パン!
ピストルの音と共にリョーマは全身のばねを使ってトラックへ飛び出した。普段テニスで鍛えているおかげで瞬発力は文句なく平均以上である。
他の人を差し置いてトップで第1コーナーを曲がり、地面に置かれていた紙をそのままの勢いで取り―――
「う・・・・・・!」
借り物競争
9月の中ほどの日曜、この日青春学園では体育祭が行なわれていた。その応援席にて英二がきょとんとした。
「あれ? おチビちゃん止まっちゃったよ?」
「妙なものでも当てたんじゃないか?」
斜め後ろにて一体何のデータを取っているのか愛用のノートにシャーペンを走らせながら乾が答える。通常応援席といったらクラス別になるものであろうが、ここにはなぜか元テニス部の3年が集まっていた。部活も引退しそれでもほぼ毎日のように顔を出しているとはいえやはり以前のようにいつもいっしょという訳ではない。今日は言わば同窓会のようなものだ(いや早すぎるが)。
「そうっぽいね。なんか考え込んでるよ」
いつも通りの笑みで不二が続ける。彼の言葉どおり紙を持ったまま立ち尽くすリョーマを後から来た選手が次々と追い抜いている。
「おかしいな。そこまで大変なものは無かった筈だけど・・・?」
体育委員の河村も首を傾げる。この借り物競争にて借りるものを考えたのは体育委員である自分達だ。だがそれの議題では極々平凡な案しか出なかったはずだが・・・・・・。
「にゃんか大変そうだね。よ〜しここは先輩が励ましてあげるよん。
―――おチビ頑張れ〜〜〜!!」
大声で手をブンブン振り叫ぶ英二。周りとしては恥ずかしいものがあったが、今日が体育祭である事、そして何より慣れていたため受け流す。
その声に気付いたらしく、紙を手に俯いていたリョーマが顔を上げた。きょろきょろと見回し、こちらを見つけるとダッシュで駆け寄って来る。
「にゃににゃに? もしかして俺の事探してた?」
「それは都合の良過ぎる解釈でしょ。きっと越前君の探してたのは僕だよ」
「お前も十分自分勝手だぞ。・・・・・・恐らく越前は『先輩』を探していたのだろう。ならば部長の俺が行くのが妥当・・・・・・」
「なに勝手なこと言ってるのさ手塚」
「それに手塚が部長って元じゃん」
「―――『近づいてくる越前を見てこのように言い合う3人。「獲らぬ狸の皮算用」という言葉はまさしく今の3人に当てはまるものである』」
『ははは、は・・・・・・』
言い合う3人の後ろでやはり淡々とノートに書き込んでいく乾。この4人に大石と河村は乾いた笑いを送ることしか出来なかった。
と、ここでリョーマが応援席にたどり着いた。
「おチビ! ぜひ俺と!!」
「越前君。もちろん僕だよね?」
「いやいや越前、ここは俺が部長として―――」
詰め寄る3人。それを無視してリョーマは力強い眼差しで言った。
「乾先輩。来てもらえませんか?」
「は・・・?」
「え・・・?」
『・・・・・・』
順に英二、不二、手塚・大石・河村。そして―――
「俺か? 何で?」
「先輩しかいないからです」
当り前だが借り物の対象として、だ。だが台詞だけを取り上げれば熱烈な愛の告白の様にも聞こえるそれに先程までやかましかった3人が灰と化した。
「え、英二!? 不二! 手塚!!」
パニックを起こす大石と河村は放って置いて、リョーマは乾をひたと見つめた。
「・・・で、いいっスよね?」
疑問符つきの肯定文。つまりは反対しても無理矢理連れて行くといったところか。
反対はせず、乾は代わりに疑問に思った事を尋ねてみた。
「別に俺は構わないけど―――なんで俺なんだい?」
「これ・・・・・・」
そう言ってリョーマが紙を渡す。先程彼が悩んでいた件の内容は・・・・・・。
「なるほど。
―――手塚、英二、不二」
呼びかけて乾は紙を見せた。とりあえず戻って来た3人も含め全員がそれを覗き込み―――
「『長いもの』・・・・・・?」
「またえらく曖昧だね・・・」
「一体何を考えてるんだ、体育委員は?」
「ははは・・・・・・」
各自勝手に感想を述べる中、大石が本題に戻した。
「で、乾という訳だね?」
「そーっス」
「―――けどこれってあくまで『物』なんじゃ・・・・・・」
「人だって『者』でしょ?」
「・・・・・・」
「やるな越前。苦手科目国語という割には漢字の使い分けは完璧だ」
「・・・・・・馬鹿にしてるんスか?」
感心する乾を睨みつけるリョーマ。今日は帽子を被っていないためその目もはっきりと見える。
「で、でも『長いもの』なら別に乾じゃなくても・・・・・・」
諦めきれないのか握り拳で力説する英二へ、乾は自分の手で隠れていた紙の左半分を見せた。
「『(180cmを基準とする)』・・・・・・?」
読み上げる英二は171cm。
「なんでこんな基準が・・・・・・?」
疑問符を浮かべる不二は167cm。
「つまり『曖昧』ではなくしたのだろうな」
先程の不二の呟きを受け継ぐ形で頷いた手塚は惜しくも179cm。
「つまりテニス部においてこの条件を満たせるのは俺と河村の2人だ。しかし河村が行くことは100%ありえない」
「え? 何で?」
突如自分の名前を呼ばれた河村が聞き返す。ちなみに乾184cm、河村180cm。そして会話(取り合い)には特に参加していないが大石は175cm。確かに『180cm以上』と読み取れるこの基準をクリアしているのは乾と河村の2人だけだが・・・・・・。
「その質問にはわざわざ俺が答えるまでもないと思うけど?」
しれっと答える乾。わけのわからない説明に河村がやはり聞き返そうとしたところで―――
その向こうにいた3人と目が合った。
(こ、怖い・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
ある者は口を尖らせ頬を膨らませ、ある者はいつもと変わらぬ仏頂面で、そしてある者は見る者を魅了する笑みで、
3人の放つオーラはどれもこれも同様にドス黒かった。いや実際にはそんな物見えないはずなのだが。
「え、ええっと・・・もしかしたら180cmより長いことが条件かもしれないし・・・だったら俺は当てはまらないから乾と行って来なよ、越前」
結局河村は乾の予想通り己の身の安全を最優先にした。
「そうっスか?」
実は()内を読んでいなかったリョ−マは漠然と乾を思い描いていたのだが、とりあえずまあやはり乾に決まったらしいという事で彼の手を引いて走り出そうとした―――ところで。
「越前、ただし条件がある」
「条件?」
なにやら不審気な言葉を述べる乾にリョーマの眉が寄る。掴んでいたジャージの袖を離し、振り向いた先に浮かべられていた笑みはその不信感をさらにあおる物だった。
「そう。ついていく代りにお前にはこれを飲んでもらう」
「これって・・・・・・」
どこからともなく取り出されたものに、リョーマの顔は徐々に青褪めていった。