2.東の森にて―――『サエ』
東の森に入り・・・・・・10歩歩いたところでそれが始まった。
(何だ・・・? この気配・・・・・・)
人か、獣か、あるいは未知の物体か。それが垂れ流す気配が、森全体を包み込んでいた。
森そのものがおかしい―――のではない。ならば1歩も入らず気付いていた。唐突に現れた気配。恐ろしいのは、それまで全く前触れがなかった事だ。意図して垂れ流さない限り全く気配の読めない相手かさもなければ、
(術、か・・・・・・)
誰かがこのタイミングで何らかの術を展開した。そう考えるほうが理論的ではあるか。普段気配を消しているヤツがいきなり理由不明で存在を主張するよりは。
だとすると・・・
「出たほうがいいな」
跡部は躊躇せず逆走した。腰抜けと罵られそうだが、回避できる危険を自ら招く事を『勇気』とは言わない。
が。
「ぐ・・・・・・」
苦しくも悔しくもないが、ぐうの音が洩れた。木々が増殖し、入り口を塞いでいる。
「こっちの行動はお見通し、ってか。
―――いいぜ。行ってやるよ先に」
頬を引きつらせ、跡部は前進する事を選んだ。剣で木々を切り裂き脱出という手もあるにはあるが、こちらの手は2本しかないのに対し枝の数はほぼ無数。向こうに抜ける前に足1本でも絡まれたらアウト。防御と攻撃の術の併用で出る手もあるが、木々の増殖スピードが半端ではない。焼き尽くせば問題解決だとしてもそれでは森全部が焦土と化す。
(あんま、必要もねえのに自然破壊っつーのもなあ・・・)
これで博愛主義者な跡部。自分が生き延びるためなら躊躇はしないが、人間除きいらない相手に牙は剥かない主義だ。人間の場合、相手に舐められるのは癪に障るから大抵警戒を見せるが。
そんなワケで警戒心露わにする。木々はともかくそれを操っているのは人間だろう。そして多分―――それこそがあの男の言っていた『噂好きの彼女』だろう。他に狙われる理由もない。特に殺されない理由は。
(本っ気で女郎蜘蛛だな・・・・・・)
糸の代わりに木々を張り巡らせ。相手を決して逃がさない。
「そっちが罠なら、こっちは誘いとでも行くか・・・・・・」
にやりと笑い、佐伯伝授の酒を取り出す。ぽんとコルクを開けると、甘く芳醇な香りが森中を広がっていった。子どもが好みそうな香りに騙されがちだが、アルコール度数は相当に高い。飲むだけではなく消毒・燃料に有効と、跡部の故郷では必須の品だ。大体どこにでも生えている木の実を潰して混ぜておくと勝手に増やしてくれるため、旅する際の必需品だ。
暫し待つ―――までもなく。
(後ろか!!)
振り向く。木のツルが、ムチのようにしなりながら高速で向かってきた。
冷静に見極め、背中に差している片手で取り出し扱い可能のナイフを引き抜いた。ここで酒を零すのは面白くない。
攻撃してくるのならば遠慮する筋合いはない。それらを切り落とそうとして、
「何―――!?」
後ろから何かに羽交い絞めされた。振り解く間もなく、ツルにも全身を絡み取られた。
(馬鹿な・・・! 後ろには何も感じなかったぞ!?)
自由な動き。感じる体温。羽交い絞めにしたのは、間違いなく人間だった。
するりとそれが離れていく。細く白い指が、跡部の手から酒瓶を抜き取っていった。
振り向こうとする跡部。首の回らない辺り―――背中合わせに凭れかかり、その人間は瓶を傾けていた。
こくこくと飲む音だけが聞こえる。かろうじて見えた辺りでは、傾く首に合わせ上で縛った長い金髪が揺れ、巫女と踊り子の服を足して2で割ったような(ついでに森林での生活にはとことん向かなさげな)ひらひら生地がたなびいている。
ぷは〜っと息をつぎ、
「あ〜美味し〜vv」
「って全部飲むなよ? 次作れなくなんだろーが」
「えうそ!?」
ただでさえ甲高い声が慌ててさらに甲高くなる。けたたましさに耳を塞ぎたいが、残念ながら両手とも拘束されている。
「・・・・・・あ。大丈夫大丈夫。底にちょっと余ってた」
「それでどーすんだよ・・・・・・」
「私菌の培養増殖は得意なの。すぐ戻すね」
「・・・。こー言っちゃなんだがヤな特技だな」
「生物の活性促進術―――回復の術が得意だって言えばかなりいい感じでしょ?」
「お前やっぱ巫女か。なら癒しはお手のものだしな。
この木もその応用だろ? 『回復してやる代わりに自分の言う事に従え』とか契約結んで」
「すごーい! 正解〜♪」
「あーそーかよそりゃありがとよ」
後ろからパチパチ鳴らされる拍手に、やはり頬を引きつらせ跡部は応えた。「てめぇ馬鹿にしてんのか? ああ?」とはさすがに返さなかった。大人げないので。
声の主が、ゆっくり回りこみながらこちらに姿を現した。実力に見合わずただし服には見合った若い―――とはいっても自分と同じ程度か―――の少女。それはいいのだが・・・・・・
「お前・・・・・・・・・・・・」
「ん?」
驚きに、跡部は言葉をなくした。その少女はどう見ても―――
「佐伯の血縁か何かか・・・?」
男女の差というものはある。それに、涼しげで切れ長だった佐伯の目に比べ、この少女は少し大きめで愛くるしさを増している。だが、
―――それらの細かい違いを抜き全体を見比べれば、彼女は驚くほど佐伯に良く似ていた。
(それに、それなら佐伯がコイツの事よく知ってても不思議じゃあねえしな)
思う跡部だったが・・・
「ううん? 赤の他人」
少女はあっさり首を振ってきた。
「・・・そうなのか?」
「そう。ただし無関係じゃないけどね。
さっき言った通り私は回復―――肉体再生の術は得意なのよ。
以前ちょっとした事故で肉体失くしちゃってね。彼から少しもらって作り直して、そこに精神移したの。だからよく似てるのよ。ついでに名前も似せて『サエ』にしちゃったし。
ただしそのまま再生すると男になっちゃうから一部変えたけど」
「ついでに・・・・・・いろんなモノ変えたか?」
ついつい訊いてしまう。染み一つない白い肌。薄いレースで覆われただけの腕は引き締まっており、脚ともどもすらっと長い。全体として細身だしウエストもきゅっと締まっているが、バストヒップはほどほどにあり。V字に開いた襟元では、首から下げたペンダントの下に谷間が見える。
いやらしい目で見るつもりはないが、普通にこれだけの躰を作り上げるには相当大変な思いをするハメになるはずだ。貴族の女性など大枚はたいて化粧品を購入し体型調整用特殊鎧(冗談抜きで『鎧』らしい。かつて暗殺されかけた某国の王女はそれのおかげで命拾いしたという)でぎゅうぎゅう縛り、気味が悪いほどの『理想的な体』と引き換えに早死にする。まあ美しいうちに死ねたのならば本人も本望かもしれないが。
それらと比べたら彼女―――サエはかなり健康的なものだが・・・。
「あっはっは。それは外れ。多分元が良かったんでしょ」
「・・・。なるほどな」
ちょっと会っただけの佐伯氏を思い出す。見た目とキザな言動からするとそれこそ金持ち貴族のボンボンだが、まさかそれがお供もつけず旅してあれだけの実力を兼ね備えて挙句―――
(食い逃げ犯・・・っつーのはなあ)
実際はとんでもない天然ボケだったが、まあどっちにしろあんな貴族がいたりする国には住みたくない。
は〜っと息を吐く跡部を見て、サエが薄く笑った。今までのガキくささと一転した笑みで、
「それで、私に何の用かしら跡部景吾君」
「何で俺の名前―――!」
「佐伯が言ってたでしょ? 私の事は。
ずっと見てたわよ、もちろん」
「なら・・・・・・」
「捕らえられた人は今さらに東の方に行ったところにある岩山に閉じ込められてるわ。けどそこには見張りがいる」
「ンなのぶちのめしちまえば―――」
「相当強いわよ、総合的にね。なにせ私の術から岩山の中を完全に隠してる」
プライドを傷つけられたような悔しげな声で呻くサエ。
(『総合的に』。術者としてだけじゃねえってか・・・・・・)
そう言う彼女自身が『総合的に』強い。森の木々に気配を紛れさせていたとしても、先ほどは本当に全く気付かない間に背後を取られた。
そんな彼女にそう言わしめる相手。油断は禁物。無策に突っ込んでいくのは得策ではない、か。
「何か対策あんのか?」
「私に訊くの?」
「酒やっただろ?」
「菌増やしてあげるわよ?」
「てめぇが減らした分だろ?」
「だから元に戻すんでしょ?」
「でもって俺のこと襲っただろ?」
「傷つけてはいないわよ?」
「襲った事にゃ代わりねえだろ?」
進展のない押し問答。肩を竦め、サエが笑った。
「閉じ込めた人はこれから他の人に渡すらしくてね、誘拐犯→雇った見張り→人買いっていう流れになってるワケ」
「なるほどな。上手い手だな。見張りを仲介する事で互いに顔は知らずに済む。雇われて金を受け取る以上見張りも共犯だから役人には訴えない。それにいざとなりゃその見張り犯人に仕立てて切り捨てりゃいい、と」
「そう。そんな都合上、見張りは誘拐犯も人買いも顔を知らないの」
「人買いに偽装して取り返せ、ってか? さすがにバレんだろ」
「そんな事ないわよ? なにせ暗号による識別だもの。それさえわかれば信用されるわよ」
「んで、てめぇはその暗号を―――」
「もちろん知ってる、という事」
「教えろ」
「嫌v」
「何でだよ?」
「襲った分の『お詫び』は終わったわ」
「んじゃ次は何が欲しいってんだよ?」
「あなた」
「・・・・・・あん?」
瓶を持たない右手でぴっと指され、跡部は間抜けな声を上げた。
「佐伯から聞いたでしょ? 私面食いなの。あなたなら充分合格ね」
「マジかよ・・・・・・」
げんなり呻く。まさか先ほどからの『攻撃』の意味は・・・・・・
「念のため訊いとくが、まさかてめぇSだとかいう事は・・・ねえよな?」
「あはは☆ まさか。ただ追い詰められた時どんな表情するのかなって試しただけ。
―――驚いた時の表情が凄い好み。それだけでイきそう」
「・・・・・・どの部分が『まさか。』だったんだ?」
それには答えず、サエが頬に手を伸ばしてきた。避けられれば良かったが相も変わらず拘束されたまま。
ツルの延長のように首に両腕を絡めてくる。サエは妖艶に笑っていた。
「ねえ、いいでしょ・・・?」
酒が入り、仄かに赤く染まった目元。潤んだ瞳。薄い生地越しに触れてきた躰。
「1回ヤって、それで終わりか?」
「もちろんご希望次第ではそれ以上も」
「・・・・・・・・・・・・」
別に断る理由もない。受ければこれだけの上物が抱けてなおかつ情報がもらえる。道徳観念などどうでもいいし、操を立てる誰かがいるワケでもない。
その上で、
「我、汝に命を下す
戒めを解き我を解放せよ
罪価は汝の奪命とする」
跡部は目を閉じ淡々と言葉を紡いだ。
契約に使う紡言[ルーン]による呼びかけ。契約は双方合意の上で成り立つ。今のを例に取るなら、跡部の呼びかけにサエが同意しなければ術は術として発動しない。
彼の紡言は滑稽なものだ。誰が『俺を解放しろ。さもなければ殺す』などと言われて解放する? 囚われた身でどうやって相手を殺す?
そうわかった上で、
「っ―――!!」
―――サエは反射的に彼から腕を離し跳び退った。紡言を知ってればこの程度は常識だ。彼のしたのは術の使用ではなく自分への脅迫だ。次は本当に術を使う、という。
そんな彼女へ、目を開いた跡部はにやりと笑っていた。ちゃんと解放したからか、それとも・・・・・・
「『汝』がてめぇだとは言ってねえぜ?」
「しまっ―――!!」
更なる呟きと同時、跡部に絡み付いていた筈のツルはサエへと襲い掛かっていった。逆転する立場。今度はサエが絡まれ身動き取れなくなった。
自由になった跡部が悠々とサエに近付いていく。
「俺の勝ちだな」
「くっ・・・! 私の命に背くなんて、お母さんそんな子に育てた憶えはないわよ!!」
「残念だったな。母親とは認めてねえみてえだぜ? そりゃ勝手に増やされたり戦わされたりしてそう思えって方に無理あんだろ」
「こんな事するなんてどういうつもりよ! 情報いらないの!?」
「いるぜ? これからてめぇに吐かせてやるよ」
「ま、まさか・・・・・・
触手プレイならぬツタプレイ!? や、やだぁ!! そういう変態はお断り―――!!!」
「違う!! ざーとらしく震えて失礼な台詞吐いてんじゃねえ!!」
「なんだ違うの・・・・・・」
「なんでそこでがっかりするよ・・・・・?
んで?」
「ん?」
「暗号は?」
じっと見つめられ、
「さ〜ってどんなだったかしら?」
サエは白々しくとぼけてみせた。
「ほお・・・。そういう態度取るってか」
「まあね〜♪」
「なら・・・・・・
―――ちったあお仕置きしてやらねえとなあ」
跡部が獰猛な笑みを浮かべツルに軽く触れる。ざわざわ動き出すツルが、服の隙間から入りさらにサエを束縛していった。
「やっぱこういうのが好き? でも、
―――それなら直接来てよ。ツルなんかじゃつまんない・・・・・・」
悩ましげな吐息を洩らすサエ。それもそうだなと、跡部も慎重にかつ大胆にサエの躰へ触れていった。
「う・・・ん・・・・・・」
サエの喘ぎが洩れる。その様子を逐一観察しながら、さらに手を下へと滑らせていって・・・
「―――っ!」
とあるポイントで、サエが目を見開きびくりと震えた。
(ここか)
心の中でほくそえみ、そこへと指とツルで集中攻撃を仕掛ける!!
こちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょ!!!!!!!
「あはははははははははははは!!!!!!! ちょ、ちょっとダメそこは!! くすぐった―――あっははははははああはははははあはははは!!!!!!!!」
「オラオラ止めて欲しかったら暗号教えやがれ!!!」
「酷―――はははあはははっはははははは!!!!
わかった!! 教えるから!!」
「―――よし」
一つ頷き、跡部は手を放した。サエもぜーはー息を落ち着けた後、
「え〜っと、じゃあ言うね」
「おう」
「『昔々あるところにおじいさんとおばあさんが―――』」
「誰が昔話しろっつった!?」
「だってそれが暗号なんだもん!!」
「はあ!? どう聞いたってただの童話じゃねえか!!」
「だから他人が聞いてもまさか暗号だなんて思わないでしょ!?」
「・・・・・・確かになあ」
むやみにそれっぽ過ぎて、ちょっと聞いて即座に暗号だとわかり外部に洩れるそれよりはいいかもしれない。しかも・・・・・・
「じゃあ納得したところで行くわね。
『昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました・・・・・・っていう話で始まる御伽噺って多いけどこれって結構当たり前すぎない? そりゃいつかのどっかにはそういう人たちもいるでしょうね。何の制限もかけられてないし。』」
「ンな感想いんねーからさっさと進めろよ!!」
「進めてるわよしっかりと!!
『おじいさんとおばあさんには子どもが出来ず―――そりゃそうよね。「おじいさん」と「おばあさん」の間に子ども生まれたら怖いって。どれだけの高齢出産よ。』」
「あーはいはいもーいい。さっさと先行け」
「はいはい。
『ある日おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行ったところ、おじいさんは鎌を湖に落としてしまいました。商売道具を無くし悩み込むおじいさんの前に湖の精霊が現れ「貴方の落としたのは―――」』」
「ちょっと待て!! 何か違う話が混じってるぞ!?」
「こうしてオリジナルからずらす事で著作権の網をすり抜け、さらに暗号として機能するのね。普通に広まった話なら偶然言い当てちゃう人がいるかもしれないし。
で、
『「貴方の落としたのはA・B・Cのどれですか?」と口頭質問され、』」
「実物見せてやれよ!!」
「『そういう理由で困り果てるおじいさんに、精霊は親切に見せてやりました。Aがのこぎり、Bがくわ、Cがおのでした。』」
「全部違うじゃねーかしかも値段似たようなモンだろ!?」
「『どれも違うと首を振るおじいさんに精霊は「まあ! なんて正直者なんでしょう!」と感激し―――』」
「当たり前だろ!?」
「『3つとも全部あげました。』」
「はた迷惑だなあ・・・。本物はどうしたよ?」
「『もちろん選択肢に入っていなかったので、鎌はそのまま没収となりました。』」
「返してやれよ!!」
「『そしておじいさんは、3つの金属部を溶かし新たな鎌を2本作る事に成功しました。よかったねおじいさん。ちゃんちゃん♪』」
「いや確かに得したかもしんねえけどよお・・・・・・」
「そんな感じの話で」
「どういう話だよ!? つーかおばあさんほったらかしかよ!?」
「『ああそうそう。おばあさんの事でしたね。
おばあさんは洗濯中流れてきた桃を頑張って引き上げました。』」
「お、こっちはまともに進みそうじゃねーか」
「何で芝刈りに行って現実的に話が終わるの反対のクセに『川から桃がどんぶらこ』なんてありえない展開で納得するワケ!? そもそも誰!? その桃流したの!?」
「知るか!! いーじゃねえか結果的に話が進めば!!」
「じゃあ仕方ないなあ続けるよ?
『桃を掬い上げたおばあさん。しかしながらここで問題が発生。桃はあまりに大きく、おばあさんはあまりに非力でした。』」
「確かになあ。中に赤ん坊が入ってたとすりゃ相当の大きさだしなあ。しかもそれが沈まねえよう完全密封だろ? 随分厚くなってただろーなあ」
「『おばあさん困りました。おばあさんピンチです。このままおばあさんは負けてしまうのか!?』」
「何にだよ!? つーか何でそこだけ格闘技の実況になってんだよ」
「『そこへなんと!! 都合よくさらに鎌まで流れてきました。』」
「まさかそれって・・・」
「『そう! 山でおじいさんが落としてしまった鎌です! 実はあの湖は、この川に繋がっていたのです!! 日ごろいい行いをしている人には幸運が訪れます! よかったねおばあさん!!』」
「ああ確かによかったなあ」
「『鎌もまた引き上げたおばあさん。速い流れに乗った鎌を引き上げるのにちょっと手を切り落としかけましたが問題ありません。おばあさんは右利きで怪我したのは左手ですから。』」
「いや大問題だろーよ。ちゃんと止血しろよ?」
「『頑張りましたよおばあさんは! そこらの衣服で縛って血を止めようとしましたが、はたと考えればそれらは洗濯し終った物。ここでまた汚せばやり直し! しかも血は乾いてしまえばなかなか落ちる代物ではありません。
悩み込んだ末、おばあさんは傷口を縛った上その衣服を水に浸け洗い続ければ染みにならないという妙案を考え出しました!!』」
「血ぃ止まんねーだろーがそれじゃあ!! それなら布巻かずに空気中に完全放置しといた方がまだマシだろ!?」
「『元々の血の蓄え量が少なかったのでしょう。出尽くし、血はあっさり止まりました。』」
「おばあさん死んでる!!」
「『「はあ、大した事なくてよかったわ」と一息つくおばあさん、』」
「死んだことは大した事じゃねーのか!?」
「『横を見ると本日の成果たる桃と鎌。この後おばあさんがどうするか、それはわかりますね?』」
「まあそーだなあ。ちっとやりにくいが鎌で桃断ち割って、そしたら子どもが出てくるってか。つーかこれからよーやっと本編始まりかよ」
「『おばあさんは、桃を美味しく頂いたのです。美味しく―――もちろん桃の一番美味しいところといえば外側! おばあさんは鎌で外側をこそぎ落として食べたのです。
たらふく食って大満足のおばあさん。桃はまだまだ余っていますので、さらにおじいさんの分まで確保し、意気揚々と帰路につきました。洗濯物とあの鎌ももちろん忘れません。
家に帰ってこの話をしたところおじいさんびっくり。無くした鎌が戻ってきたのです!! これで鎌3本ゲット!!
喜び抱き合いそのまま床へ。9ヵ月後おばあさんには子どもが生まれていました。2人は大切に子どもを育て、幸せになりましたとさ。ちゃんちゃん♪』
―――憶えた?」
今までの展開を全て無にしたとんでもないラストに目を点にする跡部。だがここで突っ込みを入れていけばますます長引くばかり!!
(気にするな俺。ただの暗号だ。全部軽く流せ)
深呼吸して気を落ち着かせ、跡部は口を開いた。
「・・・・・・・・・・・・結局何の話だったんだ?」
「多分『因果応報』がテーマじゃないかと」
「つーか、『変わらない日常の物語』だったんじゃねえの?」
「かもね。やっぱ変わったものだと暗号ってバレやすいから」
「あー確かにまさかンなのが暗号だなんて誰も思わねえだろーな」
ボヤく跡部に、なぜかサエは嬉しそうに頷いた。
「で、憶えた?」
「無理だろ」
「頭悪い?」
「ならてめぇがもう一回繰り返してみろよ!!」
「いいよ? じゃあ―――
『昔々とあるところに―――』」
「もー間違ってんじゃねえか!!」
「憶えてんなら繰り返させないでよ!!」
「初っ端1行ぐらい憶えてて普通だろーが!!」
「じゃあ紙に書くから!! それでいーんでしょ!?」
「そうだな」
紙なら少しずつ間違える事もないだろう。それに向こうでもそれを読み上げればいい。
「じゃあ書くから外してよコレ」
目線でツタを指され、跡部もようやくサエが苦しい恰好のままずっと話し続けている理由に思い当たった。
解放してやる。疲れたかふらりとよろけるサエを支えてやり―――
―――跡部はそのまま押し倒された。
1分ほど土の上で重なり、
「―――何しやがる?」
「いろいろやられた仕返しにね」
跡部の上から身を起こし、サエは濡れた唇を舌で舐め取った。無言でそれを見上げ、
「わっ!」
反転。今度はサエを下に敷いた。
「俺も、してやられるばっかじゃプライドが傷つくもんでな」
「あら。それは失礼。男って難しいのね」
澄ました顔で言うサエに苦笑いし、跡部は躰を落としていった。
‡ ‡ ‡ ‡ ‡
結局サエの家に一晩世話になり、跡部は森を後にした。
『岩山までまだ遠いし行き方も複雑だから、ここで直接道言うよりはもっと近い街で聞いた方が確かよ?』
そんなワケで、次はさらに東の街だ!!