「バイバイ、甲斐」






Kitsch






  4.恐怖の来襲

 第7ゲームが始まった。今度は甲斐のサーブだ。
 「ふざけやがって・・・!! 次もおんなじで行くと思うなよ!!」
 先程、全球ノータッチエースで取られた甲斐。雪辱を晴らすべく放ったサーブは、まあ普通に打ち返された。ネットを狙ったコードボールで。
 「っあ〜〜〜〜〜〜・・・・・・」
 周りにいた誰かが声を上げる。また縮地法の餌食になるだろうと思い。
 だが、
 (コイツ・・・・・・!!)
 「0−
15!」
 『え・・・?』
 声を上げた者のみではなく、他の者もきょとんとした。あえてポイントを取らせた甲斐に対し。
 佐伯を見る。目元が小さく笑っていた。
 2球目を放つ。今度は真ん中ぎりぎりに立って。
 何の変哲もないサーブなので、何の労もなく返された。右側のコートぎりぎりをバウンドする深い球で。
 打つ。やはり返される。今度は逆側で。
 (やっぱりそうか・・・・・・)
 縮地法のトリックを見破ったならば、防ぎ方を考え付いても不思議ではない。佐伯は左右に揺さぶりをかけてきている。
 さっきのコードボールにしてもそうだ。佐伯はこれまた自分のいたのと逆側端っこの方にボールを落としてきた。取ろうと思えば斜めにダッシュをかけるか、縮地法により前へ出横へ走るしかない。どちらにせよ見破られるからやらなかったのだが、逆にそれで気付かれたらしい。
 「甲斐のヤツ、様子おかしくないか・・・?」
 「さっきから、縮地法使わねえな・・・・・・」
 (ちっ・・・・・・)
 周りのヤツらまで異変には気付き始めた。まさか即座に解明するほどの頭脳の持ち主は―――目の前にいるためあまり確信は持てないが―――そんなにはいないだろう。だが、
 (このまま使わなけりゃ、その限りでもねえ、ってか・・・・・・)
 後ろを走らせての持久戦。自分も辛いが―――同時に佐伯にも相当の負担となる。特に、今までの様子を見てみれば佐伯はスピード・・・フットワーク重視のサーブ
&ボレイヤー。瞬発力は優れている代わりに、持久力はそこまでない。しかもこのタイプのプレイヤーは得てして攻撃、それも速攻型だ。じわじわいたぶるというのは、佐伯にとっても相当な精神的負担となる・・・・・・筈だ。多分。
 (なんっつーか・・・・・・、いっそ1時間くらいこの状態だったりしても不思議じゃなくなってきたな・・・・・・)
 頭を振り、挫けた心を立て直す。今1人討論しているのは『佐伯というテニスプレイヤーについて』であって『佐伯という人間について』ではない。人間についてなら絶対に解析は不能だ。
 そんな甲斐の結論(?)を待っていたのだろうか。早くも佐伯がパターンを切り替え攻撃に転じてきた。
 再び来るコードボール。やはり端っこのほう、今いる位置と丁度対角線上。
 また見送ると考えただろうか。それとも縮地法ではなく普通に走ってくると?
 (甘めえ!!)
 佐伯の予想の予想を裏切り、あえて甲斐は縮地法で挑んだ。
 「なっ・・・!?」
 (バーカ。縮地法はただの視覚トリックじゃねーんだよ!)
 重力落下を利用し速く歩く技術。それは時に、走る速度を上回る。
 「もらった!!」
 今度はぴったり前に立って声を上げる。ボールをラケットに当て、視線を上げると―――
 「
Hallo♪」
 「は!?」
 ―――すぐ目の前に、佐伯が立っていた。今まで後ろにいたというのに
 「お前まさか、縮地法で―――!?」
 驚きでコントロールが乱れる。ロブになった球に、佐伯は余裕で飛び上がった。
 ジャンピングスマッシュで1ポイント。追うことは出来なかった。
 ゆっくりと着地し、
 「だからさっきあれだけデモンストレーションしてやっただろ? 『パクりん佐伯』。俺は人の技のパクリが得意だ
 「けどよ・・・、縮地法は今見たばっかじゃねえのか・・・?」
 「だから? 見たのがいつだろうが、1回見れば大抵の技は真似出来る。調子に乗って入れ替わり立ち代り何度も見せてくれたなら尚更な」
 「『無我の境地』ってヤツ、か・・・?」
 「いいや違う。俺はそれは使えないし、使う必要もない。
  トリックを見破り防ぎ方を考えた。次来るのはそっくりそのまま返す事だろ? そして―――」
 言いながら、佐伯が脚を横に開いた。頭の位置がゆっくり移動し―――
 ―――次の瞬間には5mほど横に移動していた。
 「―――どうやら今まで見てきたところお前ら誰も気付いてなかったみたいだけど、縮地法は横にも使える。まあ前に移動するより短距離になるのと、歩き方がバレエっぽくって恥ずかしいのと、首がちょっと痛いのが欠点だけどな」
 「縮地法での、横移動だと・・・・・・!?」
 沖縄武術を教えてくれた師範ですらそんな事はやっていなかった。それを、今見たばかりのド素人がやったというのか・・・・・・。
 そして、そのド素人は、
 「パクりん佐伯の真骨頂。アレンジなら俺におまかせ♪ ってな」
 凄い事をやったという驕り0で、可愛らしく言ってくれた。
 さらに肩を竦め舌を出し、
 「ま、今回に関しては俺の方にもちょっとしたタネはあるけどな。
  俺も我流ながらケンカのやり方は学んでてね。気配を殺しての移動は必須だ」
 「ケンカじゃねえ!! 沖縄武術だ!!」
 「どっか違うのか?」
 「違うに決まってんだろ!? 武術は自分を鍛えるためにやるモンだ!!」
 吠える甲斐を、
 佐伯は冷めた目で見下ろした。
 静かに告げる。





 「どんなに高尚な理念語ろうが、それを人に振るった時点でただのケンカだ」





 「振るってねえよ!!」
 「振るっただろう? たとえ武術そのものでなかったとしても。
  ―――それを、オジイに向けた」
 佐伯の体から、怒りが沸き立ってきた。当てられ、今までざわめいていた周りもぴたりと収まる。
 「対戦してる相手にならまだしも、よりによってお前はそれを無害な第三者に振るった。
  最低だよお前は」
 「そ・・・! そりゃ木手にだって言われて・・・・・・」
 「人に命令されるがまま。お前自身の考えはなし。
  必ずしもそうとはいえないけど、武術の基本にして最終目標は己を御する事じゃないのか? 御するべき己すら持てない。武術者としても失格だよ」
 甲斐のこめかみを、一筋の汗が垂れ落ちた。その考え方はともかくとして、これだけ身に着けたからには―――身に着けるほど努力したのなら、甲斐にも武術者としていっぱしのプライドがあるのだろう。それを完全否定された。
 しかも・・・・・・言い返せない。
 わなわなと震え・・・
 「うるっせえ!! どんなに口じゃ言おうが実際勝ったヤツが勝ちなんだよ!! 負け犬が吠えてんじゃねえ!!」
 ・・・完全に、己の御を失った。
 渾身の力で放たれるサーブ。ただの力任せなそれは、今の佐伯にとって恐れるべきものではなかった。
 冷めた目のまま打ち返す。そのまま、続ける。
 「お前が今やってるこれもテニスじゃない。ケンカだよ。お前が俺を含めて誰かを傷つける意思がある限りな」
 引き金になったように、佐伯の顔にボールが飛んできた。
 避けるまでもなく、楽々返す。
 「さっき俺は言ったよな? 我流でケンカのやり方を学んだ、って。
  俺の、生涯の師匠の教えは実に簡単なものだよ。『売られたケンカは買え。逃げるな。歯向かうヤツは潰せ。容赦するな。自分を一番大切にしろ』。
  ―――だからちゃんと守ろうと思うんだ。守らないと飯抜きだからな」
 「があっ!!」
 打たれた強打に回転を付与し、さらなる強打にして返す。力負けし、次の甲斐の球はロブとなった。
 「だからな―――」
 飛び上がり、ラケットを振り上げ、
 佐伯は甲斐を見下ろした。






























 「バイバイ、甲斐」






























 「ヒッ―――!!」
 理性という御を失った本能は、故に本能的感覚―――他者の本能に敏感だ。
 佐伯は本当に自分を殺そうとしている。
 込み上げる、吐き気を催すほどの恐怖。ラケットを放り出し、甲斐は頭を抱え蹲った。
 他の者も、佐伯の醸し出す殺気に気付いたのだろう。悲鳴をあげ目を瞑り、審判は止めようと席を立ちかけ―――































 「バーカ」






 ぽ―――――――――ん・・・・・・・・・・・・





























 『へ・・・・・・・・・・・・?』
 佐伯の返した球もまた、ロブだった。山なりのロブ。甲斐には掠りもしないし、仮に当たったとしても「いてっ」程度だろう。
 何も来ないのを不思議に思ったか、甲斐も手で庇ったまま顔を上げた。
 佐伯が、にっこりと笑っていた。
 「冗談だよ。当てるワケないだろ? 俺はケンカなんてするつもりないんだから」
 「さえ・・・き・・・・・・」
 おずおずと立ち上がる甲斐。信じられないといった表情で、佐伯にゆっくりと歩み寄り、





 ・・・・・・とんと、軽く押し返された。





 腰が抜けたように、ぺたんと座り込む。
 見上げれば、佐伯はまだ笑っていた。
 笑って、言う。








































 「ケンカなワケないじゃないか。これは苛めなんだから」








































 「あ・・・・・・」
 座り込んだ甲斐に、
 佐伯は諭すようにゆっくりと告げた。
 「そういえば言ってなかったけどな、甲斐。
  俺はな―――















  ―――――――――――――――――――――弱い者苛めが大好きなんだ」








































 「は・・・・・・」
 にっこりと、それはそれは全てを受け入れる慈母のような笑みを見せる。
 「もちろん、体に傷をつけるなんて下劣な真似はしないさ。跡残るかもしれないだろ? 訴えられたら来年六角は大会出場停止だもんな。いくら来年はもういないからって、後輩に迷惑かけちゃマズいよなあ。
  でもな、
  心にならいくらでもつけ放題だよな? 訴えようにも証拠なんてないんだし。もしそうなら、そもそもオジイにぶつけられて俺たちの心はとっても傷ついたもんなあ。それだけでお前達を今すぐ出場停止に出来るくらい。
  でもそんな事はしないさ。出来ないもんなあ。今から俺がやる事に対してお前が文句を言えないのと同じように。
  覚悟しろよ? 終わる頃には、テニスボール見るのも嫌にしてやるよ」
 「あ・・・・・・」
 青褪め、泣きそうな甲斐とは対照的に、佐伯はさらに笑みを深めた。恍惚とした表情で、声で。
 「ああどうしよう甲斐。俺、楽しくってたまらないよ。次はどうしようか。アレがいい? それともソレがいい? 代名詞だけじゃわかんない? なら今から全部やってみようか。
  ハハ・・・。ホント、楽しいよなあこういうの。ずっと続いてほしいって思っちまうよ・・・・・・。
  なあ、







   ――――――もっともっと、楽しませてくれよ?」







 「うあ・・・・・・あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



―――5.試合を終え 恐怖を乗り越え