デンジャラス使用人生活
前編―――
「失礼します。
―――景吾様、朝ですよ」
規則正しいノック音。それだけで躾の良さ―――良家の証たる英才教育の賜物ではなく、明らかに無理やり仕込まれた使用人特有のもの―――を窺わせる音と共に、実際メイド服の少女が部屋へと入ってきた。
足音も立てず、部屋中央に置かれたベッドへと近付いていく。薄いレースを手で払いのければ、彼女が仕える主はまだのんびりと眠っていた。
「景吾様、朝ですよ」
耳元に屈み込み、鳥の囀りのような囁き(実際鳥の囀りというのを耳元で聞かされると煩くて凄まじい嫌がらせになるだろうが、あくまで『のような』であり小声で言った。ちゃんと)を洩らす。さほど長くはないながら、耳にかかりきらない銀髪がさらりと前に垂れた。
暫く観察する。主はまだ起きない。
確認し、少女は主へと滑らかな手を伸ばした。顔にかかる髪をどける。端正な造作。普段の厳しさ―――顔のきつさでもあり、自国のみならず周囲の国々をも掌握する政治的手腕でもあり―――から忘れられがちだが、こうしてあどけない寝顔を見ると彼もまだ自分と同じ年の少年に過ぎないのだと改めて思い知らされる。そして、
―――そんな彼が見られるのも、使用人の特権。
つけていた膝を立てる。少しだけ目線が上になった。見える顔の角度が変わる。横向きから、正面へ。
覆いかぶさるほどの至近距離で、少女は眠る主をなおも見続けた。潤んだ目で。惚けた顔で。
「景吾様・・・・・・」
囀りから一転、湿り気を帯びた悩ましげな声で囁く。意外と求愛行動中の鳴き声に似ているのかもしれないが。
と―――
ぱち。
寝ていたはずの主―――跡部景吾が、なぜかごく普通に目を開いてこちらを見上げていた。今まで寝ていた者の覚め方ではない。
「―――っ!!」
慌てて身を起こそうとする少女。だが跡部が伸ばした手の方が早かった。後頭部と手首を掴まれ引き寄せられる。
前にそのまま繋がり無音の悲鳴が響いた。そしてすぐに消えた。息を吸い終わり。
「ふ・・・あ・・・・・・」
唇だけでの触れ合い。吸った息を吐くため口を開けば、そこにぬめった舌が入ってくる。
力が抜ける。このまま身も心も委ねたい衝動と誘惑に駆られ、
「―――止めてください」
少女は一息でそれらを払った。
失礼にならない程度に押しのけ、身を起こす。冷めた目で見下ろし、完全に突き放した口調で続けた。
「目が覚めていたのならさっさと起きてください」
「お前がいやに熱視線で見てたからな。起きたら悪りいかと」
「寝たふりの方がよっぽど悪趣味です」
「そーかい。んじゃ次からは気ぃつけるか」
寝転んだまま、髪を掻き上げ跡部がくつくつ笑う。そんな姿すらも人を魅了するものがある。
「では、朝食は食卓の方に用意してあります。お早めにお越し下さい」
魅了されない内に、手早く頭を下げ出て行こうとする少女を、
「おい待てよ」
「・・・・・・何でしょう」
呼ばれたら振り向かないワケにはいかない。心底嫌そうな様子を・・・まあ2割程度は堪えて振り向く。8割伝わった時点で無意味なような気もするが、よっぽど鈍感なのか図太いのか、跡部は気にする事もなくのんびりとベッドから出てきた。
さらに苛立ちを煽るように、両腕を開き自身を悠然と見せ付け、
「着替え。手伝ってけよ」
「お断りします」
少女は、さすがにこれは即答した。
「何でだ?」
「1人で着替え1つ出来ないほど子どもではないでしょう?」
痛烈な皮肉を込め断る。が、
それを聞いて、なぜか跡部は怒るどころか笑い出した。目を細め、笑みを深め。
「俺様の裸、お前だけに見せてやるよ。サエ」
サエと呼ばれた少女の目が開かれる。驚きではない。怒りで。
相手を射殺しそうな程の目で、ぎしりと歯軋りをして。
・・・・・・結局サエは、歩いた道を引き返し伸ばされた手を取った。
パジャマのボタンを外すため、身を屈める。真正面に見えていたものが、跡部の目から胸元に変わったところで、
「いい子だ」
上からそんな言葉が降ってきて、頭をくしゃくしゃ撫でられた。気持ち良さに目を細め見上げる。撫でた跡部もまた、嬉しそうだった。
下着含め、全てを脱がせる。着替えを用意し、脱いだ服を手に持ち、サエは再び跡部に一礼した。
「後はご自分でどうぞ」
「おいおい、ストリップショーじゃねえんだぞ? 最後までやれよ」
「お言葉ですが、『裸の鑑賞』は終わりました。十分堪能させて頂きました。ありがとうございました。
後はご自分でどうぞ」
顔に笑みを貼り付け言い切り、今度こそ部屋を出て行こうとする。これ以上は危ない。自分の制御が出来ている内に出なければ。
踵を返すサエ。踏み出した足は―――1歩も進まず止められた。
「待てよサエ」
後ろから抱き締められる。全身を包む温かさに、サエが息を呑んだ。
瞳孔がかたかた揺れる。酸素を求め、金魚のように犬のように舌を出し口をぱくぱく開く。己に戒した制御が、脆くも崩れ去っていく。
「ンなに冷たくすんなよ。な?」
耳元で囁かれる懇願・・・に聞こえなくもない命令。彼が主であり、自分が彼に仕える使用人である限り、これは命令以外の何物でもない。
それでありながら、
―――サエはあくまで逆らった。
荒くなる息を落ち着け、膝に力を込め。残っている自制心を掻き集め、つとめて平常心に見られるように。
「そういったお戯れは他の方でどうぞ」
「俺の噂、聞いてねえワケでもねえんだろ?」
「『女殺し』・・・ですか? 近隣諸国の貴族階級で、あなたに手を出されていない女性はいないと。あまつさえ手近なところで使用人とまで関係を持つそうですね」
「そういう事だ。使用人」
「ならばより他の方でどうぞ」
「冷てえなあ」
再びくつくつと笑い、
「――――――っ!!??」
跡部は、丈の短いスカート越しに手を忍び込ませてきた。
ぬちゃぬちゃと弄られ、サエの顔がどうしようもないほどに歪んだ。嫌なら跳ね除ければいいのだろうに、それを出来ない―――どころかそれを悦んでいる自分に泣きたくなる。
無抵抗なのをいい事に、跡部がさらに揉み込み、
言った。
「濡れてんだな。女みてえに」
パ―――ン!!
ためらいはなかった。手をはたき飛ばし、脱出する。
振り向けば、跡部は見下した笑顔で赤くなった手を振った後、見せ付けるように舌を出して舐め取った。さらに下が濡れていく。
燃える眼差しで睨みつけ、
「最っ低」
一言残し、サエは部屋から出て行った。
〜・〜 〜・〜 〜・〜 〜・〜 〜・〜
使用人根性で持ってきた洗濯物をカゴに入れ、サエ―――本名佐伯虎次郎という少年はずりずりとその場にしゃがみ込んだ。
「ホントに、最低だよお前は・・・・・・」
浮かびかけた涙を堪え、弱々しく呟く。先程までの高い声ではなく、格好には相応しくないハイバリトンで。
佐伯は元々小国の王子だった。跡部が納める氷帝帝国に戦争を挑まれ、惨敗、吸収された小国の。
取り込まれる際のせめてもの抵抗―――良く言えば『和平交渉』―――のため差し出されたのが佐伯だった。向こうからの要求だった。
―――『コイツを寄越せば、お前の国の国民の地位を保証してやるよ』
敗戦国の国民は、基本的に奴隷となる。どこの国でもそれは常識。それを覆そうというのだ、この帝王は。自分と引き換えに。
王は実に国民思いだった。国民思いで、故に帝王ではなく息子に教え聞かせた。
―――『頼む虎次郎。辛いだろうが、我慢してくれ』
「ああ辛いよ。本当に辛いよ」
父も、まさか息子にこんな未来が待っていたとは思ってもいなかったのだろう。
―――『お前は今日から俺の使用人だ』
命じられ、徹底的に教育を施された。なぜか夜のお相手にまで仕込まれ(さすがに直接突っ込まれる事はなかったが)、不思議がっている間にもとりあえず使える程度には馴染んできて。
・・・・・・渡されたのが執事服ではなくメイド服だった時点で全てを理解した。
跡部は国民を奴隷にする代わりに自分を奴隷にしたのだと。かつての王子を足元にひれ伏させ、しかも自由に操って。さぞかし面白いだろう。
ふざけるな。誰が思い通りになどなってやるか。
そう誓って、もう何年だろう。
かつての誓いは、とうに崩れてしまった。自分は跡部の思い通りに動いている。
自分は彼を――――――愛してしまった。
帝王としての倣岸さ。跡部景吾としての幼さ。アメとムチの使い分け。見れるのは自分だけ。
―――ハマるまでに、さほどの時間は必要なかった。
辛い。あのままキスに溺れたい。広い肩に抱かれたい。裸同士で触れ合いたい。冷たい言葉ではなく、本当の笑顔で話し合いたい。
だが、そう動けばその瞬間自分の敗北が決定する。負けたくはない、絶対に。プライドの問題もあるが、跡部がこれだけ構ってくるのはあくまで自分が堕ちないからだ。完全に言いなりになってしまえば、その瞬間彼の興味は失せるだろう。堕とされた挙句に捨てられるのは、それこそプライドが許さない。
「大丈夫だ。まだ行ける。まだ行ける」
元の女性声に戻っての自己暗示。かけながら、跡部が今まで着ていたパジャマを抱き込んでしまうのはどうしようもなかった。
〜・〜 〜・〜 〜・〜 〜・〜 〜・〜
部屋に取り残され。
今までの高慢な態度はどこへやら、跡部は独り陰鬱にため息をついた。
「なんで、上手くいかねーのかな・・・・・・」
かつて自分が征服した国を思い出す。佐伯が王子として君臨していた小国を。彼はどこまで世界を見渡せていただろうか。侵略しなければ、遠からぬ未来滅びていた自分の国をどこまで予期できていただろうか。
生きるには少し厳しすぎる環境にあって、人は集団となる事を選んだ。そうして出来た集団が、村となり、街となり、やがて国となる。
だがそれだけではまだ足りないのだ。半端な集団は、むしろ互いに互いを奪い・侵し・貶めるしか役に立たない。生き延びるためには、もっと大きな集団―――国同士での連携が必要だ。
しかしながら、それが出来ないのが国である。出来るならばとっくに合併している。もちろん小さくても生きていける国、たまたま相手がいなかっただけで協力には賛成な国もある。それでも・・・国は国としての誇りを持ち、故に他の国に頼る事を認めようとはしない。
このままでは共倒れで全て滅びる。だから自分は国々をひとつにまとめようと思った。賛同してくれるところとは同盟を結び、してくれないところは自国に取り込み。
氷帝が軍事大国であるのは他国を攻めるためではない。威嚇のためだ。争わせる事そのものが無駄だと、そう悟らせるための脅し。実際佐伯のいた母国とも、血を流す争いの類は一切起こらなかった。そして―――
―――取り込んだ国の者を奴隷としないのは氷帝では当たり前だ。階級などいちいちつけ、下っ端だけに働かせるほどの余裕などどこにもないのだ。あまつさえそれで反乱され滅びたとしたら本末転倒にしかならない。
一通りそれらを考え・・・
・・・・・・・・・・・・結局罪悪感しか残らないのはいつもの事だ。
そんな理想論を掲げ、やっているのはただの侵略戦争。相手の理念思想を踏み潰し、自分だけしか納得出来ない理想で縛り付ける。反抗する国の方が正常なのかもしれない。
そして、
だからこそ今自分はここを退くわけにはいかないのだ。氷帝は良かれ悪かれ大国になりすぎた。強大な力は人を狂わす。帝王というのもまた氷帝の一国民に過ぎない筈なのに、まるで全てを手に入れた全知全能の、それこそ本物の『王』となったような錯覚を覚えてしまう。自分の地位を狙っている者は、皆この力に酔わされている―――酔わされたがっているのだろう。
力を手に入れれば、それを振るいたくなる。道具を使うのと同じだ。道具も力も使われるために在る。どう使うかは使い手次第。
―――それこそ本当に侵略を始めるだろう。だからこそ自分は帝王の座にしがみつき、それを抑えなければならない。
(なんて思う俺も、もう狂ってるってか・・・・・・)
苦笑いし、跡部は力尽きたようにベッドに腰を落とした。まだ裸のままの体を掻き抱く。佐伯のぬくもりが、佐伯の匂いが、まだ残っているような気がした。
「佐伯・・・・・・」
呼ぶだけで、躰が熱くなる。初めてだった。こんなに他者を愛しく思うのは。
『合併』しようとした国の中に佐伯がいた。ただそれだけの事。今までと一体何が違ったのだろう。
なのに惹きつけられた。一般的な言い方をすれば、一目惚れした。
何とか引き止めておきたくて、あんな卑怯な方法を取った。他の者に狙われないよう、『女殺し』の噂を利用した。メイドとしてならそばにいるのは当たり前。手を出しているとバレようが、ただの遊びで片付けられる。そう判断するお偉方の男どもは知らない。自分は佐伯除き誰にも手を出した事はないなどと。位に関係なくプライドの高い姫君たちは、ただ握手をしただけでも脚色して語るものだ。自らしなだれかかり振りのけられたのだとしたら尚更。
佐伯にもあえてそれで通しているのは、いざとなったら切り捨ててもらうため。真実が発覚したら、佐伯は自分を言い聞かせるための切り札として利用されるだろう。その前に切り捨てなければ。切り捨てられなければ。
苦笑いが、自嘲に変わる。
「ま、捨てられる前にそもそも拾われてもねえだろうけどな」
冷たい態度を思い出す。当然だ。そうするよう仕向けたのだから。
ただ・・・
思う。もし自分が帝王などという位でなく、ごく普通に求婚していたらどうなっていたのだろう。答えてくれるか。それとも―――
―――今と同じように冷たく突き放すだけか。
「愛してるぜ、佐伯」
誰にも告げられない思い。今日もまた、誰もいない虚空に向かって放つしかなかった。
―――後編へ
〜・〜 〜・〜 〜・〜 〜・〜 〜・〜
これだけは言わせてください。サエが跡部の手をはたいた際は、甲を使って横向きに飛ばしました。決してそのまま平手打ち、跡部の手ごとあまつさえ自分のものにまでダメージを与えるような事はしていません。やってたとしたら・・・絵的に考えても凄まじい光景となりそうだ。
・・・という主張をするためだけのターニングポイントではないのですが、では次は後編へGo!
2005.7.5〜6