「狩りの開始[ゲームスタート]だ。ハンデは4ゲーム。逃げ切ったらお前の勝ち。捕らえたら俺の勝ち。
さあ・・・せいぜい足掻いて楽しませてくれよ?」
Kitsch
2.『佐伯』という人間
「ふ、ざけんな!!」
放った2球目。これもまたあっさり返される。動く間を与えられないライジングショットで。
「0−30!」
コーナーぎりぎり、それも遊ぶかのように自分のいる側を狙われ、甲斐の感情はわけがわからないという混乱から怒りへと変換された。
「ならこれでどうだ!!」
3球目はスローボールだった。返されやすくはなるが、同時に相手側に到達するまで時間がかかり自分も動きやすくなる。
そんな甲斐の思惑は、
「ならこんな感じで」
次ぐ佐伯の一撃であっさり砕け散った。
ライジングを警戒し、反応出来る時間が出来るだけ長くなるようベースラインから動かなかった甲斐に対し、佐伯が放ったのは軽い一撃だった。
スローボールが仇となった。勢いの弱い球はさらに勢いを殺され、ネット上端を緩やかな孤を描いて落ちていく。
「くっ・・・!!」
他の選手にも見られた擬似瞬間移動―――縮地法。確かに動体視力には自信のある自分ですら本当にそうなのかと信じたくなる。が、
思い出すはオジイが言いかけた言葉。
(彼等は一瞬でネットの前に現れる訳ではない。二次的な動きで錯覚を起こさせているんだ。
ならば―――)
自分なりに考えた結論。タネさえ暴けてしまえば答えは随分簡単だったのだ。
「トリックは現実を超越する事は出来ない。出来るのは『不条理』だ。
―――追いつかないものは追いつかない」
そんな予測どおり、
飛び込んだ甲斐はネットを沿って落ちた球に僅かに追いつけなかった。
「0−40!!」
「・・・・・・どうやって見抜いた?」
起き上がりつつ、甲斐が尋ねる。今までコレを見破れた者は皆無だったというのに。
尋ねる甲斐に、
佐伯はようやくいつもどおりの爽やかな笑みを向けた。
爽やかで―――茶目っ気の混じった笑み。実は試合中では見せない笑み。
向け、言う。
「ひ・み・つv」
「な〜・・・・・・」
「だってせっかくのジョーカーだし。言ったら改善されるだろ?」
「そりゃ・・・そういやそっか・・・・・・」
「お? 気付かなかった? 今の反応ウケたからサービスな」
「はあ?」
「目はいくらでも誤魔化せても耳は誤魔化せない。幻聴で唸りは聞こえない」
「・・・・・・。何か言ってたか? 俺」
「言ってたな。『くっ・・・!!』って。その声が後ろで聞こえりゃああコイツまだ前来てないなって思うよ。
どうやら動揺したのはお前みたいだな」
「ぐ・・・」
「あ、唸った唸った。もしかして本気で動揺した?」
はははははと楽しそうに笑う。本当に楽しそうだ。対戦相手でなければ自分もまた笑っていたかもしれない。
覚えるのは恐怖。
(何だ・・・? コイツ・・・・・・)
いきなりゲームを捨てたと思えば狩りの開始だという。示すように残虐な笑みを見せて攻撃。こちらの手まで封じたクセあっさりその種明かし。挙句今の状況がわかっているのかいないのか裏表ない笑顔で笑い出して。確かに手は1つ封じられたがそれでもまだ4−0。これだけで勝てるほど甘くはないのはいくらなんでも知らない筈はない。
ペースが掴めない。今までに対戦した事のないタイプだ。
悟り、
甲斐は神経を尖らせた。
(掴めないなら・・・掴まないだけ。どうせ後2ゲームだ。アイツが何なのかなんてどうでもいい。取れさえすりゃ)
考えてもわからない物事をそれでも追求すれば向こう曰くの『動揺』が生まれる。そんなものはクソくらえだ。
(アイツが何だろが、俺には関係ない)
切捨て―――
甲斐はサーブを放った。ここに来て初めて見るサーブ。
楽しそうな佐伯に向かい―――そのまま抜ける。
「15−40!」
(これでどうだ)
見やる甲斐に、
佐伯は一瞬驚いた後・・・・・・嬉しそうに笑った。
「は・・・?」
わけがわからない。本気で何なんだコイツは。
答えは、次の台詞で返ってきた。
「サンキュー♪ わざわざ手札見せてくれて」
「な・・・!! まさか―――!?」
「ど〜だろ〜なあ? 俺はどっちでもいいよ?」
歌うようなしゃべり。その口から紡がれる囀りは嘘か真か。
思い出す。先程の佐伯の言葉。
―――『目はいくらでも誤魔化せても耳は誤魔化せない』
では口はどうなのだろう?
(一番ハッタリの利く場所)
だからこそ、『嘘』だと思った。
同じサーブを打つ。先ほどと同じサーブは―――
―――先ほどと全く違う佐伯の反応により、実にあっさりと返された。
(ちえっ・・・)
今度は口には出さない。無言のまま前へと詰め寄り、佐伯の確実に予想していないであろうタイミングでボールを打つ。
その先で、佐伯は・・・・・・
「口は真実を示すモンなんだよ。『無口』含めてな」
「―――っ!?」
完璧なタイミングで打ち返してきた。しかもムーンボレーを。
前へ詰めれば当然後ろが空く。それを気付かせないためのトリックでもあったのだが、完全に見抜いた相手にはどちらも無効だったようだ。
ライン上に落ちた球。振り向き、改めて確認する。完全に見抜かれていた事を。
「ゲーム六角!! 4−1!」
「ほ〜ら残り3ゲーム」
・ ・ ・ ・ ・
独りきりで戦う佐伯の応援に回ろうとしていた青学メンバー。今見せ付けられたものに、目を見開くしかなかった。
「何、だ・・・? 今の・・・・・・」
「何が起こったんだ・・・・・・?」
「俺と戦った時と、アイツ全然違う・・・・・・」
「アノ人、何なんスか・・・? 不二先輩・・・・・・」
問う。間違いなく答えを知っているであろう者に。でなければ観たほうがいいなどと勧めはしないはずだ。
問われ、
どう答えるべきか暫し悩み、結局不二は当たり前の事だけ返した。
「サエはサエだよ。たとえ何が起ころうと」
「―――二重人格、か?」
「え・・・?」
ぼそりと乾が口を出してくる。
「試合開始後からの佐伯の行動パターン、突き詰めれば『子どもの遊び』じゃないのか?」
「う〜ん・・・・・・」
肯定か否定か。どちらが正しいのかさらに悩み、
「別に今回だけじゃない。サエにとってテニスは全て遊びなんだよ。遊びにしたんだよ」
「つまり?」
問いてきたのは手塚だった。不思議だろう。テニスに己の全てを賭ける彼にとっては。
不二がようやく顔の向きを変えた。曖昧な笑みを―――普段と違って本当にどうとも取れどうとも取れない笑みを浮かべ、
「別にみんなが何か思うほど特殊なプレイヤーじゃないんだよサエは。ただちょっと―――
―――跡部に完勝しちゃう位強いだけで」
「跡部に完勝!?」
「まさか!」
周りが驚くのは当然だろう。自分たちの部長ですら互角の試合をするのが精一杯の相手。それにただ勝だけではなく完勝。実力の差はどれだけになる?
「小さい頃からね、サエは僕らの中でもとりわけ強かった。器用貧乏で何でもそつなくこなすからでもあり、何に対しても貪欲でより深く学ぼうとするからでもあり。元々とんでもないテニスセンスの持ち主だったんだろうね。僕ですら到底及ばないほどの。
サエは教えられた事をそれ以上のものとして取り込んで、誰も予想しなかった位上達してみせた。どこまでも強くなって、それでももっともっと強くなるって。まるでテニスに取り憑かれたみたいだった。本当なら途中で止めさせるべきだったのかもしれない。でも誰もそうしなかった。上達するサエを誉め続けた。
誰も・・・
・・・・・・『それ』に気付かなかった」
「『それ』?」
「手塚や越前は味わった事ないかな? 強すぎる相手に向けられる『恐怖』」
「別に。どうって事ないし」
「大事なのは己だろう?」
2人とも覚えはあるらしい。そして、2人はそれを乗り越えた。佐伯と違って。
「君らがどうやってそれを克服したのかは知らない。だから僕は傍で見てきたサエについてだけ言う。
―――乗り越えられなかったよ、サエは。孤立する恐怖に」
視線を動かす。千石に。跡部に。それはきっと、自分を見ているのと同じなのだろう。
「サエがそんなに強くなってた事に気付いたのは、千葉に引っ越して少ししてからだった。落ち着いたからって遊びに行って、黒羽君たち今の六角3年生と交えてテニスをやった。その時やったのが、サエと跡部のシングルス戦だった。
僕らはずっとその時まで考え違いをしてた。サエと跡部は何においても争ってた。生まれつきね。テニスでも同じ。だから2人の実力は同じだと思ってたんだよサエ含めて」
「なら実際は・・・」
「6−0でサエが勝った。跡部はほとんどポイントを取ることすら出来なかった」
「けどそれは小さい頃じゃ―――」
「小5の時だよ!? 跡部はその時もう中学生すら楽々倒して、次期氷帝帝王確実だって言われてたくらいなんだよ!?
なのにゲームどころかポイントすら奪えない。どんなゲームメイクをしても、どんなフェイントを入れても、どんな必殺技を使っても・・・・・・サエには何も通じなかった。
・・・怖かったよ。化け物だって思った。僕だけじゃない。みんな―――試合してた跡部含めてみんなそう思った」
言いながら、不二は自分の体を両腕で抱き締めた。その時を思い出すだけで、今でも震えが止まらない。中学にも上がり、強い相手はいくらでも見てきた。その中ですら、あの時の佐伯は際立っていた。
―――唯一彼と互角だと思うのが幸村だ。多分、あの王者立海大付属中においてすら幸村は『化け物』なのだろう。ちらりと見やる。普段と変わらない彼を。だからこの中において、佐伯を除きただ1人平然としていられる。
確認し、不二は思考を戻した。
何よりも怖かったのは、佐伯自身がそれだけの事をしている自覚がなかった事。まだ自慢げに威張られでもしたらよかった。
佐伯はごく普通にそれをしていた。出来て当たり前だと、みんなも出来るものだと、心の底から信じきっていた。それをしない跡部に「お前手ぇ抜いてるだろ!?」と怒ったほどだ。
しなかったんじゃない。出来なかった。跡部は決して手を抜いたりはしていなかった。
試合が終わって、不満げに口を尖らせる佐伯をみんなで見た。恐怖の眼差しで。コールも、握手も、全て忘れ。
元々佐伯は人の機微に敏感だ。理由はともかく、誰もが自分に怯えているのはすぐにわかったらしい。
―――『え・・・? 何・・・? 俺、が・・・何だよ・・・? 何、したってんだよ・・・・・・?
――――――そんな目で見るな!!』
向けられ、佐伯もまた怯えていた。自分が、周りと異質の存在になってしまった恐怖。周りから、弾き出された恐怖。
「言い方は悪いけど、サエは人と群れて安心する。人といる事、大勢の中の1人でいる事を望む。当り障りのない態度に性格、それらは人と群れるための処世術さ。
―――だから、疎外されてサエは壊れた」
ふう・・・とため息をつく。
「サエのテニスはそこで終わった。次会った時、サエは弱くなってた。周りに合わせて実力を調整するようになった。
それ以降、本気のサエは見てないよ。今含めて」
「え? 今は―――」
本気じゃないのか?
問われ、今度こそ不二ははっきりと首を振った。
「こんなもんじゃない、サエの実力は」
「ずっと本気を出していないのならば、その実力も落ちたのではないのか?」
「ありえないよ。さっき言った通り、サエは貪欲な性格だ。たとえ人前では出さなかったとしても、決して自分の鍛錬を怠るような真似はしない。だって、
――――――だからこういう攻め方をするんだから」
「む?」
前の文と繋がっていない。
「つまり自分の実力誇示のためにこのような攻め方をする、と?」
「いや逆だ。自分はそんなに強くない―――そう示すための『マーク』、そう示すための『狩り』さ。
長所を徹底して潰し短所を引き出し、相手を極限まで追い詰めいたぶる。狙われれば逃れる術はない。残虐な狩猟者にして純粋な子どもは決して情けをかけない。
―――そう思わせるのが狙いだ」
「相手の実力が殺されているから自分も勝てる。基準点のすり替えか」
「本当はね、普通に―――甲斐が全力を出して試合をしたとしても楽々勝つんだろうね。けどサエは絶対そうしない」
「だがそれだとむしろ『卑怯者』とそしられるんじゃないのか?」
「だから?」
「む・・・・・・」
正面切って返され、乾も黙り込んだ。
「『卑怯者のサエ』がそしられる。『爽やか好青年のサエ』はそのまま。
君がさっき言った二重人格はある意味正解さ。こうやってサエは2つの自分を使い分ける。嫌われる方と好かれる方。
サエそのものさえ否定されなければいいのさ。だから普段は群れられる方の『爽やか好青年』になる」
「・・・・・・。
『子どもの遊び』は否定する。完璧に大人の考えだなそれは」
「そんな事ないよ? 君も1回はやった事ない? 『ごっこ遊び』って。
―――サエがやってるのは究極の『ごっこ遊び』さ。自分自身を演じ分ける。
今は――――――さしずめ獣のパートだね」
「なるほどなあ。そんな事があったのか」
おおむね同じ話を聞き、幸村はのんびりと頷いた。
それを横目で見ながら、
跡部―――凡人は尋ねてみた。佐伯と同じ、化け物へと。
「てめぇは、そういう風に感じたりした事ぁねえのか? 幸村」
「俺かい?」
問われ、幸村は・・・
くすりと小さく笑った。初めて見る、明確な感情の浮かんだ笑みだった。寂しさと、哀しさ。
「俺はないな。少なくとも今は。
さっき言ったとおりさ。そんな心は死んでしまったよ。
―――『この空気はむしろ俺には心地良い』。遺ったのはこれだけだ」
「お前・・・・・・」
なんと返すべきか。言葉の浮かばない跡部から視線を戻す。新たなゲームを始めようとする佐伯へと。
「正直、佐伯が羨ましくもあるよ。まだ死んでないんだな、アイツの心は」
―――3.インターミッション 〜パクりん佐伯のぱくぱく劇場〜