線上にての価値 You want to Bet








  3後―――

 その後1時間ほど、リョーマの地獄を佐伯はほのぼのした目で温かく見守っていた。地獄に落ちるかそれともより地獄に落ちるか、天秤にかけた結果リョーマはただの地獄の方を選んだようだ。
 改めて1時間ちょっと後。







・     ・     ・     ・     ・








 「んで、1億ドルでリョーガ買い取んの?」
 これはリョーマの台詞。一応その場にいた繋がりで事情の説明をした(本人は全く望んでいなかったようだが)ところ、リョーマは眉間に皺を寄せてきた。
 「買えんの?」
 金に対して無頓着だからこそ出る質問。だが、
 「そうだな」
 同じく金に対して無頓着ではあるが、1億ドルの価値はわかっている跡部もまた同意した。
 「アイツのオーナーからすりゃ、リョーガは金のなる木だ。とことん勝たせていきなり負けさせてみろ。その1試合だけで儲けは1億ドル超えるんじゃねえのか?」
 「だろうな」
 2人に見つめられ、佐伯は軽く肩を竦めた。
 「1億ドルはただの持参金さ。それを手土産に、物々交換[トレード]をしようかと思ってな」
 「トレード?」
 「まさかてめぇ・・・・・・」
 首を傾げるリョーマ。跡部は早くも察したらしい。
 そんな彼らを真正面から見つめ、
 佐伯は不思議な笑みを浮かべた。





 「俺と交換だ」





 「自分の言ってる意味がわかってんのか? 桜吹雪みてえに生易しいヤツが相手だと思うなよ? しかもリョーガと交換なら絶対服従が条件になんだぞ」
 厳しい目―――本当に自分を心配した目で跡部が詰め寄ってきた。
 だからこそ、佐伯も一歩も引かなかった。ここで引けば、跡部はどんな手を使っても自分を止めようとするだろう。
 「ああ。わかってる。わかってるから行くんだ。









  ―――リョーガをもう、そういう目に遭わせたくはない」











・     ・     ・     ・     ・








 どの位見つめ合っただろうか。引いたのは跡部だった。
 目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。本日何度目かの、ため息。
 「わかった」
 「じゃあ―――」
 身を乗り出してくる佐伯を制し、
 「金は出す。ただし、





  ―――この時点で俺がお前のオーナーだ





  言ってる意味わかるか?」
 目線で問い掛けてくる跡部に、佐伯はわかったからこそ口をつぐんだ。
 「で―――」
 跡部の視線が動く。佐伯から―――リョーマへと。
 「・・・何?」
 怪訝な声を上げるリョーマ。これまた無視され、視線は佐伯に戻っていった。
 「お前に関する権限を全て越前に譲渡する。
  佐伯、お前は越前の所有物になれ」
 「いらないっスよこんな人!!」
 「何だよありがたがれよ越前。そんでもって桜吹雪みたいに散々馬鹿にされろよ。俺はリョーガの跡を継ぎ頑張るぞ?」
 「だからヤダっつってんだろ!?」
 内容はともかく騒ぎそのものはワケのわからない方向へと発展していった。救いを求めるような上目遣いのリョーマにちょっときゅんときつつ、
 跡部は重く頷いた。
 「賭けテニスは金持ちの道楽―――遊びだ。たまに人生賭ける馬鹿もいるが、大抵のヤツにとっちゃ楽しむためのモンだし、桁が違うだけで実質ガキがゲーセンで遊ぶのとさして変わりはねえ。
  ―――お前の世間に微妙に対応してねえある種の純粋さは金持ちのボンボン的だ、越前」
 「誉めてないでしょアンタ」
 「その基準で行くとお前こそが『金持ちのボンボン』なんじゃないのか?」
 「俺の思考は金持ちっぽくねえと指摘がくるぞ。誰のせいでそうなったかはあえて言わねえが
 「いいぞ貧乏ビバ貧乏。跡部家が没落してもお前は元気で生きていけそうだ!」
 「不吉な事言うんじゃねえ!! つーかとっくに没落してんだよ!! 俺ら親子は本家から完全に見放されたただの成金だ!!」
 「・・・・・・哀しい自慢っスね」
 「どうりで仕草に庶民臭が漂うと思ったら・・・・・・」
 「だからこりゃてめぇのせいだっつってんだろ!?」
 「言ってないぞ? さっきあえて言わなかったじゃないか」
 「これまでの人生で何べん言ったと思ってんだ!?」
 のれんに腕押しというかマグマに向かってバケツリレーというか、それらとタメ張れそうなものとして心のブラックリスト赤字項目に挙げられた《佐伯の説得》をさらにぐりぐり強調し、
 「ただ行ってただ自分を買えっつったところでそう易々聞いちゃくれねーだろうな。
  越前を仮オーナーにしていっぺん試合に参加しろ。そこでリョーガと当たれ。でもってリョーガに勝て。アイツの不敗神話を崩せ。アイツは役に立たねえヤツだとオーナーの前で証明しろ。
  元々勝つ事しかしねえリョーガはあんま使い道のねえヤツだ。それでも使うのは、桜吹雪同様『確実に勝てるヤツ』が1人は欲しいからだ。
  ―――その座を奪え。使えねえ上に勝てねえんならアイツに価値はなくなる。
  その上で自分を売り込め。1億ドルは前のオーナーに見切りつけた証明だ。『役に立たない』リョーガと交換ならえらく安く見えるだろう。両方持つなんぞと言いやがったら駄々捏ねてみせろ。そのオーナーもリョーガで散々慣らされただろうからな。ちっと位は平気だろ。後は―――お前の演技次第だな」
 にやりと笑う。演技に関してわざわざ自分が何か言うまでもないだろう。
 佐伯はふーんと軽く頷き、
 「何で越前をオーナーにした? お前が直接やったらいいんじゃないのか?」
 「跡部家[ウチ]が賭けテニスやってるなんて噂になると面倒だ。それに跡部家から離れてそっちのオーナーに付くっつーのも不自然だ。ウチと張り合えるだけの条件揃えられるとは向こうも思わねえだろ」
 「そんなに簡単に賭けテニスなんて参加出来るのか?」
 「千石経由で聞いたんだろ? なら逆にアイツ経由で情報ばら撒いてやるさ。『かつて観客を恐怖のどん底に突き落とした化物の再来』ってな。こん位は箔つけた方がいいだろ。
  オーナーがリョーガを知ってるんならお前の事も知ってる可能性が高い。喰らいついてくんだろ」
 「千石がわざわざやってくれるか?」
 「何のためにお前に1億ドル渡すと思ってんだ? 直接賭けてやる。儲けの内1億ドルはお前の分。残りはお前以外で山分けだ」
 「あちょっと酷いぞお前!! そういうのは俺も入れろよ!!」
 「残念だな佐伯。てめぇは1億ドルくれとまでしか言ってねえ。
  間違いなくお前のオッズは高くなるからな。これでも大儲けだ。ありがとよ」
 くっ!と歯噛みする佐伯。せせら笑う跡部。
 「・・・・・・って、話題ずれてない?」
 リョーガの冷めた突っ込みに、ようやく2人は戻ってきた。
 こほんと咳払いで気を取り直し。
 「なら千石仮オーナーにしたら?」
 「アイツが金持ちにゃとても見えねえ」
 「そりゃまあそうだけど、だからって越前?」
 「リョーガ相手なら丁度いいだろ?
  万が一怪しまれたんなら、最終案として兄弟話が出せる。兄貴の引き取りと称せばちっとくらいおかしい取引やったところで不思議じゃねえ。見た目がこんだけ似てんなら説得力はあんだろ」
 「じゃあ越前。ギリギリまで絶対そういう話は出すなよ? 足元見られて高く吹っ掛けられるぞ」
 「・・・本気で頑張るつもり?」
 「つーかコイツだしな。値切り倒すつもりだろ」
 「当たり前じゃないか。ポイントはあくまで強気だ。売るのが俺自身ならあくまで安くはしない! タダで交換すれば1億ドルは俺のもの!!」
 「ほどほどにしとけよ? 嫌われんぞ」
 「その時はその時だ。他のヤツに売り込むさ」
 「・・・・・・リョーガは?」
 「・・・・・・・・・・・・。そういえばそうだったな」
 「本気で忘れてたように聞こえる辺り、演技力に問題はねえな」
 「てゆーか、今の絶対本気で忘れてたでしょ」
 「そんな事あるワケないじゃないか。待ってろよリョーガ! 今行くぞ〜!!」
 『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もういい』
 明後日の方向を指差し輝く佐伯。眩しさに目を背け、陰で2人がボヤいた。
 「ダメじゃん? リョーガ」
 「助からなかったら手くらいは合わせてやるか」
















































・     ・     ・     ・     ・








 それより少し後。アメリカでの事。
 「うん・・・。うん・・・。
  ―――え? サエが?」
 「何!? 佐伯がどーした!?」
 国際電話に耳を傾ける『オーナー』。その中のワンフレーズに、今まで退屈そうにテレビを観ていたリョーガが飛びついた。
 「佐伯がどうしたって!?」
 目を見開いて息を詰めるリョーガに、オーナーは神妙な面持ちで言葉を洩らした。
 「サエが・・・・・・
  寂しさのあまり跡部に身を売った・・・・・・」
 「なっ・・・・・・!?」
 ゴロゴロピッシャーン!!
 「・・・・・・というのは冗談で」
 「何だよ〜・・・」
 雷バックにしたままリョーガがへなへな崩折れる。そんな彼を見てくすりと笑ったオーナー、まさかそれが8割正解だったとはさすがに思っていないようだ。
 《・・・いや実はホントにそうだったんだがよ》
 「・・・・・・・・・・・・」
 耳に当てっぱなしだった受話器から聞こえる相手の声に、オーナーは得意の笑顔のまま固まった。
 《念のため言うが俺は断ったからな。俺はそういう意味じゃ越前以外はいらねーし》
 「はいはい君のノロケは後で思う存分聞くから越前が」
 《・・・・・・本人にしてどーするよ?》
 「なんならリョーガ君にしてもいいよ? 替わる?」
 《いやいい。すっげー馬鹿にされそうだ》
 「あはは。確かに。
  『あのチビ助のどこがいーんだよ?』とか」
 《・・・さすがに兄貴の方の声真似はそこまで上手くねーんだな》
 「何が言いたいの?」
 《てめぇに越前の振りされて散々騙された話ここで蒸し返していいってか・・・? ああ・・・!?》
 「さってじゃあそういう事で」
 《おい! 肝心の用件―――!!》
 ぶつっ。
 つー。つー。つー。
 国際電話は早めに切りましょう。そんな一般庶民の標語をきっちり守り、オーナーはさっさと電話を切った。
 へなへな崩れて以来放心状態だったらしいリョーガを起こし、
 「大変な事になったよ」
 「なんだよ。佐伯が次はお前に抱かれたいってか?」
 「だったら喜ばしい事じゃないか」
 「オイ!!」
 「冗談だって。何本気に取ってるのさ?」
 「・・・もーヤダ」
 涙をだくだく流すリョーガ。見下ろすオーナーの顔からは、いつもの笑みは消えていた。
 「サエがこっちに来る」
 「こっち・・・? アメリカ・・・?
  まさか―――!!」
 合わせ、リョーガの意識もようやくまともな方へ戻ってきたようだ。
 「どういう事だよ!? 俺がとことん勝ちまくって用なしお払い箱になりゃ日本でアイツと平和に暮らせるんじゃねーのか!? アイツは巻き込まねえからっつってただろ!?」
 「そんな説明台詞で強調しなくっても。僕も聞いてたから知ってるよ。
  サエの愛情の勝利、ってトコじゃないかな?」
 「はあ・・・?」
 「本気のサエの暴走、僕らが止められると思う?」
 「いやそりゃ全っ然思わねえが・・・」
 「わざわざ君の事追いかけてきてくれたんでしょ? 良かったね。愛されてて」
 「そりゃまあ・・・//」
 照れ臭げにはにかみ笑いを浮かべ頬を掻き―――
 「―――って問題はそこじゃねーよ!! アイツが賭けテニスやる!? 狼の群れに放り込むようなもんじゃねえか!!」
 リョーガはオーナーの襟を掴み、唾を飛ばして怒鳴りつけた。
 「サエならいいんじゃない? 虎なら互角に張り合えるだろうし」
 「良くねえよ!! 狼って犬科だろ!? 群れで襲われたらいくら虎だってヤベえだろーが!!」
 「確かに虎って猫科だしね。あんまり集団行動ってイメージないもんね」
 「ホラやべーじゃねえか!!」
 「・・・・・・そういう基準で危ないの?」
 この人は真剣に何を考えているんだろう・・・・・・?
 頭の中に疑問符を浮かべるオーナー。それら(とリョーガの手)は振り払い、





 「だからサエに勝って」





 リョーガの動きが止まった。ひたりと見つめる彼に、オーナーは実は細い目を更に細めた。
 「サエの価値を下げて。同じ狼の群れに放り込まれるのなら、君の方が美味しそうなエサに見せて。君が喰らいつかせればつかせる程サエへの関心が薄れる。サエは過去の存在。そう思わせ、忘れさせればサエは完全に安全になる。
  やる?」
 目線で問い掛けられ、リョーガは拳で自分の手を打った。
 「面白そうだな。やってやろうじゃねえか」
 「そう言ってくれると思ったよ」
 元の笑みに戻るオーナー。リョーガもまた、口端に笑みを浮かべ取り出したオレンジを齧った。
 「待ってろよ佐伯。お前は俺がぜってー守ってやるぜ!」







・     ・     ・     ・     ・








 気分は姫を救出する勇者。1人燃えるリョーガの背中を見、彼のオーナーこと裏で暗躍する手下その1・不二周助は苦笑いを浮かべた。
 リョーガは知らない。彼が帰った後、もう一度自分たちが集められた事を。そしてそこで再び問われた事を。





 ―――『リョーガのヤツに一泡吹かせてやりてえと思わねえ?』





 2重に仕掛けられた芝居。佐伯に告げずに来たはずなのに洩れている情報。ここまでの導き手。そしてリョーガの煽り手。
 今のところ、展開は全てシナリオ通りに進んでいる。これで佐伯がこちらに来て、リョーガと試合をして。
 船で散々引っ掻き回された仕返しと、もうひとつ目論見があった。
 ―――佐伯とリョーガを本気で戦わせる。
 相手のために自分を捨てる馬鹿2人なら、この勝負は絶対負けられないだろう。それを見てみたいという野次馬根性により、作戦は決行となった。
 なお面白好きの自分と千石はともかくリョーマまで作戦に乗ってきたのは、それこそ上に上げた跡部の台詞によりだろう。
 (まあ、とりあえず頑張ってね)
 野次馬ならではの無責任な応援を送り、
 不二はいまだ瞳をらんらんと輝かせているリョーガから離れ、自室(と勝手に決めさせてもらった部屋)に戻った。リョーガ曰く、両親の寝室だったらしい。『だった』というか・・・『である』。家具は細かいものを除き置きっ放しだった。またアメリカで暮らすかもしれないからだろとリョーガは言っていたが、
 (それもあるかもしれないけど、多分実際は・・・
  ―――リョーガ君がいつ戻ってきてもいいようにじゃないかな?)
 だからカギも何も変えていないのではないだろうか。そしてリョーガもその気持ちを汲んでいるらしい。入れてもらった家は、つい最近―――少なくとも今年4月以降―――使われてた形跡があった。日本に来るまで、彼はきっとここで生活していたのだろう。家族の思い出と共に。
 他人である自分がそれを掻き乱す事に若干の抵抗を覚えなくもなかったが・・・
 ・・・とりあえず不二が兄弟の部屋を選ばなかったのは別の理由によりだった。
 (そこにいたなんてバレたら、後でうるさそうだしね。跡部もサエも)
 こうして、さらにさりげなく1つの欺きが行われたまま、事態は着々と進んでいった・・・・・・。



―――








・     ・     ・     ・     ・

 以前『リョーガとサエは対戦しないのか?』というコメントを頂き、対戦の代わりにダブルスを組ませてみたりしたのですが【ルーキー〜】にて。ちなみにそこで1ポイントマッチと異色カラーコーン対決はしてましたが。
 今回ついに対決です! そして事情が事情のため途中でサエが飽きて尻切れトンボとか、清々しいまでの卑怯戦法で6−0とか、そういう事はないといいなあ・・・とか思います。しかし勝敗はともかく(ええ?)展開をどうしよう。む〜。
 そうそう、前回の話でわざわざ跡部父が出てきた理由。1億ドルはさすがに跡部当人は用意出来なさそうなので、資金源として参加しているからです。しっかし佐伯のオッズ。いくら賭ける人は少なかろうが、さすがに1億ドル賭けたら相当下がるような気が・・・・・・・・・・・・。

2005.6.2830