君が『上』を目指すというのなら
僕はその『上』に立ってみせるよ
そうすれば君はまた僕だけを見てくれるでしょう?
ねえ、裕太・・・・・・
水面下にて
Act1.裕太
波乱のS2が終わった。結果は7-5で兄・周助の勝ち。盛り上がる観客たちの中、裕太はただフェンスを掴んで俯いていた。
(なんでだよ・・・・・・)
0-5からの大逆転には誰もが度肝を抜かれた。そして自分のためという名目―――美談に会場中が兄貴の味方となった。
だが兄貴の勝利に酔いしれる奴らは誰1人として気付きはしない。大逆転の時ですら兄貴は本気を出さなかったという事を。
―――アイツにとって、今の1戦は遊びでしかなかったという事を。
(なんでだよ・・・・・・!!)
がしゃん、とフェンスが軋み音を立て、打った手に鈍い痺れが走った。
兄貴のあの大量リードの意味を知ったのは、0-5の時の兄貴の言葉でだった。ツイストスピンショットは肩を壊す? 『打倒兄に燃えるバカ弟は単純で操り易かったよ』?
ショックを受けなかったといえば嘘になる。けどそんな事はどうでもよかった。観月さんの言葉はその通りだと思うし、兄貴を倒せるのならとそれ以上考えることもせず従うだけだった自分にも問題がある。
それでも―――それよりも自分のために動いてくれた兄貴を嬉しく感じた。こんな自分の事を今だに想い、守ってくれようとする兄貴に感動した。
(・・・・・・なのに)
自分を築く世界がすべて崩れていくような気がした。兄貴にとって、自分とはその程度の価値しかない存在[モノ]なのだろうか。
勝手な言い分だとわかっている。先に離れていったのは自分だ。少なくとも敵を取ってくれた兄貴には感謝すべきだ。
「くそ・・・!!」
小さく呟き裕太は再び握り拳でフェンスを叩いた。その足で、青学の人達のたまり場へ向かう。
責めたいのか、それとも縋りたいのか。一体自分は何がしたいのか。それすらもわからないまま、裕太はただチームメイトに笑いかけている兄に向かって歩み寄っていた。
Act2.不二
「弟が世話になったね・・・」
ツイストスピンショットを見て、その技が危険なのはすぐにわかった。
そして、それを知っていながら教えたのだと知り、観月を殺したいほど憎んだ。
だから、こんな手に出た。観月に最大の屈辱を味あわせるために。
(けど・・・・・・)
みんなに囲まれながら、不二は心の中で陰鬱に呟いた。
本当にこれは裕太のためだったのか? 裕太のためと言いながら、実はただの自己満足ではなかったのか?
否定できる要素はない。裕太を守ってやれなかった自分に不甲斐なさを感じ、また裕太に全面の信頼を置かれていた観月に嫉妬した。それは事実。
―――だからこそ本気が出せなかったのではないか?
裕太のためを想うのなら本気を出し完全に観月を潰すべきだった。出せなかったのはプライドが邪魔をしたから。あんな奴相手に本気は出したくなかった。あの程度の相手に・・・・・・。
(―――裕太?)
向かいから歩いてくる裕太に、思考を中断させ不二は首を傾げた。
〆 〆 〆 〆 〆
がしゃん!
先程自分の立てたのと同じ音をたて、裕太は不二のジャージの襟を掴んでフェンスに押し付けた。
痛そうに顔をしかめつつもいつも通りの笑みを浮かべる兄に、芯から冷やされる思いで問う。
「なんであんな試合した?」
「言った・・・通りだけど?」
笑みを―――裕太が一番好きだと言ってくれたその顔を保ちながら、不二は静かにそう答えた。裕太が本当は何を訊きたいのか、それに気付かないほど自分は馬鹿ではない。
ただ・・・・・・その問に対する答えだけは出来ていなかった。
「なら、なんで本気出さねーんだよ! 手加減されて負ける相手の気持ちわかってんのかよ!? それとも所詮凡人じゃ天才の相手にはならないって嫌味かよ!?」
声が震える。自分の相手をする時も、この兄が本気を出していなかった事はわかっていた。だから本気を出させようと、本気で接してもらおうと、今までやってきたのだ。
自分がそれだけの価値がある人間なのだと、この兄にそう思ってもらいたかった。
「・・・・・・・・・・・・」
裕太の言葉に反論出来ずに黙る。幼い頃から天才と呼ばれ、努力をせずとも1番に立てた。だからこそ知らず知らずのうちに出来てしまったプライド。今まで同じ台詞を言われた事は多々ある。今までは、笑って切り抜けられた。今回は?
(ごまかせそうには、ないよね・・・・・・)
裕太相手に本気を出さなかったのは出来るだけ楽しみたかったから。なら観月相手では?
「―――ああそうかよ!! よくわかった!! 兄貴にとってその程度の存在なんだな!!」
黙ったまま何も言ってくれない兄から手を離し、裕太は来た道を引き返した。主語を――何が『その程度の存在』なのかを言わず。
テニスがなのか、観月がなのか、それとも―――自分が、なのか・・・・・・。
「・・・・・・ところで裕太、今日家に寄って帰るよね? 母さんが好物のかぼちゃ入りカレー作って待ってるよ。姉さんだってラズベリーパイ焼いてたなぁ」
いつになく早口で不二が尋ねた。切れかけた糸を手繰り寄せるように。一瞬でも緩めれば切れてしまうとでも言いたいのか裕太が話す間もなくしゃべり続ける。
「・・・・・・・・・・・・」
(兄貴は・・・・・・?)
一瞬だけ振り向き、そう尋ねかけて止めた。そんな自分の女々しさに無性に笑いたくなった。自分はまだ何を望んでいる? ぬるま湯のような愛情などいらないから飛び出したのだろう?
〆 〆 〆 〆 〆
裕太に声が届かなくなるであろうところまで話し掛け続けると、不二はフェンスにもたれた姿勢のまま残った息をゆっくりと吐き出した。全身の力が抜けるが、造られた笑みだけは崩れることはなかった。裕太が自分の下を離れてから1度も崩れたことのないそれは、この場においてもなお頑強に残り続けた。
周りからの疑問と不安の入り混じった視線の中、唯一違う意味を込めた視線の主に不二は目をやった。
「ねえ越前君―――」
Act3.リョーマ
不二がため息をつくのと同じタイミングでリョーマも軽く息を吐いた。不二の言いたい事も、裕太の言いたい事も、どちらも知っている自分としては別に不安も疑問もなかった。
ある程度以上の実力を持つと弱い相手には本気は出したくなくなる。高すぎるプライド。大抵の相手に右手で試合している自分も、今日自分と不二の指摘した手塚も、そして不二もまた同類である。
手加減をされて負けることの悔しさ・辛さ・虚しさもまたわかる。手塚に負けるまでテニスに対するやる気が沸かなかったのは、父・南次郎によっていつもこの目に合わされていたからだ。真剣に取り組むほど強くなるこの気持ちを知りながら、それでも挑み続けた裕太にはむしろ感心する。
だがもう1つ、不二も裕太も知らないであろう事を自分は知っている。お互いへの気持ち。観月曰くの『単純』な裕太ならともかくなぜ不二の、それも数日前にその存在を知ったばかりの弟に対するものまで知ってしまえるのか。答えは自分もそれだけ不二のことをよく見ていたからだ。そして今日のS3、不二の視線はほとんどの間裕太の方を向いていた。・・・・・・自分ではなく。
(そんなの当り前じゃん)
不二は自分のことなどなんとも思っていないのだから。不二の中では裕太以外同等に価値のない存在なのだから。
嫉妬・諦念・空虚の篭る目を隠そうと帽子のツバに手を伸ばすが、それに手が届くよりも早く不二から声がかかった。
〆 〆 〆 〆 〆
「ねえ越前君―――」
「―――なんスか?」
答えつつ、それでもやはり目を隠そうとツバを摘むリョーマ。それを見ながらなおも笑って不二は首を傾げた。
「今日家に来ない?」
(俺裕太の代理じゃないんだけど)
その言葉に下げかけていた手を止め、正面から不二を見据えるとリョーマはいつものように口の端を吊り上げ鼻で嘲った。
「はっきり言ったら? 『余計な事してくれたね』って」
『アンタの目標は兄貴なんだろうけど、オレは上に行くよ』。自分のその1言で裕太が変わったことを不二が気付かなかったわけはない。その1言で裕太の中の不二の存在を下げたであろう事を。『自分の追い求める全目標』から、『その1人』へと。
「口にして言うほど思ってはいないから。
ただ裕太は帰って来そうにないし、せっかく母さんも姉さんも張り切って作ってたから、誰か食べてくれる人がいた方がいいんじゃないかなって思って」
リョーマの嫌味もさらりと流す。裕太がそれでもまだ自分を目標としていることには変わりない。
「それで? その後は裕太の部屋で寝ろとか?」
結局裕太の代りにしかなれないのだと。わかっていても皮肉は止まらない。
「まさか。客室はちゃんとあるよ」
(キミを入れるわけないでしょ?)
「・・・・・・別にいいっスけど。
―――けどそんなに大事なら鎖で縛って檻にでも入れておいたら?」
(まあ今更ムダだろうけどね)
なおも執拗に続けられるリョーマの皮肉に、不二は顎に手を当ておどけて見せた。
「う〜ん、鎖ならいっぱいかけといたのになあ。まさかたった1言で取れちゃうなんてね」
「ツメが甘いんじゃないの? まだまだだね」
「あはは。そうかも」
全く堪える様子のない不二に、リョーマが再びため息をついた。
「けど―――」
「・・・?」
「鎖なんて、またいくらでもかけられるしね・・・・・・」
(そう、例えば裕太に勝った君を倒したりしてね・・・・・・)
初めて閉じていた目を開け、今までとは違う笑みを浮かべる不二。その微笑に圧倒されることなくリョーマもまた不敵な笑みを浮かべて見せた。
「ふ〜ん。そう簡単にはかけさせないよ」
Act4.英二
リョーマを家に誘う不二から目を離し、英二はその視線を下に下ろした。空虚な眼差し。自分らしくもない。
(なんでうまくいかねーのかな・・・・・・)
不二が裕太を好きなことは知っていた。そしてまた、裕太も同じであることを。だから今日が来るのが嫌だった。2人が逢ってしまう―――間違いなく、何かが変わってしまう今日という日。
それなのに、不二も裕太もそれを最悪の方向へ転がしてしまった。『不二の親友』としては悲しまなければならない事だ。だが・・・・・・『不二を好きな存在』としては喜ぶべきものだった。
(なのにな・・・・・・)
なのに―――不二が選んだのは自分ではなく、この生意気なルーキーだった。
理由がわからないわけではない。多分自分も他の連中同様、心配そうな眼差しで彼を見てしまったのだろう。
3年間、『不二の親友』というポジションで彼のことはよく見ていた。裕太が不二を敬遠していった時の、寂しそうな顔も。裕太がいなくなってからの、笑わなくなった顔も。
そして―――裕太がいた頃の、本当の笑みも。
(ずっと、見てたのにな・・・。わかってたのにな・・・・・・)
だからこそ知っていた。不二が他人に弱みを見せることを何よりも嫌がっていたことを。彼にとって、慰めはただの屈辱でしかない。
わかっていながら―――自分はそれをしてしまった。
(おチビは凄いよ・・・・・・)
ただ1人、それをしなかった存在を賞賛する。
不二とリョーマの会話を聞きながら、英二はただ絶望するしかなかった。たった数ヶ月。それだけしか不二といなかったのに、リョーマは彼の性格を完全に把握し、そしてそれを生かすだけの強さを兼ね備えている。
今の不二に必要なのは、悲しそうに自分を見てくれる眼差しでも、ましてや優しく抱き止めてくれる腕でもない。
ありのままの自分を剥き出しに出来るところ。上っ面だけの芝居などいらない、本当の自分をさらけ出させてくれる強い存在。
―――自分ではなることの出来ない役割[くらい]。
下を向いたまま強く歯をくいしばり、英二は顔を上げた。
〆 〆 〆 〆 〆
「ねーねー不二!」
にっこり笑って不二に手を振る英二。自分はこういう役割なのだ。明るくて、ひたすら騒がしいムードメーカー。落ち込むのは自分の役目ではない。
「俺も不二ん家行っていい!?」
「なんだ先輩もっスか・・・・・・」
ため息をつきながら、不二よりも早くリョーマが呟いた。英二が無理をして笑顔を造っているのはわかっていた。だから自分もそれに乗る。
正直彼の提案は嬉しいものだった。『今日』、この状態の不二といて自分を保てる自信がない。不二を傷つけたいわけではないのに、裕太ばかりを見る彼をメチャクチャに壊して自分だけを見させたい。そんな狂った願いが頭の中を渦巻く。
「あー! にゃんだよおチビ! 俺と一緒じゃ嫌だってのかよ!?」
口を尖らせて言ってみる。YesなのかNoなのか。多分どちらもだろう。
―――だから多分、リョーマはこう答えるのだろう。
「・・・・・・別に」
英二が予想したであろうとおりの答えを返す。肩の力が抜けたのは安堵かそれとも失望か。
「じゃあ英二も一緒に行こうか」
何も知らない不二が同意し、そして3人は不二の家に行くことになった。そこで何が起こるのか、それを予想するには『今日』はまだ長かった・・・・・・。
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(2002.9.27〜11.11)