線上にての価値 You want to Bet








  3前―――

 朝目覚める。ひとりきりのベッド。リョーガはいない。
 見回す。部屋のどこにも、リョーガはいなかった。
 ひとりの部屋で、佐伯は独りごちた。
 「この部屋、こんなに広かったっけ?」
 変わっていない筈だ。リョーガがいた間と――――――リョーガが来る前と。
 なのになぜだろう。部屋は広すぎて、
 ・・・自分は小さすぎて。
 ベッドの上で膝を抱え、何も見ないようそこに顔を埋める。
 小さく小さく丸まって、佐伯は小さく呟いた。
 「リョーガぁ・・・・・・・・・・・・」







・     ・     ・     ・     ・








 リョーガが家を出て行って、半月が経った。元に戻っただけなはずのひとりきりの生活は今だに馴染めず、佐伯は今日もベッドで丸まるだけで・・・
 「せっかく晴れたんだから布団干すわよ」
 ずりっ! べたっ! ぐしゃっ!!
 ・・・母親の愛情溢れる後押しにより、今日は前向きに検討してみる事となった。







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 リョーガ探しの旅スタート。まず行くのは東京だろう。リョーガが行くとなれば、最初に考えられるのが家族の元―――越前家だ。
 「―――ああ佐伯さん」
 「やあ越前。久しぶり。
  突然の事だけどさ、リョーガ来なかったか?」
 「リョーガ? 来たけど?」
 「ホントか!?」
 「半月前に」
 「・・・・・・・・・・・・。そっか。じゃあ―――」
 手を振りかけて、
 ふと立ち止まる。
 半月前。リョーガが家を出て行ったのと同じ頃。出て行く前と後どちらに来たのかはわからないが、どちらにせよ何らかの意味合いは持っているだろう。出て行かせるきっかけとなったか、あるいは別れの挨拶に来たか。
 「その時の様子ってどんなだった?」
 「どんな・・・? 別に普通だったけど・・・・・・」
 リョーマが眉を寄せ上を眺める。暫しそれを眺め―――そういえばリョーガも何か考える時はこうしていたか。こう・・・とことんアホ面をさらしていたかなどと考えていると、リョーマの視線が元に戻ってきた。戻ってもなお見上げている事に関して指摘してはいけない。
 「・・・・・・母さんと何か話してた。生活費もういらないって」
 「それって・・・・・・」
 「アンタがバイト費全額渡すようにしたんじゃないの?」
 「そんな馬鹿な」
 「・・・・・・。いいけどさあ。
  そんくらい? そんな見てないしリョーガの事なんて」
 問答無用で説得力溢れる言葉。なにせリョーマだしなにせリョーガだ。跡部除き他人の事などロクに見てはいないだろうし、わざわざ見ていてやらなければならないほど『子ども』でもない。
 そう考えると・・・・・・探そうとしている自分こそただの馬鹿なのだろう。リョーガなら1人でちゃんとやっていける。わかっていて、なのになぜ自分はアイツを探す? 何のために――――――誰のために。
 ため息ひとつで自分を誤魔化す。空気も震わせない。力も抜いてはいない。リョーマも気付きはしなかっただろう。
 「そっか。ありがとな。それじゃ」
 「ども」
 最低限のやりとりをし、佐伯は越前家を去っていった。





 心の中で、第一候補にペケをつける。自宅は最初につけた。
 「生活費はいらない・・・。
  貯金を崩すか・・・・・・新しい仕事を始めたか・・・・・・」
 どっちにしろ有り得る事だ。一度リョーガに所持金を訊いた事がある。ドルでの話だったため位そのものは大きくはなかったが、日本円に換算すれば
100億円を越えていた。増やす気はないのか怪しまれないためか、銀行等には預けられていなかった。いわゆるタンス預金。オレンジの木の下に埋めてたりする辺り何だか別の話を思い出させるが、おかげでリョーガはあれだけのオレンジをどこから調達しているのかよくわかった。
 それ―――越前家旧家があるのはもちろんアメリカ。そして・・・
 「『新しい仕事』。リョーガにすぐ勤まって、ちゃんと生活出来る仕事・・・・・・」
 これで住み込みのガードマンだったりすると大爆笑なのだが。
 「一番やってそうなのは・・・・・・賭けテニス、か」
 がりがりと頭を掻く。リョーガがどうしてるかはともかく、彼がどこに行ったかは判明した。日本では賭博はご法度。すぐに受け入れてもらえる事も考え、リョーガは間違いなくアメリカへ行っただろう。
 「追う? アメリカまで?」
 茶化すように呟き、佐伯は苦笑した。確認するまでもなく決まっている。全国も終わった。夏休みはまだある。普段のケチり生活は伊達ではない。すぐにアメリカに飛び彷徨っても十分なだけ金はある。パスポートもしっかりと。
 問題なのは、どこを彷徨うかだ。範囲を狭めていかないと、一生かかっても見つからないかもしれない。賭けテニスは大規模に行われるだろうが全て地下社会[アングラ]での話。表沙汰になるはずはない。
 「いや・・・・・・」
 表沙汰にならない? 本当か?
 1人いたではないか。どういうアクセスをしたんだか、前々からやたらと情報を持っていたヤツが。
 「よし」
 佐伯は適当に座っていた石段から立ち上がった。越前家の裏にある寺の敷地内。ここでならどれだけたむろしていようが金はかからない。
 立ち上がり、鞄を引っ掛ける。
 「次は、千石のトコか」







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 「リョーガくんの行方?」
 「ああ、知らないか?」
 「君ん家じゃないの?」
 「いたら訊くワケないだろ?」
 「何だ。隠れ場所を俺のラッキーで見つけてくれって事かと思ったよ」
 「残念。屋根から下水道まで、全部探し終わった」
 「・・・・・・探したんだ。マジで」
 「というワケで、知らないか?」
 会話が元に戻った。千石はう〜んと(こちらは首を捻りあちこちに視線を彷徨わせ)悩み込み、
 「もしかしたら、心当たりあるかもしんないけど〜・・・・・・」
 「ホントか?」
 身を乗り出す佐伯に、千石は再度確認を取ってきた。
 「リョーガくんいないの?」
 「いないぞ?」
 「・・・今の返答のどこに胸張って言える要素があったのか全っ然わかんないけど、
  いつからいないの?」
 「半月前から」
 「でもって君は行方わからず?」
 「ああ」
 「何で俺のトコ来たの?」
 「お前なら知ってる可能性があるかと」
 「つまり?」
 「アメリカで行われる賭けテニスで、ここ半月でいきなり名乗り上げてきたヤツいないか?」
 「『リョーガ』じゃなくって?」
 「もしかしたら変えてるかも。アイツが言ってただろ? アメリカじゃ有名になりすぎて賭けが成立しない、って」
 「なるほどねえ」
 納得してるんだかしてないんだかよくわからない頷き―――他のヤツがしていると頭を掴んでぶんぶん振りたくなるが、千石の場合はこれが了承の印である―――をし、
 「ちょっと待ってね〜」
 千石は、回転イスをくるりと回しこちらに背を向けた。置いてあったパソコンをかたかた弄り、
 「条件に該当する中で最有力っていったら、コレかな」
 画面が見えるよう、千石がイスをずらした。座ったままで見えなくもないが、遠くから目を細め頑張っても間が抜けているだけなので佐伯はそちらに移動した。
 身を屈め、画面を見る。どこぞで開かれたパーティー(というか何というか)の概要だった。選手とオッズと結果が簡潔に記されたそれ。全部英語ながら、別に困る事もないので翻訳もせずそのまま読む。上からさーっと指でなぞり、
 ―――一点で止まった。
 「『
Ryoga』・・・」
 「まさかと思ったんだけどね。語りじゃないかって話もあるけど、この勝率はねえ・・・・・・」
 佐伯の呟きに、さらに千石が補足を加える。
 別の画面も見せられる。やはり似たような事が載った画面。日付だけが違った。
 それによると、
 『
Ryoga』が現れたのは半月前。登場以来の成績は全て勝利。最初は高かったオッズも、急速に下がっている。語りではない、あるいは語れるだけの実力あり、と誰もが気付いてきたのだろう。
 「どうするの? 会いに行くの?」
 「いや
 問われ、佐伯は首も振らずに断言した。
 きょとんとする千石。画面を―――画面に書かれた『
Ryoga』の文字をじっと見つめ、
 言う。





 「買いに行く」







・     ・     ・     ・     ・








 リョーガのオーナーの連絡先を聞き、
 佐伯が次に向かったのは跡部邸だった。
 「どうしたよ佐伯。てめぇが用もなく来るなんて珍しい―――」
 首を傾げる跡部の言葉を遮り、
 開口一発、佐伯は真剣な表情で言った。
 「金貸してくれ」





 「・・・・・・なるほどなあ」
 話の内容が内容のため―――というより玄関を開けっ放しにしておくと風が吹く度砂が中に入り込むため通された自室にて。
 一通りの話を聞き、跡部はこちらはわかりやすい相槌を打った。
 「んで、リョーガを追うのに金を貸して欲しい、と?」
 結論付けようとする跡部に、
 佐伯はふるふる首を振った。
 やはり否定する。
 「いや。
  ―――リョーガを買い取る金を貸して欲しい。1億ドル」
 予想外の用件にか額の大きさにか、跡部は1分ほど黙り込んだ。
 「・・・『買い取る』?」
 「賭けテニス止めさせる」
 「何でだ? さっきの話からすると、リョーガのヤツ自分から出ていったんだろ?」
 「たとえ出て行ったのはアイツの意志だろうと、賭けテニスに戻ったのはそうだとは思えない。アイツは確かに止めたんだ。絶対に・・・・・・」
 だんだん声がすぼまっていった。確信をもっているというより―――そう信じたげな様子。
 考える。そもそもリョーガが賭けテニスをやった理由はなんなのだろう。始まりは『何となく』といったところか。今までの世界に対応出来なかったから違う世界に入り込んだ。そして・・・自分に出会った。
 続けたのは、自分を探すため。―――そう考えるのはあまりに自分に都合良すぎか? 止めたのは、どこででも対応出来る強さを手に入れたからであり、自分を見つけたからであり。そう信じてはいけないのか?
 わかっている。ならばなぜ出て行った?
 自分はリョーガにとってさして大したウェイトを占めていなかった、ただそれだけが事実だと。
 だからこそ、ちゃんと止めさせたかった。それだけが、今の自分に出来る全て。それさえ叶うのならば、自分はどうなっても構わない。
 質問と返答を無視し自分を嘲るように無音で笑う佐伯を、跡部は細めた目で見ていた。答えの一部を持っている男は。
 なぜ始めたかはともかくなぜ止めたか。船の上でリョーガとした会話が正解だろう。



 『てめぇこそそろそろ世界の裏見んのも飽きてきたんじゃねえのか?』



 表も飽きて裏も飽きて。なのに表を選んだその理由は目の前の彼。
 佐伯がいるから同じ世界を選び、その佐伯を残し違う世界に旅立った。
 リョーガは考えなかったのだろうか。その考えが、己のエゴに過ぎない傲慢なものだと。リョーガが佐伯を選んだ時点で、佐伯もまたリョーガを選んだ事になるのだと。





 ――――――同じ世界を選ぶならば、佐伯もこちらへ来るのではないか・・・と。





 こっそりため息をつき、跡部は目の前で苦悩する男を見た。自分勝手な馬鹿野郎第2号を。
 (なんでコイツらは揃いも揃って目の前しか見ねーんだ? もうちっと長い目で見ろよ。1人がやりゃもう1人もやるに決まってんだろーが)
 いっそ2人で好きなだけ裏支配しろ。よっぽどそう言ってやろうかとも思うが、ここでそれを言わないのが、跡部が実は常識人だと陰で囁かれる(一応誉め言葉なのだが)所以である。千石辺りならためらわず口にしているだろう。
 猪突猛進馬鹿同士なのは確認した。これ以上馬鹿な話を聞いても自分も馬鹿になるだけなので、跡部は佐伯無視で先に進める事にした。
 「貸してくれ、っつっても・・・・・・
  ・・・・・・返す見込みあんのか?」
 「ローンを組めば将来的にちびちびと」
 「いや無理だろ。何年計算で1億ドル返すんだ?」
 「定年まで働いて
100万ドル換算で、まあざっと―――4000年くらい?」
 「てめぇはともかく俺は死んでんだよ!!」
 「『子々孫々豊かに暮らしましたとさ』」
 「だったら俺が直接豊かにしてるわ!!」
 「いやいや遺産だとガバガバ税金で取られる。ちびちび返していけばその心配はない」
 「・・・やけにリアルな話を」
 「あるいはかつてのインフレ期再来を信じて」
 「・・・・・・バブルはもう来ねえだろ」
 「もしくはドルの崩落が将来的に起こるかもしれないと願って」
 「・・・・・・・・・1ドル1円ラインまで落ち込まねえとそれでも無理だろ」
 げんなり呻き、今度はわかりやすくため息をついてやる。
 「んじゃ何かの買い取り代金として金を払う。そんでいいだろ?」
 そんな提案に、佐伯はぱっと顔色を明るくした。
 ぎゅっと跡部の手を握り、
 「おおサンキュー。やっぱお前はいいヤツだよ。持つべきものは友達だ!
  というワケでくれ」
 「物は?」
 「友達認定と握手」
 「そんで払えるか!?」
 「なっ!? 極めて貴重な俺によるお前賛歌までつけたというのに!!」
 「まあ・・・確かにそりゃ聞きようによっちゃあ1億ドルの価値あるかもな」
 「なら」
 「金はいらねえ、と」
 「ああはいはいv 次はまともにやりますvv」
 揉み手と猫なで声。わざわざ相手にいらんケンカを売った上で媚びまで売るのは、自分の知る限り千石とコイツだけだ。プライドがあるのかないのか、とりあえず足して2で割って平穏無事に済ませようとしない辺り根性は十二分にあるのだろう。
 「じゃあ・・・」
 佐伯が口元に手を当て、(ようやく)真剣に考えだした。細めた視線が下へと向けられる。悩む時も眠い時もぼーっとしてる時も陰に篭っている時もみんな同じカムフラージュを使うためわかりにくいが、さすがにいくらなんでもこの状況でこれ以上ボケはしないだろう。
 これで鼻ちょうちんでも作り出したら即座に引っぱたいてやろう―――そう誓い、近くにあった硬い紙で造られたファイルを手に取ったところで佐伯が戻ってきた。
 「捕れたてアサリのみそ汁で手を打と―――」
 スパーン!!
 「何だよ!? ハマグリの方がいいって言うのか贅沢な!!」
 「違げーよ!! どこの世界に1杯1億ドルのみそ汁がある!?」
 「捕れたてだぞ!? 店に並ぶ前だぞ!? しかもダシは樹っちゃんが取るぞ!?」
 「だからどうした!? ンなモン飲みたかったら直接九十九里行って捕るに決まってんだろ!?」
 第一(というか第二?)案は却下だった。むう・・・と呻き、
 「じゃあ、断腸の思いで肩たたき券とか」
 「安いなリョーガ・・・・・・」
 本当に断腸の思いらしい。目に涙を浮かべ口を尖らせる佐伯に、跡部の方も目に涙を浮かべた。零すのも何なので、片手で目尻を軽く押さえ我慢する。
 はあああっ! と大仰にため息(あくまでそう言い張る限りこれは『ため息』)をつき、
 「あのなあ。もっと何かあんだろ?」
 「そうは言っても・・・・・・家勝手に抵当に入れると母さんが怒るし、車は保証書を父さんが肌身離さず持ってるし・・・・・・」
 「・・・なんでいきなり超現実的な考えになんだ? とりあえずそれ持って本気で質屋には駆け込むなよ?」
 佐伯の顔から表情―――誤魔化しが全て消えた。
 最後の抵抗としてゆっくり息を吸い、
 震える声で、最終案を出す。










 「俺の躰を、1億ドルで買ってくれ」










 「・・・・・・。いいのか?」
 「ああ」
 頷く。もうためらいはなかった。
 跡部の手が頬にかかった。キスをされる。生まれて最後のキス。もう2度とする事はないだろう。
 かつて一方的にも愛した相手と交わす口付け。なのに苦いのはなぜだろう? オレンジ味のキスが無性に懐かしくなる。
 服を脱がされる。望んでいるのと違う男の手が躰中を這い回る。
 唇を噛み、理性を総動員して感情を押さえ込んだ。爪が食い込むまで握り締めた拳が震えている。
 全て脱がされた。閉じた目から頬に何かが伝わったところで、




















 「もういい」




















 「・・・・・・・・・・・・え?」
 きょとんと目を開く。涙で滲んだ視界をクリアにすると、跡部は後ろ向きに2歩3歩と下がっていた。
 がりがり頭を掻いて、ため息ついでに力を抜いて。
 心底軽蔑した目―――半眼でこちらを見やってきた。
 「生憎と俺にゃ越前・・・リョーマっつー恋人がいんだよ。俺が欲しいのはアイツだけだ。他はいんねえ」
 「――――――ノリノリだったクセに」
 この言葉は、佐伯が発したものではなかった。もちろん跡部でも。
 2人揃って、発信源へ首を回す。
 細く開けられた扉。そこから―――
 ―――顔を半分出し覗き込む形で、リョーマが凄まじい形相でこちらを睨み付けていた。
 握ってた戸枠から、べきりと音が響いた。木が軋んだのかリョーマの指が鳴ったのか、どっちにしろ彼が酷く怒っているのは明らかだった。
 「ちょ、ちょっと待て越前!! これはちゃんと事情があってだな―――!!」
 「へ〜。『事情』。
  事情があったらその人に手ぇ出すんだ」
 「そーいうんじゃなくって―――!!」
 必死こいて言い訳する跡部。しかしながら彼の弁論術をもってしても事実を覆せるワケはなく、さらに裸の佐伯を横に置いて説得力があるワケもなく。
 「サイテー」
 ばたん。
 それこそ心底軽蔑した目を向けることすらなく、
 その一言をラストに、リョーマは扉を勢いよく閉めた―――次の瞬間勢いよく開けられ、内側につんのめった。
 柔らかな絨毯の上にどべしゃと埋もれながら上を見る。いつどういうタイミングで服を着移動したのか不明だが、とにかく佐伯が元の爽やかな笑顔で佇んでいた。
 差し出された手。しかしながらそれは、これに掴まって立てというためのものではなく。
 「よし決まった。
  越前売るから1億ドルで買ってくれ」
 「買った」
 「は・・・・・・?」



―――3後