分も跡部も含め3人とも殺せたというのに。
 (跡部に、余計に負担を与えるため・・・か・・・・・・)
 千石のこういった戦法は珍しくもない。気に入らないヤツと契約を結ぶと、こうやって契約者の力を弱め、命を縮めていく。
 『悪』魔という名称を正に一般付ける行為。千石にとって自分を使役する人間というのはただの遊び道具だ。面白くなければ即座に切り捨てる。
 かつては自分も容認していた行為。だが今回だけは目を瞑る事は出来なかった。
 誰よりも―――千石自身がそれを望んでいないから。
 防御を外し、両手を広げる。
 こちらに冷たい瞳を向ける千石へと、視線は逸らさず佐伯は叫んだ。


















































 「あ・・・うあ・・・・・・。え、ほっ・・・!!」
 血を吐き、それでも契約を解除しようとしない跡部。
 「なん、で・・・・・・?」
 見上げる不二の目に、涙が溜まる。
 「なんでみんな、僕から全部取っていくの・・・・・・?
  なんでみんな、僕から離れていくの・・・・・・?」
 「何・・・?」
 血を吐く合間に言葉を吐く。痙攣する体。しかし、訝しげに寄せられた目にはまだ意志が篭っていた。
 そんな跡部とは逆に―――
 「返してよ・・・僕の契約陣・・・・・・。
  返してよ・・・僕のサエ・・・・・・」
 力なく縋り付く不二の目には、何も篭っていなかった。それこそ今争っている千石と同じく。
 「ねえ・・・、なんで僕から奪うの・・・・・・?」
 ガラス玉のような瞳から涙を零し呟く不二に、
 「ンなの・・・・・・俺が知りてえよ・・・・・・!!!」
 跡部は、ただそう吐き捨てるだけだった・・・・・・。

























 何でこんな事をするのか。そんなもの、自分の方が知りたい。
 何でこんな事になった? 俺はただ―――アイツの『気持ち』が欲しかっただけだ。
 失くした『心』が欲しいなんて贅沢を言うつもりはなく、
 ただ・・・・・・



 ――――――『跡部くんには俺がいるじゃない』と、その一言が欲しかった。



 ワガママだとわかっている。矛盾している事は承知済みだ。
 それでも、その一言が引き出したかった・・・・・・。

























 こちらに攻撃の手を向ける千石。こちらに――――――自分に。
 殺すなら殺してくれ。いっそ清々しい気分だ。
 これが罰。アイツを信じられなかった自分への罰。
 不二のように、奪われ壊れられるほど盲目的に愛せればよかった。
 自分の気持ちを、自分の想いを、全て言えればよかった。
 全てぶちまけ、縋りつければよかった。
 その上で別れられたのならば、まだマシな今後があったのかもしれない。
 その上でなお一緒に堕ちれたのならば、まだマシなラストが迎えられたのかもしれない。
 最悪のラストだ。まさかこの自分がここまで惨めな幕引きをするとは思ってもみなかった。
 それでも――――――





 ――――――これで終わるのならいいのかもしれない。もう、1人孤独な夜を過ごすこともない・・・・・・。


















































 「殺したいんだったら殺してみろよ!! 俺も! 周ちゃんも!! 跡部も!!!
  それでお前が満足するんだったら殺してみろよ!!!」
 叫び、思う。いや、思い出す。
 前にもこんな場面があった。





 ―――『殺したいんだったら俺の事も殺してよ!! それで君の気が晴れるんだったら!! それで彼女との事にケリがつけられるんだったら!!』





 フィードバック現象とでもいうのか、目の前に突如広がった光景。それが何を示しているのかはわからない。
 (千石・・・・・・?)
 壊れた街。焼けた草原。抉れた大地。その中心で、
 千石は両手を広げ、泣きながら叫んでいた。見た事のないはずの涙を流して。
 胸が締め付けられる思い。なぜだろう。それもわからない。
 ただ、これだけはわかる。





 ―――今度は自分が止める番だ、と。




















 攻撃を前に。両手を広げ、翼を広げ。後ろの2人には届かないよう祈りながら。
 喰らう。千切れる翼。かろうじて四肢は残ったが、力を根こそぎ奪われた。もう立ってもいられない。
 崩れ落ちる佐伯を見下ろし、千石はのんびりと歩いていった。契約者の元へ。自分ではなく佐伯などと契約を結ぼうとした、哀れな彼の元へ。
 歩いていき―――途中で止まる。
 なおも立ち上がり、自分を止めようとする佐伯を前に。
 「何かなサエくん? まだ止めるつもりかな?」
 表面だけで笑ってみせる千石に、佐伯もまた笑みを見せた。がくがくと膝を震わせ、今にも崩れ落ちそうなほどに消耗しているというのにそれでもその笑みだけは強く。
 「まだ・・・答え聞いてないからな」
 「答え? 何の?」
 「さっきの質問のだ。お前は本当に俺達を殺したら満足するのか?」
 問う佐伯の目を見つめ、
 千石は『心』から笑った。
 「するよ。
  跡部くんを殺して、また新しい契約者見つけて、それでいつも通り。
  そうやってずっと生きてきたんだから。これに満足せずに何に満足するのさ?」
 綺麗に笑う千石。『造られた』からこそ出来る、完全なる笑み。
 見せられ―――










 ――――――佐伯は千石の体を優しく抱きしめた。










 「俺が・・・お前に心をあげられるとしたらどんなにいいんだろうな? そしたらお前をそんな顔にはさせないのに」
 苦笑する。自嘲する。
 止めたいと、願っているのにその方法がわからない。
 「なあ・・・、俺はどうしたらいい? どうしたらお前を救える? どうしたら―――また4人で今まで通り過ごせる?」
 「そんな方法―――」
 あるわけがない。言おうとして・・・・・・










 千石は、佐伯の肩越しに跡部の姿を見た。




















 瞳を閉じる跡部。その顔に、誰も見た事の無いほどの安らかな笑みが浮かぶ。
 全てから解放される、満足げな笑み。
 全てから――――――自分から。




















 「う・・・あ・・・・・・」
 「千、石・・・・・・?」
 吐き出しそうな何かが込み上げる。何だろう? 初めて感じるものだ。
 「あ・・・・・・・・・・・・」
 深い深い闇のさらに奥、包まれ何も見えないその世界で、























 ――――――『答え』を発見する・・・・・・。


















































 どすっ・・・・・・。
 「あ・・・・・・」


















































 鈍い音と、佐伯の小さな呟き声。
 ずるりと落ちる体。胸に突き刺した手が抜ける。
 異変に気付いたのか、それとも血の臭いを嗅ぎ取ったのか、跡部が瞳を開けた。
 二度と開けるつもりのなかったであろう瞳で見たのは、
 一度足りとも見る事になるとは思わなかっただろう光景。




















 血にまみれた手を持ち上げ、千石が浮かべるのはやはり笑みだった。
 正真正銘の『心』からの笑い。失くした筈の心をさらに壊し、千石は笑い続けた。
 「そうだよ。最初っからこうすればよかったんじゃん・・・・・・」
 は、は、ははははは・・・と、腹膜を痙攣させて笑う。顔を隠すように頭に当てた手。べちゃりと顔に血が塗りたくられる。
 中心で輝く瞳を己の契約者へと向け、
 「ねえ跡部くん。俺、サエくんに勝ったよ? 俺、サエくんより強いよ?」
 一歩、また一歩と近付く。
 「俺、役に立つでしょ? 俺、サエくんより使えるでしょ?」
 造られた、完全なる笑みから―――










 ――――――涙が零れ落ちた。










 心を失くして以来、一度も流した事のなかった涙。
 流し、千石は泣き叫んだ。己の全てを篭め。
 「だから・・・


















































  だからお願いですから俺だけの主でいてください!! 俺だけの跡部くんでいてください!!!」




















































 「千・・・石・・・・・・」
 それは、ずっと望んでいた一言。ずっと欲しかった一言。
 呆然と呟く跡部の胸元から、1つの契約陣が消えた。
 残った方に導かれるように、足を進める。
 残った方―――千石の元へと。
 全てを吐き出し、きつく瞳を閉じえぐえぐと泣き続ける千石をやさしく抱き締め、
 跡部は初めて己の想いを言葉に乗せた。
 「ずっと、それが聞きたかった」
 「跡部・・・くん・・・・・・?」
 涙と鼻水でぐしぐしの顔を上げる千石。見下ろし、にやりと笑う。
 「いいか。一度しか言わねえからよく聞けよ。


















































  ――――――俺の悪魔は、お前1人だけだ」




















































 「―――!!」
 鋭い吸気音が広がる。驚き目を見開く千石の前にあったのは、眩しいばかりの笑顔で。
 千石もまた自然と―――『造らない』笑顔で笑った。
 「うん!!」















―――