Priceless Pride
          〜プライドの価格〜






中篇―――1


 次の日。待ちに待ったデートの日。
 「ウゼえ。ついてくんな。邪魔だ」
 跡部の機嫌の悪さと遠慮のなさは最高潮に達した。最短でぐさぐさぐさぐさ胸に突き刺さる毒舌が撒き散らされるが、まあこれは無理のない事だろう。
 「そんな機嫌悪くならないで。ね?」
 「なってんのはてめぇがいるからだ。さっさと帰れ。目障りだ」
 「酷いわねえ景吾君。そんなんじゃ女の子に嫌われちゃうわよ?」
 「ああ結構だ。むしろてめぇは嫌え」
 「私が? 何で?」
 「俺が嫌いだからだ」
 「あなたを?」
 「俺がてめぇは嫌いだっつってんだろーが!!」
 堪えきれずに振り向く。後ろからついてきていた折原嬢へと。
 割と慣れている部員ですらビビる跡部の怒り。それを真正面から向けられ、彼女は怯むどころかにっこりと笑ってみせた。
 「駄目よ景吾君。これから永遠を共にするんだから仲良くしなきゃ」
 「・・・・・・あん?」
 「私あなたの婚約者になったの」
 「俺は許可した憶えはねえよ!!」
 「でも小父様と小母様は許可して下さったわ。私の親も喜んでるわ。
  結婚は両家の繋がりを深めるものですもの。両家の主の承諾が得られたのだからもう決定でしょ?」
 「親父と母さんが許可出したあ?」
 「ええ。私がその話をしたところ、楽しそうに笑って下さったわ」
 (・・・そりゃしっかり流されたんだろ)
 跡部にそのようなもの―――親の決めた許嫁など―――はいない。自分の人生は自分で責任を負う事、それが跡部家の信条だからだ。だからこそ跡部は金持ちのボンボンと見せかけ学費から自分で稼いで払っている。まあ親の仕事の手伝いと株などという表からはあまりわからないものだからこそ誤解を受けやすいのだが。部室の改築費もちゃんと株界わらしべ長者的のし上がりで稼いだものだ。
 笑って流した。許可も却下もしなかった。本人に任せるという事らしい。
 (もちろん受けるつもりはねえな)
 当たり前の確認を取る。自分が選ぶのは佐伯だけだ。こんな女など選ぶわけがないだろう?
 だからこそ、跡部ははっきり言った。
 「あのなあ、知ってんなら話は早ええが、俺が選んだのは佐伯であっててめぇじゃねえ」
 「佐伯君の方にもその断りは入れた?」
 「ンなモンとっくに入れたに決まってんだろ?」
 「あら。佐伯君はむしろ女性に興味があるみたいだけど?」
 「ああ?」
 指された方を見る。自分の横にいた筈の佐伯。彼は―――
 ―――数m先で、見も知らない女性と楽しげに話していた。
 「オイ佐伯!!」
 「あ・・・」
 有無を言わせず腕を掴んで引っ張る。女性がこちらの剣幕にビビって引いた。
 「いきなり何すんだよ景吾!」
 振り向いてきた佐伯は実に不機嫌そうで。今の自分とあまり変わりないをしていた。多分。
 「てめぇ今何やってた!? 今日は俺と一緒にいるんじゃねえのか!? ああ!?」
 「だったらその台詞はそっくりそのままお前に返させてもらう!! 何で違うヤツとばっか話してんだよ!?」
 「ンなモンそいつが勝手についてきたからなだけだろ!?」
 「連れて来んなよせっかく今日は1日デートだって楽しみにしてたんだから!!」
 「連れて来たくて来たんじゃねえよ!! 大体だからっててめぇが他のヤツと話していい理由にゃなってねえじゃねえか!! てめぇが今してた事だってコレとどー違う!?」
 「全然違うだろ!? 俺は道訊かれたから答えただけだ!! お前がビビらせてなかったら笑顔でそのまますぐ別れてたよ!!」
 「・・・・・・そうだったのか?」
 「それ以外の何があるんだよ!?」
 「イヤてめぇなら他に『引ったくり捕まえて謝礼求めてた』とか『ティッシュ貰ってがめつくもっとくれと言ってた』とかその辺りもアリだろ」
 「・・・・・・。
  しまった。道教えたんだからその礼貰うってテもあったな」
 「マジでやんなよ? それこそ相手ビビって逃げんぞ?」
 「は〜。残念だ。日本でもチップとか流行るといいな」
 「いくら広まっても親切心に全部金は払われねえだろ」
 「何だよケチだなあみんな」
 「てめぇが一番ドケチだ!!」
 は〜・・・とため息をつき、
 跡部は携帯を取り出した。
 「? どうしたんだ?」
 「援軍呼ぼうぜ」







∞     ∞     ∞     ∞     ∞








 こういうのもラッキーの力なのか、援軍は
500m程度先のゲーセンにいた。
 さりげなくそちらへ向い、入り口で合流。
 「やっ。跡部くんサエくん」
 「よお千石」
 「どうしたんだお前こんなトコで?」
 「やっだなーサエくん。ゲーセン前でやる事って言ったら2つでしょ。ゲームかナンパか」
 「・・・いやお前今日部活じゃないのか、って訊いたんだけどな。南から《千石見かけたら学校に引っ張ってきてくれ》ってメール入ってたぞ」
 「うわ南。また妙なトコまで捜査網広げて・・・・・・」
 がっくりと項垂れる千石。ちなみに同じメールは跡部の元にも来ていた。どうせこの辺りをうろついているのだろうとこちらもうろついてみたのだが、やはりラッキーは強いものだ。
 千石の肩を取り、
 「ナンパなら手伝いしてやるよ」
 「え? サエくん譲ってくれんの?」
 「さて南の番号は―――」
 「まーまーまー跡部くんv 今のは軽〜いジョークだから。ね?」
 コビる千石。さらに肩を抱きこみ、堂々とひそひそ会話を交わす。誰に聞かれても困らないのだから別にいいのか。
 後ろを親指で示し、
 「後ろの女ナンパしろ。性格と言動にゃ問題あるが、見た目は問題ねえし掛け値なしの名家の令嬢だ。当てりゃ一発逆玉だ」
 「・・・君が言うと価値一気に下がるね」
 見た目最上級の文句なしにお坊ちゃま。跡部家と比べれば後ろの少女の家などたかが知れているだろう。見た目もそんな感じだ。ピンなら問題なしかもしれないが、跡部と佐伯と共にいるとかなり翳む。というか目にも止まらない。
 跡部を見る。視線を追えば、見ているのは少女ではなく佐伯だった。
 佐伯を見る。こちらが少女を見ていた。どう控えめに表現しても人気がなければヤる気満々。もちろん『殺す気』の方。
 少女を見る。ハートの飛び交う熱視線を辿れば、結局跡部に戻った。時折佐伯にも向く。熱視線ではあった。ハートの弓矢をただの弓矢―――こちらも殺傷意思に変化させ。
 実にわかりやすい三角関係だった。トライアングルの見本といったところか。
 (ふ〜ん・・・)
 声には出さずに呟いた。つまり自分に廃棄物処理をやれと。
 これは小声で尋ねる。
 「後で何かに巻き込まれたりしないだろうねえ?」
 厄介ごとは御免だ。跡部がそのテの相手を自分に押し付けるとは思えないが、それでも念には念を入れるべきだろう。いつも適当にナンパしてる子と違って、跡部経由で身元がバレる。
 ヘタな金持ちは『問題対処万能カード』―――早い話が金―――を持っている。当たり前だが。本来なら諦めて引き下がるべき事態もそれの乱発で強行に食い下がろうとする。物事によっては黄門様の印籠より厄介だ。
 問われ、跡部がにやりと笑った。
 「だったら簡単だ。それ理由にして別れる」
 「・・・・・・つくづく自分勝手な意見ありがとう」
 ため息をつく。ヤバくなったら即座に別れろと。つまりそれだけの危険性は備えている、と。
 考え―――たのはせいぜい2・3秒だった。へらへら笑い、
 「ねえねえおねーさん、俺千石清純って言います。おねーさんのお名前は?」
 「え・・・? 折原、香奈江・・・だけど・・・・・・」
 「そっか〜。香奈江さんか〜。やっぱおしとやかそうな名前なんだね〜」
 「あ、ありがとう・・・・・・」
 「で、香奈江さん今予定は? なかったら俺とお茶しない? そこにすっげーいい感じの店あんだよね〜。案内するよ」
 「ちょ、ちょっと・・・!!」
 「よし。んじゃ行くか佐伯」
 「そうだな」
 「ま、待って・・・」
 「跡部くんイイ子ありがと〜vv」
 「じゃあな千石。ソイツは適当に遊んどいてやってくれ。よっぽどヒマだったようだからよ」
 「違っ・・・!!」
 「うんわかった。んじゃ〜ね〜♪」
 「景吾く〜〜〜ん!!!!!!」







∞     ∞     ∞     ∞     ∞








 2人が消え去り・・・
 「ちょっと!! どうしてくれんのよ!?」
 その場には、本性を現した(とはいってもさほど隠してもいなかったようだが)折原嬢のキンキン声が響き渡った。
 掴んでいた手首をぱっと放し、
 千石は浮かべる笑みの種類を変えた。
 「ダメだよ。そんな風に迫るだけじゃ跡部くん逃げるだけだよ?」
 「え・・・・・・?」
 「好きなんでしょ? 跡部くんの事。だから何とかして振り向かせようとしてる。ライバルのサエくん蹴落とそうと攻撃してる」
 「あなた・・・・・・」
 折原嬢がぼんやりと呟いてきた。どうやら見抜かれた事が信じられないらしい。
 (3秒も見ればわかると思うけどね、誰でも)
 多分彼女は普段周りを見ないのだろう。だから気付かない。跡部に本気で『敵』とみなされた事に。
 「跡部くんはボス猿の典型だからね。自分の仲間に敵意を持つ相手には必然的に警戒するよ? 本当に攻略しようとするんなら攻め方変えなきゃ」
 薄く笑う千石に、ぱちくり瞬きした後折原嬢が首を傾げた。
 「あなた・・・なんで私にそんなアドバイスしてくるの?」
 ―――嫌われている自覚はあるらしい。余計に疑問だろう。跡部の友人と思しき自分がなぜ彼女を応援するような事を言うのか。
 薄く笑ったまま、言ってあげる。ウインクなどつけて。
 「俺は可愛い子の味方だからねv」
 「そうなの。じゃあどうすればいいの?」
 「君が彼らをどこまで調べたかは知らないけど、2つ情報あげるよ。
  1つ。2人は遠距離恋愛だ。今日か明日にはサエくん帰るよ?
  でもって2つ。
  ―――跡部くんはともかくサエくんは『一般庶民』だ」
 「へえ・・・」
 折原嬢が面白そうに声を上げる。どうやら『お代官様と越後屋的やり取り』は得意なようだ。『腹の探り合い』と素直に言うべきか。
 にっこりと笑い、
 「わかったわ。ありがとう。
  それと―――これはお礼ね」
 軽くキスをしてきた。
 「じゃあね、清純君v」
 手を振って去る折原嬢に、
 「今度はお茶付き合ってね〜vv」
 千石もまた元のへらへら笑いで手を振った。
 いなくなるまで手を振り―――





 ―――その手で唇をごしごし拭う。顔には一片の笑みも浮かんでいなかった。
 とりあえず気持ち悪い口紅は全部落ちただろうところで、
 千石は楽しそうに笑った。壁を背に、顔を手で覆い心底楽しそうに。
 「ああやだやだ。これだから自意識過剰な馬鹿って大っ嫌いなんだよ」
 誰がアレを指して『可愛い』と言った? アレと比べれば―――いや比べるまでもなく佐伯の方がよっぽど可愛いに決まっているだろ? 最初に「サエくん譲ってくれんの?」としっかりヒントをあげたというのに一向に気付かない。そしてそういう輩に限って根拠もなく「自分は賢い」と思う―――これも『自意識過剰』の一環か。
 こういうウザいのは2・3回デートしてとことんおだて上げて手の平で躍らせ影で笑い飛ばす分には結構だが・・・
 「オトモダチになりたいとは絶対思わないね」
 唐突な話だが、千石と南は何だかんだ言ってオトモダチ―――親友だ。こう言うと当の南含めて誰もが疑問に思うらしい。なぜあんな地味なヤツが親友なんだ? と。
 (簡単さ。地味だから親友なんだよ)
 『地味』。一見マイナスポイントのようだ。南自身もそう思っているらしく、常々お前みたいになりたいよ・・・と言われる。
 が、
 自分に言わせれば、南にとっての『地味』は長所だ。見た目や中身の問題ではない。重要なのは南本人がそれを自覚している事。“無知の知”という言葉があるように、それを知った人間は強いのだ。地味だからこそどうすればいいのか知っている。合わないハデさにこだわる事もなく、どうせ地味だとヤケになる事もなく。自分の役割を心得ている。「お前みたいになりたい」と言いながら自分のやり方を貫いている。その信念の強さは敬服に値する。だから南は大好きなのだ。
 跡部や佐伯も似たようなものだ。自分を見誤らない。過大評価も過小評価もせず、「これが自分だ」と胸を張り(張る度合いは人それぞれとして)生きている。だから彼らも大好きだ。
 日々適当な子を誘いそばにはべらせる自分にとって、『恋人』よりも『友達』の方が価値は高い。よほど気に入らないとこちらには入れない代わりに、こちらに入った相手は大切にする。自分と別れる時相手はよく「あなたは冷たい」というが、何、ただランクアップしなかっただけだ。
 手を外した。もちろんもう誰の姿も見えない。
 誰もいなくなった街角を見つめ、
 千石は今までとは違う笑みを浮かべた。
 「だから君の味方してあげるよ、サエくん」
 実のところ彼女の方法は正しいといえば正しい。跡部の意識は確かに彼女にも向けられている―――敵として。
 『愛』と『憎』を同じだと考えられる思考の持ち主なら、恐るべきスピードで跡部に嫌われた(数日前会った時は彼女の話題など微塵も出なかった)彼女に驚きを覚えるだろう。そしてこれが厄介なのだが―――
 ――――――佐伯こそがその思考の持ち主だったりするのだ。ついでに自分も、跡部に関してはそう思う。
 佐伯は今相当に焦っている。普段なら跡部が多少どこかの誰かと話していようが全く気にしない佐伯が、彼女には明確な敵意を抱いている。
 跡部もそれを察しているのだろう。だから必要以上に彼女を毛嫌いする。それが佐伯を余計に焦らせているとも知らず。
 瞳を閉じる。瞼に焼き付いていたのは去り際の佐伯の表情。跡部に腕を引かれ、本当に嬉しそうに笑っていた。
 開く。その顔にはもう、他者への慈しみを込めた笑みは跡形もなくなっていた。
 千石は、最後に小さく呟いた。





 「憎いでしょ? 大丈夫。とどめはしっかり君に刺させてあげるからね」



―――中篇2