3.朝練後 ―――対鳳
この日の朝、部活が始まるより早く―――学校が開くとほぼ同時に来ていた鳳。今は来るべき3年の引退を前に、少しでも多く練習したかった。少しでも強くなって、跡部のようには無理でも部員を引っ張って行けるようになりたかった。
と―――
「跡部さん!」
「何だ鳳。早いじゃねーか」
「ちーっス、跡部さん。跡部さんこそ早いっスよね。どうしたんですか?」
「ああ。資料まとめに来たんだよ。そろそろ引継ぎの準備しとかねえとな。そういうお前はどうしたよ?」
「俺っスか? 練習しに来たんです。今は、少しでも練習したくて・・・・・・」
曖昧な笑みで半端に切る。だが跡部はそれで全てを察したらしい。ほお・・・、と頷き。
「ま、そういう態度は関心じゃねえか。だったら俺が付き合ってやるよ。1人より2人の方がやりやすいだろ?」
「え・・・? 跡部さんが、ですか?」
「何だよ。俺じゃ不満だってか? 悪かったな、宍戸じゃねえで」
「あ、いえそんな意味じゃなくって・・・! ただその・・・資料まとめいいんスか?」
「ああそれか? 別にいいぜンなのいつでも。
―――なにせ遅れた分はお前らが迷惑被るだけだしな」
そう告げ、跡部はにやりと笑った。
「ええっ!? それ酷いっスよ!」
「おらつべこべ言ってねえで行くぞ」
● ● ● ● ●
そんなこんなで跡部は本当に練習開始まで付き合ってくれた。礼を言おうと思ったのだが、そこで毎度恒例の宍戸とのバトルへと発展してしまったため断念を余儀なくされた。
そして練習中のトラブルにて宍戸・忍足、さらに跡部の3人が退場。つくづく榊監督がいなくてよかった。
「あれ? 宍戸はいいとしても、侑士も跡部も遅っせーなー」
なかなか戻ってこない3人に、向日がボヤく。
「あ、俺見てきます!」
「おう。頼むぜ鳳」
● ● ● ● ●
部室に向かいながら、思う。
(跡部さんって、本当に部員の面倒見いいよな・・・・・・)
かつての宍戸と自分の事についてもそうだ。宍戸をレギュラーにするためならば自分が落ちても構わないとは思っていたが、それでもやはりあの時の跡部の口出しは正直嬉しかった。おかげで自分は宍戸と組めた。宍戸もまた、直接は口にせずとも跡部に感謝している。そばで見ていればよくわかる。自分と宍戸のものとはまた違う意味で、2人の間にもまた信頼関係というものがある。でなければあの跡部が毎日馬鹿としかいいようのない騒ぎに付き合うワケがない。
もちろんそれだけではない。目立ったところではジローに対するものだが、跡部は他の部員誰に対してもよく気を配り、親切にしている。持って生まれたカリスマ性でぐいぐい引っ張るだけでなく、時に横に並び、時に後ろから押し、時に全て包み込む。だからこそ、誰もが跡部についていこうと願い、誓う。
(強くて、気高くて、でもって優しい先輩か・・・・・・。俺もなれるかな、あんな風に・・・・・・)
なれるはずが無い―――とは諦めない。負け犬に切り開ける道はない。諦めなければ光は見つかる。それが宍戸と、そして跡部に教わった事―――。
ぐしゃっ!
「ん・・・・・・?」
「ぐはあっ!!」
考え事をしながら歩いていたら、いつの間にか部室へと辿り着いていたらしい。なぜか部室前に転がっていた忍足を踏みつけ、それを悟る。
「どうしたんですか? 忍足さん」
「おお・・・、鳳か。いや、どうってことあらへんのやけどな・・・。
・・・・・・にしても俺、めっちゃ踏んだり蹴ったりやん。しかも文字通りの挙句受動態で」
「は、はあ・・・。
ところで跡部さんは・・・・・・」
意味不明なことをボヤく忍足に一応頷き、尋ねる。ここへ来るまでに出会わなかったのだからまだ中にいるだろうが。
「跡部か? ああ・・・・・・」
忍足が呟き、
にんまりと笑った。
ドアを大きく開き、鳳を中へと押し込む。
「跡部やったら中おるで。好きなだけ会うとき。
―――な〜んや。丁度ええペットおるやん。忠実従順主人には逆らわず。コイツやったら条件ぴったりやで」
「え・・・? あの、『ペット』って・・・?」
「まーまーええからええから。
ほな、よろしゅうやりいよ」
「あ、忍足さん!!」
自分1人を残し、去っていった忍足。事情が全くわからずため息をつき・・・
結局他にやる事もなく、鳳は予定通り跡部を探した。
「跡部さ〜ん。いませんか〜?」
呼びかけるまでもなく、見渡せばここにいないのは明らかだったのだが。
「後は・・・・・・」
部室の奥につけられたシャワールーム。そこから聞こえる微かな水音。レギュラー専用部室である以上、いるとすれば宍戸か、さもなければ当人か。
「入りまーす」
一応誰にとも無く断り、シャワールームへと足を踏み入れる。シャワー1つごとに個室になった空間。ただし囲われているのは胴体部分程度。多少の身長差により異なるだろうが、跡部にしろ宍戸にしろ彼らの背丈ならば十分頭は見える。
見えて―――
「跡部さ―――」
鳳は、掛けようとした声を途中で切った。奥のシャワーを使う跡部。頭上から注ぐお湯の下、壁に額と手をつけ肩を上下させている。
濡れて顔に垂れる髪のおかげで表情ははっきりしない。だが、
「あ・・・、ん・・・・・・」
時折洩れるそんな声は、決してシャワーから流れる水滴が作り出せる類のものではなかった。
「う、あっ・・・・・・」
押し殺した、しかしながら殺しきれていない声が広がる。同時にタイルに水でも石鹸でもないものが落ちた―――ように見えたのは、中で何をやっているのかわかったからか。
―――『ほな、よろしゅうやりいよ』
(そういう事か・・・・・・)
納得する。自分が来るまでの間に何があったのかはわからないが、とりあえず跡部は今そういう状況らしい。
わかった上で、
鳳は踵を返した。
惜しい、と、思う気持ちもないではない。だがそれ以上に、自分ではこの人には不釣合いだろう―――そう感じて。
が、
「―――鳳? いるんだろ? 出てくなよ」
ふいに呼ばれ、振り向く。シャワーコックを捻る音。いつの間にか、跡部は壁から顔を上げこちらを横目で見やっていた。
優しげに瞳を細め、仕切りの上から手を差し出してくる。
「ほら、こっち来いよ」
「あ・・・は、はい」
まるでそれは許しの合図。去ろうとしていた足を止め、跡部の元へ向かう。
「服脱いだら、中入って来いよ」
「え、っと。それは・・・・・・」
わかりはするがわからない事。なぜ跡部はわざわざ自分を? そういう相手が欲しいならそもそも忍足が適役だったというのに。
きょとんとする鳳へと肩越しに振り向き、跡部は楽しそうに笑った。
「宍戸はお前の管轄だろ?」
「あ、さっきの・・・・・・」
思い出すは先ほどの『ケンカ』。跡部はなんともないようではあったが、実は彼も感じていたのだろうか?
―――実際はその後の事でなのだが、もちろんそれを鳳が知る由も無く。
「ほら、早くしろよ。他のヤツら来ちまうだろ?」
「は・・・はい!」
中から再び伸びてきた手。今度は入り口を開けてこちらの腕を掴んできた。
引き寄せられるままに中へ入りつつ、鳳はその間に見えた跡部の裸体に目を見開いていた。
強くて、気高くて、でもって優しい先輩。後付け加えるなら『綺麗な』、か。付き過ぎでもないがさりとて無さ過ぎでもないバランスの取れた筋肉と、おかげでより露になる骨格。それらを覆う皮膚には傷の類は一切無く、お湯を弾く滑らかな肌はまるで陶器のようだ。そういえば白人の血が混ざっていると言っていたか、普段は日にも焼けない白い体は外からの熱によりかそれとも内からの熱によりか赤みを帯び、人間としてというより生物全般を網羅した総合的芸術美を持つ彼も自分たちと同じ人間である事を証明していた。
引き寄せるだけ引き寄せ、中に入ってきた時には勿体ぶるように背中を向けられてしまった跡部の躰。鳳は無意識のうちに、己の内にぎゅっと抱き込んでいた。
抱き込んで、改めて悟る事。自分より10cm低い体。骨格ははっきりしているががっしりした体格でもなく、どころか自分の腕の中にすっぽり収まる辺り華奢と言ったところで過言ではないだろう。
(この人が、俺たちの部長・・・。この人が、氷帝帝王・・・・・・)
愕然とする。だが失望によりではない。むしろ畏怖によりだ。かつて宍戸が言っていた。「自分には大きな身体的アドバンテージがない」と。そしてだからこそそれを補えるだけの努力をしてきた。
だが跡部にも又同じ事が言えるのだ。それでありながらこの実力。彼は一体どれだけの努力をしてきた?
「何じっとしてんだ? 俺様の躰にでも見惚れたか?」
「あ、いや・・・・・・」
「そーか?」
図星を刺され、詰まる鳳にくつくつと跡部が笑う。さすが眼力が得意なだけある。
抱き込んだ手を解き、しかし何をやればいいのか戸惑う鳳の手に、跡部が己の手を重ねた。先ほど自分でも弄っていたであろう場所へ導き、
「この先はお前が好きなようにしろ」
そこで、鳳の手を解放した。
「―――はい!」
一瞬の躊躇の後頷いてくる鳳。恐る恐る、壊れ物を扱うように(ただしこの扱い方ではむしろ壊すが)そっとそれを触れる。芸術美たる彼自身とは正反対の艶かしさを持つそれ。そのギャップは、先ほど同様人を引き付ける。
「う、ん・・・・・・」
「気持ちいい、ですか?」
「ああ、いい・・・。そのまんま続けろ・・・・・・」
「はい」
跡部の言葉を受け、鳳はさらに手の動きを速めた。
「ん・・・あっ・・・!」
喘ぎ声が大きくなる。躰を前に折り畳み、壁に両腕を突いて快感をやり過ごす跡部を、外した片手で再び後ろから抱き込む。胸元を這わせ、飾りを見つけて指で刺激を与えてやると、跡部もまた外した片手を沿わせてきた。
前に倒れる首。露になった肩の付け根に舌を這わせ吸い付いて。
「ん・・・、鳳・・・・・・」
「はい。何ですか?」
「お前、めちゃくちゃ気持ちいい・・・・・・。最高だ・・・・・・」
僅かに顔を上げ、荒い息の合間にそんなことを言ってくる。それこそ最高の賞賛。
「ありがとうございます!」
心から礼を言い、もっと気持ちよくしてあげようと鳳が自分の体を進めようとした・・・・・・
―――ところで。
がちゃ。
「なっ・・・!! 跡部・・・! それに長太郎!! お前ら何やってんだよ・・・!?」
部活が終わったからなのか、それとも跡部同様ここで1人でヤるつもりだったのか、どちらにせよシャワールームへと入ってきた宍戸は目の前の光景にただ唖然とするしかなかった。
「し、宍戸さん!?」
「長太郎・・・!! お前、信じられねーよ・・・!! なんでこんな・・・・・・!!」
「ち、違うんです宍戸さん!! これにはワケが―――!!」
「ワケ!? ンなの聞きたかねえよ! お前はそのまま跡部とよろしくやってろ! お前とのダブルスは今日で解散だ!!」
「そんな〜!!
待ってください宍戸さ〜ん!!」
どたばたどたばた・・・・・・
● ● ● ● ●
三文芝居のようにありきたりに転がり落ちていく事態に、1人取り残された跡部は髪の毛を掻き上げ口角を吊り上げた。
「やっぱ、忍足よりあいつらの方が面白れーな」
「―――そないな理由で割り込むん止めときい。それこそ2人とも、明日から部活来いへんようになるで」
やはり去ってはいなかったらしい。入ってきた忍足の咎めに、跡部は肩を竦めるだけだった。
「この程度で崩れるパートナーじゃあねえだろ? 安心しろ。俺は人を見る目は確かだ」
「そらその点に関してはよー知っとるからめっちゃ安心やけどな・・・。
ま〜た宍戸も鳳も難儀やなあ。こないなんに好かれおって」
「あん? 俺様が気に入ってやってんだ。むしろ光栄だろ?」
「・・・・・・・・・・・・人それぞれ、やろうな」
「けどてめぇなら嬉しいんじゃねえのか?」
「はい?」
妙に含んだ言い方。2人の消えたドアから目を戻すと、そこでは跡部が仕切りを開けそこに手をかけ自分を見ていた。
開いた手の平を上にし、くいっと人差し指を曲げる。方法こそ多少違うが、それこそまるで先ほど鳳を誘ったように。
だから、忍足もまた跡部へと近付いていった。
見上げる頬に手を当て、顔を寄せて囁く。
「やっぱ俺の方がよくなったん? 溜まった熱、俺が冷ましたるわ」
答えは―――
「バーカ」
ばたん。
「てめぇみてえなのは嫌いだっつっただろ? でもってそうやってあっさり乗せられる正真正銘の馬鹿もな」
ハーハッハ! と高笑いをし、体を拭き始める跡部。そっけなさ過ぎる後姿に向かって、忍足は泣きたい気分で叫ぶしかなかった。極めてありきたりな、あのツッコミを。
「どないせえっちゅーねん!!」
―――向こう(【手塚の〜】)が<S.H!>ネタならこっちは<ラブプリ>ネタだ! というわけで鳳vs跡部の話です。いいなあ、面倒見がよくって。そういや1の対宍戸もそれでしたね。2人のバカっぽい勝負。いいなあ。アットホーム的氷帝学園・・・・・・。
そして鳳×跡部。書き易・・・。樺地×跡部に並ぶ従順さだ。『やっぱ、忍足よりあいつらの方が面白れーな』。実は何が面白いかというと私が書く上でだったりします。忍足だとむしろ普通にリードを奪われそうでつまらん・・・・・・などと思うこの話の跡部のコンセプトは襲い受けだったり・・・・・・。
そういえば鳳曰くの宍戸の言っていたらしい事。正確には言っていません。20.5巻に丁度いいまとめ台詞があったので借りました。原作そのままに載せると、どこで切っていいのかわからない長さだったもので・・・・・・。
2004.5.9〜10