六角対比嘉戦、S1。
六角にとって最後の試合が始まった・・・・・・。
Kitsch
1.最後の試合 最期の死合い
比嘉の4勝で迎えたこの試合。圧倒的な比嘉の力に、周りは比嘉応援一色となっていた。誰も六角が勝利するとは思っていない。それは六角陣も同じ。
S1という最も重要な極地を、オジイが倒れるアクシデントにより―――いや、アクシデントによりオジイが倒れた結果、独りで闘う事となった佐伯は・・・
病院へ行こうとする六角一同の方を向き、晴れやかな笑顔でこう言った。
「なあ、もし・・・もしもだぜ? 俺がこの試合に勝ったら・・・・・・」
晴れやかな―――それでありながらいつもの彼にある爽やかな笑顔ではない。泣きそうな、それでいて全て吹っ切ったような笑顔。
先の台詞が途切れる。恐らくこの先、どんなに待っても永遠には出てこないであろう台詞。
わかった上で、
黒羽はぽんぽんと佐伯の頭を叩いた。
「オジイの退院祝いと合わせてうにパーティー開いてやるよ。もちろん半生でな」
「・・・・・・部費で?」
「・・・・・・。
―――はいはいお前にゃ1銭も払わせねーよ! それでいーんだろ!?」
「オッケー!」
「だったらさっさと行けって。向こう待ってんぞ」
「んじゃ、行ってきますか」
「おう。思う存分やって来い。悔いは残すなよ」
「・・・・・・はいはい」
「あい? やぁーは行かんばぁ?」
「一つやり残した事があってね」
呟く佐伯。呟き―――
―――顔に、笑みを浮かべた。
全国第一戦目となったこの試合では、割と観戦者が多かった。とはいってももう勝負は比嘉の勝ちで決定。気の早い者は次の試合の予想などをしている。
だからこそ―――
―――誰もが不思議がった。氷帝の跡部、四天宝寺の千歳、立海の幸村、そして青学の手塚にリョーマといった豪華メンバーが今だにここから離れない事を。
・ ・ ・ ・ ・
「ねえ越前」
「何スか?」
早くも興味を無くし立ち去ろうとしていたリョーマ。後ろから呼び止められ、振り向く。
その先にいた不二は、読めないようで読みやすい笑みを浮べていた。
「この試合・・・これから先は観ていくといいよ」
「何で? アンタの幼馴染だから? 負けて終わりでしょ?」
「いいや」
不二が笑う。口端を吊り上げ、面白そうに。
―――まるであの雨の中での試合のように。
「君にテニスの少し違う見方を示してあげるよ。分類すればサエは君に良く似ている。人を追い詰める事に極めて特化しているところなんかね。
見ていくといいよ。思い知らされるから。
―――『無我の境地』は決して絶対的な技じゃない、って事を」
「金ちゃん」
「ん?」
「今からん場面、よ〜く目ぇかっぽじって見とくとよか」
「そら全部そーするに決まっとんやろ? 初めての全国なんやから」
「それもそうばいね」
笑って頷き、
千歳はぽんぽんと金太郎の頭を撫でた。
「今対戦しちょる千葉の方な―――」
「ああ佐伯な」
「・・・・・・よう覚えたのう。いつも相手ん名前覚えんに」
「だってよ、九州におんなじ名前の漁港あんやろ? そこの寿司がめっちゃ美味いってこないだテレビ出とったわ」
「まあそんな理由じゃ思とたけん。
その佐伯な―――
―――俺に勝ったかもしれん選手ばい」
「は!? 千歳に!?」
現在―――幸村の戻ってきた中学テニス界で、真田と並んで2位の実力を誇る千歳。それに勝つとなると・・・・・・
「・・・結果的に負けたじゃろ? じゃったらお前の勝ちでええでっしゃろ」
目をかっぴろげて驚く金太郎の隣より声がかかる。
前を見たまま呟く仁王。呟き、2人の視線が集まったところで「プリッ」と流した。
「そん前に跡部と試合しとったからとね。なかったら佐伯もタイブレークで手は抜かんかった」
「タイブレークで手ぇ抜いたあ!? そりゃテニスプレーヤとして最悪やん!!」
「うっせえ!! 言っとくが俺はタイブレーク7−0で負けやがったアイツになら他でも負けろっつっただけだからな!!」
「だめだよ跡部くん。有言実行タイプの人にそういう事言っちゃ」
さらに隣から乱入してくる跡部と千石。まあ彼らはいいとして。
「まあつまりはな―――
有名度と実力は一致しとらんっちゅー事じゃ。でもって・・・」
「これもまたテニス。強くなりたいんじゃったらこれを乗り越えんしゃい。―――ピヨ」
「跡部、帰らないのか?」
幸村に尋ねられ、跡部は視線は外さないまま答えた。
「俺は帰れねえんだよ。見ていかなきゃなんねえんだよ。これから起こる全部をな」
「へえ。何故?」
「最初に逸らしちまったのは俺なんだ。なら今度は最後まで見届けんのが俺の義務だ」
「随分意気込んでるね、跡部くん。それが君の懺悔?」
隣にいた千石も加わる。コイツも見届けるつもりなのだろう。直接的・間接的とはいえ同じ罪を背負ってしまったのだから。
少し遠くを見る。やはり不二も留まる事を選んだようだ。しかもこの様をリョーマに見せるという。確かに成長を促すには丁度良いだろう。また―――
―――後々自分もああなるという事を教える良いサンプルとして。
首を振り、跡部は答えた。
「懺悔なんてモンじゃねえよ。ンな大層なモンじゃねえ。
これは俺のただのけじめだ。乗り越えねえと時間が進まねえんでな、俺も・・・アイツも」
「そういう強すぎる思いが余計にサエくんを縛る。解放させたいんだったら何も気にしない事さ。
―――彼らのようにね」
視線で示す先は空白の応援席。瞳に描くは先ほどまでいた一同。
これから佐伯が何をやるつもりなのか、六角の現3年は全員知っている。自分達と一緒に見たのだから。
それでも送り出した。悔いを残さない―――己に焼きつけられた烙印[マーク]に負けないように。
あえて千石の言葉には続けず、関係ない事を呟く。
「そういやお前は何で残ってんだよ、幸村」
「俺かい?」
振られ、
幸村もまた、笑みを浮べた。今までの誰も浮かべていない、いつも通りの柔らかな笑みを。
言う。
「俺もどちらかというと佐伯と同じサイドにいるからさ。この空気はむしろ俺には心地良い」
「なるほど、な・・・」
・ ・ ・ ・ ・
「六角対比嘉S1! スコア2−0! 比嘉サーブ!」
オジイを救急車に運び、再開された試合。まず来た1球目を―――
―――佐伯はあっさり見送った。浮べられていた笑みを全く崩さないまま。
「フィ、15−0!」
審判の判定を聞くとはなしに聞く。わざわざ聞かずともわかりきった結果だったが、向こうも商売だ。聞いてやるのが礼儀だろう。
同じ事を考えたらしい2人。会話が始まったのはきっちり審判のコールがエコーまでなくなってからだった。
「諦めたか?」
「さあ?」
「んじゃ次行くだばぁ」
「どうぞ」
淡々と続く2球目。次はまともに返す佐伯に、
「佐伯虎次郎。優れた動体視力によるマークが得意、か?」
「データ愛好家? それとも事前調査は当り前?」
「表には出んずともお前有名じゃあ」
「げ・・・。俺そんなに目立つ事したっけ? けっこー平々凡々で生きてきたと思うんだけどなあ」
「目立つぞ。跡部だの千歳だの相手に互角以上に立ち回ったんなら」
「・・・・・・っ」
佐伯の動きが止まった。脇をすり抜けるボール。一切追いもしない。
止まった時を一息で戻し、
佐伯は小声で呟いた。
「・・・知ってて挑発してくんのは千歳以来だよ。それとも知らずに挑発してる?」
答えは期待しなかった通り返ってこなかった。聞こえなかったか―――さもなければ意味がわからなかったか。
顔を上げる。結局変わらない笑みで。
「言うほど大したモンでもないさ。ただの幸運だよ」
「そりゃいいが、そろそろ勝たんとマズいだろ? いくら何があろうが古豪・六角中が5連敗は」
その『何か』を起こした張本人による指摘。オジイにボールがぶつかった件に関し、周りの見解は事故と故意半々だ。ただし・・・
どちらかというとこちらが手札その1だったのだろう。動揺を招きミスを誘う。だとしたらいきなり相手のペースを外してしまった。
(失敗失敗、っと)
心の中で舌を出す。自分にというより、相手に。
突如起こったこのアクシデント。自分に任せられたS1。ラストの試合。独りきり。
―――全てが謀ったかのように都合よく動いている・・・と思うのは穿った見方か。とりあえず口にしてバレたらまず六角メンバーに怒られそうなため黙っておく。
代わりに告げるは別の事。
「別にいいさ。誰も俺が勝つ事を期待はしてない」
「人の期待に応えるためにテニスしてるわけじゃあないだろ?」
「それはそれで楽かと思ってね」
「―――勝つ気なし。つまらん」
「ははっ。悪いな」
・ ・ ・ ・ ・
「ゲーム比嘉! 4−0!!」
完全に比嘉ペースとなった試合。誰もが見ているのはもう甲斐一人。佐伯に視線を送る者などほとんどいなくなった。送るとすれば哀れな敗者に対する同情からか。
わかった上で、
佐伯はやはり笑みを浮べた。清々しい笑みを。
心地良い空間だ。誰も自分を気にかけない。誰も自分に何も望まず、誰も自分に何も求めない。
人の期待をしょい込むには自分の背中も腕も実に非力で。抱えきれずすぐに潰されてしまう。
自分は結局のところ自分でしかないのだ。他の誰にも代替できない代わりに、他の誰の代替も出来ない。
息を吸う。夏なのに感じる冷たさは周りからの孤立感によりか。人の中に溶ける事。人の中から外れる事。どちらも同じ事だと思う。周りに誰かいると意識できなくなる点においては。
「比嘉サービス!」
審判の声に意識を戻す。甲斐は最早無言で球を打とうとしていた。会話する価値もないと判断したか。
良い傾向だ。これで随分やりやすくなる。
放たれたサーブに対し、
佐伯は一瞬だけ目を見開いた。
一部の者の背中を寒気が襲う。あるいはそれは、次に彼が見せた笑みによりか。
笑う。開いた目で、口を吊り上げ。
壊れた――――――そう判断したものは皆無。『知っている』者はそれが合図だと悟り、そして『知らない』者を襲ったのは・・・・・・
ずばん!!
『・・・・・・・・・・・・』
甲斐のコートを抉る球。何が起こったのか、誰にもわからなかった。
混乱が会場を包む。審判すら無言になる中・・・
「始まりやがったか・・・」
「な、何やの今の・・・?」
「金ちゃん。これからばいよ」
「いよいよ『遊び』の始まり、だな」
幸村が呟き終わる頃、
ようやっと最低限の事態を把握した審判がコールを飛ばした。
「フィ・・・・・・15−0!!」
聞き、
佐伯が甲斐に笑みを向けた。向けられた者に等しく恐怖を与える笑みを。
宣言する。
「狩りの開始[ゲームスタート]だ。ハンデは4ゲーム。逃げ切ったらお前の勝ち。捕らえたら俺の勝ち。
さあ・・・せいぜい足掻いて楽しませてくれよ?」
―――2.『佐伯』という人間